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060話


 元禄15年7月20日(1702年8月)、第二次討伐軍 処罰が決定した。

江戸城において将軍綱吉の沙汰が下される。4人の老中は綱吉から下された上意書きを目にすると深い溜息をついた。


「はあ~、上様は今後どうするお積りであろうか? これでは謀反を煽っているようなものだ」


「そうでござるなぁ、某(それがし)もこれはどうかと思いますぞ」



討伐軍に下された沙汰は以下の通りである。


畿内

彦根藩 井伊家 30.0万石  罰金15,000両

小浜藩 酒井家 10.4万石  罰金 5,200両

宮津藩 奥平家 9.0万石   罰金 4,500両

鳥羽藩 松平家 6.0万石   罰金 3,000両

淀藩  石川家 6.0万石   罰金 3,000両

岸和田藩 岡部家 5.3万石 罰金 2,650両

篠山(ささやま)藩 松平家 5.0万石   罰金 2,500両

出石藩 松平家 4.8万石   罰金 2,400両


伊勢の国

桑名藩 松平家 10.0万石  罰金5,000両

伊勢亀山藩 板倉家 5.0万石 罰金2,500両

津藩 藤堂家 32.3万石   罰金16,150両   合計61,900両


 禄高1万石に対して500両の罰金である。第一次討伐軍の時は1万石に対して1,000両の罰金だったので、綱吉にとっては『軽くしてやった』つもりなのだ。

石見銀山を失い、備後の天領失い、播磨の天領も失った。とにかく幕府の台所事情は火の車である。

これも皮算用なのだが実際は松平四家のように、領地を失って支払い能力を無くした大名家もある。12,900両は回収不能だ。


 処罰の沙汰はその日のうちに第二次討伐軍に参加した大名家に伝えられた。つまり伝達先は江戸藩邸ということになる。これを受けて各大名の江戸藩邸から国元の当主に伝えるために早馬を出すことになる。




 安芸の国、野貝原山 地中の拠点


イワレヒコはいつものように監視モニターで江戸城 老中評定の間を眺めていた。


「孔明さんよぉ これどう思う? またまた面白いことになったな」


『さようでございますね、半額になったとはいえ罰金の額が多すぎますね』


「これじゃあまるで『謀反を起してくれ! 』 と言っているようなもんだ」


『これで譜代の寝返りの確立がすごく高くなりました』


「彦根藩井伊家は15,000両もの大金、払う気があるのか?...という問題だな」


『調略が担当の黄忠殿、堀部弥兵衛の仕事がやり易くなりましたね』


「綱吉は人間の感情をどう思っているのか...馬鹿な奴だ」




 近江の国 彦根藩 井伊家 彦根城


 元禄15年7月23日(1702年8月)、彦根藩の江戸屋敷より早馬による伝令の使者が到着した。

先代藩主・井伊 直(なお)興(おき)は討伐軍の総大将を務めたが江戸に出府する気は更々なかった。どうせ碌な事にならないと思っていたからである。


「大殿、申し上げます。只今江戸表より伝令が到着しました」


「ほう、予想より早かったな。どれどれ如何なる沙汰が下りたか...見せて見ろ」


公儀より処罰が下されたが以下の通りである。

『第二次討伐軍敗退の責任者として、金15,000両を支払うもの也(なり)』

これを読んで直興は憤慨した、書状を持って来た家臣も直興を見て引いている。


「なんじゃ、こりゃあ! わしは老中、大老と幕府のために身を粉にして尽くしたつもりだ。上様はこのわしを馬鹿にしておられるのかっ! 軍勢を出すにしてもタダではないのだぞ、45,000も割り当てておいて......勝てなかったからと言ってこの罰金の額は何だ!」


「大殿これから如何(いかが)なさいますか」


 と城代家老が尋ねる


「むう いかがと聞かれても金は有っても出す気は無いぞ。まずはそち達の考えを聞こう」


井伊 直(なお)興(おき)は激昂して怒鳴り散らしたため、何事かと家臣達が集まってきた。


「我が藩は由緒正しい譜代でござる、重い処罰が下るはずないと思っておりましたが、これは無体(むたい)な」 


と次席家老が答える


「しかしながら今回の処罰は重いぞ、金銭的な面と精神的な面でな」


「もし我が藩が罰金なら、譜代でない諸侯はどうなるのでしょうか」

 

と城代家老と勘定奉行が疑問を口にした


現在の価値に換算すると1両17万円が妥当だと言われている。この場合17万円×15,000枚は25.5億円になる。そんな大金、払う気が無くて当然である。




 伊勢の国・大和の国に跨(またが)る津藩 藤堂家


 元禄15年7月23日(1702年8月)、津藩の江戸屋敷より早馬による伝令の使者が到着した。

彦根藩と同時期であった。

藤堂家次期当主の藤堂 高睦(たかちか)が討伐軍の副将を務めたが江戸に出府する気は無かった。どうせ碌な事にならないと解かっていたが、江戸藩邸には当主の藤堂高久か在府していたからである。

高久は64歳と高齢のため討伐軍には参加していなかった。嫡子がいないため29歳年下の末弟である藤堂高睦が次期当主と決まっていたのである。


「申し上げます。只今江戸表より伝令が到着しました、これに」


「なに、誠か。如何なる沙汰が下りたか見てみよう」


公儀より処罰が下されたが以下の通りである。

『第二次討伐軍敗退の責任として、金16,150両を支払うもの也(なり)』

これを読んで藤堂 高睦(たかちか)は怒り狂った、書状を持って来た家臣も引いている。


「なんということだ。江戸表の兄上はこれを承知しておられるのか? 48,000もの軍勢を出させておいてタダではないぞ。この罰金の額は何だ!」


「高睦様これから如何(いかが)なさいますか」


 と城代家老が尋ねる


「うむ いかがと聞かれても... 江戸の兄上はなんと申されている? 伝令をここに呼べ」


暫くのちに伝令役を務めた藩士が呼ばれて来た。


「その方に尋ねるが、此度の罰金について兄上の考えを聞いておるか?」


「はっ、殿が申されるには『次期当主の高睦(たかちか)に任せる』と。『自分も立腹している、好きなようにやってみろ』との仰せです」


「そうか、兄上のお墨付きを得た。皆の者これより評定だ」


先程高睦が憤慨して怒鳴り散らしたため、何事かと家臣達は集まっていた。すぐに評定に入る。


「兄上が承知しても金は出す気は無いぞ。まずはそち達の考えを聞こう」


まあ、結果は彦根藩と同じである。幕府への不満が燻(くすぶ)り続けただけである。新たなる《罰金反対同盟》の成立が近いのであろうか......



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