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049話 論功行賞


 安芸の国 芸州 広島城本丸御殿


 元禄15年5月5日(1702年6月)、広島城本丸御殿にて論功行賞が行われた。戦が終わってわずか2日後のことである。山陰制圧戦は浜田城攻略に始まり、石見銀山占領、上下代官所、笠岡代官所、松江城攻略と電撃作戦を繰り返した。5月1日~5月3日までの3日間で全て制圧した。

2日では広島まではとても来る事は叶わない、ではどうしたか? ご想像の通りホムンクルス部隊に背負われて街道を爆走して来たのである。さぞかし怖かったであろう。ただし代表者とそのお供だけだ。


では論功行賞に参加した大名家を紹介しよう。


津和野藩 亀井家

岩国藩  吉川家

広島藩  浅野家  三次藩 浅野家

福山藩  松平家

鳥取藩  池田家


 論功行賞の場にはイワレヒコも出席していたが発言する予定はない。喋らないのが貴人だそうだ...と孔明の方針である。代わりに論功行賞を発表するのは、秘書的立場の大石内蔵助が行う。


「山陰制圧戦に参加された皆様にお礼を申し上げます。只今より論功行賞を行います。これは孔明様が全ての情報を集めて報酬を決め、イワレヒコ様が承認されたものです。発表は私、大石内蔵助が行います。では津和野藩・亀井家から......」


発表された結果は次の通り


  1. 亀井家には浜田藩の領地5万石を与える。但し岩国藩に隣接する部分の2万

石を割譲すること。

  2. 吉川家には亀井家より割譲された2万石を与える。飛び地を避けるため

  3. 石見銀山は浅野家の管理地とする。また大森代官所が管理していた最寄り

の領地の一部は三次浅野家の知行地とする。

  4. 福山松平家には笠岡港の他、笠岡代官所の管理地を与える。但し代官はそ

のまま留任。

  5. 鳥取池田家には松江城と出雲の国東半分(宍道湖以東)を与える。


「以上になります。質問または不服があれば申し出て下さい」


 これを聞いた各家の当主や代表者は沈黙した。不服も何も自分達は加増してもらえるほど働いてないという自覚があった。何しろ死者・怪我人はほとんど無く、実際の戦闘はホムンクルス部隊の独断場だった。確かに後片付けには貢献したと言えるが、こんなに加増してもらえるとは思っていなかったのである。だだ単に武装して行軍しただけの簡単なお仕事??...であったろうか。


「質問または不服が無ければ論功行賞はこれにて終了とします。皆様ご苦労様でした」




 安芸の国、野貝原山 地中の拠点


論功行賞が終わって本拠地に帰った後の会話である。


『我が君よ』


「何だい孔明サン、このパターン久し振りだな」


『例の山陰制圧戦で捕虜にした浜田藩主の松平○○と松江藩主の松平○○はこちらに護送されていますが、今後どうしますか? 』


「おっと、松平○○と松平○○ときたか。松平が多すぎるよな、でどうすればいいんだっけ? オレは拘束なんて命じていないぞ」


『我が君は《おう、引っ立てて来い。しっかりと教育してやるわ》と仰ってます。音声を再生しましょうか? 』


「そうだったかな? 忘れる事ができない奴は苦手だな」


『我が君、<超優秀なスーパーバイオトロニクス>の私が忘れるわけがないでしょう』


「なら亮くんに変装してもらって適当にやってくれ。ああ面倒くせぇ」


『ふふふ...本当にそれでいいんですか』


「えっ、どういうことだ?」


『せっかくの面白い企画があるというのに。我が君が○○になって○○してやれば傑作かと』


「おおっ、なら松平○○と松平○○に謁見してやるわ」




 安芸の国、野貝原山麓(ふもと)明石村 イワレヒコ神社に隣接した謁見の大広間


 その後、浜田藩主 松平康官(やすのり)と松江藩主 松平網近は捕らえられて本拠地に護送されてきた。

元禄15年5月10日(1702年6月)、のことである。この時代は囚人護送は時代劇に出てくる唐(とう)丸籠(まるかご)といって目が粗い竹編みの駕籠だ、軍鶏(しゃも)の籠に似ていることが名前の由来で脱走を防ぐために厳重な警備が敷かれていた。

街道をゆっくり移動して来たため7日もかかったが、要するにさらし者にされた訳だ。そのうえご丁寧に行列の先頭には浜田藩主 松平康官と松江藩主 松平網近の立て札付きである。

 浜田藩主 松平康官は石見街道を南下し浜田→大朝→可部→草津→明石村のルートで護送された。約135kmの道のりだ。

松江藩主 松平網近は出雲街道を南西に下り、松江から宍道→赤名峠→三次→吉田→可部→草津→明石村のルートで護送された。約160kmの道のりだ。


 二人は明石村にあるイワレヒコ神社の境内に到着すると、唐(とう)丸籠(まるかご)から出され謁見の大広間で待機させられた。イワレヒコが現れても頭は下げないつもりであった。しばらくすると

「イワレヒコ様の御成り~い!」

という誰かの声が聞こえて来た、もちろんこれは孔明の演出であるから声の主はいない。

松平家の二人は『絶対に頭は下げぬ』という覚悟を持ってこの場に臨んでいたが、入って来たその人の顔を見ると思わず平伏した。


「ははーっ、ご尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じます。上様におかれましてはご機嫌麗しく......」


 何故か二人はハモった、これは条件反射というやつだろう。この場に徳川綱吉が居るはず無いにも係わらず綱吉の顔を見た途端に手の平を返す。もうお解かりと思うがこれは孔明の提案だった、イワレヒコが面倒くさがるため面白おかしく演じてもらった訳である。

イワレヒコはじっくりと二人を見つめて『ニヤリ』と笑うとその場で1回転した。元に戻ると今度は松江藩主 松平網近が叫ぶ


「ぎえ~! 浅野内匠頭...生きていたのか内匠頭殿 ??」


まるで中国の変面師のように素早く顔を変えたのである。実はイワレヒコにとって偉そうにするより、他人を驚かせて楽しむ方が性に合っている。


「おーい、綱長。もう入ってきてもいいぞー。変面の芸は終わった、囚(とら)われ人よ、楽しめたかな?」


「イワレヒコ様もお人が悪い、これでは両松平殿も顔が引き攣(つ)っておられる。某も最初は面食らいましたがのう、何度見ても面白う御座いますな」


 浅野綱長は孔明より面白い出し物があると聞いて、政務を放り投げてここに来たのである。もちろん側近であり家老の上田主水(もんど)も無理やりついてきた。護衛の供侍も誰がお供をするかでひと悶着あったらしい...くじ引きで決めたと言っていた。この時代、娯楽が少ないから仕方ないのかも知れない......


 その後二人の囚人は開放された、親切にも江戸までの路銀を持たせてやった。

あとは『どうなっても知りません』という方針である。

家族・家臣も一足先に領地所払いにしてある、こちらも路銀は持たせてやった。江戸までたどり着けば江戸藩邸があるので、当面の生活には困らないだろう。但し領地はもう無いので秋以降の収入は無い、すなわちリストラの嵐が吹き荒れるという事だ。


元松江藩主の松平網近はこの年43歳、元浜田藩主の松平康官(やすのり)は45歳であった。




イワレヒコの勢力圏 西から表記  元禄15年5月(1702年6月) 時点


周防の国 東部 岩国藩

石見の国 全域 津和野藩 旧浜田藩 石見銀山領

出雲の国 全域 旧松江藩 広瀬藩

安芸の国 全域 広島藩 三次藩

備後の国 全域 福山藩 上下代官所管理地

伯耆の国 全域 鳥取藩

因幡の国 全域 鳥取藩

美作の国 全域 津山藩

備中の国 全域 備中松山藩 足守藩 笠岡代官所管理地

備前の国 全域 岡山藩

播磨の国 南部 赤穂藩 龍野藩 姫路藩 明石藩


9か国全域と一部の国が2箇所 15大名家



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