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034話 罰金反対同盟の絶縁状と阿久利の再会


 江戸城 本丸御殿 5代将軍綱吉公 謁見の間


 元禄15年3月1日(1702年4月)、老中の土屋政直、稲葉正通、小笠原長重、秋元喬知らが将軍綱吉によって謁見の間に呼び出された。

あれから約二か月すっかり体も癒えた綱吉であった。正月に受けた屈辱は忘れられるはずも無く2か月たった今でも、思い出すと腸が煮えくり返る思いであった。

寝床にある間に「どうしてくれようか」と同じ事ばかりを考えていた。寝返りを打つごとに背中と腹がズキズキするためなお更であった。

 元禄15年2月18日(1702年3月)に池田吉明、松平直常の<罰金反対同盟>なるものの宣言文が江戸城に届いたのも、なお一層の怒りに拍車をかけた。


罰金反対同盟からの書状の内容は以下の通りであった


  一. 鳥取藩 池田吉明、明石藩松平直常 の二名はイワレヒコ様に臣従する

  二. よって徳川幕府の罰金命令は拒否するものなり

  三. 現在の領地はこのまま二家が統治する

  四. 西国街道(山陽道)と山陰道は封鎖する

  五. 幕府軍が侵攻すればこれを迎え撃つ

            <罰金反対同盟> 池田吉明、松平直常

            <転封反対同盟> これに賛同する 

                     池田綱政、 森衆利、 本多忠国



 老中達の報告を聞いて将軍綱吉は怒り狂った。まあ短気な綱吉でなくてもこれは怒るわ、怒らせる様に孔明が書いたものだ。署名の花押(かおう)も5人の同意を得て孔明が偽造したものだ。

人を怒らせるように仕向けるのは彼の右に出る者はいない、三国志の時代から......


 怒り狂ったあげく元討伐軍への討伐を出すという大変な事になったのである。さらに綱吉は『軍勢を50万集めろ』と厳命した。

老中達は必死なって一度はこれを止めたが、今度は難しそうだと諦めた。失敗すれば徳川の屋台骨は音を立てて瓦解してしまうからと綱吉に進言しても受付ないのである。50万の軍勢を揃えても絶対に勝てるという保証はないと言っても全く無駄であった。

 そもそも赤穂城明け渡しは問題なく完了するはずであった。討伐軍10万も絶対勝てるはずだった。それで結果はどうだったか? 50万もの兵を出しても何故か勝てる気がしなかった。

しかし、綱吉は老中達の進言には同意しなかったのである...


 かくして50万の兵力を以って討伐か決定したが、どの諸侯に出兵を命じるのか頭の痛いところであった。いや、これは討伐と言えるのか? 討伐とは一方的に伐するもの、これはもう戦ではないのか......



 <転封反対同盟>に新たな<罰金反対同盟>が成立した現在、反幕府勢力は5大名家に加えて広島藩・足守藩・旧赤穂藩・旧龍野藩となり、中国東部と近畿西部を占めるに至った。西日本の一大勢力の誕生である。

ここに西国街道と山陰道の完全封鎖が完成した。九州と広島以西の諸侯は四国経由か海路しか江戸に出る道はなくなってしまった。九州の各大名家と徳川幕府が分断されるに至ったのである。最も長州藩や薩摩藩は大歓迎であろう。




 安芸の国、野貝原山麓(ふもと) 明石村 イワレヒコ神社にて


 元禄15年3月3日(1702年4月)、阿久利がイワレヒコと再会する日が来た。

2月の末、イワレヒコに謁見の申請をしていた阿久利だが、やっと許可が下りて広島城に来ていた。そこで本家から馬を借り騎乗で明石村まで行くつもりである。護衛の供侍2人とお付きの侍女1人の一行である、もちろんお付きの侍女は乗馬が出来る者を選んだ。

 広島城下からゆっくりと海岸沿いを西に向かって行くと、南西方向には厳島が見える、絶景である。お付きの侍女が思わず言う。


「まあ、姫様御覧ください。あれがかの有名な『日本三景』の一つ厳島でございますよ。なんと綺麗な島!」


「ほんに...まあ...綺麗な島ですこと...」


 阿久利は適当な相槌を打つと黙り込んでしまう。本人にとっては絶景も目に入っていないようだ。今日これから内匠頭に会えると思うと景色など見てもうわの空であった。

一方侍女は江戸生まれではないものの、奉公してから数年自由に外出する機会など無かった。旅をして『日本三景』など見る機会もなかったため物見遊山気分である。今日のお供に選ばれたのは乗馬が出来たおかげだったため、『幸運でしたね♡』と内心ほくそ笑んでいた。


 西国街道を更に西へ壹(いち)里塚を通り過ぎること約200m、安芸国佐西郡廿日市(現在の広島県廿日市市桜尾本町)にあった桜尾城跡の下で休憩を取る。

桜尾城は厳島の合戦(1555年)で毛利軍の本陣となり、陶晴賢を敗(やぶ)った毛利元就が凱旋、晴賢の首実検を行った場所でもある。また豊臣秀吉が九州出征(1587年)の途中、桜尾城に着陣した。当時は本丸、二の丸、東の丸などの郭(くるわ)があったという。1600年の関ケ原の合戦以降、安芸の国は福島正則の支配下となり、戦略的価値を失ったため廃城となった。

ここは現在でも西国街道の街道松が一本だけ現存している、当然ながら巨木である。


 さらに西へ進むと次の壹(いち)里塚が見えて来る。現在の広島県廿日市市宮内地区、専念寺のあたりだ。ここが西国街道と津和野街道の分かれ道となる、西国街道に別れを告げて北西の津和野街道を北上する道を選ぶ。緩やかな坂道となり、2km程でいよいよ坂道が険しくなって来る。次の壹里塚を過ぎるて登り切った辺りが少し平坦になっているようだ。ようやくのこと明石村に到着である。

 このあたりが明石村の中心で、西へ行けば津和野街道へ続き、北へ行けばいよいよ野貝原山の登山口である。明石村の中心から北へ300m程で左に折れると、進むこと500mでイワレヒコ神社に到着である


阿久利姫の御一行、ご苦労様でしたな。



 イワレヒコ神社の境内にて案内を乞うと本殿の裏側の控えの間に通された。畳敷に座ってしばらく待つとイワレヒコが入ってきた気配がした、四人は一斉に平伏するとそこで声がかかる。阿久利にとっては懐かしい声だった、もう二度と聴くことが出来ないはずの声だった。


「皆の者、ご苦労である。面(おもて)を上げよ」


 阿久利は内匠頭の声を聞いたとたん涙が溢れてきてなかなか顔を上げられない。しばらく嗚咽(おえつ)のあと、ようやく顔を上げた阿久利はじっと内匠頭を見つめていたがコトリと首を傾けた。

言ってもいいものかどうか迷いながら


「殿の雰囲気が以前と少し違うような気がします...」


「おう、そりゃそうだ。浅野長矩と同じ顔をした別人だからな、雰囲気が違って当然だ。良く判ったな」


「判って当然でございます。何年夫婦をやっていたとお思いですか」


「それでどうする? オレが別人とわかったところでお前の身の振り方を聞きたい」


「そうですね、殿の中身が別人ならばわたくしも別人になればいい事です。今後は貴方様の御傍(おそば)で支えたいと思います」


 イワレヒコは暫く考えていた。孔明からも以前説明された事があったが、阿久利は将来イワレヒコにとって戦力になる可能性があると。戦闘ではなく別の意味でのサポートを意味していた。


「...だとよ、おーい孔明さんよ。お前さんの言う通りになったな。あとは説明頼むわ」


『はいはーい、超優秀な孔明さんでございますよ。阿久利さん宜しくね』


と...どこからともなく声が聞こえてくる

阿久利を始めお供の三人はキョロキョロと声の主を探しているようだがイワレヒコが言う


「姿は見えねえぞ、別のところにいる...というか人の姿じゃねぇ」


といつもの説明を繰り返した。全くいつも同じ反応だなと思いながら阿久利の様子が微笑ましい。

違うのは女性か二人いることだ、同じ反応でもなぜか可愛いらしい。



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