第四幕 ④
アリサの声に、カスバートは目だけを向けた。
「射ても構わんが、賢明とは言えんな。敵を挑発することになる」
「フレイ!」
アリサの合図で放たれた矢は、見事にカスバートのこめかみを捉えた。
カスバートは指をもう一度鳴らし、アリサたちの方へは目もくれず、グレンと向き合う。
矢はそんな彼の頭部――その数ミリ手前で停止していた。
「あれは⁉」
「魔法障壁ね……」
動揺の声を上げるフレイに、アリサは言った。
無言魔法の使い手は、いつどんな魔法を唱えたのか、直視するまで把握できないため、今のようにこちらが後手に回ってしまう。
「――さて、グレン。話の続きだ。お前にはここで死んでもらうつもりだが、一つ助かる道を用意してある。聞きたいか?」
「抜かせ。このグレン、貴様のような者に屈するほど堕ちてはおらぬ!」
「そう言うだろうと思ったさ」
指が鳴らされ、グレンの身体がさらに締め上げられる。鎖が絡みついた部分の鎧が歪み、亀裂が生じ、彼の顔は鬱血で赤黒く変色し始めた。
「兄様!」
アリサは、ローランの手から一メートルほど離れた場所に落ちた猟銃を見遣る。
ここで、遠くの方から馬車が二つ、こちらへ向かって来るのが見えた。
メイドのホリィが呼んだ増援かと期待するアリサだが、思い直す。
恐らく、カスバートの息が掛かっている。
「アリサ! 手出しは無用! この男は俺が討つ!」
グレンは言って、その逞しい両腕に人外の力を込めた。
鎖が悲鳴を上げ始め、グレンの腕を覆う鎧までもが軋み出す。
「鎖で弱められていても、見上げたパワーだな。さすがは魔界最強格と言ったところか」
カスバートはまだ余裕の表情で、おもむろに虚空へ手を翳す。
すると、虚空に小さな魔法陣が出現。そこから磨き上げられた銀の長剣を引き抜いた。
「鎖が千切れる前に済ませよう。さらばだ、グレン」
「待って!」
カスバートが剣を振り被ったところで、アリサは叫んだ。
「なんだ?」
目はグレンに向けたまま、カスバートは手を止めた。
「さっきあなたが言った、助かる道を教えて!」
「……グレン、良い妹を持ったじゃないか」
カスバートはグレンに、ニタリと白い歯を見せた。
「助かる道は、グレンが魔王の座を辞退し、グレイスに継がせることだ」
アリサの脳裏に浮かんだのは、姉の顔ではなく、あの地下室だった。
「それは無理な選択だな。決めるのは俺ではなく、我が父だからだ」
「まぁ、そうなるよな。わかっていたさ。さすがプライドの高いグレン。嘘でも頷いておけば、命拾いできたものを――」
鼻で笑うグレンに笑い返して、カスバートは彼の首目掛け、剣を振るった。
グレンは恐れる様子も、避けようともがく様子もなく、ただカスバートを真正面から睨むのみだった。
それもそのはず。グレンの肉体はアリサを凌ぎ、魔王に並ぶほどに頑強なのだ。たとえ首を狙われようと、致命傷にはなり得ない。
「兄様ッ!」
しかし、グレンの様子を見守るアリサは悲鳴を上げた。
黒紫の鮮血が飛び、グレンの目が驚愕に、カスバートの目が歓喜に見開かれる。
カスバートの刃はグレンの首――その中ほどまで食い込み、骨にぶつかったところで止まっていた。
本来であれば肉に少し食い込む程度であろうはずの斬撃が、首の骨まで達したのだ。
「な、なにッ⁉」
鎖の拘束も相まって、苦しげに漏らすグレン。
「どうした? 予想外の深手を負って恐くなったか?」
カスバートはもう一歩踏み込み、グレンに顔を近づける。
「言い忘れたが、この剣は、かつて勇者が魔王に致命的なダメージを与えた【聖剣】の金属で作られたものだ。同じ遺伝子を持つお前にも効くわけだな」
「聖剣、――折れたと聞いていたが、流用されていたとは……っ!」
カスバートが告げた事実に、グレンは歯を食い縛る。
「もう一度チャンスをやろう。アリサに継がせるのはどうだ? お前が父親を説得することもできなくはないだろう? 要は、お前が継がなければ良いだけなんだよ」
「……アリサはダメだ!」
グレンは彫りの深い精悍な顔に苦悶の色を浮かべ、アリサを見る。
「何故お前が首を振る? 決めるのは父親なんだろう?」
「我が父は、アリサには別の道を望んでいるのだ。魔王として立つのではない、別の道を。仮にそれを、父が心変わりするのであれば、俺が、反対する!」
「グレン兄様……?」
アリサは馬車の中で、父親から言われたことを思い出す。きっとグレンは、そのことを言っている。
「ほぅ? 別の道というのは?」
「俺は男だ! 詳しくはわからぬ! とにかく、アリサには、幸せになる道を行かせる! 俺
がここで、貴様を倒してな!」
アリサの耳を、風鳴りが覆った。
沈黙が共に去っていく。
「……おい、聞いたか? アリサ」
カスバートがアリサに、薄ら笑いを向ける。
「いい話じゃないか! 文字通り、妹思いの見上げた兄だよなぁ? 違うか?」
「グレン兄様、出来損ないのわたしなど、どうか構わず――」
「馬鹿者! お前は出来損ないなどではない! 我が妹だ!」
グレンが叫び、左腕の鎖を引き千切った。
「予想以上の力だな」
カスバートの額に、うっすらと汗が光る。
「お前は、幸せになるのだ! 邪魔する者は、たとえ我が父であろうと、このグレンが許さぬ!」
グレンは自由となった右手で、剣を持つ右手の鎖を瞬く間に破壊する。
しかし、その瞬間。
「時間切れだ」
背後に回り込んだカスバートが、もう一度、グレンの首に刃を振るった。
アリサの中で、あらゆる音が消し飛んだ。
アリサが見つめる先で、グレンは言の葉の続きを発することはなかった。
グレンの首が宙を舞い、残された胴部は、首の付け根から嘆くように多量の血を噴き出した。
「アリサ様!」
フレイがアリサを抱きしめ、視界を遮る。
アリサの脳裏に、過去の記憶が蘇った。
それは、アリサが幼い頃の、グレンとの会話。
『グレンにぃさま! このお人形さん、どうしたの?』
『知らぬ。黙って受け取れぃ』
『おしえてよぉ!』
『お、お前は今日、数えで四つの誕生日であろう!』
『覚えててくれたの⁉』
『俺は兄だぞ! 当然のこと! わかったら失せろ。鍛錬中だ!』
『ありがとう! だいじにするね!』
グレンは耳が赤いまま、アリサに背を向けて去っていく。
『グレン兄様?』
アリサの拳が、これまでにないほど強く、握り締められた。
世界が真っ白に包まれた。
「――いやぁああああああああああああああああああああああああッ‼」
平原に、アリサの号哭が雷鳴の如く轟いた。
(――もう、どうなってもいい。この底なしの怨嗟を、力に変えたい)
フレイはアリサから飛び退かざるを得なかった。
アリサを中心に爆風が広がり、周囲のものを吹き飛ばしたのだ。
「っ!」
フレイは、吹き飛ばされたローランの亡骸を辛うじて抱き留め、身を伏せる。
「な、なんだ⁉」
カスバートも腕で顔を覆い、アリサを睨む。
アリサは赤黒いオーラを身に纏い、立ったままがくりと項垂れ、表情は確認できない。
ショートに結わえた銀色の髪――その間から、猫の耳に似た形状の角が生えている。
カスバートも、そしてフレイも、アリサの豹変した姿に言葉が出ない。
シャツを捲り上げて露出したアリサの前腕は、龍の鱗のような赤黒い凹凸で覆われ、手はオーガの如く大きく武骨に骨張り、指先からは分厚く鋭い爪が伸びている。
膝から上――スカートの下から覗く太股にも鱗が見られ、筋量の増加も伺えた。
(魔人化――第二形態)
アリサは項垂れたまま、心の中で思う。
(わたしの大切なものを奪った者に、報いを)
そこへ、さきほど遠くから向かってきていた二台の馬車が到着。
荷台の兵士たちは布製のユニフォームを纏い、自動小銃を手に、続々と降りてきた。
リーダーの兵士が、カスバートに敬礼する。
「カスバート様。さきほどモルテガ卿の館から救援要請を受けて参ったのですが、例の作戦中のご様子。手が必要ですか?」
「ちょうどいい、あの女を囲んで射撃隊形を取れ。不測の事態だ」
乱れた髪はそのままに、カスバートはアリサを指差した。
兵士たちはすぐさま半円を描くように広がり、円の中央――アリサへ銃口を向ける。
「幸せになれって話だったなぁ? どうする? アリサ。ここで兄を追いかけるか? それとも幸せとやらを探しに行くか?」
カスバートは警戒しつつ、試すように話し掛ける。
「お前は兄や姉と違って、ほぼ人間の姿で、可愛いじゃないか。人間界に来ればさぞモテるだろう。モテる女は食うにも困らんぞ?」
「……わたしの幸せは、あなたが奪った。その代わりの幸せは、あなたを殺すこと」
アリサの和やかな声が、鋭利で冷ややかな響きを含み、さらに男性を思わせる、低く唸るような声と合わさって、三重に響いて聞こえた。
「残念だな。その幸せにはほど遠い」
カスバートは片手を持ち上げ、
「射撃用意」
彼の号令で、兵士たちがセーフティを解除。
「撃てばいい。ただし撃ち終えた時、わたしがまだ立っていたなら、再装填のチャンスは無い」
アリサが僅かに顔を持ち上げ、上目でカスバートを見た。
彼女が放つ深紅の殺気に当てられたか、カスバートの顔がここへ来て初めて引き攣った。
「アリサ様!」
フレイが叫び、
「撃て!」
カスバートが腕を振り下ろすと同時、合計一二丁の自動小銃が火を噴き、弾丸の雨をアリサに浴びせた。




