1 旅立ちの午後
何ももたない者は強い。
そう聞かされて育ってきた。
本当にそうなのかは、まだ分らない。
しかし今、おれはここ、エヴランド・シティから旅立とうとしている。
そして、見送りの親も友人も、いない。
手には地図とコンパス。
背には、必要最低限の荷物。
これが、すべての財産だ。
さようなら。
虚偽と犯罪の街・エヴランド。
ここでは、人の命は石より軽い。
街角を曲がれば客引きの娼婦と、ヤクのやりすぎでゾンビになった元人間ばかり。
うすぎたない子供が、人間のものとも動物のものとも分らぬ骨を持って、遊んでいる。
さようなら。
レーザーガンで殺される者たち。
搾取し、搾取されるだけの者たち。
仮にこの旅が徒労に終わり、自分の肉体が骨となって大地に還ろうとも、おれは後悔しないだろう。
もしかして、おれが文字を書くのも、これが最後かもしれない。
それならば、それでいい。
邪腐族最後の生き残りは、こうやって消えるのだ。
今夜9時半初の、リスボン行きの貨物列車に、おれは乗る。
乗って、東へと旅立つ。
先祖が来た道をたどるのだ。
200年前、世界中からののしられ、主権国家の地位を失った挙句滅亡した国。
その後の自然災害で、国土の大半が海没し、太平洋を死の海と変えた、愚かな国。
難民となった彼らのたどった道は、悲劇だった。
故郷を失った彼らに、他国の人間は冷たかった。
彼らはいたるところでだまされ、殺され、身ぐるみはがされた。
彼らは海を汚した罪で、邪腐と呼ばれ、すべての土地で迫害の憂き目にあった。
しかし、おれは知っている。
彼らは、世界でも有数の高度な文化をもっていた集団だと。
200年の昔は、日本人と呼ばれていたことも。
そして今や、おれ一人を残して、消え去ってしまったことを。
さようなら。
おれは街のはずれに立つ、生まれ育った孤児院を通りかかり、目をそむける。
人種の分らないほど混血したガキが7匹、無邪気な笑顔で近づいてくる。
手にはハンドガンと、古風なナイフが握られている。
「マネー、マネー!」
「マネー、オア、斬る!」
ガキどもは口々にわめき散らし、おもちゃのような本物の武器を突き付けてくる。
そのナイフが、おれの背中をえぐる。
銃弾が数発、側頭部に張り付く。
自分の血の温かさに、おれは改めて気づく。
小さなギャングらは驚きの声と共に逃げ出した。
化け物、ジャップ!と言いながら。
シャツが血まみれだ。
着替えることとしよう。
血を補給しなくてはいけない。
波止場まで、あと少し。