062話
第二回 論功行賞が終わると孔明は畿内を中心とした、摂津・播磨・丹波・丹後・山城・近江・伊勢・大和・泉の国で旗色を明確にしていない小大名家に降伏勧告を出した。元禄15年7月13日(1702年8月)のことである。
戦っていないため『臣従勧告』と言ったほうが正確であろう。1~2万石の大名家が多く徴兵の対象外であった。孔明にとってこれは救済措置である。
この状況では日和見は不可能で、どちらにつくか迷走するコウモリ外交ではお家が滅びる。イワレヒコに従うにしても陪臣扱いだ、この時点で旗色を明確にしていない家は『切り捨て御免』が孔明の方針である。
期限は7月25日とした、これ以後イワレヒコ軍の東征が始まる予定だ。
対象とする大名家は以下の通りである。
丹後の国 宮津藩 奥平家 9.0万石
丹後田辺藩 牧野家 3.5万石 譜代
峯山藩 京極家 1.3万石
丹波の国 福知山藩 朽木家 3.2万石
綾部藩 九鬼家 2.0万石
山家藩 谷家 1.0万石
園部藩 小出家 2.4万石
亀山藩 井上家 4.7万石 譜代
丹波柏原藩 織田家 2.0万石
篠山藩 松平家 5.0万石 領地接収済み
播磨の国 山崎藩 本多家 1.0万石
三日月藩 森家 1.5万石
林田藩 建部家 1.0万石
摂津の国 三田藩 九鬼家 3.6万石
高槻藩 永井家 3.6万石 譜代
麻田藩 青木家 1.2万石
泉の国 岸和田藩 岡部家 5.3万石 譜代
狭山藩 北条家 1.1万石
丹南藩 高木家 1.0万石
山城の国 淀藩 石川家 6.0万石 譜代
近江の国 大溝藩 分部家 2.0万石
仁正寺藩 市橋家 1.7万石
水口藩 鳥居家 2.0万石
伊勢の国 桑名藩 松平家 10.0万石 領地接収済み
鳥羽藩 松平家 6.0万石 領地接収済み
長島藩 松平家 2.0万石
伊勢亀山藩 板倉家 5.0万石
若狭の国 小浜藩 酒井家 10.4万石
イワレヒコ軍の通告を受け取った諸侯は大慌てである。このまま耐えていれば嵐は過ぎ去ると考えていた藩がほとんどだ。
しかし例外はあるもので譜代以外の外様大名はいち早く臣従を申し出た。播磨の国、山崎藩本多家1.0万石、三日月藩森家1.5万石などイワレヒコ軍に属する大名家の分家などはとうに臣従済である。
結果として小藩はほとんどイワレヒコの傘下に入ることに同意した。長い物に巻かれた訳である。
問題は僅かに残る譜代大名で丹後田辺藩・牧野家3.5万石、亀山藩・井上家4.7万石、高槻藩・永井家3.6万石だ。
このうち第二次討伐軍に参加した宮津藩・奥平家9万石、淀藩・石川家6.0万石、岸和田藩・岡部家5.3万石は臣従に同意していた。よほど兵糧攻めが堪えたのだろう。
残るは5万石以下の牧野家、井上家、永井家の3大名家はイワレヒコ軍に抵抗して一合戦するつもりである。情報が無くイワレヒコ軍がどんな戦いをするのか知らないのだ。
彦根藩や津藩などの30万石以上の大藩が臣従方針なのにこれは蛮勇であろう...無知とは恐ろしいものである。
元禄15年7月27日(1702年8月)、イワレヒコ軍の東征が始まる。イワレヒコ傘下の各大名家の担当地域は以下の通りである。
鳥取藩・池田家⇒ 但馬の国 残りの天領と丹後の国
岡山藩・池田家⇒ 丹波の国 及び亀山藩
姫路藩・本多家、明石藩・松平家⇒ 摂津の国天領 及び高槻藩
彦根藩・井伊家⇒ 近江の国北部の天領
小浜藩・酒井家⇒ 丹後の国 及び丹後田辺藩
膳所藩・本多家⇒ 山城の国北部の天領
淀藩・石川家⇒ 山城の国中部の天領
郡山藩・本多家⇒ 山城の国南部の天領 河内の国天領
岸和田藩・岡部家⇒ 泉の国北部の天領
津藩・藤堂家⇒ 近江の国南部の天領 伊勢の国北部の天領
「イワレヒコ軍の諸君。こちらは作戦指令室、以後戦闘指揮所と呼ぶ。指令の浅野阿久利だ、よろしくお願いする。あらかたの作戦は前もって打ち合わせた通り、ホムンクルス部隊が城の大手門を破壊して突入する。各大名家の兵はそれに続いて欲しい、またホムンクルス部隊以外は私の指示に従うこと。戦況が変わる場合が予想され、各隊長はイヤホン通信に注意して欲しい。では突撃隊長の本多忠勝殿、同じく突撃隊長の張飛殿・許褚殿は先陣をお願する。怪我は構わないが死なないようにしてくれ、何か質問は?......なければ作戦開始だ」
何気なく通信しているが三ヶ所を同時通信だ。すなわち許褚は丹後の国・田辺城 (舞鶴城) を、張飛は丹波の国・亀山城を、本多忠勝は摂津の国・高槻城を担当する。
今回は許褚の担当する丹後の国・田辺城にスポットを当ててみる。関ヶ原の合戦の折り、丹後田辺城の戦いが起こった地である。100年余り経った今では更に堅牢になったと予想される。
1702年の丹後田辺藩の当主は牧野 英成で、家督を継いでからおよそ9年が経過していた。
史実では英成は後年、寺社奉行や京都所司代といった幕閣の重要ポストを歴任した。いわゆる親幕府派の譜代大名であった。こういう大名がイワレヒコ軍に下るはずも無かったのである。
田辺城大手門の前に立った許褚は巨大なトゲ付きの鉄球を手に持ち、門戸を睨みつける。西洋式に表現するとモーニングスターというやつである。
史実では許褚は特定の武器を愛用したという記載は無いが、トレードマークである「怪力」と「おっとりした体型」を強調するために巨大な鉄槌やトゲ付きの鉄球などを豪快に振り回すスタイルが定着した (ゲームなどの設定)
許褚は巨大なトゲ付きの鉄球を『ぐるぐる』と振り回すと門戸に叩きつける。ちょうど閂がある辺りだ。
『ドカーン......バキバキ』
という轟音と裂ける音がした後に門戸が内側に開いた。許褚隊の副隊長である大石主税が
「突入」
の合図を出すと許褚隊隊員は三の丸に一斉突入する。今回はどういう訳か手にする得物はトゲ付き鉄球である。二の門前に来ると今度は誰が門を壊すか揉めていた、許褚が前に進み出ると大石主税がストップをかける、首を横に振りつつ
『隊長は一番デカイ門をぶち壊したでしょ...』
という無言の圧力であった。隊員が二人一組になってジャンケン勝ち抜き戦をやり出したのだ。
当時ジャンケンが既に有ったのかは筆者は知らない。ジャンケンの優勝者が決まるとモーニングスターを門戸に叩きつける、再び叩き付ける、さらにもう一回叩き付けたのち門戸が壊れる。ジャンケン優勝者曰く、
「せっかく苦労して勝ち抜いたのに一回で壊しては面白くない」
だそうである。
二の丸を通過し一の門前まで来ると、今度はジャンケンの準優勝者が門を壊す役目だ。
巨大なトゲ付きの鉄球を『ぐるぐる』と振り回すと門戸に叩きつける。
『ドカーン......バキバキ』
という轟音と裂ける音がした後に門戸が内側に開いた。副隊長である大石主税が
「それっ、突入」
と合図した。後はお察しの通り城主の牧野 英成を拘束して一件落着である。
後続隊の小浜藩・酒井家の家中は打ちのめされた丹後田辺藩士を捕らえつつ、恐怖が湧いてきた。即ち一歩間違えば、撃ち負かされていたのは自分達だとはっきり自覚したのである。
肝心なところで判断を間違わなかった小浜藩主 酒井 忠囿に感謝した。兵糧攻めばかり気にしていて肝心の『イワレヒコ軍の戦闘力』まで考えが及ばなかったのである。




