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カーマ王国物語  作者: 喜佐一
血と業
1/11

血と業(前編)

※攻がモブ女性と仲良くする描写がありますが本番行為はありません



 小さな月だけが空に浮かぶ夜。なじみの娼館からの帰り道で、カーシュラードは諍いを耳にした。

「よぉ姉ちゃん、あんたが代わりになってくれるっていうのか?」

 酒でかすれ、ろれつのあやしい男の声だ。聞いていて不愉快になるセリフが続き、思わず足を止めてしまう。声は四人分だった。下卑た言葉を連ねるのが三人と、あしらおうとする静かな声がひとり。三対一なら、助けるのが道理というものだろう。

 ここは治安の悪い場所ではない。上流階級がパトロンになる娼館の多い地区だ。相手にする客の性質上、それなりの用心棒が多く、無頼者が近づけば視線だけで威圧される。酔って迷惑をかけるような輩は場違いだ。

 レンガ作りの角を曲がると、マントで身体をすっぽり覆ってフードを深く被った人物を、三人の男たちが囲んでいた。それぞれ身なりは悪くない。男のひとりがフードを脱がせようと馴れ馴れしく手を伸ばしてはたき落とされている。乾いた音が弾く。誰かが口笛を吹いて威勢のよさをからかった。

「怪我をしたくなければ、立ち去りなさい」

 フードの陰からきっぱりと言い放つ声はアルトだ。女性にしては低い。声は怯えていない。ずいぶん気丈な人物なようだ。

 だが、見学していても事態は改善しないだろう。カーシュラードはわざと足音を立てて存在を主張した。

「酔って言い寄るなんて格好悪いな」

「何だと?」

「相手が嫌がっていることくらい、見たらわかるじゃないですか」

 男たちに蔑みの視線を向け、馬鹿にするような口調で吐き捨てる。マント姿の相手からこちらへ注意を向けるための安い挑発だが、酔っ払いには効果があった。

「ガキはお呼びじゃねぇんだよ!」

 護身用に帯びていたのか、男のひとりが短剣を抜いた。穏便に済ませようと思ったけれど、これで正当防衛の言い分が成り立つ。目撃者もいるし、加減はほどほどでいいだろう。

 カーシュラードは剣帯から鞘ごとロングソードを抜いて、向かってくる男の胴を薙いだ。抜刀はしないが、抜刀時の威力は乗せている。男は吹き飛ばされ、仲間にぶつかってあっけなく気絶した。

「続けます?」

 肩をすくめて尋ねると、勝てないことを悟ったふたりは、気絶した男を引きずりながら繁華街の方へと逃げていった。あっけなさすぎて、こちらの酔い覚ましにもならない。

「大丈夫ですか?」

「……親切に、ありがとう」

 その場に立ち尽くしていたマントの人物は、囁くような柔らかな声で感謝を告げた。身長は同じくらい。顔を上げたのか、フードから薄い栗色の髪がこぼれた。ちらりとのぞくかんばせは美しく整っている。聖霊灯が影を生むので、瞳の色はわからない。

 ただ、その雰囲気に反して、鼻腔をくすぐる香水の匂いは甘ったるくて、くどい。

「送っていきましょうか?」

「すぐ近くなので大丈夫」

「それなら、なおさら」

「本当に大丈夫だよ。君こそ、学生がこんな時間にうろつくものじゃない。早くお帰り」

 何が楽しいのか、フードの中で蠱惑的な笑みが広がる。思わず見惚れてしまったカーシュラードは、足音も立てずに立ち去る後ろ姿を呆然と見送った。暗い色のマントのせいで闇に溶けるようだ。我に返ったときには追いかけるには遠い。

「……追ってどうする」

 ひとりごちて、かぶりを振る。

 どうして学生とわかったのか、どうして足音がないのか。不思議な人物だった。まさか幽霊じゃないだろうな。いいや、忘れよう。手込めにされそうだった誰かを救えた。それでいいじゃないか。

 なんとも複雑な気持ちで帰宅したカーシュラードは、忘れようにも脳裏にちらつく微笑を反芻しながらベッドに潜り込んだ。



◇◇◇



 王立士官学校は、国立学校や他の私立学校と違って特別な制服がある。

 膝丈のシングルボタンのコートとベスト、ズボンもそろって焦茶色。卒業生のほとんどは赤狼(マルコ)師団と黒羆(バラム)師団へ入団するので、赤と黒の中間ともいえる茶色を纏うことが学生の証だった。シャツは白と決められているが、ネクタイやリボンは各自好きなものを巻くことが許されている。

 生徒の自主性を重んじているが、服装に関しての規律は厳しい。単体で礼服としても認められていて、授業中や学外で着崩すことは許されていない。カルマヴィア王家御用達のデザイナーが仕立てていることから、他校の生徒達が羨望を向ける制服だった。特に、肉体ができあがってくる高等部の生徒達は人気が高い。

 制服は各々の体型に合った縫製をされるが、全員が同じデザインだ。着崩すことも許されていないとすれば、個性を競える部分はネクタイしかない。毎日同じで頓着しない者もいれば、毎日違う柄で登校する者もいる。

 カーシュラードは首元を締め付けられる煩わしさでネクタイを緩めたまま、仏頂面で教室に入った。ネクタイは赤毛を引き立たせるボルドー。小さな紋章がひとつと、その後ろには朱殷(しゅあん)色のラインが一本引かれている。

 朱殷(しゅあん)色を許されるのは正統王家のみだが、二十一ある分家にも一部の使用を認めていた。カーシュラードはクセルクス第四王家の次男であり、正統王家との婚姻権を持つ王族だ。

「うわっ、珍しい! カーシュが学校来た」

「……来ちゃ悪いんですか」

「悪かねえよ。お前、前期ほとんどいなかったから、ついに退学するのかって心配してたんだぞ」

 数歩も歩かないうちに、初等部からの学友でほとんど幼なじみのような青年が声をかけてきた。ラージャ・タンジェリンだ。こっちに来いと招かれるまま階段をのぼる。クラスメイトたちの挨拶を適当にいなし、カーシュラードはラージャの隣に座った。

「期末試験には出たでしょう?」

「出てたけど。それっきり夏期休暇で領地に戻ったんだろ? 手紙ひとつ寄越さないなんて薄情なやつだな」

「……手紙、欲しかったんですか」

「……いや、いらねえわ。届く方がビビる」

「まあ、でも、王都に戻ったのは伝えるべきでしたね。遊び相手がいないとつまらない」

「つっても、俺も戻ったの一昨日だしな。ああ、ほら、ネクタイ。ちゃんとしろ。ペナルティ食らうぞ」

 鼻に皺をよせて指摘するラージャは王族ではない。彼は商家の息子で、カーシュラードと同じ次男坊。家督相続から逃れるため軍人になる道を選んだ。

 尖った耳と猫に似た瞳孔で、瞳も髪も茶色だ。典型的なカーマ人の特徴を兼ね備えている。わずかにそばかすがあるけれど、成人する頃には消えるだろう。

 対するカーシュラードは深紅の髪に黒曜の瞳を持っていた。こちらも典型的な王家の色だが、その耳だけが普通より幾分長く尖っている。指摘されて気づく程度だが、それがわずかなコンプレックスでもあった。

「で? 後期からは真面目に来んの?」

「授業に出ろって、家庭教師に言われたんですよ……」

 ネクタイを直しながら、カーシュラードはばつの悪そうな表情でつぶやいた。途端にラージャが吹き出して笑う。

「家庭教師! お前見てると王族って感じがしなかったけど、やっぱりちゃんと王子様なんだな。ってか、口調、戻ってんぞ。ダチに丁寧語はやめろよ」

 ラージャの拗ねたような視線に、カーシュラードは咳払いで応えた。

 どこか不遜な丁寧語の口調は、作っているわけではない。本来はそれが素なのだが、ラージャが言うところによると、王族に丁寧語で話されると馬鹿にされている気になるらしい。だから、彼らの前では口調を崩すことにしたいた。だが、それも使っていなければ廃れてしまう。

「そっちこそ、王子はやめてくれ。鳥肌が立つ」

 首都のカーマでこそ尊称で呼ばれないが、領地であるクセルクス州へ帰ればカーシュラードも王子ではある。けれど、これほど王子に相応しくない血統もないだろうと内心で舌を出した。

 カーシュラードはたしかに第四王家クセルクス家の次男だが、相続権は放棄していた。正統王家との婚姻権はあるが、それも建前のようなものだ。実際に求婚されることがあったら、断らねばならない。

 それは、カーシュラードが純粋なカーマ人ではないからだ。身体の半分にはダークエルフの血が流れていた。

 カーマという王国は、『紅蓮の魔神(インフェルニア)』を神祖とする国だ。脈々と血を受け継いだ先に、創世の終わりで眠りについた魔神が蘇るとされている。血を継ぐ。それが国是だ。王族がその家督を相続するには純血でなければならず、また、婚姻相手も純血でなければならない。自然と王族間で婚姻関係を結ぶことになるので、カルマヴィア家と二十一の分家は長い歴史のどこかで必ず交わっていた。

 カーシュラードが純血でない理由は複雑で、醜聞を避けられない。

 父であるクセルクスの現当主は、十五王家ワルシュール家の次女リリディアナ姫と婚姻し、男児をもうけた。それが兄のカレンツィードだ。

 だが、不幸なことにリリディアナ姫が不慮の事故で亡くなり、後妻としてクセルクス家に嫁いできたのはダークエルフだった。魔族を後妻に迎えることで、王族社会が相当荒れただろうと想像できる。

 だが、カーシュラードは口さがない噂や、ぶしつけな視線に悩むことはなかった。幼い頃から他人の目を気にすることはなかった。気にならないというより、興味がないのだ。己を良く見せようとも思わないし、あえて好かれたいとも思わない。それに、士官学校初等部へ入学する頃には噂も下火になり、王都で学生生活をおくるぶんには、何にも煩わされることはなかった。

 だが、実際、我が家は奇妙だろう。カーシュラードはそう思う。

 ダークエルフの主義主張は一貫している。自分が生んだ子供だろうが、扱いは同じだ。

 ミルクティー色の髪と黒曜石の瞳、先が長く特徴的な耳、薄く闇を溶かしたような小麦色の肌を持つダークエルフは、『紅蓮の魔神(インフェルニア)』へ絶対の忠誠を誓う魔族だ。世界的に見ても魔力が高いカーマ人より遙かに多い魔力量と、人間を凌駕する戦闘能力を持つ。ほとんど表舞台に姿を現さない長寿種の彼らが、どんな暮らしをしているのかは知られていない。ただ、カーマ人が助けを求めれば、魔神への忠誠を示すために力を貸す。

 実母のギラーメイアは、ダークエルフの血が混ざるカーシュラードを守るべきカーマ人とは見ていない。むしろ、カーマの民を守る側に立つよう求めた。腹違いの兄の方をより過保護に育てたのは、本能のなせるものだろう。

 けれど、愛情を与えられなかったとか、顧みられないわけじゃないのだ。ダークエルフの息子としての愛情は注がれた。そもそも、自分は赤子の頃から母親を求めなかったらしい。そう聞いている。

 母は、息子が立って歩き、言葉を理解できるようになれば、一人前の戦士のように扱った。幼さなどダークエルフには関係ないのだ。肉体面で扱かれることはなかったが、精神面の教育は厳しいものだった。

 カーシュラードが噂や陰口を無視できる図太さに育ったのは母の教育のたまものだ。一般的なカーマ人や王族の育てられ方をしていない自覚はあるが、十五年生きてきて不満はなかった。

 兄のカレンツィードとの仲も良好だ。兄が自分を蔑んでくることは一度だってないし、実の弟というには過分な情をむけてくれる。そしてカーシュラードも、兄を嫌っていない。むしろ、家督相続に縛られることになる兄に、同情と感謝を感じていた。

 王家間の婚姻義務も、家督相続義務もない。将来への縛りは何もない。束縛がない方が、自分の性にあっている。

「つうか、お前成績いいくせに、なんで家庭教師?」

「座学じゃない。魔術と剣術の方」

「……いや、そっちも優秀だろお前」

 カーシュラードがハーフエルフである事実は機密ではないが、王族の醜聞として触れ回ることもしていない。だから、ラージャはそれを知らなかった。ダークエルフの血が混じるということは、並のカーマ人より強くて当然だ。

 だが。

「あの人に言わせたら、僕はまだ未熟なんだそうだ。実際まったく歯が立たなかったしな……」

 カーシュラードは数日前の屈辱を思い出し、苦い悔しさを飲み下した。完膚なきまでに叩きのめされたのは初めてだった。



 普段は領地にいる父のカラケルサスが、何の前触れもなく王都のクセルクス邸にやってきた。立ち寄ると知っていれば酒場の宿屋あたりに雲隠れしたものの、不意打ちというのはずるい。おそらく執事は知っていただろう。だが、仕える相手は父であって僕じゃないのだから、来訪を教えてくれるはずもない。

「背が伸びた?」

「二週間でそんなにかわりませんよ……」

 夏期休暇はクセルクス領の本邸に戻っていたので、当然父や兄と同じ屋敷で過ごしている。通う気のない学校が始まるからと早めに王都へ戻っていたが、なんのことはない領地にいるのが暇だったのだ。監視の目が嫌だったこともある。

「そうかなあ。伸びたと思うけど。君が成人する頃には抜かされてしまいそうだなあ」

 朗らかに笑う父は、ブランチの時間まで眠っていた息子の素行を注意するでもなく、ただ顔を見ることができて喜んでいるようだった。

 カーシュラードの髪色は父とそっくりだ。顔はそこまで似ていないと思うが、誰もが父に似ているという。顔つきだけでいえば兄の方が似ているだろう。もっとも、母が人前に出ることはほとんどなく、母似かどうかの比較はできないから、父を引き合いに出すしかないのかもしれない。

「お前に会わせたい相手がいるんだ。だから、今日は外出を禁じるよ」

 士官学校の封蝋が押された封筒をひらひらと振りながら、クセルクス家当主カラケルサスは静かに告げた。父に命令されたことは、思い出せるかぎりでもなかったと思う。叱られたこともない。

 ここで反抗するほど子供ではない。反抗したいわけでもない。それに、士官学校の授業を出ずにいた負い目もある。試験はパスしているが、出席日数について父に連絡がいったのだろう。理由を聞かず説明もしないくせに、封筒を見せるだけで罪悪感に語りかける。我が父ながら厄介だ。

 身支度を整えたカーシュラードは父と一緒に早めのランチをたいらげ、一服も兼ねて庭に出た。夏の終わりは外で過ごすのが心地良い。雨と日を遮ることのできる立派な木が一本。幹を背にして野外用のカウチが置いてある。ここが日中の定位置だ。

 家名とコネを使って魔梟(ストラ)師団の図書館から借りた魔道書を片手に、それなりに名の知れた刀匠が打ったロングソードはすぐ手の届く場所に。大理石のテーブルと灰皿は、いつのまにか用意されていた。使用人達はとても気が利く。

 カーシュラードが士官学校に行かなくなったのは、単純に授業がつまらないからだ。高等課程になって専門的なことが学べると期待していたが、基礎の延長だったり、自習で知っていたことが多くて、授業を受ける必要性を見いだせなかった。

 魔術の習得は楽しい。剣術も練習すればするだけ上達する。同学年で相手になる生徒はおらず、基礎訓練でいえば講師も負かしてしまえる。

 昨年までは兄が魔梟師団にいたのでサボれば小言がぶつけられたが、領地運営に本腰を入れることにしたので、拠点が王都ではなくなった。監視の目がないと自由が広がる。

 戦闘訓練や魔術論の実践が後期からなら、そのあたりで顔を出せばいいだろう。誰に話したことはなかったが、そう決めていた。

 学校に行かなくなったかわりに覚えたものは夜遊びだ。

 カーマでは十六歳で飲酒が許される。王族としての教育である程度の味は知っていたけれど、友人達と酒場へ繰り出したことで酒の楽しみ方を知った。そこでは王族のマナーなど関係ない。夜を泳ぐ女達と知り合い、喫煙とセックスを覚えた。父の煙草を邪険にしていたのに、数ヶ月ですっかり味がわかるようになった。

 構内では学生の飲酒と喫煙は禁止されている。煙草がなければイライラするということはないが、気分転換や口直しを制限されるのは煩わしい。それが学生なのだと言われれば返す言葉もないので、だからこそ登校を止めた。

 日中は屋敷で自習と鍛錬を積み、夜も遅くなれば酒場街へ遊びにいく。どう遊ぶか、誰と遊ぶかは、その日の気分任せだ。誘拐されそうになったことは一度あるが、返り討ちにできてしまった。護身用のロングソードが飾りじゃないとわかれば、絡まれることも減った。

 カウチに寝そべったまま煙草に火をつけ、魔術書のページをめくる。文字を追ってはいるが頭に入ってこなかった。父が会わせたい相手が誰なのかまったく予想ができないので、何を求められるかわからない。わからないことは不安だ。

 瞳を伏せたまま長嘆したその時、白い指が視界をかすめた。驚いて固まっているうちに、咥えた紙煙草を奪い取られる。指は慣れた手つきで煙草を運び、美しい唇が長い紫煙を吐く。

「プルヤルピナ産だろ、これ。さすが王族だなぁ」

 敵意も殺意もないが、気配もなかった。近寄られたことに気づけなかった。家族や使用人ならまだしも、覚えのない相手に頭上を取られたことが悔しい。けれどいらだちは腹の奥に押し込め、カーシュラードは余裕を見せるようにゆっくりと上体を起こした。

「なんなんですか、突然」

 声にだして、何かが脳裏にひっかかった。覚えがないことも、ない。気がする。淡い栗色の髪と、その蠱惑的な微笑。身体を包む長いマント。

「あんた、どこかで……」

「このあいだの週末。君は私を助けようとしてくれただろ」

 ああ、そうだ。娼館の帰り、酔っ払った男に絡まれていた誰かを助けた。フードで顔を隠して、マントですっぽりと身体を覆った人物だ。

「初めてじゃないけれど、初めまして。私はヴァリアンテ」

 美しいアルトは女性的ではない。華奢ではあるが、彼は男性だ。握手のために差し出した手は優美だが、どことなく剣士の無骨さも感じた。

「カーシュラード君?」

 ヴァリアンテは煙草を指に挟んだまま小首を傾げた。カーマ人にしては薄い色の髪がひと房流れ落ちる。瞳の色は赤と黒の中間。どぎつい香水の匂いはないけれど、こんな場所で再会したことに落胆する。

 父が言うところの会わせたい相手とは、彼のことだろうか。娼館街をうろつく美形とくれば、どういう相手かなんて導くのは簡単だ。

「あんた、親父かカレンツの新しい『女』?」

 父と兄に限って、抱かれる側に回ることはない。一緒に暮らしている時間が短くとも、性質は嫌というほど理解している。女を覚えたのなら、次は男も試せとでもいうのだろうか。

 カーシュラードは差し出された手を勢いよく引っ張って、倒れ込んできたヴァリアンテを受け止めた。強引に唇を奪う。想像よりも堅い身体だ。硬直しているわけじゃない。見た目に反して筋肉質なのかもしれない。

 てっきり突き飛ばされるものと思っていた。悲鳴を上げて逃げてくれたら狙いどおり。これはあくまでも嫌がらせだ。それなのに、彼は挑発的に瞳を細めた。舌を差し込んで激しく貪っても、色気も素っ気もない。応えられたというより、挑み返された気がする。

 すっかり気が削がれたカーシュラードは、ヴァリアンテの肩を押してキスを解いた。唾液に濡れた唇のまま、彼は得意気に口角をつり上げる。妖艶でも婀娜はない。

「……これは、クセルクス公がさじを投げるわけだ」

「そんな態度で一晩いくらとるんですか?」

「親のすねを囓ってるうちは教えないよ」

 笑うヴァリアンテに鼻先を指で弾かれた。完全に子供扱いされている。腹の底から悔しいが、悟られるのは癪だ。カーシュラードは自制心を総動員させた。

「さて、私を何と誤解したのか聞かないでおいてあげるけど、改めて紹介しよう。私はヴァリアンテ・ゼフォン。今日から君に、魔術と剣術を教える家庭教師だ」

 短くなった煙草を灰皿に押しつけながら告げられた言葉は予想外のものだった。家庭教師だって? 今さらどうして。

「僕にはそんなもの必要ありません」

「どうして必要ないの?」

「僕の成績を見ていないのなら、早めに見た方がいい。あんたは必要ないことがわかるから」

「成績がいいことは知ってるよ。でも、それじゃあ勿体ないでしょう? 君はまだ知らないことがたくさんある。私はそれを教えられる。自分より弱い者の上で威張ってるようじゃ、君はただのクソ野郎だ」

 笑顔は柔らかく美しいのに言葉は辛辣だ。虚勢を張っているわけでも、挑発しているわけでもない。彼の朱殷(しゅあん)色の瞳は真剣だ。

「……誰が『弱い者の上で威張ってる』って?」

 暗く低い声で、カーシュラードは立ち上がった。ある程度の暴言なら許せるが、ヴァリアンテは虎の尾を踏んだ。

「事実だろ?」

「弱いかどうか、戦ってから決めてください。腰のそれは飾りじゃないんでしょう?」

 マントで身体を隠しているが、抱き寄せたときには気づいていた。ここまでの啖呵を切っておいて、まさか武器が護身用とは言わないだろう。魔術書はカウチに置いて、ロングソードを握る。鯉口を切ってみせると、ヴァリアンテの瞳が細められた。

 対峙して気づく。ほんのわずかだが、こちらの方が身長が高い。けれど、誤差のようなものだ。体格で有利はとれない。

「……剣士に剣を向けるという行為の意味、知ってるよね?」

「あんまり僕を侮辱すると、後で泣きを見ますよ。せっかくの綺麗な顔に傷を付けたくはないでしょう?」

「……だからまだ君は未熟なんだよ」

 安っぽい挑発に溜め息で応え、ヴァリアンテはマントを脱いだ。スッキリとした飾り気のないサーコートの腰には剣が二本。剣帯を外し、彼が手にしたのはそのうちの一本だけだった。レイピアのように細い。護拳の飾りが宝飾品みたいだ。これでは勝負にならないんじゃないだろうか。

「かかっておいで」

 あふれんばかりの微笑を浮かべたヴァリアンテは、空いた左手の指先で手招きした。

 なるほど。相手がその気なら、遠慮など無用だ。挑発に乗ったカーシュラードは、一打で勝負を決めようと一撃必殺の素早さで間合いを詰めた。大怪我を負わせる気はないが、あざくらいは受け入れてもらおう。

 だが、ヴァリアンテは眉ひとつ動かさず、攻撃をかわした。鞘の先で腿を打たれる。驚いたのはカーシュラードだ。これまで、誰かに初撃を取られたことはない。模擬試合では常に優勝し、講師ですら相手にならなかった。

 もちろん、上がいることは知っている。剣位持ちと戦ったことはないが、簡単に勝てないだろうという想像はできる。だが、剣位持ちはそもそも絶対数が少ない。カーシュラードの生活圏で剣を交える機会はないので、その強さを知らなかった。

 抜刀せずあしらうことができないと理解して、鞘を捨てる。相手がいくらすばしこくても、間合いを捉えてしまえば逃げられないはずだ。けれど、コートの裾すら引っかけられない。ヴァリアンテがいつ剣を抜いたのかさえわからなかった。素人相手には使わないと決めていた魔力を込める。それでも彼に届かない。何度打ち込んでも、簡単にあしらわれてしまう。

 黒く優美な刀身は細く、ロングソードを相手にすれば力負けしないはずがない。それなのに、穏やかな川のように受け流され、突き込もうとすれば軌道を逸らされた。

「俺を泣かせるんじゃなかったのか?」

 まるで悪魔みたいな笑みで挑発してくる。汗ひとつかかず、余裕を隠しもしない。ヴァリアンテの術中にはまったカーシュラードは焦れた。

 届きそうで届かない。彼に勝ちたい。冷静さを剥がしてみたい。彼になら、本気でぶつかっていける。

 打ち合いは熱を帯びた。真剣でも相手に気遣わずぶつかっていけるのは初めてだ。悔しいけれど、楽しくなってくる。抑え込んでいた本能の箍が外れ、命を奪おうと牙を剥く。

 その瞬間だ。

「殺気をむけるなんざ、十年早いッ」

 目で追えない早さで細い刀身がロングソードを捕らえ、頑丈な鋼を切り落とした。意外なほど重い衝撃に、無様にも尻餅をついてしまう。そのまま喉元に切っ先を突きつけられたが、カーシュラードは呆然とその剣を見つめていた。黒かと思えば光の加減で赤く輝いているようにも見える。

「……君は研磨される前の原石みたいだ。基礎も応用もなってない。力ばかりで何ひとつ生かせていないじゃないか」

 淡々と告げる声に、カーシュラードは顔を上げた。ヴァリアンテは美しく弧を描く眉を悲しそうに歪めていた。ゆっくりと剣を引いて納刀する。

「磨けば私を越えることだって難しくない。その力を死蔵させるのは、私が許さないよ」

 彼はいったい、何者なのだ。

 カーシュラードは、ようやくまともにヴァリアンテを見つめた。アンバーの髪は血の薄さを示しているのに、瞳の朱殷(しゅあん)はまるで王族のようだ。華奢だが、弱々しさのない剣士の身体に隙はない。

 そうだ。どうして気づけなかったのだろう。彼は無防備そうにみえるくせに、隙というものが一切ないのだ。

「カーシュ君?」

 差し出された手は、あれほどの剣術を繰り出したとは思えないほど白くて優美だ。僕はこの手に負けたのか。悔しいけれど、同じくらい嬉しかった。

 僕を負かすひとがいるのか。

 笑い出しそうな顔を見られたくなくて、カーシュラードは顔を伏せた。無様に負かされても、情けないところは見せたくない。

「大丈夫? ごめん、カーシュラード君。加減したつもりだったのに……。どこか痛い? どうしよう、治癒魔術をかけようか?」

 慌てて膝を突いたヴァリアンテが、顔をのぞき込んでくる。蠱惑的な笑みも挑発的な態度もない。本気で心配して慌てている。

 なんなんだ、このひとは。

 ついに我慢できなくなって、カーシュラードは吹き出して笑った。瞳を大きく見開いたヴァリアンテは、おろおろしたまま様子を窺っている。

 無理矢理唇を奪われても怒らず、美しさを生かすことも知っているくせに、剣をふるえば見た目に反して野蛮なところがある。かと思えば心配性の母親みたいに過保護な一面をみせてくる。

「カーシュでいいですよ」

 告げた途端、嬉しそうに笑うのだから、見ているこちらが恥ずかしくなる。殊勝な態度で握手を求めると、ヴァリアンテは両手で握り返してくれた。

 彼の手はとても温かかった。



「……お前が未熟なら、俺は何だ。へこむわ」

 ラージャのぼやきに、カーシュラードは回想から意識を戻した。

 自負していた魔力も剣技も何ひとつ勝てなかった。負けて悔しかった。相手の強さと、自分の弱さを自覚するのはつらい。けれど、今の自分には勝てないことは、案外簡単に認められた。

「あの人が特別強いんだ。ギュスタロッサの剣を持ってるから、剣位持ちなんだろ」

「はあ? なん、いや、ちょっと待て」

 ラージャは叫び声とともに立ち上がって、目立っていることに気づいて椅子に座り直す。盗み聞きを警戒しているのか、声をひそめて顔を寄せてきた。

「……名前。名前教えてくれ」

 ラージャの目は真剣そのものだった。彼は剣豪マニアだ。歴代の剣聖を全員覚えているし、経歴まで暗記しているんじゃないだろうか。暇さえあれば図書館で剣位持ちの情報を漁っているので、歴史の成績だけは学年一位だ。

 友人になったのも、思えばラージャの趣味のおかげかもしれない。初等部のごっこ遊びみたいな剣術の練習を見て、絶対に友達になろうと思ったらしい。お前は絶対すごい剣豪になる。ことあるごとにそんな恥ずかしいことを叫ぶのだ。彼は将来、剣豪が親友なんだと自分の子供達に自慢するのが夢だと語る。

 ラージャのような友人は貴重だ。彼はカーシュラードの家柄ではなく、ただ剣技に惚れ込んで友情を築いた。身分の垣根などおかまいなしだ。もちろん、王族がなんたるかを知らないわけがない。特権を分けろと駄々をこねてみせることもあるが、その打算はあまりに軽い。ジョークのネタにしても、カーシュラードを無視して利用することは絶対にない。馬鹿馬鹿しい悪い遊びすら共有する。この関係が、心地いい。

 焦茶色の瞳をきらきら輝かせながら、ラージャはカーシュラードの言葉を待っていた。

「ヴァリアンテ・ゼフォン」

 友につられて音量は落として囁いた。なぜだろう。名前の響きすら興味深いと感じる。

「……ヴァリアンテ?」

「ああ」

「マジで? 本当に、ヴァリアンテっつったか。俺の聞き間違いじゃないよな?」

 カーシュラードがうなずくと、ラージャは勢いよく机に突っ伏した。忙しい奴だ。彼がこんなに騒ぐのも珍しい。

「嘘だろマジかよ。あの最年少金剛位の! 次の剣聖じゃないかと噂されてる! 見た目どっかの王子様みたいなヴァリアンテ・ゼフォン! 下町のバーサーカー!」

 なんだその二つ名は。それに、王子という単語に笑ってしまう。確かに優雅な見た目ではある。見た目と戦い方のギャップに、バーサーカーと表現するのも言い得て妙だ。初対面で男娼と誤解したことは生涯黙っておこうと心に決めた。

 それにしても。

「……金剛か。どうりで勝てないわけだ」

「勝てるかよ! いや、将来的にはわからんけど、少なくとも今のお前じゃ勝てねえだろ! あのひと滅茶苦茶強いんだぞ? あの細さで剣聖様と対等に戦えるんだからな?」

「ラージャ、あのひとのこと詳しいのか?」

「詳しいってか、むしろなんでお前が知らないんだよ」

「……イラーブルブ様の養子だってことは本人に聞いた」

 がっくり肩を落とす親友に半眼で睨まれる。何故と問われても興味がなかったのだ。軍人ならまだ士官学校で情報を得ることができるが、剣聖は元帥職を兼任していても、軍事指揮官というより国の守護者という側面の方が強い。おのずと王族との繋がりが深くなるので、あえて情報を無視していた。

 王族と関わればスキャンダルと噂話は避けられない。出自であれこれ煩わしさを感じていたので、耳に入れたくもなかった。もちろん、ラージャはそんなことは知らない。

「学生時代に金剛位を授与されて、軍に入らないで指南役の道に進んだんだ。イラーブルブ様がついに弟子を取ったって一時期盛り上がってたんだぞ。孤児院からの出世の星だって、下町じゃあ英雄扱いだ。そのままトントン拍子で剣聖様の養子に迎えられて、ゼフォン性を名乗るようになった。前期の途中から剣術の指南役として特別講師で来てんだぞ。訓練は厳しいけどわかりやすいし、説明は優しい」

「なんだ。講師なのか。そういうことか」

「正直俺はお前が憎いわ。王族ってずるいだろ。ヴァリアンテ先生と個人授業とか、マジでお前なんなのムカつく! ムカつくけどお前の実力なら納得できるから、それはそれでムカつく! 個人授業のときに偶然を装って俺を見学させろ!」

「ラージャ、痛い」

 こめかみをねらって拳をぶつけてくるが、じゃれているだけだとわかるので好きにさせてやった。悔しくて羨ましいくて王族の特権が憎らしいのも事実だろう。だが、恨み節をぶつけても、カーシュラードに悪意をぶつけているわけではない。こびへつらったり、腹に抱え込まれるより、素直にぶつけてくれる方がよほど好感が持てる。だから彼と親友でいられるのだ。

 それにしても、ヴァリアンテが士官学校で講師をしているとは聞いていなかった。このあいだは自己紹介もそこそこに、個人授業の打ち合わせと知識のすり合わせを行うだけで解散したのだ。どうしたらもう一度彼と戦えるかとそればかり気になって、出自を尋ねようとも思わなかった。

『基礎が身についていないと、応用したときにボロが出やすい。せめて学校くらいは真面目に通いなさい。不足があれば私が力になるから』

 彼にそう告げられただけで素直に登校してしまった。どことなく父の思惑に乗せられた気もするが、今さら逃げ出すのも子供っぽいので、しばらくは大人しく従おうと思っている。

『夜は大抵家にいるから、いつでもおいで』

 そう告げたヴァリアンテの微笑みを思い出す。噂や伝聞じゃなくて、出自や経歴は本人から聞き出せばいい。

 カーシュラードはさっそく帰りに会いに行こうと決め、つまらない授業と向き合った。



◇◇◇



 城下町の一角、商店の多い大通りの雑貨屋の二階がヴァリアンテの自宅だ。王立士官学校の制服を着たまま商店街を歩くのはいささか目立つが、自宅に帰る時間が惜しい。クセルクス家の屋敷とヴァリアンテの家は学校を挟んで正反対だ。夜というには早いが、不在なら待っていればいいだろう。

 ドアノッカーを四度鳴らすと、中から声が返ってきた。

「どちらさま……、って、ああ、君か」

 カーシュラードの顔を見た途端、ヴァリアンテが笑みを浮かべる。そのまま扉を開いて中に迎え入れてくれた。

「仕事はいいんですか」

「今日は休日みたいなもんなんだ。それにしても懐かしいなぁ、その制服。ちゃんと学校通ってるんだ、えらいね」

 ヴァリアンテの部屋は、キッチンにリビングと、バスルームのついたベッドルームという二間だ。こぢんまりとしていて生活感がある。大きなテーブルの上に紙束とインクと万年筆。特徴的な二本の剣も無造作に乗っている。

「狭くて驚いた?」

「いいえ。居心地がよさそうでいい部屋だと思います」

 確かに狭いがそこで驚くほど世間知らずではない。カーシュラードの反応に笑ったヴァリアンテは、ダイニングに座るよう勧めてくれた。書きかけの書類は訓練の予定表のような何かだ。盗み見るのも気が引けて、コンロで湯を沸かして食器棚からポットとマグカップを取り出す後ろ姿を眺めた。

「あんたも王立に通ってたんですか」

「元は国立通ってたんだけどね、先生が――イラーブルブ様が編入を勧めてくれてさ。危うく学費で借金抱えるとこだったよ」

「借金?」

「そう。編入奨学金試験終わってたんだよね。まあ、入学金諸共肩代わりしてくれたひとがいたから、なんとかなったけど……」

「金剛位なのに?」

「その時は金剛位じゃなかったよ」

「いくつだったんですか?」

「十二……、いや、正式に編入したのは十三歳かな」

 剣聖の勧めであれば、どうとでも例外を作れただろうに。さすがにその歳で未来ある若者に借金を背負わせるほど学校側も守銭奴ではないと思うが、私立校は金銭面ではシビアなところがあるのも事実だ。

 カーシュラードは金に困る生活を送ったことがないので、ヴァリアンテの子供時代を想像しても実感はできなかった。

「金剛位を授与されたのは? 今は、いくつなんです?」

「授与されたのは十七歳で、卒業の一年くらい前だったかな。今は二十四歳」

 なるほど。八歳か九歳くらい年上か。独り立ちするには充分な大人だ。埋められない年月を意識しつつ、十七で剣位を与えられたという事実にショックを受ける。

 ほとんど無意識に懐へ手をやって、シガレットケースか一本取りだして咥えた。指先で魔力をこすって火をつける。

「……君なあ、吸いたいなら私に許可を取りなさいよ。そういうとこ、お坊ちゃんだよね」

「すみません。吸っていいですか。生徒は校内の喫煙が禁止されていて……」

「君みたいなの出てきたら困るから、学校側が酒も煙草も禁止にする判断は正しいと思うよ。成長途中で嗜好品にはまるもんじゃない」

 悪態を返しながら、ヴァリアンテは古びた空き缶をテーブルに置いた。灰皿として使えということだろう。頭ごなしに否定するのでも怒るでもなく、仕方がないというスタンスを取りながらも甘やかしてくれる。まだ数度しか会ったことがないのに、不思議なひとだ。

「学費の……、肩代わりしてくれたのって、誰ですか」

 話しぶりからイラーブルブでないことはわかる。では、誰なのだろう。ヴァリアンテが孤児院で育っていることはラージャから聞いて知っていた。

 そのヴァリアンテは、マグカップにお茶を注ぎながら、我慢しきれないとでもいうように、かすかに肩を震わせて笑っている。蠱惑的な笑みではなく、親が子に向けるような笑みだ。そこまで歳は離れていないが、彼にとって僕は子供なのだろう。悔しい。

「何、どうしたの。私に興味が出た?」

「……別に。友達があんたのことに異様に詳しくて、どこまでが本当か知りたかっただけです。特別講師が個人授業するなんてズルいって罵られましたよ」

「友達、いるんだ。同級生?」

「そうですけど。……なんなんですか。父親みたいな反応しないでくださいよ」

 視線の優しさがむず痒い。友達がいたからといって、なんだというのだ。

「ごめん。そういうつもりじゃないんだけど、なんだか感慨深くてさ」

 ヴァリアンテは瞳を丸くした。謝っているが笑みは消えていない。カップを握って、瞳を細める。

「王族が調べたらすぐバレそうだから言うけど、出資してくれたのは君のお父さんだよ。クセルクス家は慈善事業もしてるでしょう? 奨学金と違って職業選択に制限はなかったし、正直すごく助かった」

 ヴァリアンテの言葉に、なんだか胃が重くなるような不快感を覚えた。なんだろう。嘘をつかれているわけじゃない。確かにクセルクス家は若い才能に金を出しているが、王族の義務として別段珍しくはない。

 父は道楽者ではあっても無謀ではない。ヴァリアンテの将来性を見込んでいたなら、家庭教師の件が仕組まれていたとしても不思議じゃないだろう。

「……それで、返済のかわりに僕の面倒をみろと?」

「そう……いうわけじゃ、ないけどね。君が授業に出てきてくれないから、私も焦ったんだ。中等部の卒業試験を見てたからさ。才能があるのに潰れてほしくなくて。クセルクス公が声をかけてくれて、渡りに船だった」

 金のせいではないと言いたいのだろうが、それがなければ接点を持てなかったことも事実だろう。ヴァリアンテが即答で否定しなかったことが答えのように思えた。

 胃の重たさが胸全体に広がる。裏切られたように感じるのは何故だろう。自分でもわからない。

「他に聞きたいことはある?」

「……指南役って、何するんですか」

 父との関係を掘り下げて聞いてみたかったが、聞けば後悔しそうだったので、カーシュラードは話の方向を変えた。

「剣位持ちが鍛錬を怠っていないか手合わせをしたり、軍の訓練を監督したり、特別な才能がありそうな子を見つけたら鍛えてやることかな。王立士官学校の特別授業も、軍務の一貫なんだよね。私は軍属ではないけど」

「師団に所属してないんですか?」

「してないね。剣聖直属の部下みたいな感じになるのかな。それに、まだ正式に指南役を拝命したわけでもないんだ。今は補佐ってとこかな」

「金剛なのに?」

 その疑問をぶつけるのは今日二度目だ。金剛位の剣士といえば剣聖のイメージが強い。剣聖は軍の総帥で、王に助言を与えることすら許された者だ。その剣聖と同じ金剛位を持っているのだから、もっと優遇されているのかと思っていた。

「金剛だからこそ、だよ。ひとつの時代に複数の金剛位が選出されることは珍しいんだってさ。金剛位って、授与されたらそのまま剣聖になるのが普通で、でも、イラーブルブ様を押しのけるわけにもいかないだろ? 私も剣聖になりたいわけじゃないし」

「そうなんですか」

「うん。私には向いてない。剣聖ってパワー型だから、器用貧乏みたいな私だと箔が落ちる。なんなら君の方が向いてると思う」

「僕が? 剣位も持ってないのに? さすがに買いかぶりだと思いますよ」

 一般人に比べて強いという自覚はあるが、それがダークエルフの血が由縁であるとも気づいている。そう簡単に象徴的な地位に憧れられない。

「そう言わずに、目標にでもしてみたら? 修行ならいくらでもつきあうよ。ここでできるのは魔術概論くらいだけど。部屋を壊さない程度の補助魔術なら教えられる」

「……あんた、休みなんでしょう。時間外労働は割に合いませんよ」

 勉強や修行が嫌なわけじゃないが、可愛げのない言葉が口をついてしまう。胸のモヤモヤが晴れないせいかもしれない。

「別に気にしなくていいんだよ。私は好きでやってるんだから」

 そこまでして、才能を磨かせたいのか。面白くない。なんだか無性に腹が立つ。

「……やっぱり、帰ります」

「は?」

「お茶をごちそうさまでした。また次の授業で」

「え、ちょっと、カーシュ?」

 混乱を隠せない声に呼び止められるが、カーシュラードは立ち止まることなく部屋を飛び出した。

 こういう時は何も考えたくない。いらだちを抱えたまま帰宅して、捨てるように制服を着替えた。武器庫から見繕ったロングソードを腰に下げ、夕食はいらないと告げて執事を呆れさせた。

 通い慣れた娼館が見えてくる頃には、少しだけ気持ちが晴れていた。



◇◇◇



「自分の身体と力にあったアレンジは悪いことじゃないけど、基本をたたき込まずに我流で成長できるとは思わないでね。変な癖をつけたまま戦場に出て使い物にならなかったら死ぬことになる。基本って、大事なんだよ。型は先人が編み出した効率化の集約なんだから。無駄な動きはひとつもない」

 ヴァリアンテの特別講義は基本的に実践がメインだ。周に一度、午前と午後の講義時間を丸ごとあてて指導する。後期から真面目に学校へ通いはじめて最初の特別講義は武器選びだった。カーシュラードは少し拍子抜けした。

「前期で基本はたたき込まれているはずだから、これからは個別の武器を試してもらうよ」

 長さと重さの違いはあるが、士官学校では基本的に両刃のショートソードか片刃のブロードソードの扱いを覚える。カーマ軍の歩兵に採用されている支給品がそれなので、有事の際に使い回しができるからだ。

 だが、おのおの得意な武器というものがあるのも事実だ。士官になれば専用の武器を仕立てることが許されるし、士官にならずとも、得意な種目を極めて特殊な部署へ配属されることもある。ヴァリアンテの役割は、可能性の芽を育てることらしい。

 カーシュラードはクラスメイトたちの背後から、指南役のサーコートを纏うヴァリアンテを見つめていた。葡萄色は肌の白さを引き立たせている。家庭教師としてクセルクス邸へ訪れるときと服装が違うけれど、穏やかな語り口は変わらない。

「武器の大きさや重さが強さを決めるのではないことも覚えたほうがいい。大事なのは、自分の能力を一番生かせる武器が何かを知ることだ。君たちは格好よくみせるために剣を振るうのではなく、効率よく、そして迅速に敵を殺すために剣を振るう。ダガーを使う者がバスタードソードを使う者に勝てないということは決してない」

 訓練場にはあらゆる種類の刀剣や槍や斧、殴打武器が並べられていた。刃は潰してあるので切れることはないが、重さは本物と変わらない。

「今はまだ厳しいことは言わないよ。どれが自分の性に合うのか、じっくり確かめればいい。けれど、武器を決めてしまったら、そこからが大変だ。目をつぶっていたって扱えるよう鍛錬に励んでくれ。卒業試験は得意な武器で戦ってもらうことになるからね」

 優しい笑みを浮かべてはいるが、試験という単語に生徒たちがうめき声をあげる。だが、ヴァリアンテが個別に向き不向きを指摘しはじめると、途端に騒がしくなった。

「お前はロングソード一択か?」

 隣に佇むラージャが尋ねてくる。剣豪マニアの親友は、そのくせ引っ込み思案なところがある。ヴァリアンテを近くで見たいのに、恥ずかしくて最前列で授業を受けることはできないらしい。

「一択というか、規定武器だとしっくりこなくて戦いにくいから、強いて言えばこれになってるだけかな」

「そのくせお前、ショートソードの型とかちゃんとできるだろ」

「……先週、ずっと特訓をさせられたんだ」

「家庭教師? え、毎日?」

「そう。日が暮れてからあの人が満足するまで延々と癖を矯正された。終わらないと夕食が食えないし、疲れ切ってて遊びに行くのも無理だった」

「ああ、どうりで学期開始パーティーに誘ってもこなかったわけか」

 後期授業が始まって、ヴァリアンテの特別講義までは二週間ほどの時間があった。前期と違って本格的な訓練が始まるので、事前に生徒を選別する必要がある。休みの期間中に武官コースから文官コースへ移ることに決めた者がいれば定員に空きがでる。希望者を募って実技能力が規定まで達しているか見極めたりと、調整するための時間が設定されている。と、ヴァリアンテに聞いた。

 その期間のうちに、カーシュラードは個人授業を受けた。当初は週に二日の予定だったが、型を確認されてからヴァリアンテが方針を変えた。ロングソードを禁止されて、夢に出るほど基本の繰り返しだ。

 おかげでロングソードに持ち替えたってショートソードの型をなぞれるし、目をつむっていても正確な位置で切っ先を止められる。想像以上に厳しかったが、充実していたのも事実だ。

 クラスメイトもこれから別種の地獄が始まるのかと思えば、いっそかわいそうになってくる。柔らかくて穏やかでときに蠱惑的な笑顔を浮かべていても、あれは容赦というものを知らない。この数週間で、カーシュラードはヴァリアンテに対する認識を改めていた。

「んー、でもまあ、ショートソードがしっくりこない、ってのはちょっとわかるんだよな。お前みたいに長いのはもっと違うんだけど……」

「君は刀身が短い方が向いてるんじゃないかと思う。小回りが効くし、格闘の方が得意じゃない? あとはそうだな、槍の才能もありそうな気がするんだけど」

「ぎゃっ!」

 足音もなく現れたヴァリアンテに声をかけられ、ラージャが文字通り飛び上がった。授業中に気配を消すのはどうかと思う。

「だ、大丈夫? タンジェリン君」

「うわっ! 俺の名前覚えてくれたんスか? ラージャです! ラージャでいいっス!」

 そばかすの残る頬を朱に染めてラージャがはしゃぐ。別にそこまで緊張する相手でもないだろうに。

「生徒ひとりひとりの特性を覚えてるんですか?」

 カーシュラードは親友を放置してヴァリアンテに話しかけた。おろおろしていた彼は顔をあげ、ようやくカーシュラードへ視線を向ける。目尻が柔らかく緩んだ。無視されていたわけじゃないらしい。

「最初に全員で型をやっただろう? あれを見ればわかるよ。見本でおいてある武器は全部使ったことがあるから、当てずっぽうで割り当ててるわけじゃない」

「……器用貧乏?」

「カーシュ! お前、先生になんてこと言うんだ!」

 はしゃいでいても会話を聞いていたらしいラージャに、手加減なく背を叩かれた。予期していなかったので痛い。手形がついていそうだ。たまらずに睨みつけると、小鼻を膨らませた親友ににらみ返された。分が悪い。

「私は君たちの上官じゃないから何を言ってもかまわないよ。カーシュラードが反発してくる理由も、わからないでもないし」

 その苦笑はあきらかに先週の扱きについても含んでいるが、それを知る者以外には意味を成さない。

「まあ、私の体格でトゥーハンドソードを使えるって言っても信憑性がないからね。愛用してるのはコリシュマルドだし。そもそも二刀流に両手剣は向いてない」

 剣帯に吊した二本の剣が特別な武器であることを、この場にいる誰もが知っている。見栄で身につけられるものではない。

「滅多に使わないのに、それ下げて訓練なんて邪魔じゃないんですか? ……失礼。侮辱する気はないですよ」

 コリシュマルドは短剣の類とは違う。柄頭から切っ先まで一メートルほどの長さだ。個別授業でもずっと身につけていたので、いつか聞いてみようと思っていた。

「手足の一部みたい、というのもあるけど、実は剣位持ちはギュスタロッサの携帯義務があるんだ」

「そうなんスか?」

 ラージャが気色ばんで瞳を輝かせる。

「それに、普通の武器とまともにやれば相手の剣を砕いてしまうから、授業で使えないんだよね。ここの武器は軍備の一部だから、軍人じゃない私が壊せば弁償しろっていわれるし。経理のひと、怖いんだよ……」

 どこか遠くを見つめるヴァリアンテには、何か思うところがあるのだろう。妙なところで庶民的になるので、盗み聞きをしていた誰かが吹き出して笑った。

 もしかして、僕の剣を折って父に弁償でもしたのだろうか。そうだったら、なんだかかわいそうになる。

「さて、カーシュラード。君はロングソードをやめてみない?」

「は?」

「抜刀の構えがしっくりこないだろ。今はまだその体格だから収まってるけど、将来的に頭打ちになると思う。君の力を受けきれなくて剣を折ることになるよ」

 世間話をするような穏やかさで語っているが、ヴァリアンテの朱殷(しゅあん)色の瞳は真剣そのものだった。

「打刀か太刀みたいに反りのあるものがいい。ここの見本にはないけど、君なら用意できるだろう?」

「……まさか僕の剣を折ったのはわざとですか」

 ふいに気がついて問いかけると、ヴァリアンテはほんのわずかに瞳を細めた。訓練中にみせるような蠱惑的な笑みを浮かべる。

「君が私に殺気を向けたからだよ」

 小首を傾げる可愛らしい仕草が、初めて憎らしいと思った。



◇◇◇



「……なぁ、カーシュ。お前、実はヴァリアンテ先生と仲悪い?」

「別に」

 昼食の時間になってやっと切り出された内容を、カーシュラードはあっさり切って捨てた。

 後期授業が始まってそろそろ三か月。昨日の特別授業を終えてから、ラージャが渋い顔をしていたことには気づいていた。今朝もそのままで、やっと言う気になったかと思えばあまり嬉しくない話題だ。

「太刀の模擬刀を探してきてくれたんだろ? 使えばいいのに。あんな冷たく突っぱねなくてもよくないか」

「最近、個人授業でもうるさいんだよ。聞かないからって学校で持ち出してくるのは卑怯だ。顔に似合わずやることが腹黒い」

「……お前が助言を無視するからじゃね? 模擬刀、使ってみりゃいいじゃん。使ってみて駄目だったって言えば、先生だって納得するんじゃねえの」

 ラージャの正論に返す言葉がみつからない。わかっているのだ。それが一番揉めずにすむ。だが、ラージャの打診はひとつだけ間違っている。

 多分、ヴァリアンテの指摘は正しい。

 きっと模擬刀を使えば、手放せなくなる。基礎をたたき込まれ、週に二回の個人授業のおかげで、カーシュラードの剣術は格段と向上した。ヴァリアンテと打ち合いをするたびにロングソードでは足りないと感じる。一度馴染むものを使ってしまえば、きっと、これではないと嘘はつけない。

 強くなれると知って背を向けることは難しい。ならば助言を聞けばいいのに、素直になると負けたように感じて悔しかった。自分でもどうしてここまで癇に障るのかわからない。

「意地張るなよ。言われてるうちが花だぞ。言われなくなったときには、評価を下げられて左遷かクビだ。挽回はほとんど無理に近い」

「なんの話だ」

「商人は怖ぇんだよ……」

 ぶるりと震えて腕をこするラージャは、いったい何のトラウマを抱えているのだろう。彼の実家は国内にいくつもの拠点を構えた大商家だ。王族よりもシビアな社会を知っている。

「まあ、冗談は置いておいて、本気で考えた方がいいぞ。昨日の先生の眼はマジだった。あれは先生じゃなくて金剛位の剣士の眼だ」

「……剣士の眼、ね」

 覚えがないわけではないが、あの眼になるときは感情を切り離しているようで鳥肌が立つ。少なくとも、戦うに相応しい相手としては見ていない。値踏みしているのが透けて見えて不愉快になる。

 僕はそれほど弱いのか。あんたは僕に何を期待しているんだ。勝手に期待を押しつけて、勝手に落胆しないでくれ。

 一瞬でいらだちが胸を満たし、カーシュラードは切り分けた肉に力一杯フォークを突き立てた。正面に座るラージャが驚いて茶色の瞳を丸くする。それから、いたずらを思いついた悪ガキみたいに口角を上げた。

「性格があわないとか?」

「別に、どうでもいいだろ。笑うな」

「いやあ、なんか新鮮でさ。お前、あんまり露骨に誰かと反発することないだろ」

 そうだろうか。誰とも対立しないよう気をつけているわけじゃなく、周囲に関心を向けないことを処世術のように生きてきた。ヴァリアンテにだって、彼の要求を飲まないだけで邪険にしているわけじゃない。

「お前さ、……先生に惚れてんじゃないの?」

「それはない」

「即答かよ」

 つまらなさそうに眉間に皺を寄せて非難してくる親友を無視し、最後の肉を口に放り込む。酒か煙草か女か、なんでもいいから気分転換がしたい。明日は個人授業がある。それを考えると憂鬱だった。

 反発しているのは、子供扱いされることと、頭ごなしに決められることに対してだ。きっと。多分。八歳年上で金剛位だからと、上から目線でこられるのが癪に障るのだ。

 やめよう。あの人のことを考えても碌なことがない。惚れるなんて、今の感情と一番遠いものだ。

「……あり得ない」

 カーシュラードは囁くように、ぼそりと呟いた。



 クセルクス邸の庭で、金属の爆ぜる音が響いていた。卓上でできる魔術理論と違い、剣術は実際に動かなければ覚えられない。イメージトレーニングも重要だが、反復と確認が上達の第一歩だ。ヴァリアンテの訓練方針に異論はない。

 勝敗を決めるというよりは、ラリーのように打ち合っていた。攻撃をしかければカウンターで返され、さらに打ち返し、また別の型を応用して攻める。三か月も続けていれば長く続けられるようになってきたが、慣れは緊張感を削った。

 カーシュラードは蓄積されるいらだちに、剣の扱い方が雑になってきた。ヴァリアンテが的確に返してくるせいで、動きの予測ができるのだ。予想外の打ち込みをされても反射的に対処できるので、怪我を負うこともない。

 反射というのは不思議だった。どう打ち返せばいいか考えるより先に身体が動いている。息を吸うのと同じくらい無意識の反応で、決まると興奮するのがわかる。そのまま急所を狙ってしまいそうで、自分を抑えるほうが大変だった。

 ヴァリアンテはギュスタロッサの剱こそ使わないが、練習用のスモールソードを二本使っていた。片手であしらう時期は終わり、得意の二刀流を解禁している。不規則で素早い斬撃に戸惑うこともあるが、体術を組み合わせれば対処はできた。

 もちろん簡単なことではない。気を抜けば怪我をすることは理解している。ヴァリアンテは手加減をしない。だが、この戦い方をよしとはしていない。ふいに、彼は小さな溜め息をこぼした。

 気を取られた瞬間、ロングソードが火花を散らして折れた。僕は何も仕掛けていない。彼が何かしたのだ。きちんと受けられたと思ったのに、金剛位はギュスタロッサがなくとも常人離れしている。

「……君は、頑固だよね」

 追い打ちをかけることもなく、ヴァリアンテはだらりと両腕をおろした。挑発することも、笑みを浮かべることもない。強い視線がわずらわしい。

「あんただって、大人気ないんじゃないですか」

 用をなさなくなった柄を投げ捨てて、カーシュラードは降参を示すように両手を挙げた。馬鹿にしたいわけではないが、何度も折られて腹が立つの事実だ。

 いつもなら呆れながらも肩をすくめて終わらせるヴァリアンテが、その朱殷(しゅあん)の瞳に激情をのぼらせる。そんな顔もするのか。珍しいものを見た衝撃で、カーシュラードの反応が遅れた。

 暴力的に胸ぐらをつかまれ、距離が縮む。こちらの方が、目線が高いが、眼力は彼の方が上だった。

「私は、最初に君を試した時以外で、君を侮ったことは一度もないよ。剣技で子供扱いしたこともない。対等に戦える剣士に相応しいと、真摯に向き合ってきた。君は私に侮辱で返すのか」

 言葉が出なかった。侮辱したつもりはないと訴えればいい。だが、散々反抗的な態度をとっておいて、今さら何を言い訳しても意味がないこともわかっていた。

 それに、ヴァリアンテの瞳から目が離せない。炎が揺らめくように、激しい怒りが燃えている。純粋な怒りを向けられているのが、何故か不思議と嬉しかった。

「どうやら私は、君を買いかぶり過ぎていたみたいだね。残念だ」

 吐き捨てるように囁いて、ヴァリアンテはカーシュラードを突き放した。無言で練習用の剣を片付けはじめる。背を向ける直前に浮かべた表情が、まるで泣いているように見えた。

「どこ、行くんですか?」

「帰るんだよ。これじゃあ意味がない」

「……個人授業は?」

 止めるのか、とは聞けなかった。止めると言われたら傷付く気がする。だが、原因を作っているのは自分だ。いや、そもそも望んで家庭教師を頼んだわけではない。ヴァリアンテが勝手に押しかけてきた。違う。彼を責めたいわけではない。

 カーシュラードは動揺を理性で押しとどめ、背中で揺れるアンバーの髪を見つめた。

「君次第だね」

 振り返ることも、足を止めることもなく、ヴァリアンテは静かに告げて去っていった。



◇◇◇



 休日明けにカーシュラードの顔を見た途端、一発で機嫌の悪さを見抜いたラージャは、その日最後の授業が終わった足で酒場街へ繰り出した。

 王立士官学校のジャケットを着ていると目立つので、ロッカーの中に置きっぱなしのジャケットと取り替える。校内で私服の着用は禁止されているが、ベスト姿だけなら注意されることもない。校外に出た途端、カーシュラードはネクタイを抜いて丸め、ポケットに突っ込んだ。

 そろそろ秋も終わりだ。十二月になると後期試験がはじまる。ヴァリアンテの特別授業は、前回が最後だった。それを忘れていた。だからこそ太刀を使えとしつこかったのか。

 今の状態で顔を合わせると気まずいから、授業がなくて安心する。だが、清清したわけじゃない。むしろ、鉛を飲み込んだみたいに胸がもやもやする。

 ヴァリアンテが去ってから、カーシュラードはずっと彼のことを考えていた。

 勝手に押しかけてきて、勝手に期待して、思い通りにならないからと去って行く。理不尽だ。あれが大人というものか。僕が鍛えてくれと頼んだわけじゃない。あの人はただ、融資の恩を返すために、王族の我が儘をきいているだけじゃないか。

「で? 何があった」

 行きつけの酒場、いつもの席に陣取って、エールのマグが届いても口はつけずにラージャが切り出す。

「何も――」

「なくはないだろ。何年親友やってると思ってんだ。お前の隠し事なんざ、悪いが俺には全部お見通しなんだよ」

 そうだ。ラージャになら、格好をつけたり見栄をはらなくてもいい。無関心でいる必要もない。素を見せたところで、王族のしがらみに悩むこともない。

 カーシュラードは肩の力を抜いた。エールを一気に飲み干す。一息ついておかわりを頼み、煙草に火をつけた。

「……ヴァリアンテに愛想を尽かされた」

 紫煙と一緒に苦い心情を吐露すると、親友は盛大に吹き出した。ぬるいエールがテーブルに染みを作る。親友を見込んで話したのに笑われるのは心外だ。真顔で睨みつけるとラージャが謝ったので、それから、先日の個人授業の出来事を詳しく話して聞かせた。

「お前、なんでそんな絡まってんの」

「絡まってる、のか」

「絡まってるってか、こじれてるってか、さすがにそこまで行くのは珍しいよな」

 夕食代わりの腸詰めとフライドポテトをつまみながら、ラージャが椅子をきしませる。

「お前さ、あんまり執着とかしないだろ。いつもどこか達観してる。他人に深入りしないし、王族とつるまないし、派閥争いは完全無視だ。学年で一番綺麗な子が粉かけてきても当たり障りなくあしらうし、お気に入りの娼婦がいるわけでもない」

「……よく見てますね」

 占い師みたいなプロファイリングに、親友ながら少し引いた。思わず口調が戻ってしまう。気持ち悪いという態度が滲み出ていたのか、ラージャが鼻を鳴らして楊枝を投げつける。

「剣豪マニア舐めんなよ。お前は俺の観察対象だ。年取って引退したらお前の伝記書く気まんまんなんだからな」

「やめてくれ。……それに、剣位もないのに剣豪認定されても情けなくなる」

「そこは別に心配してねえんだわ。ギュスタロッサって、よくわかんねぇの。剣位持ちがどういう基準で選ばれてるとか、どの時点で選ばれるのかとか、どこの記録に載ってないんだよな。でも、先生とまともにやり合えるお前に剣位を与えないほど、ギュスタロッサはアホじゃないだろ。多分」

 暢気に語りながら、ラージャは腸詰めに齧り付いた。咀嚼して飲み込むのを待つ。

「先生、お前にとって特別なんだろ。やっぱ、惚れてんじゃねえの?」

「イライラして腹が立つことの方が多い相手に惚れるものか」

「もうそれ充分、お前にとって特別枠だろ。ヴァリアンテ先生以外だったら、お前はそんな相手、すぐ切り捨てるだろ。なんでイライラする? 何に腹が立つ? どうして先生は切り捨てない? そこ、ちゃんと突き詰めて考えてみろって」

 妙に悟ったラージャの言葉を受け入れかけて、ふいに気がついた。

「……というか、やけに惚れた腫れたに持っていきたがるな。お前こそ何かあるんじゃないのか」

「まぁな。一個下に、すげえ可愛い子がいるんだ。あの子と結婚したい。だから、俺は女遊びを止めようと思う」

 裏切り者め、と罵りたかったがぐっと飲み込んだ。ラージャの茶色の瞳は真剣だ。友情より恋をとるのか、なんて聞くつもりもない。恋を優先しろと背中を押せるのが友情だと思っている。

「だから、お前も素直になっとけよ。届かなくなって後悔したって遅いんだぞ」



 いまだ告白はしていないが学期が終わるまでに想いを伝えたいというラージャの恋愛話を、出会いから決意まで三回繰り返しで聞かされたところで別れることにした。娼館には寄らないという宣言どおり、友は自宅へと帰っていく。

 エールでは酔えない。家に帰っても使用人がいるだけで、試験勉強をする気にもならない。ラージャは恋多き男ではないが、恋愛に関してはカーシュラードより経験がある。だから、彼の助言を一概に否定はできなかった。

 けれど、今は考えたくない。

 カーシュラードの足はなじみの娼館へと向かっていた。女遊びをすることを、実父も兄も止めなかった。王族の醜聞がどういうものか、改めて告げずとも末息子が自覚していると信じていた。門限も決めないし飲酒も喫煙も許すが、そのかわり、遊ぶ店の指定をされた。

 場末の花街は無法者が通うようで憧れるかもしれないが、面倒事に巻き込まれる可能生も飛躍的にあがるのだ。王族と知って脅迫する者もいれば、性病を持ったまま客を取る者もいる。本人が怪我をするだけならマシな方で、家族や友人を危険に巻き込むこともある。迷惑をかけても自力で解決できるようになるまでは親の助言を聞いていろ、という父の方針に反抗する気はなかった。

 実際、いくつかある娼館はどこも口が堅いし、女も男も質がいい。生活のために働いている者がいないでもないが、大半は好きで快楽を提供していた。

 上流階級向けのいい点は、未成年だとわかっていても目をつぶってくれることと、家名がわかっているので請求がそのままクセルクスにいくことだ。王族という特権階級の恩恵だが、どうして特権が許されているかも、カーシュラードはちゃんと理解していた。

 有事の際に民を守るからこそ、許されている。カーマ王国に殉ずる覚悟は、ダークエルフの母親に刻み込まれていた。そこに疑問がないのは、自分の半分がダークエルフだからだろう。カーシュラードにとって、カーマの国民は守護の対象だった。

 では、ヴァリアンテはどうなんだ。彼もカーマ人には違いない。反抗心を剥き出しにする理由はないはずだ。

 彼の何にイライラさせられるのか。どこに腹が立つのか。突き放されて怒りと悲しみを感じるのは何故なのか。

 ぼんやりと考えていれば、薄い茶色の髪を長く伸ばした女性と目が合った。じっと見つめていれば手招きされる。断る理由もなくて、彼女の部屋へ上がった。

 キスはしないという彼女は、レースが優雅な胸元を緩めて豊満な胸をさらした。誘われるまま手を伸ばし、柔らかさに安堵を得る。細い肩から流れ落ちる髪が桃色の乳首を隠した。緩くうねって甘い香りのする美しい髪なのに、何も感じない。

 あの人の髪は癖がなかった。襟足だけが長いので、馬の尻尾のように揺れるのだ。どうしてそこだけ伸ばしているのか聞いてみたいが、そんな機会はこないに違いない。

「どうしたの?」

 優しい声だが媚びがある。当然だ。一晩の夢を売っているのだから。だが、その彼女は肩を震わせて、作られていない笑い声を響かせた。

「男ってかわいそうね。女と違って隠し事が下手」

 何を言われているのかわからず、カーシュラードは甘い胸元から顔を上げた。少しだけ赤みを帯びた茶色の瞳が、猫のように輝いている。

「あなたの好きな人は、私と同じ髪の色?」

「何を……」

「顔に書いてあるわよ。捨てられた子犬みたいね」

 白くて細い指に頭をなでられた。ここでも子供扱いをされてしまったが、彼女が甘やかしてくれるのは気にならない。なるほど、ヴァリアンテの態度だけが、逐一気になってしまうのか。

「その人の名前で呼んでもいいのよ」

 誰の名を呼べというのか。そうとぼけるには、もう遅かった。なぜ彼女の誘いに乗ったのか、それが答えだ。

「……呼べません。あなたは、あの人とは違う」

 春をひさぐ彼女に言うべき言葉ではない。わかっているのに、言葉にせずにはいられなかった。

「あの人は……、僕を見てくれない……」

 こぼれた本音は、自分で聞いて理解した途端に後悔した。

 カーシュラードは彼女から離れ、広いベッドに倒れ込む。器量のいい彼女は、空気を壊して馬乗りになるようなことはせず、どこか楽しそうに隣に寝転んだ。

「あなたがこの部屋から出た瞬間に、あなたが吐き出したものは忘れてあげる」

 ドレスから乳房がこぼれていても、浮かべる笑みは美しい。胸のつかえを話せと言っているのだろう。セックスを求めない客あしらいもしてくれるから、彼女たちは値が張るのだ。

「能力だとか、金だとか、そういうしがらみもなく僕を見てほしい。あの人に勝てないことが悔しい。子供扱いしないでほしい」

 僕のことを知りもしないのに、なんでもわかっているというような態度が不愉快だった。剣技の才能がなければ、王族の生まれでなければ、彼は僕に興味も持たないだろう。彼は原石を自分の好みに磨きたいだけで、原石がどう輝きたいかは興味がないに違いない。

「……いや、違うな」

 剣技や恩や金は、ただのきっかけだ。動かすことのできない物に文句を言うのは、ただの我が儘だ。

「あの人ならきっと、対等になれる」

 カーシュラードは、己の剣技について傲りなく実力を理解していた。力を磨かずにいたあいだは朧気だったが、数か月鍛えられて未来が予測ができるようになった。きっと、いつかは現剣聖を超える。

 ダークエルフの母は知っていたのかもしれない。だからこそ、国を守る軍人の道へ進ませた。カーマ王国への奉仕と忠誠は本能的な義務だ。そう感じるよう、母に育てられた。

 のらりくらりと生きていれば、きっとそれなりの地位で軍務をこなして終わっただろう。重責と実力を自覚させたのは、ヴァリアンテその人だ。

 彼は僕の本質を見いだして、道を示した。僕を生まれ変わらせたのは彼だ。彼ならきっと、僕の剣技にひるまず僕を止めることができる。戦い方の心構えや立場が違っても、彼なら対等になれる。そんな夢をみてしまう。

 けれど、今の自分ではヴァリアンテに届かない。彼の方が強いのだと、認めたくない。太刀を使えば勝てるだろうか。勝ってしまえば、興味を失われるんじゃないだろうか。それが怖い。それとも、ちゃんと僕を認めてくれるのだろうか。

 能力だけで自分を計るなと吠えておいて、結局は剣で語ることを求めている。

「……矛盾の塊だ」

「恋なんて矛盾だらけなものよ。逃がしたくないなら、ぶつからなくちゃ」

 彼女は指先をくるくる回して毛先をカールさせていた。

「恋かどうかもわからないのに、ぶつかっていいんでしょうか」

「いいんじゃない? どうせ後悔するなら、ぶつかった後の後悔のほうがいい」

 それは経験からくる言葉なのか、カーシュラードの反応に合わせているだけなのかわからないが、それでも心を覆っていた暗い影が晴れたような気がした。深呼吸をして、上体を起こす。セックスをする気分じゃなくなっていた。欲はあるが、それは彼女へのものじゃない。

「一晩分で請求してください」

 カーシュラードが苦笑交じりに伝えると、彼女は赤茶色の瞳を丸くして、赤い唇を弓なりにした。彼女を抱かなかったことに対する王族なりの礼だ。払うのは父だけれど。

「また来てくれる?」

「多分もう、そんなに来ないと思います」

「そうね。それがいいわ。でも、どうしても発散したくなったら、遠慮なくいらっしゃい。私たちの口の堅さはわかっているでしょ?」

 うなずいて、カーシュラードは逃避の場を去った。



 大通りのひとつといえど、日付も変わる時刻は城下町も静かだ。ヴァリアンテの住む部屋は住宅街にも近いから、深夜営業の酒場もない。聖霊灯が石畳を照らす歩道を歩き、カーシュラードは目的地へと急いだ。商店の裏にある外階段をのぼれば、古いドアがひとつ。

 ドアノッカーを握って怖じ気づく。衝動的にヴァリアンテの家に来てしまったが、彼に会ってどうするのか決めていない。

 態度の悪さを謝る? 太刀を使うから家庭教師を続けてくれと頼む? 僕を特別視してくれと懇願する?

 どれも伝えたいことではあるが、しっくりこない。では帰るべきか? ここまで来ておいて、それはないだろう。

 カーシュラードは意を決し、緊張のままドアノッカーを叩いた。返事の気配はない。留守だろうか。窓に明かりが差し込んでいるか、ここからは見えない。くじけそうになるが、もう一度ノックする。ここまできて逃げ帰りたくない。

 留守なのかもしれないと諦めかけた瞬間、物音が聞こえた。

「誰?」

 誰何の声があったことに安堵した。不在ではなかった。だが、ヴァリアンテの声音には不機嫌が滲んでいる。

「……僕、です」

 震えそうになる喉で絞り出すように告げると、すぐに扉が開いた。

「入って。寒いから」

 鋭い命令に従って部屋に入ると、ヴァリアンテは半裸だった。腰から下にバスタオルを巻いている。さすがに予想外すぎて、カーシュラードは固まった。

「こんな時間にどうしたの」

 どうしたのはあんたの方だ。そう伝えたいのに言葉がでなかった。

 わずかに追い越しているが、身長はそう変わらない。ヴァリアンテは細いだと思っていたが、その上半身にはしっかりと筋肉がついていた。かといって、逞しいというわけではない。骨格が華奢なのだ。優美でいてしなやかな身体に目が離せなくなる。

「……適当に居間で待ってて。風呂の途中だったんだ」

 固まったまま動かないカーシュラードを不審そうに見つめ、ヴァリアンテは小さく溜め息をついた。呆れられている。不躾に見つめすぎたせいかもしれない。

 そうだ。どんな状況であれ、肩にコートくらい掛けてやるべきだった。ようやく頭が回り始めたが、時はすでに遅い。ヴァリアンテはくるりと背を向けた。

「……ッ」

 その瞬間、息が止まった。

 たぶん僕は馬鹿なんだ。自分の目で見なくては信じることもできない。直感は嘘をつかないのに、目をつむって気づかないふりをした。

 ヴァリアンテの背中には、高位魔力保持者に顕れる霊印(シジル)があった。濡れて栗色になった髪が張りついているが、文様の美しさを損なうことはない。

 金剛位を授けられるのだから、どこかに霊印があるのだろうと思っていた。カーシュラードにも、両肩から手首まで威圧的な紋様が走っている。他人に見られたくなかったので、日常生活では腕まくりすらほとんどしない。

 霊印(シジル)は本質を表すと言われている。ヴァリアンテの霊印は背中を覆うほど大きく、まるで何かを護るように曲線が踊っていた。先天的に魔力値の高い王族だって、これだけの霊印を顕現させたことはないだろう。威圧感はないが、圧倒的だった。

 彼はこんなものを背負っているのか。

 勝てるはずが、ないじゃないか。

 少なくとも、今のままではヴァリアンテを超えることなど夢物語でしかない。どんな言い訳をひねり出したところで無意味だ。彼と自分の差を、やっと認めることができた。

「何?」

 カーシュラードは無意識に彼の腕を掴んでいた。

 首だけ回して振り返るヴァリアンテの瞳は、今度こそ不機嫌さを隠すこともない。だが、カーシュラードは怯まなかった。真っ向から見つめ返し、近づいて、肩甲骨の上に唇を落とす。

「カーシュっ?」

 それが悪戯の類ではないと察知したヴァリアンテは、咎める口調で名前を叫んだ。けれど、何を言われようがカーシュラードの腹は据わっていた。彼の背を見た瞬間に答えは出た。進む道を決めた。

 飛び退こうとする身体を捕まえて、壁に押しつける。昂ぶる感情のままキスをした。今度固まったのはヴァリアンテの方だ。限界まで見開いた朱殷(しゅあん)色が、怒りと驚愕を行き来している。

「ふ、……っ」

 抵抗らしい抵抗はないが、鼻を抜ける喘ぎに甘さはなかった。合意じゃないと気づいて落胆する。永遠に唇を貪っていたいけれど、そうはいかない。ほんの少しだけ冷静さと理性をたぐり寄せたカーシュラードは、啄む音をさせてキスを解いた。

「……好きです」

 かすれそうなほど低い声になった。興奮が顔を出さないよう、穏やかさを意識する。

 そうだ。僕は彼が好きだ。やっとそれを認めることができた。

「は……?」

「あんたが好きです、ヴァリアンテ」

「は? え……? 何、カーシュ、ちょっと待って、どうしたの」

 顔中に疑問符を浮かべるヴァリアンテは、カーシュラードの拘束から逃れ、逆に腕を捕まえて居間へと引きずっていった。小さなソファに座らされるまま、大人しく従う。

「待ってて」

 短く告げたヴァリアンテが急いで寝室へ走り、ローブを着込んで戻ってきた。

「せっかく綺麗な背中なのに、隠すなんてもったいない」

「私に風邪を引かせるつもりか」

「ああ、そうか。そうですね。すみません」

 暖炉はないけれど、居間はほのかに暖かい。ヴァリアンテは聖霊石のストーブのそばで腕を組んで立っていた。秋の終わりだ。半裸でいられるほど暖かくはない。

「それで、何だって?」

「あんたが好きです。それを伝えにきました」

「それは……、嬉しいけど……。君は私のことを好きじゃないと思ってたから」

「……僕もそう思ってたんですけどね」

 彼に見栄を張るのは止めよう。

「あんたが特別なんだって、認めたくなかったんです。あんたは突然やってきて、僕の世界を変えてしまった。そのくせ、僕はあんたの特別でもなんでもない。それが悔しくて、あんたの助言は聞きたくなかった。別に意識してやってたわけじゃないんですけど」

 さすがに気恥ずかしくて視線をそらした。けれど、不誠実だとは思われたくないので、ゆっくりと彼の瞳を見つめなおした。

「あんたの背中を見たら、意地張ってたのが馬鹿馬鹿しくなったんです」

「……君が特別じゃないなんて、どうしてそう思ったの」

 ヴァリアンテは腕を組んだまま顔色も変えず、けれど瞳を伏せた。視線があわなくなるが、彼が望むならそれでもいい。

「パトロンの恩で個人授業を請け負っただけでしょう? 学校の特別講義では剣を変えろと言うだけで、それ以外で声をかけてくれるわけでもない。興味があるのは、僕の才能だけだと思ったんですよ。まあ、今は別に、それでいいと思えるんですけど」

「……君は、変なとこで馬鹿だな」

 何も隠さず直球で罵られて、さすがのカーシュラードも腹が立った。非難を含んで睨むと、ヴァリアンテは困ったような笑顔を浮かべた。

「君が特別じゃなきゃ、私の家なんて教えないよ。知られてたとしても中には入れない」

「そうなんですか?」

「これでも教師だよ? 生徒に手を出したなんて誤解されたら大変なことになる。金剛位だろうと、忖度はされない」

「……そのわりに、僕がキスしても逃げませんよね」

「犬に噛まれようなもんだと思うようにしてたんだけど、殴りつけた方がよかった?」

「いいえ」

「十五の子供に手を出した犯罪者にはなりたくないけど、クセルクス家の次男坊に怪我をさせるってのも、外聞が悪いでしょう。頼むから無茶はしないでよ……」

 それは彼の本音だろうか。肩を落とすヴァリアンテは二十四歳だ。彼の年齢では、相手に襲われたと主張しても彼の方が不利になる。そのヴァリアンテは、ちらりと視線を流して時計を確認した。つられて目をやると、時計の針は日付を変えていた。

「もう十五じゃなくなったか……。十六歳なら犯罪にはならないけど、どちらにしろ教え子に手を出せば大問題には変わらない」

 ヴァリアンテが深く息を吐く。

「誕生日おめでとう、カーシュラード」

「は?」

「……狙って来たわけじゃないのか」

 何を狙うというのか。ヴァリアンテは驚いているようだが、驚きたいのはこちらだ。誕生日? 誰の? 暦を気にしていなかったせいで、日付を忘れていた。カレンダー兼用の予定表が壁に貼ってあったので、今日の日付を確かめる。

「ああ、誕生日だったのか……」

「……忘れてたの?」

「完全に忘れてました。この時期、試験期間でしょう? 誕生日を祝ってる暇なんてないんですよ。祝ってくれる相手もいませんし」

「……クセルクス公は?」

「父は基本的に領地にいますからね。もしパーティーを計画されていたって、試験勉強で参加しませんよ。……それに、カレンツならまだしも、僕を祝ったところで意味がない」

 カーシュラードは純血のカーマ王族ではないので政略結婚の駒には使えないからだが、それをヴァリアンテに告げる必要はないだろう。別段パーティーを羨ましいとも思わないし、豪華な食事やダンスやプレゼントに興味はない。

 だが、ヴァリアンテに祝いの言葉を告げられるのは、素直に嬉しいと感じた。

「覚えていてくれてありがとう、ヴァリアンテ」

 家庭教師として生徒のプロフィールを見たのか、学校の名簿を見たのかはわからないが、どちらだろうが覚えていてくれたことには違いない。気恥ずかしいけれど、礼を告げるのが筋だろう。

 すると、ヴァリアンテは不本意そうな表情で髪をかきむしっていた。思ってもみない反応だ。何か不愉快にさせるようなことを言ってしまっただろうか。

 カーシュラードが声をかけあぐねていると、ヴァリアンテは何も言わずに寝室へ引っ込んだ。追うべきか。腰を浮かせかけたところで、彼は長い包みを持って戻った。

「プレゼントのつもりはなかったんだけど、君が自分で探す気配もないし、使わないなら手放そうとも思ってたんだけど……、君が私の助言を聞いてくれるなら受け取ってほしい」

 包みを開くと、漆黒の鞘に包まれた見慣れない剱が現れた。瞬間的に、これだと思った。形を見るだけでわかる。ゆっくりと抜刀して、鳥肌が立つ。早く戦いたい。

「……カーマでは、この手の剣は流通してないんだ。古い物を打ち直してもらったけど、君が満足できるかはわからない。それでも、ロングソードよりはマシなはずだ」

「いつから用意してたんですか?」

「手元に届いたのは最近だよ」

 捜索と打ち直しに時間がかかったに違いない。彼にとって僕が特別な生徒だということは、それで充分理解できてしまった。

「……ありがとう、ございます」

 礼はなめらかな言葉にならなかったが、カーシュラードは渡された太刀を素直に受け取った。

「……家庭教師、辞められるのは困るんですが」

「君が望んでくれるなら、私は喜んで教えるよ。私にしか教えられないだろうしね」

「じゃあ、今後もよろしくお願いします」

 もう生意気な態度はとらないので。

 そう付け加えると、ヴァリアンテは肩を震わせて笑った。ああ、よかった。彼が笑っている。その笑顔が自分にだけ向けられるといいのに。

「とりあえずは、試験が終わってからだね。冬期休暇でクセルクス領へ戻るんだろうし、スケジュールを――いや、それは後日でもいいな。カーシュ、君、明日も学校だろ。……こんな時間に未成年を帰すのも問題か」

 後半はほとんど独り言のようだった。こんな時間に娼館から歩いてきたあたりで察してほしいが、馬鹿正直にそれを伝える気はない。

「武器も持たない未成年の王族なんで、誘拐されても困るから泊めてください」

「その太刀、片刃だから峰打ちなら手加減して骨を折るくらいで済むよ」

「ひどいな。慣らしもしてない太刀で戦えっていうんですか」

「……君、徒手格闘もそれなりに強いじゃないか。そうだよ、君くらい強かったら絡まれたってどうってことないだろ。この辺、治安いいし」

「誕生日なのに、そんな邪険にしないでくださいよ。別に今すぐあなたに襲いかかったりしませんから」

 傷付いた顔でさめざめと囁けば、ヴァリアンテは喉を詰まらせた。なるほど。突っかかるより甘える方が効果的なのか。覚えておこう。

 結局、折れたのはヴァリアンテの方だった。

続きはまとめてKindleへ移行しました

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