01
それはそれは、寒い雪の降る日のことでした。
五十年ぶりの大寒波が直撃して、ホワイトアウトする目前の夕方――。
「っ、鬱陶しい!」
魔物に追い掛けられているのは、幼げな女子高生。顔にへばり付く濡れた黒髪。それがこの上なく邪魔で、鬱陶しかった。魔物も、顔にへばり付く濡れた髪も。どうして、こんなことになったんだろう?そんな疑問を浮かべるも答えを導き出す暇もないまま、私は強くコンクリートを踏み蹴った。はぁはぁと白い息が視界の邪魔をする。己から出ているのに、あぁ、何もかも腹立たしい。
「だぁぁぁぁあああああ―――!!!」
叫びたくなる気持ちもわかってくれるだろう。叫び、走って、叫び、走る。ひたすら走った。見えないゴールを求めて、私は馬鹿みたいに体力を使いながら走る。疲れた。ツラい。苦しい。それでも、私が動き続ける脚を止めないのは、
「魔物に襲われて女子高生死亡!?ふざけんじゃねぇ!!」
全国新聞の一面を飾るなんてそんなの恥ずかしいし嫌だ。まさか埋火家の人間が、そんな見出し飾ってしまえば笑い者にされるだけだ。その一心だけで、私は走り続けていた。ふざけていると思われるだろうが、私としては一大事。足を止めたら万事休す。まっしぐら直進で、ゴール。その死ぬという恐怖より新聞の一面を飾る方が嫌だった。
「魔物なんぞに襲われたら埋火の名が廃る!」
逃げているのを止めるのは、もう諦めようと思う。逃げるという選択肢しかない。私だけでは、魔物を倒すなんて無理だ。しかも、手元に何もない状態だから余計に無理。そりゃ、女子高生だもん。丸腰で当たり前。普段は何かしら護身用に持ってるんだけどね。フェンスを越え、生け垣を飛び越え、苦し紛れにゴミ箱を倒す。何処の障害物競走だよ!!と思うのの、全力疾走で障害物を乗り越える。けれど、どんなに走って逃げても、魔物は追いかけて来る。
「--------!!!!」
音なき声を上げて、ただただ、私を狙う。一頭だけではない、その足音と息遣いの音を聞きながら、私は当てもなく走り続ける。私を追いかけてくる魔物の姿は、ハイエナの様なモノだった。犬のような、否、なんだっていい。魔物は魔物に過ぎないのだから。とにかく走って走って走りまくれ。この魔物から逃げ切れ。
しんしんと雪が降り静まり返った街並みを、私は一心不乱に駆け抜けた。背後には何匹もの魔物を従え、街を掛けまわる。走って、何時間?いや、何分?経ったのだろう。疲れた、もう無理。走りたくない。
「--------!!!」
嗚呼、でも、新聞の一面を飾るのはやだな。ヒラヒラとスカートが翻る。鬱陶しい。濡れた髪も、視界に入る白い息も、ちらちら降る雪も、全部鬱陶しい。
通行人が居ないのが幸い、なのかな。さっき警報が鳴り響いてたから、通行人は勿論避難していて居ない。ちなみに避難誘導していた軍の人は、魔物に追われて走り抜ける私を呆然と見ているだけだった。助けろよって思ったけど、助けるより私の足の方が速かったのだと思いたい。
「――っ!」
そうは言っても、こういう時って銃の所持及び使用は許されてるんじゃなかったの!?とか思ったけど、結局はどうでも良かった。私にとって、逃げることの方が最優先事項だったから。
「報告がありました少女を発見しました!」
再びフェンスを飛び越えると、通信機を通す声が聞こえて来た。それと何人かの気配。遠目からでも分かった、その人たちの姿。あ、軍服。見慣れた軍服がいくつも並んでいる。
「少女の保護を優先とする!!」
真っ赤な目、宝石であるルビーよりも深みのある目が私を捉えた。吹雪にひらめくロングコートの下には軍服。いくつもの略綬が揺れている。
「行け!」
低く響きわたる発砲音、荒い息遣い、悲痛な叫び声、呻き声、激しく伸縮を繰り返す心臓の鼓動、怒声、様々な音が届く。もう追い掛けて来る気配はない。
終わった。その事実に、私はザッと感覚もなく大地にへたり込んだ。あぁ、腰が抜けた。こんなになるまで走ったのはいつ振りだろう。喉が焼けるように熱い。
おぼろげに冷たい雪で真っ白になった地面を眺める。お尻から伝わる冷たさに何とも思わなかった。だって、この上なく疲れていたのだから。疲労困憊。何とも言えないぐらい、疲れた
「っはぁ、」
忙しなく動き続ける心臓。はくはくと酸素を貪る。魔物は消えた。前代未聞の一面を飾らなくて済んだのだ、それを思えば何と気が楽な事か。命が助かったより、そっちの方がやっぱり私にとって重要だった。
「大丈夫か?」
「っ、」
ふわりと肩に掛けられたのは黒いコート。私の視界には黒の皮靴が見えるだけだ。すいません、顔を上げる元気すらないんです。
「怪我は?」
「…ない、です」
「分かった。その冷えた体を先にどうにかしような」
首を横に振れば、優しい声音が落ちて来た。そして、身体が浮いたかと思うと一気に視界が晴れる。
「っん!?」
「かなり冷えてるな。おい、一先ず先に帰るぞ!」
「うぃーっす!大佐、お気を付けて」
私をお姫様抱っこで持ち上げたのは、どうやらあの赤い目の人だったらしい。そして大佐だとか。大佐、かあ。命からがら逃げ切った安心感から――ではなく、無事に汚名を被ることなく逃げ切れた安心感から私はそのまま意識を遥か彼方へぶっ飛ばした。




