第33話 地獄へのエスコート
迫りくる脅威は嵐のように前触れもなく訪れる。
静まり返った砂漠に大きな荒波を起こし、灼熱の大地を踏み越えてゆく。追う者。追われる者。互いの距離は次第に縮み、軋んだ鋼鉄と火薬の濃厚な臭いが漂っていた。
彼らの乗るバイクや車両のエンジン音は、まるで獣の咆哮のように荒野を震わせる。その姿は秩序も道徳も失った世紀末の“餓え”そのものだった。
追跡者たちはハイエナのような狡猾さを顔に浮かべ、獲物を追いかけていた。日銭を稼ぐ毎日に疲れた者。莫大な借金を抱えた者。揉め事を起こして冒険者稼業を続けられなくなった者。それぞれが纏っている気配は重く黒ずんでいる。
各々の面識は浅く、闇市で流された冒険者組合を通さない非合法の、後ろ暗い仕事に手を染めた者たちが徒党を組み、金を頂戴すれば解散する。
仲間意識も到底ない。むしろ金次第では同じ徒党内でも殺害される可能性が高い連中が今は拳を振り上げ、血眼になって迫り来ていた。
「女よこせ! 女! メスガキ発見でしゅ!」
歯の抜けた口で下劣な笑いを漏らすゴーグルの男が、唾を飛ばしながら叫んだ。悪意が染み込んだ言葉を吐き出している。
断末魔のようなエンジン音を響かせて、スクラップを掻き集めたような粗悪なバイクが、強引に距離を縮めて迫り来る。そしてシロウたちにピストルの照準を合わせた。
乱れた射撃は行方が分からない方向に、闇雲に砂埃を跳ね起こすだけだ。互いに騎乗時の高速戦闘の最中、的を狙って当てることは至難。
苛立ちを隠さない男は、髪を掻き毟るように形相は次第に険しくなっていく。
「歯なし! お前はせっかちすぎてよくねぇな!」
焼け爛れた皮膚の男が、サングラス越しのナナと視線が交わると、口元から舌を垂らして涎を溢した。
淫欲に満ちた男の視線にナナは急いで視線を逸らす。
必死に震えを抑えるようにシロウの大きな背中を強く抱き締めた。
シロウとナナの乗るアメリカンバイクに近寄る二台の影は、狩りを楽しむように表情を歪ませている。
「遊びじゃねぇぞ! 俺はこの依頼の報酬で、次こそは賭博で一攫千金を狙っているんだ!何としても小娘を攫え!」
三台目のバイクに騎乗するガスマスクで顔を覆う男は、怒気を飛ばして私情を絡めた発破をかける。
三台は意気揚々に空腹を満たすため、銃口をシロウたちに狙いを定めていた。
追い上げる追跡者たちにナナは震えていた。クッションを引いた後部座席から伝わる振動よりも鼓動が早まり、シロウの背中に回していた腕が緊張で汗が滲む。
三台のバイクに続き、鈍重ながら追加の外部装甲に覆われた一台のスクラップ車は、現地改修のような粗悪さで砂塵を踏み潰していく。
フロントガラスを取り除いた鋼鉄の網目越しから獲物を追い迫り、備え付けた火炎放射器の先端には犠牲者の頭蓋骨が飾られている。それは不気味に口角を吊り上げていた。
戦闘の第一波が巻き起こったのは、断末魔のような排気音を響かせて猛追する歯なしが放つ投擲槍だった。
痺れを切らした歯なしはシーシーバーに扇状に何本も括り付けた槍を取り出すと、シロウとナナの騎乗するバイク目掛けて投擲した。
腕力不足と高速で走行する状況上、直撃は難しい。しかし、背後から跳ね起こる爆発でシロウの操るバイクの後輪は一瞬だが浮き上がり、飛来する砂塵と余熱を背中に感じたナナは悲鳴をあげた。
その悲鳴に歓喜を浮かべて、御馳走のように舌なめずりする連中に、シロウは冷え込んだ眼差しで反撃の兆しを窺っていた。
『あいつら、【ジャベリン】まで持ち込んでやがるぞ』
無線機の機械音が、無骨な音を鳴らしながらシロウの言葉をレッドに届ける。
『即席の手榴弾を括り付けた投擲槍ね。対大型変異性生物用に使用する正規のジャベリンじゃないわ』
『それでもモロに喰らったら特急便であの世行きだ!! レッド! 砂丘に駆け上がって狙撃してくれ! こいつら全員俺たちに釘付けで、ケツを食いちぎりに来ている!』
『任せなさいっ! あんたの相棒が、どれだけ頼りがいがあるか見せてあげるわ! 時間稼ぎと陽動は頼んだわよ!』
シロウたちの前方を駆けるレッドは進路を変更して、一同のバイクは散開していく。
レッドは溜め込んだ鬱憤を吐き出すようにシロウに発破をかける。
『シロウ! あんたの稼ぎの大半をつぎ込んだバイクの力。とくと味わわせてやりなさい!』
『……あぁ。俺の、愛馬の性能──見せてやる!』
シロウは猛威を振るう追跡者たちを喰らうため、アクセルを捻り上げた。シフト操作でギアを最大まで上げ、マフラーから火炎が噴き出す程の馬力で駆け抜ける。
強風に乱れた砂漠を高速で駆け続け、先頭を独走するシロウのアメリカンバイクに、何とか食らいついて追走する四台の追跡者たち。
次第に距離が開くことに追跡者たちは焦りを覚えていた。
しかし、逃亡のための加速ではない。シロウはホルスターに収まるグロック19【ラピットファイア】を左腕で抜き放つと、反撃の狼煙を上げるように声高らかに叫んだ。
「吠え面をかかせてやるぜ! ナナ! 舌を噛むなよ!」
「は、はいぃ!」
ナナは振り落とされないようにシロウの背中を力いっぱい抱き締めると、瞼を固く閉じて勝利を祈る。
シロウの運転はめちゃくちゃだった。
片手でジョッキーシフトを叩き上げ、左足でクラッチを踏み抜く。卓越された走行技術は人機一体の言葉を体現し、生き物の如く砂漠を泳ぐように駆ける姿は、驚異的な速度で障害物や弾丸を擦り抜けていく。
タイヤの強靭な回転力で煙幕のように砂塵をまき散らし、挑発的にリアタイヤを左右に振り回す。
いまだ捕まらない獲物に対して、苛立ちが募る追跡者たちの集中力が低下した時だった。狙い定めたシロウは口にグロック19を噛み締めると、空いた左腕でシフト操作をする。
──突如、アメリカンバイクのエンジンブレーキが鳴り響き、凄まじい減速とともに後方へ大量の砂塵を覆わせる。
突然の目潰しに取り乱す追跡者たちは、その先の光景に一層混乱をした。
シロウのアメリカンバイクは砂塵の陰に潜み、いつの間にか、眼前に並走して銃口を至近距離で向けていたからだ。
容赦はない。感情の宿らない指先は引き金を引き絞る。
圧倒的な連射力でグロック19から激しく撃ち込まれる弾丸の大嵐が、眼前の追跡者の頭部を幾重にも弾け散らせた。
皮膚が爛れた追跡者の一人は至近距離で風穴を頭部に刻まれて、勢いよくバイクごと横転する。そして砂漠に摩擦を起こしながら削れると、火花を散らして消えて逝った。
「こ、こんのやろぉぉ! あいつに金を借りる手筈を狂わせやがってぇ!」
私情を吐き散らして罵声を向けるガスマスクの男は、バイクを操りながらアサルトライフルを粗く構えた。
しかし、シロウは弾丸の軌道を予測したように猛威を機敏な動きで避け、最後尾を走る装甲車を射線の身代わりに、銃撃を防いで走行する。
シロウは再びスロットルを力強く開けると、苛烈に急加速していった。
──一方、レッドは砂丘を乗り越えた先でバイクから急いで降りると、砂山に滑り込むようにうつ伏せで狙撃姿勢を取っていた。
この瞬間もシロウの運転するアメリカンバイクは、勢いよく黄金の海を泳ぐ大魚のように滑らかな蛇行運転で追跡者たちを惑わし、後輪から巻き上がる砂埃が後続者たちの視界を奪い、追跡を躱している。
極限に研ぎ済まれた集中力はレッドの瞳孔を肉食獣のように細め、捕食者のような冷徹な眼差しで追跡者たちを捕捉している。
スコープに収められた視界は対象を絞り、狙いを定めていく。
本来高速で走行する車両を狙撃することは並の冒険者では到底無理な芸当だ。しかし、レッドのギフトによる個性『風読み』の効果で予測された風の乱れと、経験から裏打ちされた技量は、揺れ動く針孔に糸を通すような絶技を実力で行う。
指先に張り詰めた殺気を、息を止め、放つ。
無骨な銃身は平等な死を届ける死神の如く、ドラグノフ狙撃銃に取り付けたサプレッサーから吐き出された“パスンッ”乾いた音を風に乗せて、スコープ内に捉えた獲物を仕留めた。
声を荒げていたガスマスクの男は唐突に黙り込む。
レッドの一撃により喉元を貫通した風穴から鮮血が飛び散り、私情で溢れた男の野望は潰えた。ゆっくりと力無く後方の砂山に横転して果てる。
『流石の腕前だ! レッド! 助かったぜ!』
『これぐらい当たり前よ! でもそろそろ射程圏外で厳しいわ!』
砂混じりに機械音で届けられるレッドの声音は、歯痒さが浮かんでいる。
『十分だ! こいつらは俺が片付ける!』
シロウはグロック19をホルスターに収めて、ハンドルをしっかりと握り締めた。そしてサイドミラーに映り込む獲物を見据える。
「強しゅぎる! これはどういうことでしゅか!! ……まぁでもこれで配当は増えましゅた! こっちにはまだ槍がありましゅから問題はナッしゅング!」
歯無しの追跡者は後続で追いかけるスクラップ車の陰に潜みつつ下劣に笑った。
レッドの狙撃に警戒の色を示しながらも、したたかに不揃いの歯並びで口元を広げる。その形相に哀悼の欠片も存在しない。あるのは利己的な感情だけだ。
スクラップ車に歯無しの追跡者は身振り手振りで指示を出すと、火炎放射器からは濃厚なガスが空気を揺らいで漂っていく。
追加装甲で覆われた車両の助手席に座る男が身を乗り出すと、凧のように上半身が暴風に包まれ、狂気を宿した瞳で火炎放射器を操作した。
勢いよく溢れた火炎の鞭が、前方を駆けるシロウとナナの跨るアメリカンバイクに襲い掛かる。しなり、うねりを起こして追い風とともに突風に包まれた火炎は、広範囲に炎の反射を輝かせる。
薙ぎ払われた痕跡は瞬く間に加熱されていき、溶けた砂が細やかなガラス化を起こしていた。
シロウは後輪から巻き上がる大量の土煙で、ほとばしる火炎の猛威を防ぎながらも、投擲槍で攻め立てる歯なしの、降り注ぐ爆撃の雨を柔軟な操作技量で回避していく。
「ナナ! シーシーバーに括り付けた長いロープを一つ解いてくれ! 荷物用に固定しているラッシングベルトじゃないぞ!」
険しくも冷静に指示をするシロウの言葉を受け止め、後方から迫りくる火炎の恐怖に必死に耐えてナナはロープを外す。
しっかりとシロウに向けた華奢な手にはロープが握られている。
「良い子だ! それじゃあもういっちょ派手に動き回るから、振り落とされるなよ!」
「も、もちろんですっ!」
歯を食いしばりながらも、引き攣った笑みを浮かべたナナの姿を横目に、シロウも大きく口元を吊り上げて笑う。
二人の覚悟に呼応するように愛馬のアメリカンバイクは、さらなる加速を見せて追跡者たちとの距離を剥がしていく。
「くそッ! なんて高性能なバイクでしゅか!」
歯なしが自身の傷んだバイクから身を乗り出して、投擲姿勢をとった時だった。再びのシロウの操るアメリカンバイクが、急激な減速とともに肉薄するほどの距離感で迫り来た。
高速回転する分厚い後輪が凶器のように襲い掛かり、歯なしは間一髪で体勢を崩しながらも回避を行う。
その時、後続のスクラップ車から吐き出される火炎放射器が一瞬だけ煌めいた。
炙るようにシロウと歯無しの追跡者、二台諸共バイクを包み込むように強烈な火炎が広がる。
「しっかり耐えろよ、ナナ! しがみついて離すな!!」
「はぃ!」
その言葉を皮切りに、アメリカンバイクは本来の性能を最大限まで解き放つ。
シロウは瞬時にジョッキーシフトをトップギアへ弾くと、スロットルを最大まで開いて加速に火を点ける。急激な加速が空気を震わせた。
──瞬間、殺人的なトルクが体に代償を払わせるように、高負荷を起こしながらも爆発的なパワーで駆け抜ける。
猛烈な速度は景色を線にして、視界の縁を白に染めた。
歯無しの乗るバイクを一瞬で追い越し、それを利用して迫る火炎から遮蔽物として危機を強引に回避する。
濃厚な火炎放射は神経を削るような熱気を纏い、ナナの華奢な体を緊張で震え上がらせた。しかし、そのすぐ隣では火炎の波に包まれた者がいる。上半身の衣服が吹き飛ぶほどの火傷に悶え苦しむ者が。
「゛ああぁあつぅぉぅいぃい!!」
皮膚が焼け焦げた歯なしの絶叫が、バイクのエンジン音よりも遥かに上回る程の断末魔として広がった。
シロウはハンドルから左手を放すとロープを構えた。
牛追いのようにロープを弾ませて回転させると、叫ぶ獲物に狙いを定めながら距離を縮めていく。
ナナから受け取ったロープの先は輪で結ばれており、拘束具としてターゲットに襲い掛かった。アクセル部分を含めた歯なしの右腕に深々とロープは喰らい付き、輪は肉に食い込むほどに縛り上げる。
ロープで歯無しと繋がったシロウは、後方を走るスクラップ車に狙いを定めた。
「悪いが、ここからは俺がエスコートさせて頂くぜ。──地獄までの直行便だ!」
全身が焼け爛れ、アクセルを握る右腕をロープで縛られた歯なしを、強引に引っ張り上げてシロウは一気に加速した。
サイドミラーから覗く後方の車線を捉え、スクラップ車の前方を駆ける。目潰しの砂塵の波を見舞うと、相手を翻弄させるように駆けてタイミングを見計らった。
冷酷な眼差しでシロウはスクラップ車を一瞥すると、スロットルをピタリと閉じた。
そして突如──急激な減速を開始する。
前輪と後輪、アクセルブレーキを使用した激しい摩擦が生まれ、タイヤ痕が深々と刻まれる程の急激な減速で瞬く間にスクラップ車の後ろまで迫る。
そして追尾するように繋がれた歯無しのバイクも、破滅的な減速に合わせるように引きずり込まれていく。
急減速と同時に、シロウのアメリカンバイクがスクラップ車の脇を掠める。火花を散らしながら金属を擦る甲高い音を残して、間一髪で後方に通り抜けた。
シロウはロープを握った左手で、中指を吊り上げていた。
スクラップ車と歯無しのバイクがぶつかる瞬間、そっとロープを手放して「クソッタレ」と終局のいとまを告げる。
刹那──火炎放射器の燃料と投擲槍に括り付けられた手榴弾が、世紀末の化学反応を示すように濃厚な赤黒い爆発が空気を汚染して拡散すると、周囲一帯の砂漠に轟いた。
業火に包まれる肉の焼け焦げた臭いと、車両本体の燃料に引火した爆発が二度目の大爆発を起こし、辺りにある全てを吹き飛ばす。
遥か後方からアメリカンバイクに跨ったシロウは、飛散する砂煙や瓦礫を手で覆って防ぐと、やれやれと汚い花火を見るように、ナナと共に追走劇の終わりを見守った。
それは名前すら残らなかった連中の最期だった。




