最終幕 ①
モルテガ邸が襲撃されてから数日の内に、魔王城では長男・グレンの葬儀が手厚く執り行われた。
本来であれば、魔界全土から領主を始め、関係者が大勢集う習わしであるが、今回の葬儀に限っては、魔王城にいる者たちのみの参列であった。
魔王は葬儀の用意と同時に人間界へ使者を送り、緊急会談の日時を取り付けた。
アリサは城に戻った日の夜、フレイに肩を引かれるまで、かつて行われた母の葬儀のように、グレンの傍から離れようとしなかった。
(これ以上悲しまないためには、何か対応策を講じなければならない)
アリサはフレイにヴァイオリンを用意してもらい、自室に籠り、苦しみのすべてを心の隅に置きたいという心理も相まって、無我夢中で練習した。
だが、そう簡単に忘れられるわけもなく、頭には常に川原の光景が浮かび、ローランが微笑みかけてきては、涙を流した。
(なんとなく、わかってきた。泣いてしまうのは、感情があるからだ)
人間用の食事も喉を通らず、フレイにも魔王にも心配を掛けてしまうアリサだったが、ある日の夜遅く、ランニングのために城門広場へ出たとき、見張りに立つケインが口にしていたとあるものに目を奪われた。
「ケイン」
「アリサ様! こ、こんな夜更けに、どうなさったので?」
アリサは、陸軍で支給されたTシャツ、ミリタリーパンツ、ブーツという出で立ち。可愛らしい顔立ちとはギャップのある武骨な姿に面食らったか、ケインは緊張した面持ちで言った。
「どうしても気晴らしがしたい気分なの。それより、あなたのそれ、なに?」
ケインは金属のカップに、何やら湯気の立つ灰色の液体を入れていた。
「これですかい? 温めたヘドロミルクですが……?」
「とてもいい香りね。味見させてくれない? お腹も減っているの」
「えっ、でもアリサ様、これは魔族の飲み物ですぜ? なんでしたら、俺が倉庫からパンとミルクでも――」
「いいから、ちょうだい?」
「あわわ」
オーク特有の黒い素肌をピンクに染めて、ケインはカップを差し出した。
(か、関節キッスッ⁉)
アリサはすぐ隣で心の声が聞こえた気がしたが、口にしたヘドロミルクの濃厚な味わいが消し飛ばした。
「――こんなにおいしいなんて、知らなかったわ」
「そ、そうですかい? お気に召したのでしたら、よかった……」
「ごちそうさま」
アリサはにこりと、カップを返す。
(このケインッ! 生涯初のッ! 関節キッ――)
アリサは風を切って走り出した。
ヘドロミルクのおかげか、いくらか気分が晴れた気がして、アリサはそのまま息も切らさず、朝まで走り続けた。しかしそれでも、彼女の心の傷は、癒える気配が無い。
(魔族により近づいて、味覚が変わった。このままもっと人間から遠ざかれば、感情も消えて、楽になれるかもしれない。それを、幸せと呼ぶのかも)
晴れやかな表情の裏側に浮かぶ思考は、まるで真逆。
(人間の感情が、邪魔だ)
♡
「――儂とも親しい間柄だったモルテガ辺境伯が亡くなり、その事件の首謀者として、我が娘アリサが疑われる始末。なぜ、ここまでこじれたのか。……皆目わからぬ。不幸で無意味な出来事が重なったとしか、言いようがない」
グレンの葬儀から二十日後。アステラス王国王都――ガラド城の大広間。緊急会談の席で、魔王は言った。
魔王は人間と比べれば、座っていても頭一つ抜ける背の高さである。今のように席から立った状態では、もはや巨人と子供のような高低差があった。
「此度の一件で、アステラス国王は、その大切なご子息を二人亡くし、儂も長男を亡くした。……もううんざりだ。皆様に今日この場に集まって頂いたのは、今後二度と、こうした惨劇が繰り返されることのないよう、互いに努力する。その約束を交わすためである」
「待たれよ、魔王。ウェスタリエ国王の代理の意見として言わせて頂くが、あなたの言い分には大事なことが足りない。それは、そも、今回の出来事が一体誰の手によって引き起こされたのか。その追求と、責任の所在をどこに置くのか、然るべき報いはどのようなものか。それも決めねばなりますまい」
「そうだ! ことカスバート王子に置かれては、首を潰されるという、実に惨たらしい思いをして亡くなられたのだ! 彼らの無念を晴らすためにも、報復は絶対だ!」
木製の重厚な長テーブルを囲んで、国王や高官から横槍が入った。
「レギス国王、ウェイランド高官。儂が此度の件を、あえて、『不幸で無意味な出来事が重なった』と言ったのには理由がある。それは、事の黒幕が一人ではないと睨んでいるからだ。およそ一人では為せぬ出来事が起き過ぎている。複数の者が、結託または関与し合って事に及んでいる以上、今ここで特定の国、組織、個人を、実行犯として白日の下に晒すのは困難を極める」
アリサは、父親たちの話し合いを、広間の壁際に着席して傾聴している。魔王の視界に常に入る位置の椅子だ。
アリサの隣に座るフレイが、耳元で囁く。
「魔王の暗殺を謀ったのがグリバス。それに合わせる形で、魔王に毒を盛ったのが別の誰か。モルテガ卿が我々に協力的なことを察知して粛清に来たのがカスバート。彼の真の目的は、グレン様をおびき出して倒すことだった……」
「カスバートには、どう考えてもグレン兄様と渡り合えるほどの力は無かった。でもあのときは、高度な魔法を使いこなしたうえ、特別な剣まで持ち出して、兄様を死に追いやった……」
アリサもそう囁いて、広間の面々に睨みを利かせる。
「さらには、辺境伯領の見張り台――そこに常駐する部隊にまで息を掛けてあった。カスバートの器では、そこまで実現できないわ」
「カスバートはこれまでの間ずっと、自分の力を隠していたという線は?」
「わたしの見立てでは、モルテガ様の館に現れたカスバートは心が偽物。具体的には、誰かに魔法で言動を操られていたのだと思う。彼自身の発言に、いくつか心当たりがあるの」
「言われてみれば、口調も以前とは別人でしたものね。……だとすると、一体誰がカスバートを操ったのでしょうか?」
「それが、わからない」
アリサはフレイを横目で見た。
「だからわたしは今回の会議に、黒幕が来ていないか観察しているの」
「観察してわかるものですか?」
「嘘をついている人間を見抜くのは難しいけれど、誰が誰に意識を向けているのかは、目線を辿ればわかる。これはお父様から教わったテクニックよ」
「どういうことですか?」
「この中に黒幕が複数いて、結託していた場合、必ずお互いにアイコンタクトを取るはず。特に、今回はお父様が本気で探りに来ているわけだから、気が気ではないはずよ。相手を、疑り合いと探り合いの環境下に置いて追い詰めれば、必ずボロが出る」
フレイはちらりと、アリサを見た。
「今、フレイはわたしを意識して見たでしょ? こういうことよ」
「良い意味で、ですが、魔王もアリサ様も、恐ろしいお方だと思いました……」
「お父様に似たのは、純粋にうれしいかも」
アリサは会合に目を向けたまま、口元を綻ばせた。
アリサの装いは、モルテガ邸のときと同じ、今風のスーツスタイルで、ショートカットの髪も三つ編みでアレンジしてある。そのためか、壁際に控える従者や護衛、テーブルに座る重鎮たちまでもが、時折ちらりと、視線をアリサへ向ける。
アリサはこの土壇場で、直接視線を交錯させずとも、視界の隅でそれを察知する感覚を身に着けていた。
(警戒すべきは、わたしに背を向けている者たちだけれど、それについてはお父様が見る。他の者については、ここぞという場面で、わたしのことを見ていた場合は〝白〟だと言える。使うのが知略の目か、流し目か、わたしを首謀者と疑う目か。その違い)
「――とはいえ、だ。ここに集われた王族、領主、高官の皆々様に関しては、儂は一切の疑いも持ってはおらんと、ここに宣言しよう。我々はパートナーであり、今回の件も例外なく、手を取り合って解決に臨むものと考えている」
魔王の言葉に、いくつかの視線が動く。
「魔王の厚い信頼に感謝したい。私は彼と同様、今回の件で息子を失った。無論、同じことは絶対に繰り返させないし、解決するまで手は止めん。ありとあらゆる手段を講じて、アリサ王女の疑いを晴らし、黒幕を処刑台に送る考えだ。他の方々は如何にお考えか?」
アステラス王国国王・アステラスが口を開いた。背中まで伸ばした白い長髪と、同色の口ひげを整え、年老いる前はかなりの美男であったことを窺わせた。
『かつては散々、世界で暴れ回った天下の魔王が、負けて平和主義者になったかと思えば、子供を失った途端に私情を持ち出して、我々に対し、同じことは起こさないと約束せよ、と仰る。些か虫が良すぎるとは、ご自身で思いませんか?』




