勇者の誤算 薬師寺さやか
そのころ、近くの総合病院では、一人の優しい少女が入院患者の元を訪れていた。
『ヒール」
彼女の手から出る白い光が大怪我を負った少女を照らすと、その傷がどんどんふさがっていく。
『お姉ちゃん。ありがとう」
彼女が治療した幼い患者には感謝され、まるで姉のように慕われていた。
「さやか様、いつもありがとうございます」
「あなたはまさに聖女です」
彼女の魔法により怪我が回復した患者たちからは崇められる。英雄の一人、治療師にして聖女である薬師寺さやかは、自分の実家である病院で治療活動を続けていた。
彼女はここでも聖女として崇められ、そのことがますますさやかをいい気分にさせていく。
しかし、それを見た中年の男性が厳しい声でしかりつけた。
「さやか。またお前はそんなことをして!その変な力は使うなといったはずだ!」
そう言って彼女の邪魔をするのは、さやかの父であるこの病院の院長である。彼は娘が変な力を使って自分の患者の治療をすることを快く思っていなかった。
「なんでよ!苦しんでいる人たちを癒してあげるのは、聖女の務めなのよ!」
叱られたさやかは不満そうに頬をふくらませる。
「そういう問題じゃない!何度もいうように、医師免許を持たない人間が医療活動することはみとめられてないんだ。医学的に解明されてない妙な力をつかって、患者の身に何か問題でも起きたらどうするつもりだ!」
院長がそう諭しても、さやかは恐れ入らなかった。
「何言っているんだか。聖女である私がそんなヘマをするわけないでしょ?魔法のことを何も知らない癖に、口を出さないで!」
さやかは院長がどれだけ諌めても聞き入れずに、逆に父親を勇者である自分に比べると何の力もない無能な一般人だと見下すようになっていた。
「そうですよ。さやかさんの力のおかげで、怪我が早く直りました。みんな感謝しています」
患者からもそういわれてしまい、院長はため息をつく。
「娘は確かに不思議な力をもっています。ですが、科学的に証明できていない力は医療の分野では認められていないのです。患者様にはご不満かもしれませんが、ご了承ください」
あくまで正論を言う院長に対して、さやかはついに癇癪を起こしてしまった
「だったら、どうしろって言うのよ!」
「……その力を使いたいと思うなら、ちゃんと勉強して医学部にいって、医師免許を取って、研究して誰にでも使える技術として確立させてからだ。そういう手続きを踏んだ上でなら、私は反対などしないし、むしろいくらでも協力してやれる」
「そんなまどろっこしいことできないわ。世の中には私の力じゃないと治せないひとがたくさんいるの。聖女としてみんなを救わないと」
さやかの顔には自己陶酔が浮かんでいた。
「そのとおりです。あなたのおかげで救われました」
「あなたは聖女ですから、一般社会のルールに縛られる必要なんてありません」
さらに、さやかによって救われた患者たちが同調する。
薬師丸総合病院はまるでさやかを崇拝する宗教施設のようになりかけていた。
そんな彼らを見て、さやかはさらに調子に乗る。
「ふふ。私は異世界で治療師として多くの人を救ってきたのよ。私はこの世界でも人を救う聖女になるわ。あのナイチンゲールを超えて、世界中で称えられるようになるのよ」
彼女は、自分の掲げる正義を全く疑っていなかった。
話が通じない彼女に、温厚な院長もついにキレてしまう。
「いいから、帰りなさい。お前は病室には立ち入り禁止だ!」
さやかは父親によって病室から追い出されてしまうのだった。
「なによ!頭が固いんだから!」
追い出されたさやかは病院のロビーにやってくる。
そこでは病気になった患者が大勢いた。
「こほん!こほん!」
その中に、苦しそうに咳をしている小さい男の子がいる。
「ぼく、どうしたの?苦しそうだけど?」
「だ、大丈夫だよ。ちょっと喘息の発作がおきちゃったんだ」
その男の子は気丈にもそう返事をしてきた。
「一人なの?お父さんとかお母さんとかは?」
「ぼくのうちはお父さんいないから、お母さんが忙しくてついてこりれないんだ。だから、苦しくなったら一人で病院に来ているんだよ。でも、最近発作が頻繁にでちゃって……」
その少年は苦しそうにゼイゼイいいながら、事情を話す。
それを聞いて優しいさやかはすっかり同情してしまった。
「大丈夫よ。私が治してあげるから。そこに横になって?」
さやかは少年を病院のソファに横たわらせると、優しく喉に手を当てた。
さやかの手から白い清らかな光が放たれる。
「お姉ちゃん。この光は?」
「ふふ。私の治療魔法よ。この光を当てると、どんな傷でもなおっちゃうんだよ。君の病気もすぐ治るからね」
さやかは不安そうな少年に、優しく笑いかける。
しかし、彼女は自分が得た力がどのようなものなのか、医学的見地から理解しているとはいえなかった。
さやかの光に照らされた少年の顔色がどんどん悪くなり、ゼイゼイという呼吸音がますますはげしくなっていく。
「え?なんで?」
予想外の効果に焦るさやかだったが、光をあてれば当てるほど少年は苦しくなっていった。
その様子に、看護婦が気づく。
「なにやっているの!どきなさい!」
その看護婦はさやかを突き飛ばし、少年に駆け寄った。
「先生!呼吸困難によりチアノーゼが起きています。至急テォフィリン点滴を!」
「まずい!処置室に運ぶように!」
あわてた院長と看護婦たちがやってきて、少年を担架で運んでいく。
さやかはその様子を呆然と見送ることしかできなかった。
なんとか処置が間に合い、少年の命は助かる。
その夜、自宅でさやかは父親の部屋に呼ばれた。
「看護婦から聞いた。あれほどあの変な力は使うなといっておいたのに、あの子に使ったそうだな。下手をしたら死んでいたんだぞ。そうなったら責任が取れるのか?」
父親からギロリとにらみつけられ、さやかは恐怖に震える。
それでも勇気を振り絞って反論した。
「で、でも、今まで私はあの力で多くの人を救ってきたのに……」
納得できないといった顔をする娘に対して、院長は静かに諭す。
「そもそも、どういう仕組みでお前の力が人を癒すのか、おまえ自身わかっているのか?」
「それは……」
口ごもるさやかにむかって、院長は説明する。
「あくまで推論だが、お前の力は怪我などの傷をふさいだり、出血をとめたりする効果がある。おそらくは、ホメオスタシス機能を強化する能力なんだろう」
「ホメオ……?」
聞きなれない言葉が出てきて、さやかは首をかしげる。
「わかりやすく言うと、恒常性維持機能。つまり体の内部を元の状態に保とうとするプログラムだ。傷を治そうとする力もその一種だ」
「なるほど……」
なんとなくわかった気になるさやか。
「でも、どうしてあの子は私の魔法でかえって苦しんだの?」
「その前に、喘息はなぜ引き起こされるのかわかっているのか?」
「わかんない……」
そんなさやかに、院長はため息をつきながら説明する。
「そもそも喘息とは、アレルギー、つまり恒常性維持機能の過剰反応だ。体外から入ってくるウィルスや花粉、ダニなどに呼吸器官が『過敏』に反応するから気管支が炎症を起こし、気道が狭くなる」
「それで?」
「お前の力はそれを強化した。ただでさえ過剰に反応しているのに、さらに過敏になってしまったから発作が激しくなった。お前の力は体をいやすどころか、かえって悪影響を及ぼしたのだ」
そこまで説明されて、さやかは真っ青になった。
「そんな!今までそんな反応があったことは一度もなかったのに!」
「お前がどこでそんな力を手に入れたかしらないが、もともとアレルギー反応を起こす物質が無い国だったとか、そこの住人にアレルギーがない体質だったのかもしれん。だが……」
院長はそこで言葉を切って、さやかをにらみつける。
「少なくとも、この日本ではその力は使うな。かえって病原体を活性化させる可能性もある」
そういわれて、さやかは意気消沈する。
シャングリラ世界は、女神イホワンデーの加護により人間にとっての理想世界になっていた。当然人間をおびやかす病原体や、アレルギー反応をひきおこす物質などまったくない。
それでさやかの治療の力も反作用無く使えていたのである。
しかし、ここは日本である。医療知識の無い者が使う治療魔法がどのような悪影響を及ぼすかしれたものではなかった。
「……はい……」
さやかはしぶしぶ、自分の力を封印することを同意するのだつた。




