この国の歴史が動いた日 二人のママ
隠し扉の向こうには落ち着いた色合いの書斎が広がっていた。
そしてマーアンに連れられて中に入ると、尼僧の服に身を包んだ二人の女性と出会う。
二人の様子はどこか対照的だった。
一人は顔立ちが整っているが地味な女性で、もう一人は何と言うか……逆らってはいけない匂いがする、目がギラギラした女だった。
「…………」
二人を見た瞬間、自分はその人が放つ生来の威厳に緊張し、思わず唇を噛み締める。
「お母さま方、彼がヤークセンです」
マーアンがそう自分を二人に紹介したので自分も頭を下げて挨拶をした。
「初めまして、ヤークセン・トールスカンと申します、お目に掛かれて光栄です」
「初めまして、マーアンの親友だと聞いてます。
なんでもフライアの事を助けるために、色々と力を尽くしてくれたとか……」
地味な方の女性がそう声を掛けてくれたので、畏まりながら自分は答えた。
「いえ、私などとてもとても……
私は一武官に過ぎませんし、全ては主であるヴィクタ様の思し召しです。
私こそ、マーアン様やフライア様に良くして頂いて感謝している次第です」
礼儀正しくそう返すと、隣りでマーアンが詐欺師でも見つけたような目で、自分の顔を見て……
え、なに?
「オホホホ。
ええ、マーアンから聞いております。
これからも仲良くしてくださいね」
「え?あ、はい……コチラこそ」
「それにしてもあなたは、聞いていた話と随分印象が違いますねぇ」
「ど、どのような……」
「うふふふ、良いと思いますよ」
それは返事と呼べるのか?そう思ったが貴族の方のお言葉なので「光栄です……」と答えて縮こまった。
「オホホホ、聞いていたよりも随分とマトモそうで安心した。
ウチの子リスとこれからも仲良くな」
目がギラギラした方の女性がそう言って、威厳の在る笑みを浮かべる。
「ママッ!」
マーアンが、目力の強い女性をそう呼ぶと、彼女は慌てた。
「オホホホ、マーアンはヤークセン殿を常に良く言っていたのですよ。
ただ……噂ではソナタは相当活動的であると聞いていてなぁ」
あちゃあ……思い当たる事が多すぎる。
「すみません……」
「いや良い良い、そなたは騎士の修業をしているのだろう?
それにそなた達の方から仕掛けた訳ではない。
何よりもおかげで私の親戚である、フライアは救われた。
アルンスロットのような大きな家では、お前の様に強い男でなければ叶わぬ仕事も有ろう。
歳若くしてそのような家臣を持った、ヴィクタ殿が羨ましい……」
「そ、そのようにお褒め頂き恐縮です」
褒めて貰った事で、思わず照れてしまう。
それを見て二人のご婦人は、愉快そうに笑った。
「オホホホ、姉上……この子は面白い友達を連れて来ましたね」
目がギラギラした方が、そう言って地味な方に声を掛けた。
……え、こっちが歳下だったの?
「はい、マルグレーテより聞いていた話よりも、常識が備わっているようで安心しました。
実際に会って見て、これならマーアンの友人として大丈夫そうです」
それを聞いて威厳のある妹は、コクリと頷く。
「そうだ、フライアの件でお前に礼を言いたくてな、お礼の品を用意したのだが……
この部屋に持ってくるのを忘れたのだ。
マーアン、すまないが私の書斎の机の上にあるので取って来て貰えまいか?」
「ええっ、なんで?」
「書斎に自由には入れる人間は限られておる、マーアンでなければ衛兵も入室を許可しないのだ」
マーアンはそれを聞くと「もう……」と不満げに一言零し、この部屋を出て行った。
こうしてマーアンが居なくなると、威厳のある女性は自分の目をじっと見つめる。
「……まずは自己紹介をしようかの」
……思わず息を飲んでその目線を見つめ返した。
「私はアニーネ・ピアケスコーと言います」
そして、隣りの地味な女性も声を上げた。
「私はエミーリエ・サイピエーグです」
(つまり、マーアンは怖い方の娘さんか……)
家名を聞いてそれを察した。
「改めまして、アルンスロット家家臣のヤークセン・トールスカンと申します。
高貴なお方に、このように挨拶が叶い光栄です。
以後お見知りおきを……」
妹のアニーネ様が頷いた。
「ええ、娘と仲良くしてください。
それから……分かっていると思いますが、心得違いはしない事。
良いですね、あなたとマーアンはどこまでも良き友人でお願いしますよ」
心に深々と刺された釘の痛みに、舌の根を痺れさせながら「勿論です……」と答えた。
動揺した胸を抑える……
「娘は器量よしとは思いますが、振舞いにまだ気品が備わっていません。
女らしくないと思いますが、どう思いますか?」
「そんな事は無いと思います。
彼女の魅力に気付く者は多い気がしますが……」
そう答えた自分の目の奥をアニーネ様は覗きこんだ。
やがて彼女は「ふっ」と笑い「仲が良くて良いのぉ」と言って、姉のエミーリエ様と微笑みあう。
「あの子が好きか?」
「……大事な、友人です」
表情を変えず、平静を装った自分。
手が……震えた。
「話は変わるがヤークセン。
今日のサロンの事は聞いておるか?」
「はい。陛下のお誘いを受けて、音楽などを語らう予定と聞いております」
「それだけか?」
「はい……」
自分の返事を聞き、アニーネ様は部屋の虚空に目を向ける。
その様子を心配そうに、姉のエミーリエ様が見守った。
やがてアニーネ様は自分の目を見ると、微かに笑って言う。
「今日のサロンの出席者は、陛下を除けばピアケスコー家と縁のある者ばかり。
これから両家は協力して、陛下の御代を盛り立てる約束を結ぶ話し合いが今日持たれる。
つまり、我々はお前とも何らかの形で交わる事が今後出てくるかもしれぬという事だ。
少なくとも今日、面識はお互いに持てた。
ヤークセン・トールスカンが姉上と私を尋ねて来る事があれば、邪険にはするまいて。
……娘の大事な友人ならばな。
これからも仲良くしてくれ、誠実な友人で居てくれれば、こちらもお前を誠実な人間と思い、付き合う事になるだろう。
……ヤークセン、そなたは仲が良い者からは何と呼ばれている?」
「は?」
「愛称じゃ」
「あ、ああ……はい。ケーシーと呼ばれています」
「ならば私達もこれからはそう呼ばせてもらっても良いかの?」
「もちろんです」
自分がそう返すと、アニーネ様は含みのある、どこか凄みの浮いた笑みを浮かべた。
「ケーシー……余計な事かもしれぬが、娘の気持ちも少しは考えてくれ。
同郷の準爵の娘と仲良くなりたい気持ちも分かる、若い男じゃからな」
「え?」
「……学生の本分は忘れぬように」
唖然として言葉を失った自分。
この時、マーアンが手に革製の小さな箱を持って部屋に戻ってきた。
「お母さま、こちらでよろしいですか?」
「おおそれじゃ、子リスはコッチにおいで」
ニコニコと微笑むマーアンが、引きつった笑みを浮かべる自分と、アニーネ様とを見比べながら首を傾げる。
「二人で何を話していたの?」
「学生らしく勉強をして遊ぶな、と訓告していたのじゃ」
「あまりイジメないでよ」
「ふふ、私はケーシーとは仲良くなったのじゃ。
のう?ケーシー」
「あ、はい。これからもよろしくお願いします」
その言葉にマーアンは納得した表情を見せる。
次にマーアンが持ってきた箱を受け取ったアニーネ様は、その箱を自分に渡した。
「娘と仲良くしてくれたお礼じゃ。
気に入ってくれると良いが……」
「ありがとうございます」
「何が入っているの、見せてよ」
マーアンがそう、子リスのような目をくりくり動かしながら言うので、開けて良いかどうか伺うようにアニーネ様の目を見る。
優しい笑みを浮かべた彼女は、マーアンそっくりの笑顔で頷いた。
箱を開けてみると、美しい琥珀に青と金で装飾が施された、素晴らしい万年筆が入っている。
「こんな素晴らしい物を戴けません!」
即座にそう言って断ろうとすると、アニーネ様はそれを押しとどめた。
「受け取ってくれ。
これは私の夫が贔屓にしていた職人が作ったものだ。
マーアンの父だ……彼が生前に職人に作らせたのだが、納品される前に死んでしまった。
今となっては使う者も無い。
フライアを助けたマーアンの友人なら、夫も使うのを喜んでくれよう。
今回の礼だ、そなたがこのサロンにアルンスロット公爵を招く、縁を作ってくれたのだ。
相応しかろう」
それでも躊躇うと、目をキラキラと輝かせたマーアンが「貰って……」と小声で囁いた。
それで礼を言いながら有り難く頂戴した。
その後なんやかんやと、この貴族のご婦人二人と歓談していると、不意に自分の本当の姿が白髪なのだという話になった。
それで、解毒剤を飲んで姿を見せると、ご婦人二人はこの日一番の笑みを浮かべる。
「オホホホ、ヴィクタ殿も意地が悪いな。
見た目が酷くなる薬を飲ませていたのか!」
「本当に、でもこっちの方が都合は良いかもしれませんよ」
「あ、ああ……姉上のおっしゃる通り。
オホホホ」
何の都合が良いのだろうか?
そう思っていると、衛兵が扉の外から『失礼します、皆さまお揃いになりました』と声が掛かった。
「ああ、もうこんな時間か。
時が立つのが早い、面白かった、またお越しなさいケーシー」
「ありがとうございます」
「では、姉上」
「ええ、行きましょう。
それではマーアン、学校ではきちんと勉強しなさいよ」
二人はそう言うと、揃ってこの部屋を出て行く。
その後自分はマーアンに連れられて、また隠し扉から隣の部屋に誘導された。
マーアンはそのまま、用事があるからと言って自分とは別れた。
そして自分はあの高価な万年筆と共に、に居も積番に戻るのである。
◇◇◇◇
ガタガタガタガタ
『…………』
離宮から帰りの馬車の中、ルカスとヴィクタは朝のはしゃぎっぷりが嘘のように、重たい表情で夕暮れの外を見つめていた。
自分は?と言うと。その傍らで、同じように外を見て居る。
やがて風景は変わり、白銀宮殿へと向かう、なじみの深い景観へと変わる。
「ケーシー……」
ヴィクタが不意に自分の名を呼んだので「どうしました?」尋ねる。
「僕らは恐ろしい運命に向かうかもしれない」
「……仕官した時から、覚悟はできています」
そう返すとヴィクタは自分の顔を見、そして「ふっ」といつもの彼らしく、どこか狡い笑みを浮かべた。
「ああ……ケーシー。
今日はただのサロンじゃなかったよ。
僕等がフライアを助けた事で、女王陛下、並びに王党派貴族と縁が出来た。
君も知っての通り我がアルンスロット家は、マルティ―ル同盟議員の束ね役として、重きをなしている。
しかしマルティ―ル同盟の力の多くは、エルドマルク王国に集まって居て、そのエルドマルクでは無名の大貴族に過ぎない。
……しかし、女王を後ろ盾とする王党派貴族のピアケスコー家と今日同盟を結んだ。
彼等は“旗頭”はあるが力がない、つまり軍事力だ。
お父様は今日、女王陛下から直々に言われたよ。
『首都の治安を回復させる為、兵士を出せる用意はあるのか?』と。
今後陛下の治世の為に最大限協力するなら、法務大臣の件は協力を惜しまないとさ。
なるほど……分かりやすい話だ。
偉くなりたければそれなりのモノを持って来いと、私に協力しろ……てね」
「どう答えたんですか?」
「……もちろんお父様は了承した。
ここで戦わなければ一生うだつの上がらない、家柄だけが立派な貴族になる。
ソレに……ヤルンヴォルケは嫌いだ。
僕も、お父様も。
ケーシー、心しておけ、これからきっと血を見る事になるだろう」
ルカスはこの話を聞いても、何も言わず、表情も変えない。
そんな様子が、この二人はもう覚悟を決めたのだという事を自分に教えた。
べアンハート様とヴィクタ……二人の馬車は歩調を合わせ、本拠地の白銀宮殿の敷地へと入っていく。




