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さらり、と胸先に垂れた金髪を払いのけ、ユダは悠然と微笑んだ。
しかしその笑みは、少しも他人の心を和ませるものではなかった。
「もう二度とお逢いすることはないと、いささか残念に思っておりましたが……わざわざお越しいただけるとは恐悦至極に存じまする」
声もなく笑う。
丁重な言葉遣いは勿論、明らかにレイを侮っているのだ。
その物腰もさることながら、稀有な彼の容姿は、どこか作り物めいていた。
胸先でそろえた黄金の髪に、褐色の肌に映える、紺青の瞳。
黒い玉座に身をもたせかける彼のその傍らには、両手大ほどの涙型の宝石があった。
聖宝――玉兎石。
それは、世界を護るために神がこの世に賜ったという伝説を裏付けるように輝き、自らの力で浮遊していた。
しかし、強大な霊力が放つその輝きは、どこか妖しく澱んでいる。
玉兎石を奪ったユダが、霊力を我が物にしているのだ。
きり、と唇を噛んで、レイは輝破矢を構えた。
「玉兎石を返してもらうぞ!」
「これは、いかな貴方様の御命令でも、返すわけには参りませぬな……」
告げたユダの双眼が、光芒を放った。
瞬間。
ユダの周辺から湧き起こった何かが、二つの光弾となってレイを襲った。
左側方から飛来した光を、身を沈めて躱したレイに、前方から光が迫る。
レイは手首を返し、輝破矢で薙いだ。
ギ…ン、と鈍い衝撃がして、光弾が砕け散る。
そこへ、躱したはずのもうひとつの光が、角度を変えてこちらへ向かってきた。
「く……っ!」
飛び退いたレイの肩を、魔力の光が掠める。
光はそのまま壁に激突することなく、勢いを失わぬまま、三度レイに襲いかかる。
振り向きざま、レイは輝破矢を叩きつけた。
光が四散する。
その一部が矢となって、玉座目がけて疾った。
かすかな破裂音と共に、火花が散る。
「ふ……」
魔力の欠片を片手に掴み、ユダは微笑した。ゆったりと玉座から立ち上がり、
「どうやら少しは腕を上げたようだな。どこまで神剣の力かは知らぬが――」
ユダの拳から、粉々になった光が、きらきらと零れ落ちる。
「愉しませてもらえそうだ」
刹那、かつてない強大な魔力が、ユダの全身から迸った。
長衣が、髪が、天にひるがえり、青白い電光が玉間を疾り抜ける。
聖宝が軋み、唸り声をあげた。
レイは、身震いをした。
――なんという魔力……。
能力者ではない自分にさえ感じる魔力の凄まじさに、身が竦む。
だが、それを押し殺し、
――ユダがまだ完全に聖宝の封印を解いていないのなら、必ず勝機はあるはず……!
レイは、輝破矢を持つ手に力を込めた。
金髪をたなびかせ、ユダが、右手を前へと掲げた。その手の先に、淡い光が集まる。
はっとしてレイが身を投げ出したそのとき、先程までいた床が陥没した。
次いで、逃げたその床も砕ける。
「ち……!」
転がるようにして逃れるレイを、ユダの魔力が執拗に追った。
なぶるがごとくの追いかけっこは、玉座の手前の階段までやってきた。
徐々に動きが鈍くなるレイを、間髪入れず、魔力が襲う。
瞬間、跳躍したレイは、床の砕ける爆風を駆って、玉座の男へ飛びかかった。
輝破矢が煌めく。
――と。
青白い閃光に包まれ、破裂音と共に、レイは床に叩きつけられる。
輝破矢が手を離れ、転がった。
「……っ!」
声もなく呻く。
以前の彼の[障壁]ならば、破れただろう。
しかし、聖宝を得た男の魔力は、レイの予想をはるかに超えた強度の壁を創り出していた。
雷に撃たれるに似た衝撃に、全身が痺れ、目の前が暗くなる。
ユダは芝居がかった仕草で玉座の階段を下りると、レイの傍らに立った。
「陵をどう手なずけたかは知らんが、私はそうはいかんぞ」
冷ややかに見下す。
「お遊びはここまでだ」
レイは、あらんかぎりの怒りをこめて、ユダを睨みつけた。
「貴様、聖宝を手に入れ魔王を復活させたところで、何が得られるというのだ? 世界が滅亡してしまえば、貴様とて生きてはいられぬのだぞ!」
「そう……だが、私は生き延びる。聖宝を統御し、魔王を傅かせた、この私はな」
レイの顔が、怒りに紅潮した。
「貴様は狂っている……!」
「狂っているだと? では、この世界で一体誰が正気だというのだ」
ユダの青い眼に、憎悪が宿った。
「聖母か、皇帝か?! おまえたちが勝手に作った道理に当てはまらぬというだけで、罪もない母を迫害し、死に追いやったこの世界が、狂ってないとでも言うつもりか……!!」
怒気を込めて言い、ユダは、平手でレイの頬を張り飛ばした。
レイの唇が切れ、口の中に血の味が沁みる。
振り乱れた銀髪の隙間から、燃えるような蒼い双眸がユダを睨んだ。
「……外道め!」
それにユダは冷笑で報いると、左手を頭上に掲げた。
すると、玉座の背後に掛かっていた女性の肖像画が天井へとせり上がり、重い響きをたてて壁面が左右に割れた。
鼻を刺す異臭。
玉座の向こうには、もうひとつの谷の姿が広がっていた。
底知れぬ漆黒の闇は、濃く深く、何かの気配を感じさせる。
――まさか……!!
それを知った瞬間、レイの全身が総毛立った。
生きた暗黒。谷を吹き上げる瘴気は、この者の吐く息吹に他ならない。
「魔王……!!」
「そのとおり。見るがいい、この素晴らしさを」
ユダは、闇色の邪神に、恍惚とした表情を向けた。
「純粋な悪の力。破壊こそ、真に清らかで美しいものだと教えてくれる……。見事だ。これを封じ込めておこうとするなど、愚かしいこととは思わんかね?」
うっすらと笑い、
「――だが、これを甦らせるには、いま少し力が足りぬ」
ユダは、長身を折るように屈め、レイの顎を片手で掴んだ。
「聖宝は本来、六つの封印によって護られている。そのうち四つまでは、外界から聖宝を物的に守護するために存在し、優れた能力者であれば解くことは可能だ……私のようにな。だが、残りの二つ――聖宝の霊力を解放する術は、ある限られた者たちにしか伝わらぬ。すでに一つは解いた。が……」
長い爪が頬に食い込み、血が赤い珠となって、つ、と流れた。
「黄金の血に連なる者――おまえならばそれを知っているはず。答えろ。最後の一つは、どうやって解くのだ?」
「……」
沈黙を続けるレイを、ユダは再び手の甲で打った。
先程のように手加減をしなかった分、レイは床に落ち、しばらく滑って止まった。
「答えろ」
レイは、血の滲む唇を拳で拭い、皮肉な笑いを刷いた。
「聖宝は自らの意志を持ち、主人を選ぶ。貴様が霊力を解放できないのは、聖宝自身の意志だろう」
ユダは、銀髪を掴んでレイの身体を引きずり起こすと、強い語調で囁いた。
「何を戯言を。それは聖宝が目覚めたときのことだ。聖戦の開始時に、聖母の呼びかけに応じて目覚めた時のな……。調べはすべてついているのだ。さあ答えろ! 第六の封印は何だ!」
「誰が、貴様などに……」
男の碧眼が、きらりと光った。
「ほう。否定をせぬとは、やはり貴様は開封の術を知っているとみえる」
レイが蒼褪めた。
ユダの頬に、勝利の笑いが刻まれる。
「たとえこの命喪っても、貴様には教えぬ!」
「随分と強気だな。その強気の源は、あの少年と白い妖魔か?」
嬲るような言葉の響きに、レイは厭な予感を覚えた。
「あの二人なら、助けになど来はすまい。今頃妖魅たちに生気を吸い取られて、屍となっておろうよ」
薄い唇の端が、切れ込むように吊り上がる。
「残念だったな」
その頃、妖魅の巣食う回廊では、二人の侵入者の生命が着実に尽きようとしていた。
妖魅の骨と肉を繋ぎ合わせて造られた巨大な檻の中で、まるで蜘蛛の巣に囚われた獲物のように、少年と獅子がぶら下がっている。
少年の指先が、ぴくりと動いた。
「う……」
かすかな呻き声をあげ、両目が開く。
妖魅の腕か足か分からぬものに身体を絡めとられ、生気を奪われ続けるディーンは、朦朧としながらも、わずかに身をよじって辺りを見た。
五体の感覚は、もうすでにない。
原型をとどめない醜悪な檻や腐臭さえも、もはや気持ち悪いとも感じなかった。
自分を捕える檻の向こうで、同じく囚われの身となった獅子は、宙吊りのまま完全に意識を失っている。
聖宝の霊力によって変質した雷呀と砂巳の命を内包するこの生きた檻は、通常の威力を超え、妖魔である九曜にとっても大きな打撃となっているのだろう。
――いざっていうときに、頼りにならねぇんだから。
ディーンは定かでない意識の中でぼやきつつ、ここから抜け出る術を考えた。
霞がかる視界の隅で、何かが光る。
反り身の一振りの大刀。
破邪の祝福が描かれるそれに、妖魅たちは触れることができないのか、剥き出しの石畳にぽつんと置き去りにされている。
ディーンは、渾身の力を振り絞って、右手を伸ばした。
だが、妖魅の檻は強靭にすぎ、指先はむなしく空を掠める。
「ち……くしょ……う」
毒づく彼の脳裏に、そのとき、ひとつの光景が浮かんだ。
真っ白な部屋と、その先に広がる漆黒の闇。
不思議な石が輝いて宙に浮かび、一人の男が、傷だらけの見慣れた若者を捕えている。
――レイファス……!
紫の双眸が、はっきりと意志を取り戻した。
動かぬ少年の身体が、ほのかに、しかし確かな輝きを帯びはじめた。
*
「さあ。聖宝の封印を解け」
甘い低声が、耳元で呪文のように囁く。
強情に口をつぐみ続けるレイに、ユダは、苛立つ様子もなく微笑した。
「このまま黙って私に殺されるのを待つというのか? だが……銀の処女よ。魔王はすでに復活を始めている」
「……」
「世界がわたしのものになるのも、もはや時間の問題というわけだ」
言葉を刻みつけるように、強く息を吹きかける。
「教えてもらおうか」
「――断る」
「黙っていたところで、一体おまえに何の益があるというのだ。我らと同じく闇に属するおまえに……?」
「黙れっ!」
レイは怒鳴った。鮮血の流れる頬を、ユダの長い爪がなぞる。
「憎いのだろう、帝都が。ただ髪が銀色だというだけで、おまえを忌み嫌う輩に、復讐したいとは思わないかね?」
男の青い両瞳から、邪悪な意識が流れ込んでくる。
レイの心の奥底に封じ込めたはずの怒りが、哀しみが、憎しみが次々と呼び覚まされた。
レイは、両手で耳を塞いだ。
「やめろ……っ!!」
「私と一緒に来い。帝都を滅ぼし、共に世界を掴むのだ――」
広い、褐色の手が目の前に差し出される。
それを見つめるレイの脳裏に、ぼんやりと、何かが思い起こされた。
黒革の手袋をはめた手。
その手は確か、何度となく危機を共にし、助け合った。
『伸ばせよ。せっかく綺麗なんだから』
レイは、この旅でふぞろいに伸びた白銀の髪に、指を触れた。
『だって俺たち、友達だろ?』
「そ……うだ。私は――」
世を滅ぼす兇児かもしれない。それでも、ひとりではない。
レイは、まっすぐに魔術師を見据えた。
白い手が、差し出された手の代わりに、床の輝破矢を拾い上げる。
ユダの冷笑が消えた。
「何のつもりだ?」
「貴様と手を組むなど、死んでも御免だ。それに……貴様が世界を手に入れようはずがない」
宇宙色の双眸が、闘志に燃える。
「私が――貴様を倒す!!」
言うや、輝破矢を振りかざし、レイはユダに挑みかかった。
「笑止!」
ユダは外套を翻した。ゴ…ウという地響きを立てて、疾風が巻き起こる。
青い火花が弾け、稲妻となって広間を疾り抜けた。
稲光。そして、空間を震わす鈍い衝撃。
「な……に?!」
色濃く立ち昇った粉塵の後に、レイの姿はなかった。
驚くユダの頭上へ、飛び上がったレイの剣が振り下ろされた。
[障壁]を作る間はない。
身を反らして刃を躱したユダは、レイの右腕を手刀で打った。
乾いた音と共に、輝破矢が落ちる。
「未熟だな」
白い喉を片手で掴み、ユダは一笑した。
刹那。
鋭い風切音がして、何かが空を切った。
はっと、飛来したそれを掴んだ男の頬に、たらり、と赤い血が伝う。
手の中の棒手裏剣を魔力で破砕し、ユダは、新たに現われた侵入者を睨んだ。
「貴様……どうやってあそこから抜け出た?」
「あいにく、脱走と縄抜けが得意なもんでね」
侵入者は、左手に大刀を引っ提げ、軽口で答える。
ユダの手から放れてうずくまるレイに、ディーンはにやりと笑いかけた。
「よお。間に合ったかな?」
「馬……鹿者。遅刻だ……!」
レイは咳き込みながらも、笑顔で少年を睨んだ。
――と。外套が広がったと思うと、再びレイを捕らえたユダが、ひらりと壇上へ逃げる。
ディーンの顔が険しさを帯びた。
「てめえ、そいつを放しやがれ!」
「貴様に命令される覚えはない」
冷ややかに言い捨て、ユダは玉座の階段を上る。
「この野郎っ!」
斬りかかるディーンを、光弾が迎え撃つ。自在に方向を変えて迫る魔力の球に、少年は黒髪をひるがえして縦横に飛び回った。
玉座まで後退した男の眼が、興味に煌めいた。
「ほう。なかなかすばしっこい小僧だな」
呟いて、指を弾く。
途端、どこからか新たに二つの光弾が現われ、ディーンを翻弄する。
「しつこいっつってんだろ!」
ぼやくと、ディーンは素早く壁を駆け上がり、宙高く飛び上がった。
右と左から走る光の弾丸が、足元で衝突し、爆発する。
少し離れた所へ回転して着地したディーンは、振り向きざま、大刀を一閃した。
後ろから追ってきた光が、甲高い音を立てて、砕ける。
ユダの柳眉が逆立った。
青の双眸が、閃く。
瞬間、無数の光弾がありとあらゆる方角から、暴雨のごとく、ディーンに襲いかかった。
舌打ちをしたディーンは、
「哈!」
気を込めた大刀を、自分を中心に円を描くように振り回した。
一帯の光の球が、欠片を撒き散らして粉々になる。光の砕片が、きらきらと床に降り注いだ。
その時、ディーンへ向かって、ユダの右手から青白い電光が放たれる。
レイが叫んだ。
「危ないっ!!」
咄嗟に飛び退いたディーンに辺り、斬り損ねたひとつの光弾が、背後から来襲する。
「ぐ……っ!」
髪の焦げる嫌な臭いが、辺りに立ちこめた。
倒れ込むディーンに、ユダが、とどめの一撃となる電光を掌に浮かべた。
「やめろ!」
悲鳴をあげるレイへ、ユダは酷薄な眼差しを向けた。
「ただで、というわけにはいくまい。聖宝の封印を解け。そうすれば――」
白い歯が、残忍に笑みこぼれる。
「助けてやらなくもない」
「その言葉、偽りはないな……?」
「無論だ」
だが、約定が成る前に、二人の会話に威勢のいい声が割り込んできた。
「馬…鹿野郎! 勝手に、他人の命で取引してんじゃねえっ!」
「ディーン……」
「ほう。まだ懲りんか」
ユダは愉しげに言うと、手の中の電光を無造作に投げ撃った。
床に体を投げ出して避けたディーンの太腿を、第二打が浅く掠める。
転がって体勢を立て直し、ディーンは薄く笑った。
「性格だけじゃなくて、操作能力もいまいちらしいな」
「へらず口を!」
さらに強力な稲妻を放とうと、ユダが右手を掲げた、そのとき。
ド……ンという重い響動きが、空間を走った。
次の瞬間。
天地を揺るがす雄叫びと共に、玉座の背後の闇が、蠢動をはじめた。
谷底から天上へと吹き上げる瘴気。
ユダの眼に、歓喜の色が浮かんだ。
暗黒の王者が、永い眠りを破って、今再び目覚めたのだ――。




