第十九話 作戦と、三回の制限
王子班との模擬戦が決まった翌朝。
俺たちは共同寮の談話スペース、大きめのテーブルを囲んでいた。
朝の光が窓から差し込んでいる。
「しかし、もう明日か〜」
テオが椅子にもたれながら言う。
「公開模擬戦そのものは前から決まっていただろ」
ノアが返した。
「対戦カードの正式発表が昨日だっただけだ」
「それはそうだけどさ〜。相手は王子班だよ?それがたった一日しかないって、なかなか嫌だよ?」
「十分とは言えないが、ゼロでもない」
ノアは短く言った。
「元々、公開模擬戦に向けた調整は各班それぞれ進めていたはずだ。今回は、相手に合わせて詰め直すだけだ」
その“だけ”が、今の俺にはやけに重く聞こえた。
皆にとっては前から見えていた行事でも、俺にとっては昨日から急に現実になったものだった。
「では、作戦会議といこう」
ノアが口を開く。
「相手は王子班だ。間違いなく、この学園で一番の相手になる」
そこで、エヴリンが静かに手を挙げた。
「その前に、こちらからお話ししておきたいことがあります」
「なんだ、エヴリン」
皆の視線が彼女へ集まった。
「蓮くんの魔術使用に、制限をつけようと思います」
一瞬、空気が止まった。
「制限って……この前の件で?」
テオが目を丸くする。
「はい。先日、無理な使用で倒れました。同じことが起きないよう、回数に制限を設ける必要があります。昨夜、本人とも話し合いました」
「具体的には?」
「一日三回までです」
「三回? 少なくない?」
「少ないです」
迷いのない返事だった。
「ですが、現状ではそれが限度です。感覚任せで使わせるわけにはいきません」
クララが不安そうに俺を見る。
「……蓮くんは、それでいいの?」
その言い方が優しくて、だからこそ答えにくかった。
大丈夫だと言えば、皆はそれ以上何も言わない。
本当に大丈夫かと聞かれたら、そんなものはわからない。
「……いいんだ。みんなに迷惑はかけられないから」
口にした瞬間、薄っぺらく聞こえた。
迷惑をかけたくない。それは本当だ。でも本当のことの、一部でしかない。俺は膝の上で右手を握った。熱はない。それなのに、向けられる視線の数だけ、自分だけが取り残されている気がした。それを言えるわけがなかった。
「たったの三回か」
カイルが腕を組んだまま言う。責める声じゃない。ただ事実を測る声だった。
ノアが小さく頷く。
「……厳しいな」
それだけ言って、一度黙る。全員の顔を見た。誰も目を逸らさないのを確かめてから、低く続ける。
「制限があるなら、その前提で勝ち筋を作るしかない。蓮を無理に振り回すことはしない。三回しかないなら、その三回を意味のある場面に使う」
エヴリンが静かに頷いた。
「それが一番だと思います」
「では、作戦の話に移ろう」
「ごめん。その前に、一ついい?」
俺が手を挙げると、視線がこちらへ向く。
「模擬戦がどういうものか、ちゃんとわかってなくて」
少し言いづらかった。この世界に来てまだ知らないことがあるのは事実だ。今さらこんなことを聞くのはどうかとも思った。でも知らないまま黙っている方が、もっと悪い。
「そっか。見たことないのか〜」
テオが納得したように言う。
「失念していましたね」
エヴリンも頷いた。
ノアが息をついて、少しだけ表情を緩めた。
「なら、そこからだな」
「ありがとう。助かるよ」
「模擬戦は班対抗の実戦形式だ。全員に防御魔術をかけた状態で戦う。防御が砕けた時点で戦闘不能扱いになる」
「薄い鎧を着ていると思えばいいでしょう」
エヴリンが補足する。
「普段のゴーレム相手の実技が、相手だけ人になった感じ……で合ってる?」
「だいたいそれでいいよ! そこに大将戦が加わる感じだね〜」
「大将戦?」
「班ごとに一人、大将を決める」
カイルが短く続ける。
「その大将が先に落ちた方が負けだ」
頭の中で組み立てる。全員倒さなくてもいい。大将を落とせば勝ち。逆に言えば、守るべき要がはっきりしているということだ。
「うちの大将はノアなのか?」
「いや。テオだ」
「後方でしっかり生き延びるよ」
テオが胸を張る。少し誇らしげで、少し照れくさそうだった。
「俺とエヴリンは前に出る。大将は後衛に置いた方が安定する」
「なるほど。じゃあ、相手は――」
「おそらくレオンハルト王子自身だ」
ノアの目がわずかに鋭くなる。
「去年も、彼が大将を務めていましたね」
「後ろで守られているタイプなのか?」
「いや」
カイルが短く切った。
「前に出る」
テオの声から、軽さが少し消えた。
「自分から、前線を押し上げるタイプだね〜」
「去年は……本当に、自分から流れを持っていってた」
クララが小さく言う。
「よほど自分の戦闘に自信があるのか」
「あるいは、王子として前に立つことを求められているのか」
ノアが低く言う。
「どっちにしても、向こうから来てくれるならやりやすいね〜。迎え撃つだけなら」
「楽観はできない」
ノアがすぐに切った。
「相手は王子班だ。前に出てくるから狙いやすい、なんて単純な話じゃない。来るまでの形が完成してる」
一度、ノアの視線が俺に向いた。
「――ただ、蓮。お前は切り札になりうる」
「俺?」
反射で聞き返してしまう。
「お前はまだ魔術を使い始めて日が浅い。相手から見れば、読みづらい」
「定石が少ない、ということです」
エヴリンがその言葉を引き取る。
「慣れた相手ほど、その不確定さは嫌います」
「未知はこちらの武器になる、ってことだね〜」
ノアは続ける。
「三回しかないのは厳しい。だが、三回しかないからこそ、全部を勝負どころに使える」
胸の奥のざらつきが、少しだけ形を変えた。
制限がある。足りない。それは変わらない。でも”使えない側”じゃなく、“使いどころを選ぶ側”として見てくれているのはわかった。
「蓮。いけるか」
右手を膝の上で一度、握る。熱はない。けれど火種は消えていない。
「……できる限りやってみる」
ノアが小さく頷いた。
「よし。具体的な作戦に移る」
ノアがテーブルの上に、折りたたんだ紙を広げた。
魔術演習場の見取り図だ。手書きで、いくつかの矢印と印が書き込まれている。
「まず前提の確認だ」
ノアの指が、見取り図の上をゆっくりなぞる。
「相手は五人。こちらは六人。数は上だが、練度は向こうが上だ。数の有利はないと思っていい」
その上で、二か所を指先で軽く叩いた。
「特に警戒すべきは二人だ。前衛のダリル・ヴィンセント・ロックウェル。ロックウェル家直系の槍使いで、常にレオンハルト王子の横を固めている」
「王子が前線を切り開くなら、ダリルはその隣で形を崩させない。真正面から押し込む力もあるが、それ以上に厄介なのは、王子の進路と死角を同時に守っていることだ。あの二人は前線で一組だと思っていい」
「去年もそうでしたね」
エヴリンが静かに続ける。
「王子が前に出て、ダリルがその横を外さない。片方だけを見ていると、もう片方に押し切られます」
カイルが短く言った。
「王子に意識を向けた瞬間、横から槍が来る」
それだけで、情景が目に浮かぶ。
前に出てくる王子。その横で、ぴたりと間合いを合わせる槍。二人で一つの刃みたいだ。
ノアはもう一か所へ指を動かした。
「もうひとりは後衛のセリーヌ・オリヴィア・フォルティス。前線が少しでも乱れた瞬間、その綻びを見逃さない」
ノアの指先が、見取り図の後方を軽く叩く。
「火力で押すタイプじゃない。判断が速い。一度通されれば終わる。削るためじゃなく、崩れた側をそのまま落としに来る」
「去年もそうでした」
エヴリンが補足する。
「誰かが崩れたあとではなく、崩れた瞬間にもう撃っています。立て直す時間をくれません」
クララが小さく息を呑んだ。
「…回復しようとした子まで、一緒に止められてた。助けに入る隙もなかったの」
「典型的な押し込み型だね〜」
テオの軽い言い方だけが、少し浮いて聞こえた。
「だから迎え撃つ形を作る」
ノアが見取り図の中央を指で叩く。
「最初から前に出ない。演習場後方の三分の一を使って守りを固める。テオはここ、奥の壁際。クララはその前。俺とエヴリンで左右に開いて前線を張る。カイルは自由に動け」
「撹乱担当か」
カイルが短く頷く。
「そうだ」
そして、ノアの視線が俺に向いた。
「蓮は、エヴリンの後ろに立て。前には出るな」
「……後衛か」
「そうだ」
静かな声だった。
でも、有無を言わせない響きがあった。
前には出るな。
たったそれだけの言葉なのに、自分だけ戦列の外に置かれたみたいで、胸の奥が少しざらつく。
「三回は温存しろ。前半は使わない前提で動く。俺とエヴリンで流れを作る」
「流れを作って……どこかで蓮くんを使う、ってこと?」
クララが確かめるように言う。
「そうだ」
ノアは頷いた。
「ただし、使うタイミングは状況次第で変わる。蓮、お前はその場で俺の判断に従ってくれるか」
「わかった」
「エヴリンが指示を出す場合もある。どちらの声にも、即座に動いてくれ」
「了解」
エヴリンが、ノアの言葉を引き取るように続けた。
「蓮くん。一つだけ確認させてください」
「なに?」
「魔術を使わない時間が長くなります。前衛の後ろで待機する形になりますが、焦れますか?」
真っすぐな目だった。責めているわけじゃない。
ただ、そこを曖昧にしたくないという顔だった。
「……正直に言えば、少しは」
「それで構いません」
エヴリンは頷く。
「焦れる感覚は消さなくていい。ただ、それで動くタイミングを早めないでください。そこだけ守ってもらえれば」
「わかった」
短く返したものの、胸の中のざらつきは残ったままだった。
後ろに立て。
使う時はこちらが決める。
全部正しい。全部、今の俺には必要なことだ。
でも、必要だとわかることと、気持ちよく飲み込めることは別だった。
ノアが全員を見回す。
「質問は?」
誰も口を開かなかった。
「……あと、一つ」
立ち上がりかけたところで、俺は口を開いた。
「なんだ」
ノアが視線を戻す。
ここまで決めても、まだ何か足りない気がしていた。
三回で足りないなら、それ以外の手を探すしかない。そう思って、カバンに手を入れる。
取り出したのは、キューブ状の魔道具だった。
手のひらに乗るくらいの大きさで、表面には細かい紋様が刻まれている。透明な本体は、光の加減でかすかに青みがかって見えた。
「カイルとクララは初めて見ると思う」
テーブルの上に置くと、全員の視線がそこへ集まった。
「この前、蒼灯舎に行った時にもらったやつなんだけど」
「この間のだね」
テオが身を乗り出す。
「何かが起きることはわかってる。でも、何が起きるかは使ってみないとわからないって話だった」
しばらく、誰も喋らなかった。
クララが慎重に口を開く。
「……お店の人はなんて言ってたの?」
「店の人も、よくわからないって言ってた。これを店主に渡したやつは名前も名乗らなかったらしい」
「名乗らず、効果も示さずにか」
カイルの声が、一段低くなる。
「……そうなんだけど」
エヴリンがノアを見る。
ノアはすでに、その魔道具を正面から見つめていた。
「ノア」
「ああ」
ノアが口を開く。
「蓮。悪いがその魔道具は、作戦に組み込めない」
「……やっぱり、そうか」
「出所がわからないものを、公開の模擬戦で使うのは危険だ。何が起きるかわからない以前に、どこの誰が作ったかわからないものを信用する理由がない」
静かだが、迷いのない声だった。
「最悪の場合を考えろ。悪意を持って作られたものだとしたら、使った瞬間にお前だけじゃなく、周りにも影響が出るかもしれない」
「……そこまでは考えてなかった」
「だから言っている」
ノアは俺をまっすぐ見た。
「その魔道具は、今日からしまっておけ。模擬戦が終わるまで、使うな」
「わかった」
素直にそう言いながら、俺は魔道具をカバンの奥に戻した。
ノアの判断は正しい。
本当に、そう思っていた。
でも同時に、それを出した自分が情けなくも感じた。
三回じゃ足りないかもしれない。だから別の手を探す。
俺一人だけ焦っているのが透けて見えた気がした。
「各自、イメージを作っておけ」
ノアが言う。
「今日の午後、時間があれば演習場を確認しておくといい。細かい動きはそこで合わせる」
そこで会議は終わった。
テオが大きく伸びをしながら立ち上がる。
「じゃあ飯でも食べて英気を養いますか〜! 蓮、食堂いこうぜ」
「ああ」
椅子を引いて立ち上がる。
その時だった。
「――奇遇だな」
扉の外から、落ち着いた声が聞こえた。
振り向く。
扉の前に立っていたのは五人だった。
先頭に立つのは、俺も顔を知っている人物だ。
背が高く、腰に剣を下げている。金に近い色の髪。見た目だけなら学園の他の生徒と大きく変わらない。
でも立ち方が違う。
重心の置き方、視線の高さ、そこにいるだけで場の空気をわずかに支配してしまうような、静かな圧があった。
レオンハルト・アリエス・ヴァルモンド王子。
「ノア班か。丁度いい、少し話せるか」
ノアが一歩前に出る。
「何でしょうか」
「大した用ではない。明日の前に顔を合わせておこうと思っただけだ」
穏やかな声だった。
敵意はない。それがかえって、どこか測りにくかった。
「明日はよろしく頼む、ノア」
「こちらこそ」
ノアが静かに返す。
王子の視線が、ノア班の面々をゆっくりと流れた。
エヴリン。カイル。テオ。クララ。
一人ずつ確認するように見ていく。
そして俺のところで、止まった。
一拍。
本当に短い時間だった。
それでも俺にはわかった。視線が向いた場所を、俺は理解していた。
右腕だ。
反射で、袖に触れていた。
気づいた時には、もう手が動いていた。
その瞬間、右腕の奥が小さく脈を打った。
「君が、星宮蓮か」
名前を呼ばれる。
「……そうです」
「異世界から来たと聞いている」
隠す必要のない事実だ。
でも王子の口から聞くと、なぜか体の奥がざわついた。
「よく適応したな。感心する」
王子は笑った。嘘のない笑い方に見えた。
でも、それだけだった。右腕については何も言わない。俺が触れたことにも、触れない。
「では、明日。お互いに悔いの残らないようにしよう」
それだけ言って、王子班は廊下を歩いていった。
足音が遠ざかるまで、誰も動かなかった。
やがて、その音も消える。
「……見ていましたね」
最初に口を開いたのは、エヴリンだった。
「ああ」
俺は頷くしかなかった。
「俺が袖を触ったから気づいたのかもしれない。でも……最初から知っていた気もする」
ノアが低く言う。
「どちらでも、やることは変わらない」
「変わらない?」
テオが聞き返す。
「向こうが何を知っていようと、俺たちにできることは同じだ」
ノアは少しの間だけ黙り、それから続けた。
「作戦は変えない」
「強気だな」
カイルが言う。
「強気じゃない」
ノアはまっすぐ返す。
「他に選択肢がないだけだ。知られているなら、知られたままで勝ちにいく」
誰も何も言わなかった。
俺は袖から手を離す。
右手を、一度だけ握る。熱はない。
それでも、王子の視線が止まったあの一拍だけが、まだ右腕の奥に残っている気がした。
答えは明日出る。
今の俺にわかるのは、それだけだった。




