2-2 ご結婚、継続ですって♡
ルーディさんの夕飯は、それはもう絶品だった。メインは赤身の牛ステーキに香草バターとレンズ豆のソテー。お肉の中でも赤身は特に、筋肉の回復と増強にぴったりなのだとか。さらには、レンズ豆で栄養バランスも完璧なのだそうだ。
(あんなに美味しくて……しかもヴォルフ様の筋肉のためになっているだなんて……最高ですわっ!!)
午後にたっぷり創作活動をした私は、もうお腹ぺこぺこで……気づけば夢中でもりもりと食べてしまっていた。
(……い、いけませんわっ。これではまるで、大食い令嬢です……っ)
そんな私とは対照的に、ヴォルフ様はどこかぐったりしたご様子。まあ、あれだけ剣を振っていらしたのですから、無理もないですけど。毎日あんなに長時間、鍛えていらっしゃるのかしら? でも、それが日課だなんて……
(うふふっ。これはもう、創作活動が捗りそうな予感しかしませんわ〜っ)
*
夕飯のあとには沢山の荷物と共にセシルも到着し、これでいよいよ、ヴォルフ様の邸での生活が本格的に始まる。
「えっ、ではヴォルフ様はテレーゼ様と結婚するつもりはなかった……と?」
持ってきたドレスをクローゼットに並べていたセシルが、手を止めてこちらを振り返る。驚きのあまり、ハンガーを落としそうになっていた。
「そうですの。ヴォルフ様が、明日ユリウス様に確認しに行くそうだわ。だから今夜はまだ、私とヴォルフ様は『夫婦(仮)』ってところね」
ふふっと面白くてたまらない気持ちで笑ってみせると、セシルは呆れたように首を振り、わずかにため息を漏らした。
「……テレーゼ様は、もうすっかりその気じゃないですか。さては……すごかったんですね? ヴォルフ様の筋肉が」
セシルと私は、主従ではあっても付き合いは長い。私の筋肉に対する愛も、日頃の創作活動も、すべて知った上で見守ってくれている、大切な理解者だ。
「とっっっっても、すごかったんですのよ!!」
私は勢いよく立ち上がると、すぐさま、さきほど描いた絵を取り出して、セシルの前にぱんっと掲げてみせた。
「セシル、ちょっとこちらをご覧になって! 午後に描いたばかりの、最高の一枚ですの!」
「……あ、はい。って、え、これ……ヴォルフ様ですか?」
セシルがスケッチブックをのぞき込み、ぴたりと動きを止める。
「腕の筋、すごっ……肩の盛り上がりも……え、なんですかこれ、今にも動き出しそうじゃないですか……躍動感すご……」
セシルが漏らす感嘆の声に、私は鼻高々にうなずいた。
「そうでしょう!? 汗のきらめきまでばっちり再現してみせましたのよ! 特にこの、滴る首筋なんて……とっても上手く描けたと思いますのっ!」
「……で、これ。どこから描いたんです?」
「え? どこって、それはもちろん中庭の植え込みの陰──」
言いかけて、私は口を閉じた。セシルがじ〜っと私を見ている。
「……植え込みの陰、ですか」
「の、覗きじゃないですわよ? ヴォルフ様を深く知るための、れっきとした、現地取材ですわっ!」
私は絵をくるくると丸めながら、あわあわと、そう説明した。
「はいはい。なるほどなるほど、そういうことにしておきます」
*
翌日。がちゃり、と玄関の扉が開く音がして、私は思わず立ち上がった。
(帰ってらっしゃいましたわ!)
弾かれるようにして廊下を抜け、玄関へと急ぐ。
「ヴォルフ様、おかえりなさいませっ」
私が駆け寄って声をかけると、少し遅れてセシルが、そしてマチルダさん、ルーディさん、ハロルドさんまで、気づけば全員が玄関ホールへ集まっていた。
「なっ……!」
ずらりと勢揃いで出迎えられ、ヴォルフ様がたじたじと後ずさる。
「それで……ユリウス様は、なんと?」
私が静かに尋ねると、ヴォルフ様の目がそわそわと泳ぎ出した。
「それは……その……つまり……」
口を開きかけて、閉じる。……また開いて、やっぱり閉じる。
「坊ちゃま、はっきりお言いなさいまし!」
マチルダさんの鋭いツッコミが飛ぶと、ヴォルフ様は観念したように小さく息をつき、うつむきながら——
「……けっ……結婚を……継続しろ、と……おっしゃっていた……」
まるで地面にでも話しかけているかのように、小さくぽつりと呟いた。その瞬間、場の空気がわっと華やぐ。
「まぁぁっ! 坊ちゃまが! ついにっ!」
マチルダさんは目を潤ませながら、感極まったように両手を合わせ、
「うおぉぉぉっ!? 奥さま〜〜〜っ!!」
ルーディさんが両手を高く掲げて叫んだ。
そんな熱気に包まれるなか、私はそっとヴォルフ様のもとへ歩み寄り、お顔を見上げて、いたずらっぽく唇を緩めながら言った。
「では、これで私たちは正式に夫婦ですわね?」
目を逸らしたままのヴォルフ様が、ビクッと肩を震わせる。
「うっ……!」
ぐいっと顔をそむけたその横顔は、みるみる朱に染まっていった。
(やっぱりヴォルフ様って……可愛いですわ♡)
そんな私とヴォルフ様を、使用人の皆さまが温かい目で見守っていた、そのとき。
「あら! こうしちゃおれませんね!」
マチルダさんがはっと顔を上げる。
「正式にご夫婦になられたのですから、おふたりの寝室をご用意しなければ!」
嬉しそうにそう言い放ち、くるりと踵を返そうとした、その瞬間——
「ま、待てっ! 待て待て待て!! 早い! 早すぎるっ!!」
ヴォルフ様が珍しく慌てたように声を上げ、ガシッとマチルダさんの肩を掴んで止めた。
「坊ちゃま、なぜ止めるんですの?」
マチルダさんは不服そうに眉をひそめる。
「な、なにも今すぐ同室にしなくても……その、俺とテレーゼ嬢は、まだ……っ」
額に汗をにじませながら言い淀むヴォルフ様の姿に、思わず私の頬もほんのり熱くなる。
(い、いきなり同室は……私も少し緊張しますわ。でも……でも……どうしてもと、おっしゃるなら……きゃっ♡)
そっと頬を押さえて身をよじっていると、ふと視線を感じて顔を上げた。ヴォルフ様が、こちらを見て固まっている。
彼はほんの一瞬、息を飲んだようにまばたきしたあと、わずかに引きつった顔で、そっ……と視線を逸らす。それから、どこか怯えるような声で、ぽつりと口を開いた。
「……テレーゼ嬢。あとで少し話をしたいんだが」
「はい、もちろんですわ」
私は心からの笑顔で頷いた。
(ヴォルフ様が……わたくしに、話したいこと……?)
嬉しさと緊張が胸をくすぐり、私はきゅっと胸元で手を組んだ。
「ええ、夫婦は語らいが大事ですものねっ! 存分に語らいましょう!」
ヴォルフ様が「は? ちがっ……そうじゃなくて……」と慌てる様子を横目に、私はなんだか特別な夜になりそうな予感に、胸を踊らせていた。
*
(……はあああああ!?)
寝室!? 同室!? アホか!? 何を言い出してるんだマチルダは!!ちょっと結婚継続が決まったくらいで、なんでいきなり寝室の話になる!? いや、夫婦だけど! 紙の上では! 俺はこの子と昨日初めて会ったんだぞ!?
(……いや、こんなこと言い出されて、彼女だって当然困るだろ──)
ちらり、と視線を向けた先で、テレーゼ嬢がぽっと顔を赤らめ、身をくねらせながら両頬を押さえていた。
(……は?)
ちょっと嬉しそう……だと? なんか、ほんのり期待しちゃってないか!? いや、まさかな。さすがにそれはない。たまたま頬が赤くなっただけかもしれんし、角度の問題かもしれない。照明のせい……かもしれない。
(だって困るだろ普通。いきなり同室などと言われて、緊張して……こう……気まずい空気に——)
「ええ、夫婦は語らいが大事ですものねっ! 存分に
語らいましょう!」
(か、語らう気満々だとーーーーっ!?)
ダメだ。このままだと、何かが、何かが始まってしまう。俺は、ただ「落ち着いて話したい」ってだけだったのに!!
(誰か……誰か止めてくれ……!!)




