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第25話 狂気の切り札

「シロウさん! この人で最後ですね!」


 唐突なナナからの問いかけに、シロウは足元の煙草から視線を、呼び声のする方向へと移した。

 ナナはこれから最後の男にスカベンジを行う瞬間だった。


 “作業に慣れてきた時が一番危険が潜んでいる”

 

 シロウはふと幼少期に過ごしたスラムでの記憶が脳裏を過った。


「ナナ! 離れろッ! そいつはまだ生きている!!」


「えっ?」


 ナナのすっとんきょうな表情が強張った瞬間と同時に、背後から覆い潰すような黒い影が重なった。


 それは碌な技術もなく、単純な力任せに小柄なナナを地面に這いつくばらせ、荒い息を繰り返し吐く──先程まで気絶をしていた男であった。


「ナナちゃん!」


 レッドが反射的にホルスターに手を伸ばすと、遮るように怒声が響いた。


「動くんじゃねぇ! ちくしょうが! こんな割りに合わねぇ依頼は断るべきだったッ!」


 先の戦闘で負傷した男は、予備用の短剣をナナの細い首筋へ押し付けると、瞳孔の開いた眼光でシロウたちを睨んでいる。視線は乱れ、平常心とは程遠かった。


 ナナの肩が震えていた。シロウは自身の失態に嫌気が差す。未熟なナナを単独で行動させた結果、招いてしまった状況だからだ。


 しかし、後悔しても冷酷に進み続ける現実は止まらない。

 背後から突きつけられた冷たい刃が、ナナの肌を微かに傷つけ、一筋の血が首筋を伝う。


「やめなさい! その子を解放して!」


 悲痛な形相でレッドが叫んだ。


「黙れッ! 俺はもう詰んでいるんだ……! 今はこの、ただの足を引っ張るガキが、俺の最後の切り札なんだよッ!!」


 細い首筋に押し付けたナイフが、興奮とともに力む。ナナの青白い肌に次第に深く食い込んでいく。


 シロウは緊迫した空間で、レッドと負傷した男の舌戦を窺いながらも、その隙を冷静に見極めていた。


 既に抜かれているデザートイーグルの重みが、右腕の痺れを残した利き腕にずっしりと収まっている。しかし、ナナの首筋に刃を当てられた状態で、躊躇なく一瞬の判断で、相手の額を撃ち抜ける確信は……なかった。


「シロウ……動ける?」


 レッドの囁きは平静を装っているが、焦りが潜んでいる。


「……一瞬だけ、あいつの目線が切れれば……やれる」


 二人は息を呑み、機会を窺う。


 刹那、ナナの瞳がちらりとシロウに向いた。

 恐怖に震えていた表情はシロウと視線が交わると、ゆっくりと瞼を深く閉じる。そして、再び強い意志を瞳に宿していた。


 ナナは抵抗する素振りも見せず、ただ静かに言葉を発した。


「あなたは、きっと誰にも覚えられずに終わるのが……怖いんですね」


「……は?」


 男の顔が静かに歪んだ。


 整った顔立ちの少女が、まるで全てを見透かしたように語る。その言葉は男の中に眠っていた苛立ちを刺激し、劣等感を掘り起こしていく。


 足手まといで周囲の人間に愛嬌だけを振り撒き、仕立ての良い服を羽織る小娘が、何も苦労を知らずに生きてきた存在が、自分を知ったように語る言動に──負傷した男の感情が困惑から怒りに染まるのは、時間は多くは必要ではなかった。


「このクソガキがぁッ!」


 男の剥き出しの殺意が、這いつくばらせた少女の首筋に届くまでの一瞬──シロウは見逃さなかった。


 銀閃が駆ける。高速で左腕から放たれたナイフは、男の短剣を握る左腕に正確に突き刺さった。


「ぐっ……!?」


 男の体がよろめく。予想外の投擲に形相は動揺で強張る。そして、その強張りは一層に強まることになった。


 それは動揺で僅かに後退した男とは対照的な、ナナの咄嗟の行動だった。


 男の粗暴な腕から解放されたナナは、脅威から距離を空けるのではなく、自ら再び男の懐に潜り込むことを選んだ。


 地面にうつ伏せにされた体を反転すると、素早く男の衣服を両手で掴んで離さない。そして地面を蹴る勢いで、思い切り片足を跳ね上げた。


「ッ……!?」


 正面から放たれた蹴りが、男の戸惑いを残した顔面を正確に捉えた。


“ゴッ”と鈍い音とともに男は後方に吹き飛び、地面に背を打ちつける。


 予想だにしないナナからの反撃を受けた男は、呆けた表情で背中を地面に寝かされると、鼻先から遅れて流れ出た鼻血に気が付く。そして不気味に笑い出した。


「こんな小娘にも……やられるなんてな。はは、ひひ……」


 男の顔は混沌とした苦笑で歪む。何かを諦めたように、宙に散漫とした視線を漂らせていた。


 ナナはそんな男から目を逸らさずに、静かに体勢を整えていく。これ以上負傷した男に、刺激を加えることは危険だと本能が告げていた。


 ゆっくりと目線は男を捉えたまま、シロウたちのいる後方へと足を運ぶ。


 しかし、男の一切瞬きもしない狂気を宿した瞳は、焦点がナナに定まったその瞬間、まるで機を狙っていたかのように鋭く睨みこんだ。


 突如ぐるりと体勢を跳ね起き上がらせ、獣の如くナナへと襲い掛かる。


「逃げるなよ! ……ひ、ははァァ!」


 執念そのものだった。一直線にナナへと迫る男の滾らせていた狂気の色は凄まじかった。


 後方から駆け寄ったシロウの、大口径のデザートイーグルが撃ち放す耳を劈くような一撃にも、恐怖を宿らせずにナナへと勢いよく距離を縮めていく。


 雷火のような一発の弾丸で、骨ごと弾かれて脇腹と右腕が吹き飛ばされる。だが、それでも──止まらない。血飛沫が飛び散る負傷した体とは思わせない、男の狂乱は止まらなかった。


 ナナの懐まで迫った男の左腕には“何か”が握られていた。


 ピンを咥えている口元には、血が滲んだ歪な笑みを込めて、声高らかに叫んだ。


「最高の一撃を……受け取る準備はできたかッ!?」


 男の左腕から閃光が走る。圧縮された熱量が放たれる刹那、ナナは咄嗟にシロウに振り返った。


 その視線に応えるように、シロウの腕が閃光で霞むナナへと伸びる。


「ナナァッ!!」


 喉が裂けるほど叫び、懸命に駆け寄る。


 コマ送りのように断片的な光景の中、光に包まれていくナナを、シロウは無我夢中で手を差し伸ばした。小さく震えた手を必死に掴み、そして、抱き締めて覆い被さった。

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