第52話 トリセツ
「カオリ! 殴ったら下がれ! シルバはすぐにカオリの前に出られるように! アリサはいつでもカバーできるようにしてくれ!」
俺の指示が九層の薄暗い部屋に響き渡る。
「おっしゃぁぁぁあああ!!」
カオリが咆哮し、獣のように突っ込む。その勢いはまさに猪突猛進――否、制御不能な暴走列車だ。
「カオリ! 前に出すぎだ! ヘイトを集めたらシルバの後ろに下がれ!」
だが、彼女はまるで聞こえていないかのように拳を振るう。敵が怯もうが、反撃しようが関係ない。ただ前へ、前へと突き進む。
「ちっ……! シルバ、カオリの前に出ろ! アリサは援護だ!」
「「了解!」」
アリサとシルバが即座に動き、懸命にフォローに回る。
アリサはカオリの隙を突こうとする魔物の首を刎ね、シルバは素早く距離を詰め、彼女に《ヒール》を唱え、カオリの前で巨大な盾を地に突き立てた。
俺も魔法を使い、魔物たちを焼き払う。
戦闘を終えると、カオリは我に返り、苦笑いを浮かべる。
「そんなことをやっていたら、いつか命を落とすぞ?」
少しはマシになってきたが、それでもまだ猪突猛進が過ぎる。
「分かってはいるんだけど……なんか……こう……たぎっちゃうんだよね」
カオリは困ったように笑いながら、拳をぎゅっと握る。
自覚はあるのだろう。無鉄砲すぎることも、無謀な戦い方をしていることも。だが、それでも彼女は戦場で最前線を駆け抜ける。血潮がたぎり、理性が吹き飛び、ただ己の拳を叩き込むことだけを考えてしまうのだ。
「カオリ、パーティを抜けたら……やっぱり迷宮に潜るつもり?」
アリサの問いに、カオリは少し視線を逸らす。
「たぶんね。なるべく目立たないようにするつもりだけど……」
「でも、ファンの子たちもどんどん迷宮に入ってるよね? そうなったら、カオリはさらに深い層で戦うしかなくなると思うけど……それ、本当に大丈夫?」
鋭い指摘だった。夢野香織のファンの中にも戦闘職を選んだ者は多数いる。それだけではない。もともと戦闘職ではなかった者たちすら、職を変えたり、強者にキャリーしてもらったりと、あらゆる手を尽くして迷宮に挑み始めている。
彼らの目から逃れようとすれば、選択肢はひとつ――より危険な深層へ潜ること。
そして、今の彼女の戦い方のままでは、いずれ必ず命を落とす。
そんな結末は――同じパーティを組んだ仲間として、絶対に見たくない。
九層では少し危険な場面も増えてきた。だからこそ、今のうちに何とかしてあげたい。
だが、その解決策が見つからないのだ。
どうすれば、カオリが豹変せずに済むのか。あるいは、豹変しても元に戻せるのか。答えが見つからず、もどかしさばかりが募る。
悩みを抱えたまま、セントラルシティへと戻る。
すると、いつものように彼女のファンたちが集まり、少し沈んだ表情のカオリに駆け寄った。
「カオリン!? どうしたの?」
「もしかしてその男たちに嫌なことでもされた?」
カオリは、一瞬だけ驚いたように瞬きをする。だが、すぐに完璧なアイドル――夢咲香織としてスマイルを浮かべた。
「そんなことないよ? 私はとっても元気だよ♡」
――やはり、そこはプロ。
どれだけ心の内に悩みを抱えようとも、彼女はファンの前で絶対に崩れない。
彼女と別れると、俺たちもそれぞれの帰路に就いた。
アリサが夕食の支度をしながら、ため息混じりに呟く。
「どうしてああなっちゃうんだろう」
その問いに、俺は肩をすくめて答えた。
「ハンドルを握ると豹変する人間もいるだろう。あれと同じようなものかもしれない」
「うん……分かるけど……一人じゃいつ死んでもおかしくないから、最終手段は私たちのパーティに入れることになる?」
彼女の言葉に、一瞬考えたが、首を横に振る。
「いや、それだけはないな。自制できるようになるか、最悪でもあのバーサーカーモードを解除できる手段さえ見つかれば、パーティに迎えてもいい。だが、それができないなら――Noだ」
包丁を握るアリサの手が、一瞬止まる。
「彼女が無謀に突っ込むたびに、俺たちまで命の危険にさらされる。パーティメンバーが危険にさらされたら……アリサ、お前は放っておけないだろう?」
彼女は静かに息をつき、再び食材を刻み始めた。
「……うん。放っておけない」
その声音には、迷いも戸惑いもなかった。
「ハンドルを握るから性格が変わるのであれば、武器を取り上げれば正気に戻るんじゃない?」
「それも考えたけど、あの状態のカオリを止めるのにもリスクが伴う」
「じゃあ最初から武器を持たなければいいんじゃない?」
確かに、それは試してみる価値がありそうだ。
何より、カオリが豹変し始めたのは、浄怒のメリケンを装備してからだ。
ただ、ずっと武器を持たせないというのは、彼女にとって酷な話だろう。
アイドル夢咲香織としてのストレスを唯一発散できる場所が、この迷宮なのだから。
――ん?
待てよ? アイドル?
彼女はプロだ……なら、もしかして……。
「アリサ、もう一つ試してみたいことがある」
包丁を持つ手を止め、アリサがこちらを向く。
「明日の戦闘中に……」
俺の考えを聞いたアリサは、一瞬驚いたあと、ゆっくりと頷いた。
「ええ……それなら、もしかして……」
そして、翌日――
「ミンチにしてやんよぉぉぉおおお!!!」
九層の部屋にカオリの咆哮が轟く。
「カオリ! そいつを倒したら回復を挟め!」
だが、いつものように彼女は止まらない。
戦場を駆け、拳を振るい、敵を薙ぎ倒す。その動きには迷いも恐れもない――ただ突き進むのみ。
やっぱりダメか……ならば、こっちでどうだ――
「カオリン! みんなを《エリアヒール》で癒してほしいな」
すると――
「はぁ~い♡」
俺のリクエストに、夢咲香織は即座にアイドルスマイルで応えた。
拳には血みどろのメリケンサック。その手を上に掲げ、猫なで声で魔法を唱える。
「《エリアヒール》♡」
淡い光が広がり、傷ついた仲間たちを包み込む。
――見事、予想は的中した。
夢咲香織はプロのアイドル。
ならば、戦闘中であっても、ファンからのコールには無意識に反応するはず。要望に完璧に応えられなくとも、リアクションはする――そう踏んだのだ。
「よし! カオリ! やれ!」
「しゃー! んなろぉぉぉおおお!!!」
「カオリン! 後ろに下がれ!」
「分かったよ~」
指示が通る。戦闘が噛み合う。カオリの暴走は、こうして制御可能になった。
――そして戦闘後。
「カオリ、ナイスじゃない!」
カオリは少し驚いた表情を見せたが、素直に頷く。
そして実戦――結果は予想通りだった。
さらに武器を外せば、彼女は暴走することなく、冷静にヒーラーとしての役割を果たす。
戦闘への衝動はあるものの、理性で抑え込むことができている。
これで、カオリの取り扱いは完全に把握した。
準備万端――いざ、九層ボス部屋へ。
そして――苦戦することもなく、俺たちは見事に突破。
ついに、約束の十層カタキ村へと辿り着いたのは、ゲーム開始から一九五日目――あっくんが造船を始めてから五日後のことだった。




