第43話 漕人募集
サハギンを倒せるようになってから、二十日後——。
昨日までに、二つの大きな成果を達成した。
一つは、湖畔周辺のサハギンの完全殲滅。
もう畔や水辺を歩いても、奴らの姿はない。やはり、エアクロウと同じくリポップはしないようだ。
そして、もう一つ——。
「やった! ようやく乗れたわ!」
何度も挑戦を重ね、ついにアリサが馬に乗れるようになったのだ。
一人だけ乗れなかったことが悔しかったのか、彼女はずっと努力を続けていた。
そのひたむきな姿を見ていたからこそ、成功の瞬間は俺も心の底から嬉しかった。
——ただ、それと同時に、少しだけ寂しくもあった。
もう俺の後ろに乗ってくれないのか、と思うと……。
だが、そんな感傷もすぐに吹き飛ぶことになる。
「ん? どうしたの? 早く行きましょう?」
そう言って、アリサは当たり前のように、俺の後ろにまたがり、腰に手を回してくる。
——結局、そうなるのかよ。まぁ嬉しいからいいんだけど。
「やはり、オイルリグへ渡るにはボートを使うしかなさそうね……」
アリサが湖畔を見つめながらつぶやく。魔物の影が消えた水辺を、俺たちは馬を走らせながら進む。
「そうだな。泳いで行くって手もあるが……あの水じゃ無理だな」
オイルリグの周囲を見やると、水面は不自然に濁っていた。まるで何かが湖全体を汚染しているかのように、どす黒い波紋が広がっている。
あんな水に入るなんて、考えたくもない。
しかし、対照的に湖畔付近の水は澄み切っていた。透き通る水面が、オイルリグの黒い鉄骨を鏡のように映し出している。
まるで、清らかな湖と汚された水域の境界線が、そこに明確に引かれているかのようだった。
「ただ、ボート乗り場にあったのは……どう見ても手漕ぎボートだったよな?」
「うん……手漕ぎボートに乗るのなんて、小学生のとき以来のことよ……」
ん? ということは、アリサが最後に手漕ぎボートに乗ったのは、俺とアリサ、そして母とおばさんの四人で出かけたとき以来ってことか? キャンパスライフを謳歌し、公園のボートに乗っているものだと思っていたが……もしかして、そんな余裕もないほど忙しかったのか?
そんなことを考えながら、俺たちはボート乗り場へと馬を進める。
「本来なら、NPCが漕いでくれるはずなんだが……いないな……」
シルバが辺りを見渡しながら、NPCの姿を探す。しかし、そこにはただ、静かに佇むボートだけがあった。
「オイルリグには魔物がいるかもしれないし、湖の中にもまだ何かが潜んでいる可能性がある。そんな場所に手漕ぎボートで向かうなんて、無謀すぎるわよね?」
「確かに。俺たち以外が漕いでくれればいいんだが……適任者はどこかにいないものか……」
そんなもの、迷宮ばかり潜っていた俺たちが知っているはずもない。
だが――知っていそうな人物なら、心当たりがある。
「セントラルシティに戻って、キョウヤに訊いてみるか」
俺たちの意見は、すぐに一致した。
「ボートを漕げるやつだと……? どうしてそんなのが必要なんだ?」
キョウヤが怪訝そうに眉をひそめる。俺たちは事情を説明した。
「なるほど……NPCが魔物にやられてしまった、というわけか……」
キョウヤは顎に手を当て、一瞬考え込む。そして、すぐに口を開いた。
「心当たりが一人いる。だが……明日の昼まで待ってくれ。時間は取らせない」
「助かる。サンキュな」
ひとまずボートの件は解決しそうだ。ならば、もう一つ確認しておきたいことがある。
「それともう一つ聞かせてくれ。【薬師】や【鍛冶師】、【付与士】の育成状況はどうなってる?」
「【薬師】はもうハイポーションとハイマジックポーションまでは作れるようになった。ただ、まだコストが重い。【鍛冶師】と【付与士】に至っては、あと数カ月はかかるだろうな」
キョウヤは多岐にわたる職業の育成を手がけている。もしかしたら、アリサやシルバの装備を強化できるかと思ったが、どうやらそれはまだ先の話になりそうだ。
ちなみに、ハイマジックポーションの作り方は至ってシンプル。マジックポーションに自分のMPを注ぎ込むだけだ。
ハイマジックポーションの回復量は300。マジックポーションの回復量は100だから、単純計算で差し引き200のMPを注げばいいように思える。だが、実際の必要MPは300。
薬術の適正レベルを上げていけば、消費MP300以下で精製できるようになるらしい。あと、特定の環境下じゃないと精製できないとのこと。迷宮内で作ることは不可能ということだ。
「最後に、その後【影魔法使い】はどうだ? 【黒魔法使い】とは違って、評価は【光魔法使い】以下って話だが?」
俺がそう尋ねると、キョウヤは肩をすくめた。
現在、キョウヤはクローズドベータテスト版には存在しなかった【影魔法使い】に就いている。
しかし、その性能は正直言って微妙だ。
最初に覚える魔法は、《影読み》——自分の影を這わせて相手の会話を盗み聞くスキル。戦闘での使い道はほぼ皆無。まさにネタ魔法。
一方で、【黒魔法使い】は最近になって注目され始めている。
初期習得魔法の《ポイズン》は、敵を毒状態にするデバフ魔法。効果が発動すれば、20秒ごとに対象のHPを10%削るという、性能を持つ。
十層まではその真価を発揮できなかったが、徐々に雑魚敵のHPが高くなり、戦闘開始直後に毒状態にすることによって、かなり削ることができる。
……ただし、減るのは最大HPではなく現在HPの10%。しかも、毒ではトドメを刺せず、必ずHPが1だけ残る仕様だ。
それでも、毒をかけて逃げ回るを繰り返せば、いずれHPは1になる。相手がどれだけ防御力を誇ろうと、こちらの攻撃が1でも通るなら、ほぼ確実に仕留められるというわけだ。
格上の魔物相手にも有効……もちろん、効けばの話だが。実際、エアクロウやサハギンにはまったく通じなかったらしい。
「俺には大当たりの魔法だな。諜報活動や他のパーティの作戦、普通なら手に入らない情報まで掴める……鼠のあぶり出しも楽になるしな……」
キョウヤは薄く笑いながら、ふと鋭い視線を俺に向けた。
「……おい、ユウト。分かっていると思うが、俺が【影魔法使い】だということは絶対に――」
「分かってるよ。お前の目的の邪魔はしない」
本能が警告を鳴らす——こいつを敵に回すのは最悪の選択肢だ。
「キョウヤ、俺からのアドバイスだ。レベル上げをするなら、今がチャンスだぞ?」
「そんなことは分かっている。俺たちももうそろそろ十四層のボスだ。戦闘ジョブに就いている者たちは皆レベル30以上。順調だよ」
しかし、その余裕は長くは続かなかった。
シルバが無言で自身のステータスを開き、キョウヤに見せる。
次の瞬間——キョウヤの表情が凍りついた。
「レベル40……!? バカな……!? この前まで30以下だったのに……わずか三十日くらいでこれほどまでに――」
「どうやら迷宮の外の方が、今はレベルが上がる環境らしいな。魔物を倒す手段さえあれば、の話だが……とはいえ、確実に俺以外にも攻撃手段を持っている奴がいると思っておいた方がいい」
キョウヤの目が鋭く細められる。
「……ナイン――か……」
「ああ、闇魔法に黒魔法、それに火魔法まで覚えている。魔力もかなり高い。もしナインが高難易度のクエストに向かっていたら……」
俺の言葉を聞いた途端、キョウヤが静かに席を立つ。
「……ユウト、明日の昼と言ったが、明日の朝に変更だ」
低く告げると、彼は俺たちに背を向け、迷いなく歩き出した。
そして、そのまま宵闇に溶けるように姿を消した。




