3-8 動揺の午後
「テレーゼ様とヴォルフ様は──」
アメリア姫が、湯気の立つティーカップに目をやりつつ、静かに切り出す。
「なにやら、少し不思議なご縁でご結婚されたと伺いましたの」
「あっ、はい。ええ、そうなんですの」
思わず、照れくささに頬がゆるむ。思い返すたびに、なんとも間抜けな縁だったと思う。
「もともとは、ヴォルフ様が『メイドを紹介してほしい』とご希望されたのを、ユリウス殿下が『結婚相手を探している』と勘違いなさって……それで、私が……」
そう説明しながらも、私は堪えきれずに、息を漏らすように笑った
(ふふっ……初めてこの家に来たときの、ヴォルフ様のぽかんとしたお顔。今でも、はっきり思い出せますわ)
「まあ、それは……なかなか興味深いお話ですわね」
アメリア姫はほんの一瞬、目を見開いた。
「では、やはりおふたりのご結婚は、愛があってのことではなかったのですね?」
姫の声音は柔らかだけれど、その言葉の端々に、含みのある鋭さを感じた。
「え、ええ……」
困ったように笑みを作りつつ、私はふと考える。
(まあ……わたくしがこの家に来るまでは、お互い知らなかったわけですし、そうなるのかしら?)
「き、きっかけはどうあれ……!」
私は少し身を乗り出し、手のひらを胸に当てる。
「わたくしは、ヴォルフ様のことが大好きですわっ♡」
語尾までしっかりと言い切ってから、はっと口元を押さえる。
(いけません! ちょっと熱が入りすぎてしまいましたわ。わたくしったら、アメリア姫の前でなんてことを!)
「そうですの?」
アメリア姫の声音が、ほんのわずかに沈んだように感じた。そして、探るような調子で次の言葉が続く。
「でも、失礼を承知で申し上げますが……この国では、ユリウス殿下のような、細身で中性的な男性が好まれると伺いましたわ。それに比べてヴォルフ様は──少々、印象が異なるように思いますの。テレーゼ様ほどお美しい方でしたら、そうした『理想の殿方』とのご縁も多かったのではありませんか?」
「……ええ……世間の理想は確かにそうなのですが……」
つい頬が熱を帯びる。だけど、ここで曖昧にしては誤解されてしまう。だからこそ──
(ここは……正直にお伝えするべきですわね!)
「わたくしっ!」
思わず立ち上がり、胸を張る。
「筋肉が、大好きなんですのっっ!!」
その宣言が応接室に響き渡り、空気が一瞬で静まり返った。
「……は?」
アメリア姫はティーカップを持ったまま、ぽかんとこちらを見つめている。
「線の細い男性なんて、笑ってしまいますわ!」
もう抑えきれず、私はそのまま身振り手振りを交えて力説しはじめた。
「厚みのある胸板に、引き締まった腹筋、逞しい腕に、しっかりとした脚っ……! そこに詰まっているのは、努力と情熱と、そして信念ですの!!」
拳をぎゅっと握りしめ、机を小さく震わせながら言葉を叩きつけた。
「そんな尊い筋肉を、日々鍛錬で積み上げておられるヴォルフ様は……まさしく、わたくしの理想のお方ですわっ!!」
言い切った瞬間、はっと我に返る。
「……はぁ、はぁ……あら、わたくしったら……つい熱くなってしまいましたわ……」
頬を赤らめ、そそくさと席に戻りながら、スカートの裾を整える。
アメリア姫は、顔に微笑を張りつけたまま動きを止め、視線を宙に泳がせた。口元はわずかに引きつっていて、どう返すべきか逡巡しているのが見て取れる。
「……あ、ああ……そうですの。なるほど、よく……伝わってまいりましたわ」
とても丁寧な口調で言い切ると、姫はわずかに姿勢を正し、目元の色を変える。
「では、あなたはヴォルフ様の筋肉に惹かれて結婚なさったというのね? つまり……お身体がお目当てで」
「えっ、い、いえっ!? そ、そんなつもりでは──っ」
あわてて否定しかけた私だったが、
「……ええ。そういうことでしたら、安心いたしましたわ!」
アメリア姫は、どこか肩の力を抜いたように、満足げにうなずいた。
「ヴォルフ様はもともと結婚する意思がなかった上に、あなたはヴォルフ様のお身体がお目当て。おふたりの間に恋愛感情がないのなら、わたくしが求婚しても、きっと問題ありませんわよね?」
「……きゅう……こん?」
ぽかん、と口を開けたまま、頭の中で言葉をばらして並べ直す。
「求婚、って……アメリア殿下がヴォルフ様に……?」
こてんと首を傾けたその瞬間、ようやく意味が理解できた。
(……えっ!? ええええっ!?)
「ええ、実は──ヴォルフ様は、わたくしの恩人なのです」
アメリア姫はカップをテーブルに戻し、声を少し落として語り始めた。
「まだ幼い頃のことでした。街中で野犬に襲われそうになったわたくしを、助けてくださったのがヴォルフ様だったのです。あのときの勇ましいお姿は、今でも胸に焼きついております」
その瞳には、懐かしさと憧れを混ぜたような光が揺れていた。
「以来、ずっと心の中でお慕いしておりました。そして、この数日の滞在で確信しましたの。やはりヴォルフ様こそ、わたくしの理想ですわ」
「…………えっ」
喉にぺったりと何かが貼り付いてしまったかのように、言葉が出てこなかった。
(幼い頃……野犬……ヴォルフ様が助けた? それって……)
胸の内側で、小石を投げ込まれたように波紋が広がる。歯車が空回りするかのように、思考がうまくまとまらなかった。それでも、必死に言葉を探して、私は震える声で絞り出した。
「……でも、すでにヴォルフ様は……わたくしと結婚しておりますわ」
アメリア姫の視線が、じっとこちらに向けられる。けれど私は、その視線に負けじと、膝の上の手をぎゅっと握りしめた。
「ええ。それは承知しておりますわ。でも──」
姫の目が、わずかに細められた。
「わたくしの国には、『王族が望む場合、婚姻を上書きできる』という制度がございますの」
彼女の瞳の奥にある意志の強さが、こちらにじりじりと迫ってくる。
「そしてその制度を、正式にレオポルト陛下に申し入れようと思っておりますの」
言葉の意味を理解した瞬間、心臓が冷たいもので締めつけられたように縮みあがった。鼓動が耳の奥で不快なほど響き、喉がひゅっと狭まる。
それでも……言葉が出てこない。 アメリア姫は、表情をほとんど動かさぬまま、最後の一言をまるで切り札のように差し出した。
「あなたがヴォルフ様の筋肉に惹かれたように、わたくしもヴォルフさまに心惹かれましたの。わたくしはヴォルフ様の『すべて』を、お慕いしております」
応接室に、張りつめた沈黙が落ちる。姫はそれ以上言葉を足さず、音もなく立ち上がった。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございました。素敵な奥様にお会いできて、光栄でしたわ」
その言葉を残すと、ドレスの裾を軽やかに揺らしながら踵を返し、まるで何事もなかったかのように扉へと歩み去る。
ぽつんと残された私は、立ち上がることも、声を出すこともできずに、ただソファの端で身じろぎもせずに座っていた。アメリア姫のさっきの言葉だけが、頭の中でぐるぐると反響し続ける。
「……テレーゼ様」
背後からの小さな声が、水の底から響くようにぼんやりと耳に入った。振り返ると、セシルが不安げな表情でこちらを見つめている。おそらく、今の会話を一部始終聞いていたのだろう。
セシルの眼差しに触れた途端、こらえていた心が一瞬で崩れそうになる。必死に息をのみ、私はただ黙って視線を返すことしかできなかった。




