自分が、大人になった夜(前)
錆の目立つ、使い古された銀貨の詰まった袋。
それを報酬として、フリットに渡しに行ったのはその次の日の事だった。
その折に昨日あった出来事を話すと、フリットは、自分の心の淵を覗くように目線を合わせる。
「すまないケーシー、協力者を明かす事が出来なくて」
「いや、いい。気にはしていない。
自分は公子様と親しくさせて頂いてはいるが、あくまでも護衛者。
ルカス達の様に全てを明かされる事は無い。
自分は立場をわきまえている……」
それが自分と言う“公子の暴力装置”の役割だ……
暗にそう言うニュアンスも含めて彼に告げると、フリットは安心して微笑んだ。
「ところでケーシー、アンタがロサスを捕まえた日に俺に売った秘密……例の女。
アレと上手い事いったのか?
女の方も感謝しただろ!
改めて愛されたんじゃないのかい?」
関係も無いのに嫌な事を聞く。
この答えづらい問いに思わず苦笑いを浮かべると、次の瞬間フリットは驚いたような表情を浮かべ、そして真面目な声音を立てた。
「……上手く行ってないのか?」
「え!」
「図星か……」
なんで分かった?
「あ、いや……」
「お前さん顔も可愛いし、普通の男にはない魅力だってある。
なのになんで上手く行ってないんだ?」
「なんでって……」
「話してみろよ。俺とお前の仲だろ?
歳は離れているが、一緒に修羅場だって潜った仲だ。
俺をモンタプータの村の連中の一人だと思って、打明けて見ろよ。
年上の経験話が、お前さんの悩みを解決させるかもしれない。
親友に話すみたいに俺に話してみろ、な?」
モンタプータ、そして親友……言葉が自分の心に響く。
確かに誰かに相談したくても、相談できなかった話題だった。
抱え込んだまま答えを探していたのは事実で、それが気の迷いを自分に植え付ける。
やがて躊躇いながら「実は……」と前置きして、個人情報を伏せながら、マーアンとの間柄が上手く行っていない事を話した。
すると聞いたフリットは「それはお前さんが悪いな」と告げる。
「どうして?」
「女の立場になって見たら、お前さんの気持ちが分からないんだと思うぞ。
今の話を聞くと、その女の母親が『お前は友達で居るように』と言ったみたいだな」
「ああ……」
「お前さんがそれにビビっちまって、それでその女をモノにしようとグイグイ行かなかった。
それを敏感に感じ取っちまって、お前さんが何を考えているのか女の方は分からないんじゃないか?
それが不満だったら、相手も苛立って喧嘩腰になるぞ
それにたまに会ってもケーシーは相変わらず、腰が引けてるように思えるし……」
「分かるのか?」
今の話だけでそこまでわかるという事に、思わずこの男の洞察力に感嘆する。
するとフリットは何故か大きく目を見開いて「当たり前だ」と告げた。
「それよりもお前はその女とどうなりたい?
それをはっきりしないと、どうにもならないんじゃないのか?」
「どうにもならない、自分はただの護衛者だ。
生まれた家柄が違う……かもな」
「本当にそうか?」
「ん?」
「曲がりなりにも、お前さんは敵対的な関係とは言えグルヴァン伯爵家の、嫡子の一人だったんだろ?
母親は望んだ結婚では無かったとはいえ、正式な結婚と、その果てに生まれたのがお前さんだと言う事実は変わらない。
相手がどんな身分なのかは知らないが、アンタも望めば“それなりのモノ”を手にする事も出来ると思うぜ」
「何を知っている?」
「あんたの生まれと、育ちの経緯さ。
当然アンタの事も調べた。
“殺しのトールスカン”は有名だぜ。
17にして立派な公爵配下の殺し屋だ、興味は持つさ」
彼がそこまで知っていた事に驚きは無かった。
無かったが、舌の奥が鈍く痺れた。
……心が動揺する。
「そうか……あんたは何でも知っているんだな。
ならば早い。だからこそ、だ……
こんなにも手を血で染めた自分が“それなり”って奴を手にするはずが無いよ。
それに幼少期にグルヴァン家とは袂を分けたんだ。
その代わりに年金を貰ってる、今更……」
「……だからそれを“望めば”と言っているんだ。
望んでないなら諦める、諦めきれなければいつかは意見も変わる。
まぁ、俺の戯言だが……抜け穴はあると思う。世の中は綺麗なモノが大事だが、汚いモノも必要なんだ。
血以外でも、その手を汚す気持ちが持てたのなら不可能は無い」
「…………」
「まぁ、今のお前さんの顔を見れば、俺の話を受け入れたくは無さそうだとは分かる。
グルヴァン家の話はしたくはなさそうだしな。
だから、アレか……その女とはまた“友達”に戻れれば満足なのか?」
「……ああ、出来ればそうしたい。仲直りしたいんだ」
そう呻くように自分が告白すると、フリットはフムフムと頷く。
「良いか、ケーシー。
俺の話をよく聞けよ、たぶんまた友達に戻る事は出来るだろう。
相手だってな、たぶんケーシーの事をいくらか思っている筈なんだ。
だから昨日会った、そうじゃなきゃ会うのを拒むからな。
そこで二人に仲を取り持つ、アレだな、誰か……誰かがお前に話しかけると思う」
「未来が見えるのか?」
「いや、見えないけど見える……
これが経験と言うヤツだ。
お前さんまだ20歳にもなって無いだろ?
だから俺と同じくらいの歳になれば自然と分かる、経験を積めばお前さんも俺の様な事を年若い子に助言をするのさ」
……そう言うモノなのか?
フリットは「まぁそう言うモノだ」と、言葉を重ね、そして自分を励まし「幸運の女神は急いで捕まえるように」と諭す。
要は“ビビるな!”という助言だ。
……そして話の終わりごろ、話はまたチーノの話に戻る。
「とにかくチーノを見つけたんだな?そしてそれを討伐する部隊に加わる可能性が高い。
ソレを昨日女に伝えた、それで間違いないな?」
「ああ」
「……分かった、まぁアレだ。
とにかく分かった、何せチーノ討伐に参加する前だしな。
……良い事、上手く行くと良いな」
「うん、まぁ……」
励ましてくれる彼の優しさに「ありがとう」と感謝しながら、その言葉に耳を傾ける。
それを見てフリットは満足げに頷いた。
◇◇◇◇
コポコポコポ……
帰宅した自分は、いつものビーカーでお湯を沸かす。
ガラスの中を幾つもの泡がそこから水面に勢いよく噴き上がる。
その泡の中に、先程のフリットの様子に感じた違和感までも閉じ込められているようだ……
こうして沸き立つお湯を、ドリッパーの中の砕けたコーヒー豆に注ぐ。
沸き立つ泡と、香ばしい匂い。
思わず長い溜息を吐いた。
抽出された黒い液体。
やがてコップの中の液体を飲み、望みどおりに寛いだ。
飲んだコーヒーの匂いが鼻から抜けると、心から雑念が消え、安らぎが胸を満たす。
飲み馴れたこの苦い味と、嗅ぎ飽きる事の無いこの香りが、自分を重圧から救った。
飲み終わるまでもわずかな時間、心が無になる。
「…………」
沈黙と安らぎ、自分はここに辿り着くまでの事を、色々と思い出す。
やがて、虚空の中に昔見た風景が映り込んむ。
エラーコンの死から、今日までまるで人生が、勢いよく坂道を転げるように凄まじい速さで過ぎて行く。
「チーノ……」
そうした風景の中に、ナシュドミルの港で見かけた、チーノの姿を見出だした。
もしもチーノが居なかったら、エラーコンはモンタプータ村に流れ着く事は無かった。
その場合、自分は我が師に養育を付託されることが無かっただろう。
たぶん剣術を学ぶことも無く、誰かに愛されることも、教育を施されることも無かった。
……叔父はどちらにせよ自分を養育せず、他人に預ける。奴はそう言う男だ。
もし剣の道理を知らずに、ヴィクタが襲われた日にその現場に居合わせたのなら、役立たずの自分は彼を救う事が出来なかった。
そしてその日初めて殺した人間も又、チーノの関係者だった。
運命……
フリットの運命も、そして……おそらくマーアンの運命にも関与してきたチーノ。
その犯罪に生きてしまった兄弟子の運命が尽きようとしている時、自分がそれに関与している。




