2036年11月2日(日)、私立会津高校「多目的ホール」
私立会津高校の文化祭「狐嫁入祭」の一般公開日は11月の第一日曜日である。「狐の嫁入り」と言えば、多くの人が新潟県津川で5月に行われる祭りの方を連想するんじゃないだろうか。どうやら、この学校の元になった組織の起源の一つが津川だったらしい(そのせいか、新潟サイドも文句を言ってこないので助かるよ)。
一般公開日が第一日曜日である言うのは、そんなに長くない学校史で、今まで一度も破られたことのないとか(伝統というにはまだ短すぎる)。それでは、大自然災害に見舞われた2011年にはどうだったのかと問われれば、まだ開校していなかったと回答するしかない。
福島県の私立会津高校と、相田さん(この間アポ無しでやって来た擬体の人)が通っている宮城県の私立松島高校は、どちらも震災復興の過程で新設された双子の様な教育機関だ。
設立の経緯は瓜二つ。しかし、その後の運営方針と実績には大きな隔たりがある。宮城県の私立松島高校が国家戦略に組み込まれて、今では保育所から大学院までの一貫教育が用意された学園都市へと発展している。しかし、私立会津高校は真逆の完全な民間主導、医療と精密機器製造業がバックグラウンドにある独立系学校法人だ。
会津の方に巨額の公費が投入されなかったり、松島と違って国家戦略へ取り込まれなかったのは、津波被害による大規模被災を免れたからではない。
もちろん、国家と民間の間に対立や主導権争いが生じていた訳ではない。
事情は極めて単純。会津盆地には産業の芽はあっても、発展性が乏しすぎた。都市周辺の平野部には大規模開発できる空き地が少な過ぎた。新しい施設を作ろうと探してみたら、山の上か川に上にしか広い空きスペースがなかったのだ。
それはそうだろう。うん。残念。それに、地理的に海に面していないために、精密機器の製造に必要な大規模電力をまかなえる発電所を作れないのも痛いよね(しかも半導体製造には供給される電気の質も高くないと不良品発生率が上がるし)。開発を検討した際もこれが最大のネックになったらしい(ダム湖への水力発電機の増設では、開発後の発電需要の規模がまるで追いつかないと判断された。やけくそで猪苗代湖を見下ろす尾根の上で、大規模な風力発電も試してみたけど・・・早々に挫折しちゃったんだ)。
だから、会津の精密機器産業は今でも電力は浜通りと新潟側からの送電に支えられている。おかげで、と言って良いのか判らないが、会津周辺には20世紀から受け継がれる農村風景が今でも残されている。私はこれをものすごく気に入っているんだよ。誇りにも思っているさ。
話は戻るが、私立会津高校1年2組では、我らがナヲちゃんを前面に押し出して狐嫁入祭中に開催されるイベント・コンテスト金賞を奪取すべくクラス一丸となって邁進中だ。これは金賞と評されたクラスだけは、褒賞として南海の楽園パラオへの卒業旅行が贈られるのだ(我が校は入学から卒業までクラス替えがないのはそのせいとも言われている)。
で、1年2組の出し物はマンガやアニメの文化祭ネタではお馴染みのクラス劇「ロミオとジュリエット」だ。もちろん、ジュリエット役はナヲちゃん。彼女も最初は主役抜擢を固辞した。しかし、劇の最初から最後まで英語台詞で通すというコンセプトを前面に打ち出して、何とか説得に成功した。
ジュリエット役はすんなり決まったが、ロミオ役選びが難航した。男子達がここぞとばかりに・・・なんとクラスの男子の半数が自己推薦で立候補して来た。それは普段から興味津々でナヲちゃんを眺めていながら、どういうわけか今ひとつお近付きになれないジレンマを脱したいという鼻息荒いモチベーションに支えられていた。しかし、男子によるクリティカル・ヒットを狙った打撃攻撃は、それを察知した女子側の圧倒的な反対によってブロックされてしまった(グッジョブ、女子群)。
当のナヲちゃんは私、葉子のことをロミオ役(まじかよ、笑)に強烈にプッシュしてくれたが・・・残念ながら圧倒的な身長差が障壁となって実現しなかった。どこからは分からないが、シークレット・ブーツとか言う怪しげなアイテムまで調達して来たの。
確かにそれを装着すると見かけの身長は伸びる。しかし、副作用として竹馬よりも細かい動き出来ない。20世紀の背の低い男子はこのアイテムを愛用していたとネットで読んだ。でも、体験した後にはその風評は都市伝説に過ぎないと確信している。あんなもの履いて日常生活が送れるはずねぇじゃん。
で、最終的にクラス委員長の万条さんが男装することで、ロミオ役に決まった。なんかルーズで、アホで、無計画性の権化みないなロミオとイメージが乖離している。しかし、この妥協によってビジュアル面では完璧な仕上がりとなった。万条さん、身長も高いし、お顔の作りも強気な感じで整ってるんだ。もう少し、融通が利けば男子にもモテるのにね。
ただいま、上演の最終回が始まったところだ。これが終われば準備期間も含めて長かった文化祭も終わりだ。なんか寂しいな。かれこれ2週間も放課後は学校に居残り、さらに前夜祭前は泊まり込みまでしていたんだよ(全寮制なのに泊まり込みとは如何に、笑)。
ああ、チュニックドレスで身を包んだナヲちゃんは宝塚の娘役より綺麗だよ。時代考証によって、当時のヴェローナの風俗に基づいた貴族のドレスが綺麗。ちょうど神聖ローマ帝国からヴェネチュア共和国の支配下へと変わる頃、アラブ世界へと開かれたまったく新しい美的感覚がコムーネから始まる小国家へも達しつつあった。当然、貴族子女の間でも徐々に新しい風を取り込んだファッションが主流となり始めたのが物語りの背景にあったりなかったり、とか。
これはナヲちゃんの家でお世話をしてくれている、お手伝いさんの百合子さんからの受け売りだ。古今東西の歴史だけでなく風俗にやたらに詳しい彼女のバックアップがなければ、おそらくナヲちゃんが演じるジュリエットの質もここまで上がらなかった!
何でも「打倒! オリビア・ハッシー!」と言う意気込みだったってさ。それ、映画「ロミオとジュリエット(1968年)」でジュリエット役を演じた女優の名前だよね?
しかし、本当に凄い。百合子さんはすべてをまるで本当に見てきたかのように、14世紀当時の立ち振る舞いまで教えてくれた。そうしないとドレスの端が周囲の家具などに引っかかる(その後に訪れるパニエたっぷりの舞踏会スカート全盛期と比べればマシだけれど)。しかも、ロミオの蛮勇をもってしてもジュリエットの腰に手を回すこともままならない。あの頃の若者、大した苦労をして恋愛していたんだね。
そう言えばこうも言ってたな。チェーザレ・ボルジアによるイタリア統一への挑戦(失敗した)の時も、サッコディロマーノなどの国外勢力によるイタリア侵略の時も、バックに都市国家の枠を超える大国だったヴェネチュア共和国の保護が幸いして酷い目に遭うのは避けられたとか。まあ、エステ家出身のイザッベラ・デステの話もしてたんだけど、それは今はどうでもいいか。
My only love sprung from my only hate!
Too early seen unknown, and known too late!
Prodigious birth of love it is to me,
That I must love a loathed enemy.
ーーーなんてこった。私がこんなくそったれを意図に反して愛してしまうなんて。
ーーー最初からこいつがどういう奴が知ってればこんなことにならなかったのに!
ーーーこんなくそったれが愛おしくてしかたない。
ーーーなんでこんな奴への愛が芽生えたんだろう。
この台詞を聞くのは何度目だろう。ナヲちゃん、わざわざ生体脳だけを使って台詞を覚えてたな。そうしないとジュリエットになれないんだとか。
台詞は問題なかったんだけど、擬体でのドレスを使った身のこなしは難しかった様だ(本物を用意しちゃったから。生地がペラペラのなんちゃってインチキ衣装を用意しておけば、こんな事にはならなかったと・・・文化祭が終わった後で気が付いた。とは言え、コルセットで必死に締め付ける必要が無いウエストの細さはやっぱり反則!)。
約10Kgのチュニックドレスは擬体の重心を乱して、二足歩行するとバランスが取りづらかった。誰にも告げられずに密かに苦労していたナヲちゃんは、四肢の各関節(にもれなく搭載されるベアリング)の消耗を考慮して動くのに必死だった。私も気付いてあげげられなかった。ごめんなさい。
第一回目の通し練習では、擬体制御機能がOSレベルを超えてハードレベルで過負荷に見舞われた。早い話、ぶったおれた。原因は制御系基板の熱暴走そ防ぐため処置として採られた、演算速度の劇的な低下。安全機構が働いたというわけ。擬体にインストールされているOSはかぐらver.4.52beta_nは民生品のサイボーグ用OSの元祖とされる「AK系(朝霧和紗システムの発展系)」の中でも群を抜いて優秀な擬体制御OSらしい。特に姿勢制御には定評があるんだって。なお、「beta_n」は一般配布前のファイナルβ・バージョンのナヲちゃん・カスタムであることを表してるんだって。
ナヲちゃんの完璧主義も問題だったが、擬体の方に根本的な原因があったようだ。
朝間先生曰く「擬体の理想の服装は全裸。服装による束縛が擬体の運転を難しくしてる。しかし、人は野生の猿じゃないから全裸は無理だよなあ」だって。「先生、それじゃ変態だよ」と返すと「楽園とやらではみんな素っ裸だったらしいじゃないか」だってさ。セクハラはダメですよ。
「仕方ないなあ」と言いながら、自衛軍が擬体兵に採用している装甲服換装アプリどこからともなく、コピーして来てナヲちゃんにインストールしてくれた。先生、そんな危ないものをっ!
それはかなり硬い、プラスチックの束を編んだような服を着て、パラシュートで降下してジャングル戦をデフォルト設定でこなせるほどにヤバイものだったらしい(さらに多い銃器などを上半身でホールドしながら、不整地を急ぎ足で走破できるという優れもの。実はそれはすごいことなのだ)。
さらに全関節を一時的に閉鎖系処理して、ドレスの布との摩擦を可能な限り均等になるように努めた(擬体的には、ルネッサンス期の布が過度に多いドレスと現代のシンプルな女子高生用ブラウスやスカートは同一の設定では捌けないようだ。生身って何気にすごいんだねぇ)。
お、第一幕終了だ。さあ、第二幕に向けてナヲちゃんのリフレッシュ作業開始だ。ああ、ジュリエットが私の元に帰ってきた。さあ、こちらへおいで。
「お疲れさま。先に水分補給する?」
「そうする。お願い」
ナヲちゃんは長い金髪をポニー・テイル状にまとめて首筋を露出させた。私は慣れた要領で学校の保健室から借りてきた擬体用整理用食塩水サーバーからチューブを伸ばす。そして首というか顎下の左右にある端子に接続する。
彼女の場合、普段は端子は人目に付かないように、人工皮膚膜で覆うという隠蔽処置をしている。だから、私も直接目にするのは初めてだ。最初は恥ずかしそうだったけれど、回数を重ねる中に彼女の方も少しずつ慣れていった様だ(少なくとも私にはそう見えた)。それとも劇に集中し過ぎて他のことに気が回らなくなっているの?
擬体の通常器官を通す吸水機能(口から摂取する機能)は、生身ほど効率が良くない。そして、擬体は胎内に取り込んだ水分を冷却水として利用することもある。今日のナヲちゃんの様に電子的負荷の高いタスクを抱えた場合、ヒートシンクで限界まで暖められてしまった保水タンクの中身をまるごと交換すると稼働効率が劇的に上がるのだ(過負荷が長時間続いた場合、保水タンク内の水の蒸発分を外部へ放出する大気拡散冷却も平行して行う。結果として、擬体内部で循環している生理食塩水や人工血液が濃縮されてしまうので、効率重視の状況では全交換が推奨されている)。
しかし、その様子をナヲちゃんは同級生には絶対に見せたくなかった。だから、第一回目の通し練習でぶったおれてしまった。バイタルチェックをした朝間先生は「よさこいダンスをしながらフル・マラソンしてもここまで負担になりはしないよ」と言って驚いた。そして「こちらからメンテナンス用のチームを派遣しようか?」と解決策を提示した。
でもナヲちゃんは朝間先生の作業台に横たわったまま首を振る。そこで、私が見かねて助けを申し出た。私はその後、先生のチームから詰め込み式の講義と実技を受講して、短期間で擬体介護士の初級免許(3級)を取得した。2級までは民間資格なので2年に一度の継続審査がある。面倒だけれどその御陰で、免許に関しては審査資格者による申告があれば最短2営業日で降りた。おかげで、私は擬体のサポート業務を主張することで、公私を問わず、誰よりも彼女の近くに立ち続ける権利の根拠を獲得できた。ラッキー。
擬体のメンテナンスも大切だが、メンテナンス中の彼女をクラスのみんなに視線から隔離するのが私の最優先の使命だ。そんなことに彼女が負い目を感じることはない。しかしながら、擬体であること強く意識させるような同級生達からの「区別」につながるきっかけを出来るだけ作りたくないのだ。
ナヲちゃんに繋いだチューブは内側が高分子フィルターそのものなので、擬体の胎内への雑菌などの侵入を気にする必要はない。しかし、他に気になることがある。アウト側のチューブの表面温度が凄いことになってるのが気になる。見た目には分からないけれど、かなりの負担になってることを悟った。
視線で「大丈夫?」と訴えるとナヲちゃんはこう返した。
I am no pilot yet,
wert thou as far as that vast shore wash’d with farthest sea, I would adventure for such merchandise.
ーーーオレはまだ船乗りになれてない。
ーーーでも海の彼方に行かなければキミを手に入れることができないっていうなら、苦もなく海を超える道を選ぶね
ロミオ側の台詞だ。どうやら、この挑戦には彼女にはそれだけの価値があるというのだろう。だったら最期まで見守るよ。
生理用食塩水が擬体とサーバーの間を二回りしたことを確認した。不純物が取り除かれ、さらに水温も低下している(不純物=循環器内の表面コーティングが何かと化学変化して発生した結晶など。温度変化が激しいと増える傾向にある)。彼女の擬体と無線接続されている表示専用タブレットでも、擬体が十分に放熱し終わったことが確認できた。しかし、血糖値が規定より少し低い。集中力に影響しちゃかも知れない。
「ブドウ糖入れる?」
「やめとく。終劇までトイレ行けないから」
私は首からチューブを外す。後ろにも目が付いているかのように、そのまま自然にナヲちゃんは髪を下ろして、椅子から立ち上がる。阿吽の呼吸ってこんな感じ?
「じゃあ、行くね」
「うん、早く帰ってきてね」
その瞬間、ふらついたのか、と思ったらナヲちゃんが私の頬に軽く触れたのが分かった。
ーーーえ?
偶然かと思ったら舞台へ向かうナヲちゃんが振り向いて左頬を指さしてイタズラに笑った。私は何かをと思って、ナヲちゃんの化粧直しに用意した手鏡で自分の顔を見てみた。
「あ!」
私の左頬に真っ赤な唇の痕跡が残っている。
ーーー謀ったな。ナヲちゃん
舞台脇から覗くとナヲちゃんが視線だけこちらに寄越す。
Sweet, so would I,
Yet I should kill thee with much cherishing.
ーーー(貴方が手の中に入る小鳥になってくれたら嬉しい)
ーーー本当にそうなってくれたらどれだけ嬉しいか。
ーーーでも、あんまり可愛くて弄り倒して殺しちゃうのが心配だわ。
おいおい、それは万条さんの目を見て言うべき台詞だろう。あ、万条さんもこっち見てる。あ、見られちゃった。あ、驚いた。もー、笑いを堪えている。まったく、この世代を超えて伝えられる感動の愛のシーンをそんなに不埒に扱って良い物なのかい?
消すのも何かもったいない。でも、ねえぇ。私は惜しいと思いつつアルコール・ティッシュで頬を拭って真っ赤なキスマークを消した。
そんな風に劇は何だかんだで滞りなく進行して行った。第五幕も問題なく演じられ、ようやく拍手喝采で幕を下ろした。これで私たちの文化祭は実質終わりだ。残は祭りの後の寂しさを伴う後片付けが残されているだけだ(あ、生徒会主催の後夜祭、キャンプ・ファイヤーとフォーク・ダンスが残ってたか)。
ナヲちゃんは最期まで倒れなかったし、クラスのみんなもよく彼女を支えてくれた。なんか、クラスの団結って奴を初めて感じられた。みんなと卒業まで一緒にいられるかと思うと、頼もしくも思えた。
そして、我がクラスは思惑通り、イベント・コンテスト金賞を獲得した。さあ、ナヲちゃん。まだまだ先だけど南海の楽園でのバカンス、楽しみだね!
秋の太陽はそんな私たちを見守りながら、ゆっくりと山の向こうに暮れて行った。そういえば今日は大安吉日だったな。
シェークスピアの劇の台詞って著作権とか問題あるんですかね?
日本語の訳文は一応、オリジナルにしてありますけど。




