蝉時雨に、きみがいた
ルーナーにとって、太陽は天敵だった。当たり前だ。太陽の光を浴びると、皮膚が焼けて死んでしまうんだから。
両親は数百年前に死んだ。原因は太陽だった。太陽の光を浴びて、もともと弱り切っていた身体が、塵になって消えた。
お陰で、ルーナーはこの世で最後の吸血鬼になってしまった。自分の境遇を話せる相手も、喧嘩をする相手も、遊べる相手もいない。
もちろん気を許せる存在もいない。だって当たり前だ。みんなルーナーより先に死ぬから。そして、みんなルーナーを怖がるから。
見た目だって人間とそんなに変わらない。怖くないはずだ。目が赤いくらい、どうってことないだろ? ウサギだって目が赤い。ウサギは愛されるのに、ルーナーは怖がられるなんて、なんて理不尽な世の中だ。
血液を飲むから怖がられる、なんて理由を本で知った時は絶句した。人間は豚や牛の血液どころか肉さえ食べるのに!?
ルーナーは、人間の自分たちを棚に上げて相手を責めるダブルスタンダードな思考に、関わることを辞めた。恐ろしすぎるったらない。
そんなわけで、ルーナーは誰もいない夜を一人で過ごしていた。
何百年も。そう、何百年もずっと。
単調だった毎日が変わったのは、忌まわしき太陽が長い時間を過ごす季節。つまり夏の、日が沈み始めたころだった。
ルーナーにとって、この世で一番嫌いな太陽の次に、夏と蝉が嫌いだった。この世界において珍しい昆虫なのに、いや、むしろ害虫――ルーナーが住む、何百年前に譲られた格式ある屋敷の庭に生える木には蝉がうじゃうじゃいる。あいつらはルーナーの睡眠をいつも妨害する。
「ああっ、もう、耐えられない、うるさい。あいつらはなんでいつもずっと鳴いている?」
夏の太陽は、特に凶器だ。ルーナーの命をすぐに奪える。だからこそ、完全に日が沈むまでは寝て過ごすしかない。特注したキングサイズのベッドに高反発のオーダーメイドの寝具。ここでゆっくりと眠るのが、ルーナーの理不尽すぎる境遇の、唯一のストレス発散方法だった。
なのにあの害虫は邪魔をする。いっそ殺してしまいたいけど、そんなことをすると手が汚れるから我慢するしかない。
ルーナーはベッドをバンバン! と叩きながら、布団を頭まで被って集中して寝ようとした。一応最後の吸血鬼だけれど、棺桶で寝ることはしない。そんなのは、数世紀前までの睡眠方式だったからだ。
蝉の鳴き声がする。ミーンミーンと鳴いている。日も落ちてきているはずなのに、一向に鳴き止まない。あいつは日が暮れたら寝るはずだろ?
ルーナーは寝不足で痛む頭を抑えて、ゆっくりと起き上がった。遮光率の高いカーテンをつけているから、室内は暗い。ただ、遮光率だけしか高くないので、窓の外から聞こえる騒音は防いでくれない。
「あー、うるさっ」
独り言が多いのは仕方がないのだ。本で読んだ、誰とも喋らなかった人間が、そのまま声の出し方を忘れてしまうって話。あれはルーナーにとって他人事ではない。
喋る相手がいなくても喋ってないと、必要になった時声を出せない。だからルーナーは一人でも喋らないといけない。じゃないと夜までやってるお店で、生活用品を買うときに、注文ができない。
こんな屋敷に住んでるけれど、ルーナー一人だった。頼れるものはいない。
まだ、蝉が鳴いている。ミーンミーンと、いう鳴き声。それに混じって、えーんえーんと新種の蝉の鳴き声も聞こえ始めた。
とうとう新しい害虫まで増えた。ルーナーはうんざりしながら、二階の寝室の扉を開けた。ゆっくりと渡り廊下を歩き、一階に続く階段まで進む。もちろん寝巻きのままだ。騒音のせいで、ルーナーはあまり寝れてない。あいつらが黙ったら、すぐさま二度寝をする必要がある。
シルクの寝巻きに、ルーナーの黒くて長い髪が触れる。ゆっくりと歩くルーナーに合わせて、カサカサと音を立てる。
蝉の鳴き声が大きくなる。えーんえーんという耳障りな音が、なぜか一階から聞こえてくる。
ルーナーは嫌な予感がして、移動速度を上げた。髪がシルクに触れるたびに、カサカサと音を出していった。
「なんだこの蝉は」
思わず声に出してしまったけれど、流石にこれが蝉ではないことくらい、ルーナーにはわかっていた。ただ、迷惑なことに、そいつと一緒に蝉も一匹室内に入ってきているような気もする。明らかに、室内で蝉と――数十年ぶりくらいに見る、人間の子供が一緒に泣いている。
ルーナーは、寝不足からか、現実逃避からかわからないけど、襲いかかってきた眩暈に、思わず倒れそうになった。すんでのところで、階段の手すりに掴まる。こう見えてルーナーは、一応不老不死だけれど、痛みには弱い。
「ねえ」
勇気を出して声を出した。このままよくわからない蝉と、蝉くらいうるさく鳴いている人間を放置しておく訳にはいかない。
贅沢言うなら一緒に外に出ていって欲しい。最悪、寿命が長そうな人間の方だけでも勝手に出ていって欲しい。
ルーナーは、数百年も事務的なやり取りしかしていないから、人見知りなのだ。
「ね、ねえ」
勇気を出して、もう一回声をかけた。しかし、ルーナーの勇気を慮ってくれる相手ではなかったらしい。人間も蝉もずっと鳴いている。人の家で、勝手に。
額に手を当てて、ルーナーは数分間現実逃避した。
泣きつかれると、人間は黙るらしい。ちなみに蝉も。
ルーナーは、やっと泣き止んでしゃっくりをしている人間を、距離をとって見つめていた。ここまで見ているのに、人間はまだルーナーに気が付かない。
散々、と言っても二回だけ、無視されたことで、もう声をかけるのを辞めたルーナーは、数十分ずっとその人間を見ていた。
その人間は、多分子供だった。性別は女だろうと思う。ルーナーは、その人間が着る黄色のワンピースを見て、まるで向日葵みたいだな、そう思った。
蝉みたいにうるさくて、向日葵みたいに黄色い。髪の色も金色。ルーナーの大嫌いな、太陽みたいで、夏の似合う、そんな女の子供。
「ねえ!」
ルーナーは少し飛び上がった。もちろん驚いて飛び上がった。意味もなくそんな行動はしない。
ずっと無視されてたし、いきなり鳴き声以外を喋ったら、誰だって驚く。
ルーナーにとって、ずっと木に止まってた蝉が飛び立つときに一瞬鳴くあの音さえ嫌なのだ。
それが、初めて見る黄色い新種の蝉の場合、少し飛び上がってしまっても仕方がない。
「ねえってば!」
ルーナーは思わず目線を逸らした。ずっと見ていたことの気まずさと、いきなりこっちをじっと見る、昼間の空のような瞳が怖かったからだ。
ルーナーは昼間の空を見たことがない。それでも絵や本で見る空の色は知っている。太陽の髪の色に、昼間の空の瞳。何から何までルーナーの苦手なものばかりを持つ、その子供は、ルーナーと違って二回無視されても諦めなかった。
飛び跳ねるように立ち上がると、階段の手すりに掴まって、不自然に目を逸らしたルーナーめがけて小走りで近寄ってきた。
「あのね! お兄ちゃんには、知らない人に話しかけちゃいけないって言われてるんだけどさ!」
ルーナーの目の前まできて、その子供はそう宣言した。黄色のワンピースは、涙で濡れている。
ルーナーは思った。知らない人に話しかけるなと教育されているのに、知らない家に勝手に入るなら、その教育方法は間違っている。まずは、知らない家に入ってはいけないと教えるべきだ。
ただ、ルーナーは、それを、向日葵みたいな子供には言えなかった。緊張して声が出なかったからだ。いくら独り言をたくさん言って練習していても、ルーナーは本番に弱い。
だから、いつも買い物でも、無駄に間違えて色々なものを買ってしまう。キングサイズのベッドとか、鍵が機能してない玄関の扉とか。
「あのね、聞いて欲しいんだけど。サンはね、迷子になってしまったの!」
ルーナーは思わずチラッと、その子供、サンを見た。名前まで、ルーナーの嫌いなものを連想させるとは、関わるべきではない。
迷子と宣言したサンを、ルーナーは無視した。迷子は勝手に人の家に入らない。なら、自分の身を守るためにも逃げるべきだ。即座に踵を返し、階段を上がる。ルーナーが階段を登るスピードは、降りた時の倍の速度だった。
「あ! 違うの! 待って! 迷子だから助けてって話じゃなくて、わたしね!」
サンは必死になって追いかけてきた。ルーナーはもはや一緒に入ってきて、今は黙り込んでいる蝉のことも忘れて逃げる。
「まず、あなたの名前が知りたいの!」
意味がわからない。ルーナーは、もはや走ってると言っていいくらいのスピードで、渡り廊下を移動していた。スリッパで走ってるので、廊下の音はペタペタ!という音と、サンの靴の音が小気味よく鳴り響く。
「だってね! 名前を知ったら、あなたは知らない人じゃないでしょう? そしたら話してもいいもんね」
なんて自分勝手な理由で、人の個人情報を知りたがるんだ。ルーナーは思った。やっぱり人の第一印象は重要だ。こんなに太陽みたいに、自己主張が激しい奴、関わってはいけない。
寝室の前まで着いたルーナーは、乱れる息を整えながら扉を開いた。
しかし、スリッパと靴の性能の差と、ルーナーの腰くらいしかないサンの身軽さが勝因となり、ルーナーは追いかけっこに負けた。寝室のキングサイズのベッドの前に、太陽みたいな女の子がいる。
ルーナーは、諦めたようにしゃがみ込んで、深くため息を吐いた。
「ねえ、ルーナー、あなたは一人でここに住んでるの?」
「……」
「サンはね、お兄ちゃんとお母さんと住んでるの! お父さんはお空にいるみたい。薄情よね」
薄情なのは、おそらく死んでいる父親を薄情という、残酷な無知だと思う。ルーナーは質問責めに恐れをなして、つい言ってしまった、自分の名前を連呼するサンを見て、小さく咳をした。
呼ばれ慣れない自分の名前を聞く気まずさを誤魔化すためにした咳なのに、ルーナー大丈夫? と絡んでくるので、もう息をするのも怖くなった。
サンはここ数分、ずっと自分の個人情報を喋ってる。おかげで、ルーナーはサンのことを、結構他己紹介できるようになった。
サン、十歳。女の子。夏生まれ。好きなものは、向日葵と海、得意なことは駆けっこと木登り。どうりで負けるはずだ、と引きこもりのルーナーは思った。
「知らない人のさ」
「うん!」
「家に、勝手に入っちゃダメとは、おしえられてないの?」
(または、人の家に蝉を入れてはいけないとか)
他にも聞くことはたくさんあった。
ただ、もうどうしていいかわからないくらい、サンの扱いに困っていたルーナーは、とりあえずサンの家の教育方針について質問した。
知りたかった訳ではない。伝わるかわからないけれど、言わずにはいられない嫌味だった。
勝手にベッドに座って、足をバタバタさせていたサンは、ルーナーを見つめてにっこりと笑った。
「ルーナーは、知らない人ではないわ! サンの友達よ!」
出会って一時間も経ってない。サンにとって友達は時間の経過でできる単純なものではなかったらしい。ルーナーは思わず天を仰いだ。埃のついたシャンデリアが見えて、何十年も掃除をしていなかったことを思い出す。
こうして、太陽が嫌いな吸血鬼は、押し売りされてできた太陽みたいな女の子の友達を手に入れた。




