第35話 息を継ぐ場所
「遠回りしちゃったけど、昼過ぎぐらいに着けてよかったわね」
レッドは大きく体を左右にぐいっと伸ばして屈伸をすると、溜め込んでいた戦闘と長距離走行で強張った筋肉を緩ませた。
それを見たナナもお手本にするように見よう見まねで、緊張で張っていた両腕を満足するまで丁寧に指先で揉みほぐしていた。
誰も口にせずとも、一同全員の疲労は軽くはない。しかし安全が確保されない荒野では、ただ進み続けるほか選択肢はなかった。
廃倉庫の一角、剥き出しの鉄骨と大穴が空いた天井から斜めに差し込む光が漏れ、静かな空間に影を落としている。古びた空き倉庫はしばらく人の出入りがなかったかのように埃が積もっていた。
シロウとレッドは互いに頷き合うと、一同は埃を巻き上げないように慎重に倉庫の隅へ移動する。旅の生命線でもあるバイクの隠蔽を行う必要があった。
いまだ熱を帯びたバイクを労うようにシロウは愛馬を撫でると、倉庫内の周囲を警戒して見渡した。暗闇に生き物の気配はない。
レッドの合図を受けると、シロウは背中を任せて迅速にバイクの隠蔽を始める。
大容量のリュックから、厚手の影のようなシートを被せる。遠目からでは影の延長線上のように伸びたシートは、至近距離でようやく凹凸がわかる程度だ。
こなれた手つきでシロウは黙々と作業を数分で片づけた。
「これでよし……当分の間は見つからねぇだろう」
シロウは念入りに二台のシートの張りなどを確認して、カモフラージュを済ませる。
貴重品と食料の一部を軽量な肩掛けポーチに詰め込み、動きの阻害になる大容量のリュックサックは再びシートの下に押し込んで陰に落とす。
「さっき見えた高台。あそこからなら辺りの様子がよく分かりそうね。指示書の拠点についても確認しておきたいし、それと──」
レッドは笑みを浮かべて付け加える。
「お弁当も持っていって、お待ちかねのお昼ご飯と休憩を楽しみましょうか」
レッドの言葉の末尾に反応するように、ナナは嬉々として目を輝かせた。
「ぜひ、皆さん食べましょう!」
ナナの弾むような声音が深い静寂の倉庫を通り抜けていく。ナナは想像以上に響き渡る自身の声に目を見開くと、口元を慌てて両手で覆い隠した。
「あはは。ナナちゃん。次から気を付けてくれればいいわよ。ここはまだ安全地帯でもなければ、何が潜んでいるかわからないからね」
レッドに頭をぽんっと撫でられ、花弁が萎むようにナナの表情は羞恥で陰に潜む。だが、切り替えたように警戒心を張った真剣な眼差しで、再びレッドとシロウの後ろに着いていく。
シロウたち一同は足音を殺して、しっかりとした歩みで高台を目指した。バイクを置いた廃倉庫を抜け、午後の陽射しを背中に受けながら無言で進む。
沈むような重たい沈黙ではなく、肩の力を抜いた適度な警戒心で一列に呼吸を合わせている。先頭にシロウが立ち、真ん中にナナ、最後尾で後方をドラグノフ狙撃銃を構えたレッドが警戒をしている。
微かに風が吹き抜ける度に軋む音が耳に残り、その音に紛れた異音がないか細やかな視線を巡らせて、シロウたちはゆっくりと高台へと向かっていた。
高台はかつて通信施設か監視塔のような建造物が建っていた名残だった。
錆びついた金属製の外骨格に、斜めに崩れて歪んだ階段が鉄骨の間に残されている。コンクリートの土台は雨風によって削られており、シロウは階段の強度を確かめると、後方で警戒に当たっていたレッドに合図する。
「登る程度にはまだ耐えられる強度だ。慎重に行こう」
辺りは草一本生えない乾いた地面が続き、視界を遮るものは何もない。そのため、この高台からなら市街地から廃工業地帯、遠方の荒野まで見渡すことができた。
内部に入ると、窓辺は割れたガラスから開け放たれた風が循環するように、隙間を縫って通り過ぎていく。
壁は剥がれ落ちて染み付いた色が広がっており、床下の鉄板はちらりと下を覗ける穴が点々と空いていた。
「スイートルームではない、が、まぁこんなもんだろう」
シロウは胸ポケットの箱から煙草を一本抜き取ると、窓枠に肘をついた。遠くに広がる廃墟の街並みと朽ち果てて活動を終えた工場群を見つめながら火を燈す。
レッドは丈夫そうな床にナナを呼び寄せると、一緒に腰を下ろして市場で厳選した食料を紙袋から取り出す。
ナナの好みで選んだ甘い果物を包み込んだ菓子パンや、ベーコンと野菜が詰まったバケットなど、簡素ながら昼食の準備を済ませていく。
死が隣り合わせの世界だからこそ、陽射しに照らされた高台の上、一同は日常の余韻に安らぎ、次の闘争に備える。
それがこの荒れ果てた地で得られる、唯一の祝福だと思わせるように。




