第四幕 ③
「そいつが死んだのは想定外だったが、まぁいい」
「あなたは、なにを言っているのですか? ローランは、――この子は、あなたの弟でしょう?」
アリサは一度ローランを見下ろして、それから兄を睨んだ。
「この姿だからややこしいが、|俺は違う(、、、、)。それは隅に置いてだ。グレンの奴を呼べないか? お前が潜伏する館でにぎやかにすれば駆け付けてくると思ったが、来ていない様子だからな」
カスバートの雰囲気や発言に不可解な部分を感じ、アリサは片目を細める。
(彼の話し方が、前と違う)
三日前に魔王城で会ったときのカスバートは、媚びへつらうような言動で、仕舞いには泣きじゃくる始末だった。それが、まるで別人のように落ち着いていて、淡泊な物言いなのだ。
「あなたは、わたしの兄に会いたいのですか? それも目的?」
だが事の優先順位は、カスバートの目的をはっきりさせること。不可解な部分は後に回さざるを得ない。
「そうだ。どちらかといえば、グレンを誘き出すほうがデカい。モルテガはもののついでさ」
「兄に会いたいのなら、なぜ、魔王城に行かないのですか?」
アリサの震える声に、カスバートは肩を竦める。
「こちらにもいろいろ事情があってな。こうでもしないと、向こう側からは来てくれなさそうだったんで、仕方なかった。ローランのことも、残念に思っている」
アリサは思わず、ぐっと拳を握りしめた。
(落ち着け! 魔人化はだめ!)
歯を食い縛り、どうにか憤りを抑える。
「――アリサ様」
ここでフレイがアリサの腕を引いた。
アリサはフレイが見つめる方向へ目を向け、息を呑んだ。
中空に現れた魔法陣。そこから、漆黒のマントを羽織ったグレンが現れたところだった。
「鳥の使い魔を放っておいて正解だった。よりによって、俺を直に狙うのではなく、妹に手を出してくるとは。人間どもの騎士道精神は地に落ちたと見える」
グレンは銀の長髪を靡かせて仁王立ち、カスバートを、それからアリサを見下ろした。
漆黒の鎧に身を包むグレンの強靭な巨体は、背丈が魔王を凌ぐ二・二メートル。全身から放たれる鬼気迫るオーラも相まって、その威圧感は魔王に並ぶ。
アリサは、川原で鳥たちが飛び立つ気配がしたのを思い出す。その中には兄が放った使い魔もいて、遠巻きに館を監視していたのかもしれない。
「アリサ。無事か?」
「はい……」
悲しみと絶望に胸を締め付けられていたアリサは、兄の顔を見て思わず涙を溢しそうになるのを、口を引き結んで耐えた。
「ならば、そこなカスバートの首をすぐに撥ねるのは待ってやろう」
グレンはそう言うと、カスバートに向き直る。
「カスバートよ、貴様にいくつか質問する。命懸けで答えよ。さもなくば、ここで死をくれてやるだけでなく、魔界と人間界の全面戦争に突入するものと知れぃ」
グレンは腰に下げた鞘から、太く長い剣を引き抜いた。
現・魔王から受け継いだ、【魔剣】だ。
「グレン兄様。お父様は……?」
「父上は順調だ、アリサ。会話もできる」
アリサはグレンの言葉で、胸の奥底に貼り付いていた呪いの如き不安が、綺麗に溶けていくのを感じた。
それでも、今のアリサの心は晴れない。
アリサの両手は、ローランの片手を握ったまま。
「グレン。俺はお前に、魔王の後を継いでほしくないんだ。好戦的なお前が君主になったら、事あるごとに怒り心頭で、戦争のリスクが跳ね上がるからな」
カスバートが両手を広げ、戦意の無いことをアピールしたときだった。
「誰が、話してよいと、言ったのだ?」
グレンの鬼気が、カスバートへ向けて放たれた。
魔王が放つ鬼気には突き刺すような深紅の視線が伴い、凄まじい威圧を誇るが、グレンの場合は目ではなく、声が威圧を底上げする。
彼の低くこだまする声に、風が跳ね返され、草が平伏し、大地が揺れ動く。
空気がビリビリと震動し、周囲にいる者すべての心胆を恐怖で圧する。
魔族であろうと人間であろうと、大抵の者が、魔王二世と呼ぶにふさわしいグレンの鬼気を前にしては、成す術なく屈服せざるを得ない。
対等に立つことも許されない、絶対的存在。アリサは目を見開き、その片鱗をグレンに見た。
(やはり、跡継ぎはグレン兄様こそふさわしい!)
しかし。
「ほらな? すぐこうなるから嫌なんだ」
アリサの見つめる先で、カスバートは笑みを溢した。
グレンを前に、アリサとフレイでさえ口を閉ざす中、カスバートだけが、まったく意に介していない様子だった。
「――カスバート。それが貴様の本性か?」
グレンも、カスバートの様子が魔王城のときと違っていることに気付いたか、そう聞いた。
「そうかもしれんし、そうでないかもしれん。一つ言えるのはな、グレン。お前がここで死ぬということだ」
アリサに悪寒が走る。
魔王が弱っている今、魔界で最強を誇る戦士はグレンを除いて他にはいない。
本来であれば、そのグレンの死を予告するなどという行為は、一笑に付して然るべきだ。
(また、この違和感!)
だが、アリサの本能が警鐘を鳴らす。
カスバートの言葉には、無視できない何かが宿っているような気がしてならない。
「――グレン兄様。カスバートの様子がおかしいです。気をつけてください」
グレンは低く響く笑い声を上げた。
「この俺が、死ぬだと? 興味深いぞ、カスバート! どう死ぬというのだ?」
と、グレンは魔剣を肩に担ぐ。
「そうだな、……斬首とかどうだ?」
カスバートは顎に手を当て、それから指を鳴らした。
その瞬間、カスバートの背後に六つの魔法陣が出現。そこから白い鎧に身を包んだ戦士が一人ずつ、計六人現れた。いずれの者も背丈は一八〇センチほどで、身体つきもグレンと比べると細く見える。
鎧のデザイン自体は一般的なものと大差は無いが、その両肩と両腕には金属製の筒のような装備があり、剣や槍などの主流武器は見当たらない。
「勇者直属部隊って、知ってるか?」
カスバートがアリサに目を向けた。
アリサは陸軍の頃に噂で聞いただけで、実際に会ったことはなかったが、勇者直属部隊の一人一人の戦力は、陸軍の一個大隊に匹敵すると言われていた。
「こいつらがそうだ」
カスバートは白い鎧の一人を指差し、口の端を吊り上げた。
「勇者直属部隊が設立されたのは戦争が終結した後でな。勇者が一人で魔界に睨みを利かせるのも限界があるってことで、それを補佐する奴が選ばれたのが始まりだ。残念ながら今のご時世、こいつらが実際に戦うところを見たやつはいない。だから今回は特別に、どれだけ強いか見せてやろうじゃないか」
「カスバートよ。その発言、魔王への宣戦布告と受け取った!」
グレンはそう言い放ち、魔剣を垂直に構えた。
「違うな。魔王にではなく、お前一人にだよ、グレン!」
カスバートが戦意に目を見開いた。
そして、戦いは起こった。
六人いた勇者直属部隊――その右端の一人を、グレンは頭上から急襲。頭から胴体を、鎧ごと縦一線に両断する。
グレンが見せた瞬間移動の魔法に、勇者直属部隊たちは完全に遅れを取ったのだ。
グレンは間に髪入れず、二人目、三人目と、魔剣の刃で叩き切る。
魔剣は切れ味もさることながら、刃の厚みと幅の広さが成す頑強さで、鈍器としての役割も果たし、勇者直属部隊の一人が構えた筒を叩き潰した。
「あと二人」
残りの勇者直属部隊に顔を向け、グレンは一歩を踏み出す。
二人の白騎士は共に後退り、両腕の筒と肩部の筒を、何らかの仕組みで同時に動かし、穴の部分をグレンに向けた。
アリサはその筒を見て、陸軍に配備された大砲を連想した。
「兄様! 相手の筒に気をつけて下さい!」
アリサが忠告した直後、二人の勇者直属部隊の両腕、両肩の筒から閃光が放たれ、計四つの光の球体がグレンに命中。目の眩む爆発を引き起こした。
ほぼ同時、グレンが放った斬撃が二人の首を切断。
熱を伴う衝撃波が飛び退って、残るはカスバート一人となった。
「これが勇者直属部隊だと? 笑止!」
爆炎の中から、傷一つ負っていないグレンが現れ、魔剣の切っ先をカスバートへ向けた。
その美貌に薄ら笑いを浮かべ、戦いを見守っていたカスバート。彼は表情を変えない。
「グレン、フェイクって知ってるか?」
カスバートの物言いに、グレンは足を止める。
「――フェイク、だと?」
「あはははははは!」カスバートは甲高い声で笑う。
「大軍を一人で相手取れる勇者直属部隊が、集団で一箇所に出てくるわけがないだろう? 本物は皆、ここにはいない!」
(確かに、いくら兄様が強くても、一個大隊レベルの戦士をそう簡単に倒せるとは思えない)
カスバートの真意を読み解くべく、アリサは考察を続ける。
(兄様の倒した勇者直属部隊がすべて偽物だとすれば、この戦いには、兄様に知られてはならない何かがあるということか⁉)
アリサはカスバートを睨む。
彼は、グレンと勇者直属部隊の戦闘が始まってから一歩も動かず、薄ら笑いを浮かべていただけだ。
この場に勇者本人がいないのもおかしいと、アリサは思う。
グレンは魔王に引けを取らぬ第一子。そんな彼を殺すのであれば、勇者が直接戦いに来るほうが、成功する可能性は上がる。
そして、それがわからない勇者側ではないはずだ。
「――勇者は、どこですか?」
と、アリサはカスバートへ問いを投げかけた。
カスバートはアリサに顔を向け、ニタリと笑んだ。
「さぁな?」
カスバートの指が、再び鳴らされる。
(無言魔法⁉)
無言魔法は、詠唱を要さない高度な魔法で、特定の条件を満たすことで発動する。
もしそれを、カスバートが使えるのだとしたら。
(引き金は、――指を鳴らす⁉)
「――兄様!」
遅かった。
アリサの叫びを掻き消す形で、グレンを中心とした地面に、六芒星の魔法陣が出現。その紋様は、謎の甲高い音と共に白い光を放ち、大地を揺らした。
「っ! これは――⁉」
「用意が整った。こっちの番だ」
グレンが足下を見遣り、カスバートがつぶやいた。
次の瞬間、六芒星の六つの頂点から、白い炎に包まれた鎖が飛び出し、グレンの両手、両足、首、魔剣の刃にそれぞれ絡みついた。
(フェイクの間に、この魔法陣を展開するための魔力を⁉)
アリサは息を呑んで、カスバートを見る。
「ぐッ⁉ この鎖! この炎! まさかッ!」
「長男のお前ならわかるか? それが何なのか」
食い縛った口から苦悶の声を溢すグレンに、カスバートが問いかける。
(グレン兄様にわかって、わたしにわからないもの――⁉)
アリサは『長男のお前なら』という発言からヒントを得るが、答えに辿り着けない。
「力が、入らぬ! 浄化魔法か⁉」
グレンの言に、カスバートの高笑いが響く。
「ご名答! お前の父親を打ちのめした勇者が使った魔法さ!」
アリサの胸がまたも締め付けられた。
浄化魔法は、戦争時の人類によって、魔王一族を倒すためだけに考案された限定的な魔法。
他の種族には効果が少ないか、もしくは全く効かない代わりに、魔王とその血族には絶大な効果を発揮する。
身柄の拘束、能力の無効化など、本来のポテンシャルを出せなくする妨害の魔法である。
「……貴様、カスバートではないな⁉」
深紅の目を眇めるグレン。
「どこからどう見ても、カスバートじゃないか。ハンサムで、泣き虫のな!」
カスバートは笑い、さらに指を鳴らした。
「うぐッ⁉」
グレンを縛る鎖の力が増し、ギシギシと、金属が擦れ合う音が響いた。
「浄化魔法は謂わば、お前たちへの特効薬ってところだ。ほら、俺には発動しないだろう?」
カスバートは六芒星の魔法陣に足を踏み入れるが、鎖は反応しない。
アリサはフレイに視線を送る。
フレイは頷くと、素早く矢を番え、カスバートを狙う。
「カスバート! 今すぐグレン兄様の拘束を解きなさい!」




