林檎ちゃんの逆襲
お互いが病に倒れた病気週間も、何とか落ち着いて。
私と新谷氏――もとい、薫との関係は至って良好。順調すぎて笑いが止まらないくらいだ。
……こう言うと嘘っぽいけど、本当に順調なんだよ? お互い大学やバイトや趣味に忙しく、よく考えたら二人でどこにも出かけたりしていないんだけど。
気がつけば私は通い妻? 最近では彼の部屋に私物(歯ブラシや着替え、暇つぶしの雑誌などなど)を持ち込み、じわじわと侵食しているのです。そのうち枕とか持ち込みたいんですけどダメですか先生。
ただ、何事にも波風は必要で。というか、薫を中心に波風が立たないわけもなく。
薫がバイトで能力的・接客的に重宝されているのは知っている。だから、バイトのチーフから時給50円上げるからと(100円くらい上げてもらえばいいのに)懇願され、普通バイトの1.5倍くらい働いていることも、知ってる。
彼がバイトに割く時間が多いということは、当然、彼女と接触する時間も多くなるということで。
「……面白くない」
相変わらず彼の部屋にて、床に寝転がったまま某ゲーム雑誌(薫に頼んで買ってきてもらった、年齢指定の一品☆)を読んでいた私は、ぽつりと正直に呟いてしまった。
今日はパソコンでBLゲー(綾美提供)に興じていた薫が、何事かという表情で振り返る。
あ、やっぱり保健医(声の担当は子○さん)から攻略してるのね。私はツンデレの生徒会長(声の担当は○鮎さん)から落とせって忠告したのに!
個人的には石○さんが声を担当している後輩も捨てがたいんだけど……や、やたらキャストが豪華だぞこのゲーム。しかも全員表の名前だし。
テーブルの上にあったパッケージを何となーく見て、スタッフやキャストにざっと目を通しつつ、そんな感想を抱いていた私は……ある所で、思わず、目を見開いた。
「お……お姉ちゃんにほっちゃん!?」
反射的にその声優さんの愛称を口走る。サブキャラの女先生は井○喜○子さんじゃないかっ! 加えて主人公の妹(義理ではないらしい、それそれでヨシ!)は堀○さん!? 妹は倫理的・ 年齢的な壁があるとしても、先生はどうだろう。裏ルートで攻略できないのかしら……ネットで情報収集してから、後で私もプレイしてみようかな。
って違う。そうじゃないけどでも攻略したいぃっ!
「水穂先生は攻略対象外だぞ?」
目を見開いてパッケージを見つめる私の心中を察したのか、彼は苦笑いで現実を教えてくれた。
ちっ……ギャルゲーには主人公との親友(男)とのEDもある場合があるというのに! 柔軟性が足りないよBLゲー!
――いや、だから、違う違う。思考が横道にそれるとすぐにこうなんだから。
私は自分の中にある雑念(煩悩?)を振り払って、椅子に座ってこちらを見下ろす彼を、見上げてみた。
普段とは逆のポジションに、少しだけ違和感。
改めて、私がこの空間に慣れていたんだなってことを感じる。
「……薫、今日もこれからバイトだよね?」
ちなみに現在時刻は午後4時前。彼のバイトは4時半からだと聞いている。
私の言わんとすることを察した薫が、椅子から降りて私の隣に座った。
私を見つめる表情がニヤニヤしているのが、少し悔しいけど。
「でも、今日は10時に終われるはずだから。っていうか帰ってくるから」
「りょーかい」
真顔でそんなこと言われたら、変な意地を張る気も失せてしまった。
彼がバイトに忙しいから……一緒にいられないこと気にしてるのは、もっと一緒にいたいと思っているのは、もしかして私だけかもしれないなんて、変なことを考えてしまったんだけど。
帰ってくる。そう断言した彼の言葉を信用して、私は、
「じゃあ、そのゲームの続きやってる。っていうか生徒会長と後輩、攻略していい?」
「別にいいけど……俺の前でネタばれ発言したら都がドン引きするくらい怒るぞ♪」
「……了解しました、肝に銘じておきます……」
薫の笑顔に背筋が寒くなりながらも、遂に、BLゲーに手を染めてしまったのである。
そして、その結果は。
「……ふぅ」
ごちそうさまでした。思わず合掌して、画面に向かって一度ぺこり。
ゲームを好きなだけ堪能した私は、そのまま椅子にもたれかかって天井を見上げた。
パソコンの時計は、午後10時過ぎを示している。しかしこのBLゲー、侮りがたし。情事のシーンは基本的にすっ飛ばしたが、それでも予想以上に楽しませていただきました。
主人公(=プレイヤー)視点で進むから……一部乙女ゲーかと勘違いするような演出に、私も少し……いや、本当はかなり、ときめいてしまったよ。あの時間は文字通りのときめきメモリアル。あぁ、乙女な感性を思い出させてくれてありがとう。
ただしこれ、個人的にキャストさんの力が大きかった。イヤホンからの破壊力が反則だったのだ。
たまに絵のバランスが揃っていないところもあったし……それに、女の子が少ないから何か物足りない。やっぱり私は美少女ゲーム畑の人間だわ。
あらかた妄想と批評をしてみて、脳内で満足してから、思考を三次元へ切り替える。
そろそろ彼が戻ってくる時間だろうか。彼はたまに、レストランでのミスオーダー料理を持って帰ってきてくれる。最近では働く彼のためだけに、料理担当の仲間がそれらを詰め合わせたお弁当を作って持たせてくれることもあるのだ。勿論、普通に美味しい。
お菓子を食べながら進めていたけど、よく考えたら何も飲んでいないしまともに食べていないし。
正直、薫のおこぼれを待っていたのは事実。だけどこれ以上彼にたかるのはさすがに申し訳ないので、私はパーカーを羽織って、財布と携帯電話、鍵を握った。
今日は少し風が強く吹いていた。雲の動きが早くて、月は見えない。まぁ、この周囲はコンビニやマンション、車の通りもあるから、真っ暗闇を一人で歩くわけではないけれど。
ただ、時折木々が大きく揺らぎ、不気味な音を響かせている。
ゲームの後は炭酸に限る。コンビニで調達したパスタを右手に、ワンコインで買ったジュースを左手に持ち、帰ってきた彼にどこまでゲームの話をしてやろうか、私が頭の中で色々と計画を立てていると、
「――あ」
思わず、足が止まる。
私が帰りたいマンションの入り口。そこで誰かを待つ人影に、見覚えが、あった。
林檎ちゃん、だ。
私が出てくる時は会わなかったから、丁度行き違いになったのかもしれないけど……私の姿に気付いた彼女が、「ウザい」という声が聞こえてきそうな視線で私を見やる。
薄暗いので色までは分からないけれど、相変わらずワンピースとカーディガンがよく似合う彼女は、長い髪をなびかせながら、私に近づいてきた。
私を見据える目が、鋭い。
戦闘の意思はなかったのだが、笑顔で対応しようとする上っ面を感情が拒絶した。
「……先輩と、付き合ってるんですか?」
以前聞いたよりも低い声は、意図的に作っているのだろう。基本が高いから迫力としては薄いけれど。
「そうだ、って、言ったら、宮崎さんに不都合がある?」
以前会った時よりも私に対する敵意が格段に強いのは、はっきり感じ取れた。
同時に、疑問が一つ。
どうして――彼女はどうして、こんなに私へ突っかかるのだろうか。
そりゃあ、ずっと思っていた(であろう)彼の隣にいきなり私が現れたのだから、彼女から「この泥棒猫!」って言われてもしょうがないのだけど。むしろ言ってほしいくらいだ。そうすれば私も、もう少しスッキリするのに。
「……宮崎さんが私を嫌いなのはよく分かるけど、そんなに怖い目で見なくてもいいんじゃない? 前にも言ったけど、私の影響が彼にあったとしても……」
「先輩の隣に、もうオタクはいらないんです!」
刹那、彼女の声が風に紛れる。
だけど、その内容は……私が全く知らない情報だった。
「何言ってるの、宮崎さん……」
「貴女は知らないと思うけど……先輩の元カノも、ゲームが大好きな人だったんです」
初聞きの事実だが、妙に納得してしまうのはどうしてだろう。まぁ、薫だし。
はっはーん……林檎ちゃん、連続してヲタクに彼を取られたから躍起になってるんだな。
そう思った私は、どんな言葉を返そうかと考えていたのだが、
「その元カノは、ゲームに夢中で……先輩のことなんか二の次だった」
びくり、と、体が震えた。
「ゲームに夢中」「二の次」……一瞬、自分のことを言われた気がしたから。
だから思わず、表情が固まってしまったんだ。
そんな私を見つけた彼女が、口元に笑みを浮かべて続ける。
「ほら、やっぱり貴女もそうなんでしょう? 結局、一番好きなのは先輩じゃなくて先輩が持っているゲーム、好きなのは自分と話が合うから。貴女が好きなのは先輩じゃない。先輩が優しいからつけこんで、利用しているだけなんでしょう?」
違う。断言できなかったのは……どうして?
「――だから、私は先輩を近づけたくなかったんだ」
不意に。
彼女がぽつりと、私に向かって吐き捨てる。
「その人と付き合ってた頃……先輩は楽しそうだったけど、少し寂しそうだった。彼女がゲームに熱中しているときの先輩が、ずっとかわいそうだって思ってた。しかも、その後にあんなことがあって、一番支えてほしい人に支えてもらえなくて……」
その言葉はそのまま、私の真ん中、一番弱いところに突き刺さる。
「ゲームやアニメが好きな人って……結局、そうなんでしょう?
好きな人がいても、それよりもゲームやアニメに固執するんでしょう?
沢城さん、貴女は……違うって言い切れますか?
私は、貴女が元カノと同じ気がする。だから、そう簡単に先輩を諦められないんです。
あんな辛そうな先輩は、もう、見たくないですから」
そのまま横を通り過ぎていく林檎ちゃんに、何も、言い返せないまま。
薫の元カノ、そして、私の知らない「あんなこと」。
何も話せない――話してくれない彼、それを知っている彼女、知らない私。
無意識のうちに……パーカーのポケットの中にある鍵を、握りしめていた。
気になることが沢山ある。
だけど、それを直接聞く勇気が持てないのは……。
「……都?」
「へっ? あ、何?」
あれから彼の部屋でぼんやりしていると、程なくして彼がバイトから帰って来た。
ただ、彼を見るとどうしても、聞きたくなってしまう。
元カノは、まぁ……どんなゲームが好きだったのか気になるけど、私はむしろ、林檎ちゃんが言いかけた「あんなこと」の方が、気になる。
薫はいつか、私に話してくれるだろうか。私はそれを待つしかないのだろうか……。
と、いうか、私って、本当に……。
「みーやーこっ!」
「は、はいっ?」
気がつけば、少し不機嫌な表情の薫が、3センチの距離で私を覗きこんでいる。
「どうしてさっきから無視するのかな。俺と話はしたくない?」
「ち、違うよ! えぇっと……ゴメン、何の話だっけ?」
私はむしろ、君に聞きたいことが溢れているのに。
それを口に出せにまま、私もプレイしたあのゲームの話題に。
「あのね薫、あえて言わせてもらうけど君はまだ分かってない。まずは生徒会長でしょう。眼鏡に白の詰襟よ! これだけで襲ってくださいって広告出しながら歩いているようなものでしょう?」
「いや、甘いぞ都。俺としてはまずあの白衣に秘められた願望をだな……」
と、互いに至極真面目な表情で自己主張しているのだけど……私の中にくすぶる想いは、少しづつ、膨らんでいく。
私はこうして彼の隣にいるし、彼もそれを受け入れてくれるけど……一度も「好き」って言われたことがないんだよね。(私も本人には言ったことないけど)
考え始めると期待と不安が堂々めぐり。それが分かっているから、あえて、考えないようにしてきた。答えと直面することを避けてきたけど……どうしても、気になってしまう。
彼は、私のこと……どう、思っているんだろう。
私は本当に、新谷薫の「彼女」?
自分一人で考えても答えの出ない問題を抱えつつ、私は、ある行動を起こすことにした。
それは……まさに今私を悩ませている彼女へのちょっとした牽制というか、ぶっちゃければ嫌がらせだけど。
そんな私が抱いている想いが、薫との関係に決定的な亀裂を生むことになるのだ。
こんなゲームが欲しい!! 伏せ字は気にするな!