第二十一話 残された大仕事
雑然と並ぶ事務机の間を、記者たちがせわしなく蠢いていた。机上に置かれた用紙に、ペンを走らせる音が心地よい。アナログだが熱意に満ちた職場環境だった。
ゾノドコ通信の編集局、その窓際にユミヨが座っていた。机上に置かれた用紙の上に、何やらイラストを描いている。
「おっ、中々上手いじゃないか」
新聞の束を両手に抱えた男性記者が覗き込む。
「オズモ先輩。これ、誰か分かります?」
「これは多分……勇者レカーディオだろう? 上司様を舐めるなよ」
冗談めかしたオズモの丸顔がにやける。最近昇進したばかりで、上機嫌なのだ。
「ユミヨ君、お疲れ様。記事の進捗はいかがかな?」
巡察中のモズルフが挨拶を寄越す。スーツの内側には、トレードマークのサスペンダーが覗く。
「はい。校正をお願いします」
そう言うと、引き出しの中の紙束を手渡す。
「もう少し量をしぼってもらいたいところだが、その熱意を買おうか」
「それなら、いつもの週刊とは別に、薄い本も出しましょうよ!」
モズルフとオズモが怪訝な表情で顔を見合わせる。
「薄い本とは、どういう意味かね?」
勢い込んだユミヨが席を立つ。
「勇者の旅の軌跡をつづった特集号のことです。タイトルは『勇者爆誕! 魔王討伐特集号』でいきましょう」
かくして、ユミヨが企画した特集ムックが発売にこぎつけ、世界中で大ベストセラーとなる。民衆たちの勇者ブーム、その最後の花火の火付け役となったのだった。
数か月後
レカーディオははめ殺しの窓から眼下の風景に目を落としていた。黒を基調とした宮廷衣装が様になっており、王族に見えない事もない。
堅牢な城門へ続くなだらかな坂道のそこここに、みすぼらしいなりの民衆がたむろしている。
その群衆を誘導しているのは、ヴァグロンとミレニだった。
ヴァグロンが窓辺のレカーディオに気が付くと、見上げてサムアップする。レカーディオも手を振り返した。
「帰還組をどう生産性に結びつけるかがカギとなりましょう。その仕事、爺に任せていただきたい」
横合いからヨタナンが声をかける。政治力のある彼は、復興大臣に任命されていた。
「建造物の損壊は思いのほか少なかった。国家再興まで最短距離を進みたいところだ」
レカーディオが大人びた台詞を返す。
ハルヴァード王逝去後、魔王を失った直後から魔物たちは野に還った。共和同盟軍が野良の魔物の間引きを行うと、レカーディオはゾナーブル城砦に帰還した。
国外へ退避し生き残っていた国民を寄せ集め、国家再興を目論んでいるのだ。
「しかし、あの小娘の記事には助けられました。お陰で帝国の追撃を免れておる」
「これだろう。恥ずかしいタイトルだが、内容は悪くない」
レカーディオが赤面しつつ、『勇者爆誕・魔王討伐の旅、その軌跡!』を手に取る。そのページは、何度も読み返せるように上端を折り曲げてあった。
『魔王誕生の最大の要因は、復讐への怨念であった。この紛れもない事実を、我々人類は胸に刻む必要があるのです』
文章をなぞる目が悲し気に微笑む。
『今後、身勝手な動機で他国を蹂躙する国家は、魔王とその軍勢による苛烈な逆襲を受けるだろう』
手書きの文字だが、読む者に訴えかける力強さがある。
『同じ轍を踏む余裕はない。世界中の人々が手を携え、平和の維持と文明の発展の両立を目指すべきなのです。文責・仲峯由実世』
本を棚の上に置くと、レカーディオは静かに目を瞑る。固く閉じた瞼の端から涙がこぼれ落ちる。
「殿下、おいたわしや。しかしながら……」
もらい泣きしたヨタナンが、眼鏡を外す。
「今後は国民を家族とお思い下さい。わたくしめも、生涯お仕えいたします……」
ハンカチで目元を抑えると、椅子の上にへたり込む。
「長生きしてくれよ、ヨタナン。それだけでいいのさ」
ヨタナンの肩にレカーディオが優しく手を添える。
厳しく悲しい戦いが、レカーディオの心を育んでいた。他者を慈しむ、思いやりの心が芽生えつつあったのだ。
涙を拭った彼が、天窓を仰ぎ見る。そこに掲揚された国旗から、一匹の燕が勢いよく大空へ飛び立っていった。