本当に夢なのか?
ゆるくウェーブのかかった長い黒髪をかきあげて、女主人、デュパープは深みのあるワイン色の瞳を細めて楽しそうに笑う。
「あらあら、なかなか面白そうな子ね」
スープラと視線を合わせて軽く頷き、デュパープはリュリーに話しかける。
「リュリーも隅に置けないわね。どこで捕まえてきたの?」
シャツにホットパンツというラフな格好はとてもオーナーには見えないが、彼女の圧倒的なスタイルの良さとワイルドな雰囲気にはよく似合っている。
夏央とあまり変わらないからおそらく身長は百七十センチぐらい。ヒールを履いているとはいえ、足の長さが自分と全然違う。
そして、デュパープが動くと強烈な存在感のある胸がぴったりとしたシャツの下で存在感をアピールしている。なんだか恥ずかしくなって思わず夏央は目をそらす。
あーもう、なんなんだこの世界は。確か視線を感じる機能があるって何処かで誰かが言ってた。夢でもダメだろ。
「えーそんなんじゃないよー」
リュリーは赤くなって声を張り上げる。
「夏央はなんか変な人なんだよー!」
なんだそのざっくりとしすぎた紹介は。断片的過ぎるだろ。
「そうやってすぐに怒る。悪い癖ね、かわいい顔が台無しじゃない」
デュパープは笑っている。リュリーのことはかなり扱い慣れているようだ、というよりからかって楽しんでいる。
「もうー! そうじゃなくてー!」
「わかった、わかった。じゃあ、そうね、スープラ、奥の十三番テーブルが空いてるから、とりあえずそこに案内してくれる? 昼のピークは終わりつつあるから、手が空いたら詳しく聞いてあげる」
「わかった。よろしくね、デュパープ」
「行くわよー、なおー!」
リュリーはふわふわと人の間を縫って器用に飛んでいく。スープラが先に立って夏央を促す。
ついていこうとした夏央に、デュパープが耳打ちした。
「あの娘、あなたのこと気に入ってるようだから、仲良くしてあげてね。ちょっと珍しいことなのよ」
「えっ?」
予想外の言葉で「誰が?」を聞き損ねた。
「じゃあ、あとでね」
戸惑う夏央の肩をぱたぱたとたたき、デュパープはどこかに行ってしまった。
十三番テーブルは少し奥まった場所にあった。
夏央はずっと感じていた焦燥感がどうしても我慢できなくなって、スープラに聞いた。
「トイレどこかな?」
いやもう本当に我慢できない。このトイレ行きたい感は本当に生々しすぎる。
「あっちの奥ですよ」
スープラが指さした方向には、見慣れたトイレのマークがあった。
リュリーもその場に残し、トイレに駆け込む。
事態は深刻だ。
小学校低学年の頃の嫌な思い出がよみがえる。
子供の頃。なんか夢っぽいなとおもいつつ、どうしてもトイレに行きたくなった。
本当にどうにも耐え切れなかった。そしてトイレに入り、生暖かく徐々に冷たくなる嫌な感触と共に目が覚めた。
小学生にもなって盛大におもらし。つらい。
しばらくの間は、夜寝ようとすると家族みんなが『ちゃんとトイレ行くのよー』とドヤ顔で追撃してきたのも刺さった。
思い出したくもないが、それ以降、夢の中でトイレに行きたくなると決まってあの事件を思い出す。
「ああ、これ夢だ、危ない」って思うと目が覚めるので、あれ以来一度もそんな過ちは繰り返してはいないのだけれども。
しかし、限界。
目が覚める気配も無い。これ以上我慢は出来ない。
そうなると、この夢も覚めてしまう。もったいない。
夏央は葛藤した。でも、どうしても生理現象には勝てなかった。あきらめた。
開放感とともに嫌な感じが……こない?
……あれ、醒めない?
さっきまでとはまた違った意味での嫌な感じ。
……もしかして本当に夢じゃない?
不安を感じつつ、さっきのテーブルに戻る。
誰もいない。同じ場所だよな?
スープラは仕事に戻ったのかもしれない。でもリュリーはどこに行ったんだろう。
夏央は十三番テーブルのイスを引いて座った。
よくある木の椅子と丸テーブル。五人掛けっぽい。
テーブルの上のメニューは日本語で書いてあってちゃんと読める。値段も書いてあるが、貨幣の単位が違うらしく、よくわからない。
「あ……」
夏央はこの世界のお金を持っていない。支払いの仕組みがわからないが、下手に注文なんかしたら無銭飲食になってしまうのは確実だ。それはそれで定番の展開のように思える。
そう、この異世界ラノベを読んでいるかのような、発生するイベントの妙なリアリティ。
夢じゃないのかもしれない。
そうか、異世界モノのラノベ作者はみんなこんな体験をしたのかもしれない。経験したことしか書けない、って定期的にSNSでみるもんな。フィクションなんてどこにもなかったんだ。良かった!
……良くない。
自分で自分にツッコミを入れる。いやそんな馬鹿なと思いつつ、同時にどうしたらいいんだ、と混乱する。
店内を改めて見渡す。
ガヤガヤとした雰囲気の中に、聞きなれない単語が飛び交う。
見慣れているものと見慣れないものが混在する見知らぬ空間。ここはどこなのか?
夢だと思いつつその場の雰囲気に流されながら楽しんでいた自分に気づく。別の意味で夢から醒めたような気持ちになる。
楽しいことってやっぱり続かないのか。
ふとそんな思いがよぎった。




