第57話 食卓の証拠
午後七時十二分、力也が帰宅した。食卓には夕食より先に、四組の記録が並んでいる。代理権。本人同意。報酬。利用範囲。紙に印刷したものではなく、梨沙の端末から四つの画面へ分けて表示していた。
長女は宿題を終え、次女の音読を聞いている。三森の配信は土曜へ延びたが、二人とも普段より早く支度を済ませていた。
力也は上着を掛け、食卓を見た。
「仕事の話を子供の前でするのか」
「家族だから進めたのでしょう。なら、家族の前で確認します」
梨沙は、力也の席を示した。
「先に一つ。私は、今日のPoppiで初めて全容を知りました」
「お前は笹塚家の財産を管理しているだろう」
「笹塚家側へ残った財産です。三森ちゃん名義になった地方の家と生活資産は、混ざっていないことだけ確認しています。配信事業、チャンネル、活動収益は私の管理対象ではありません」
三森の家も口座も、分配が終わった時点で境界の外へ出している。梨沙が勝手に配信の契約を調べ続ければ、力也と同じことになる。
「あなたが『相談を受けた』と言ったから、本人に頼まれたのかと聞きましたね」
「まだ企画になるか見ている段階だった」
「質問へ答えて。三森ちゃんから、いつ相談を受けたの」
力也は鞄を床へ置いた。
「向こうから相談されたわけではない」
「では、代理権はない。ここは終わりです」
梨沙は一つ目の画面へ、回答なしではなく「なし」と入れた。
◇
二つ目は、本人同意だった。
「三森ちゃんは、いつ案件を受けると言ったの」
「最終条件を出す前に、拒否された」
「その前は?」
「確認できる状態にしてから話すつもりだった」
「受けるとは言っていないのね」
「契約もしていない」
「契約の有無は後で聞きます。本人の同意は?」
力也は答えなかった。長女が、次女の教科書を閉じた。
「三森ちゃん、やだって二回言ったんでしょ」
「大人の仕事は、嫌だと言っただけでは決められないこともある」
「三森ちゃんの仕事なのに?」
力也の視線が梨沙へ戻った。
「子供に何を見せた」
「公開されている公式投稿です。あなたの名前も会社も出ていない。自分のことだと説明したのは、今のあなたよ」
二つ目の画面にも、「なし」が入った。
◇
三つ目は報酬である。
「出演、二十二時間以上の拘束、一年の素材利用、専用技術の実装。全部で五万円。この条件が軽いと、あなたは知らなかったの?」
「最初の企業実績を作るためだ。次から条件を上げられる」
「つまり、分かっていて出したのね」
梨沙は力也の営業能力を知っている。予算、媒体、制作、納期をまとめ、取引先との関係まで計算して案件を作る。その力也が、修正回数の上限と素材利用の価値を知らないはずがない。
「お金に困っていたわけでも、相場が分からなかったわけでもない。取引先に安く出せば、あなたの貸しになるからでしょう」
「三森にも実績が残る」
「本人が求めていない実績を、本人の権利で買わないで」
三つ目には、提示額と一緒に「本人受諾なし」と入れた。四つ目は利用範囲だった。
「立ち絵、ロゴ、声、配信映像、迷宮演出、ラプラスさんの技術。使ってよいと答えたのは誰?」
「対応可能性を伝えただけだ。正式な利用は契約後になる」
「誰が、可能だと答えてよいと許可したの」
「家族として、話の入口を作った」
「本人の許可は?」
力也が家族を理由にするたび、梨沙は同じ問いへ戻した。四つ目にも「なし」が入る。
◇
「法的に契約は成立していない」
力也は四つの画面を見た。
「三森も権利を失っていない。企業側も検討を止めた。実害が出る前に終わった話だ」
「終わっていません。あなたが代理権を持つように説明した記録と、三森ちゃんが断れば他人へ迷惑がかかる状態を作った事実が残っています」
「俺が動かなければ、あいつは企業との窓口も作れない」
「公式窓口は最初からありました。第一回レイドも、あなたなしで完遂しています」
力也は言葉を止めた。昨日までなら、三森には管理する人間が必要だと言えた。今は、その役目をすでに果たしている者たちの記録が、四つの画面に残っている。
「お父さん、三森おばちゃんを困らせたの?」
次女が小さく聞いた。
「仕事を手伝おうとしたんだ」
「でも困ってるの?」
「……そうなった」
「じゃあ、おばちゃんにごめんなさいして」
次女には、代理権も利用範囲も分からない。それでも、力也を擁護する言葉にはならなかった。
◇
梨沙は四つの画面を閉じず、力也へ今後の条件を伝えた。
「三森ちゃんから明確に頼まれない限り、活動へ接触しないでください。案件、契約、企業、チャンネル、ガワ、技術に関与しない。兄、代理人、マネージャーという立場を、営業に使わない」
「家族関係まで否定するのか」
「取引先へ名乗るなと言っています。家族であることは、代理権ではありません」
三森の住所、個人連絡先、家族情報を第三者へ渡さない。すでに接触した社内担当者と取引先には、代理権がなく、本人の依頼も同意もなかったと、力也自身の名で訂正する。
「三森ちゃんへ謝罪してください。返事も許しも要求しないこと」
「そこまでして、今後の仕事を誰が見る。あの執事には法的な身分もないんだろう」
「あなたでも、私でもありません」
梨沙は、自分が力也の妻で、この件の当事者家族であることを告げた。一般的な整理はできても、三森の常任顧問や代理人へ勝手に就くつもりはない。
「利益関係のない知人を一人、紹介します。久世香澄。企業契約を扱える弁護士です。相談するか、依頼するかは三森ちゃんが決めます」
力也は反論しようとしたが、長女と次女がこちらを見ている。梨沙も視線を外さなかった。
「まず、どこへ連絡するの?」
長女が尋ねた。
「……取引先と社内だ」
「何て言うの?」
「俺には、三森の代理権がなかったと訂正する」
「その次は?」
次女が続ける。
「三森に謝る」
「返事ちょうだいって言っちゃだめだよ」
力也は答えず、仕事用の端末を開いた。
◇
梨沙は三森の公式窓口へ、自分の立場を明記して短い連絡を送った。
力也の妻として、公開記録を確認したこと。力也へ代理権がない旨の訂正と、今後の干渉禁止を求めたこと。自分は利益相反を避けるため、迷宮ミモリの代理人にはならないこと。最後に、久世香澄の連絡先を添える。
必要であれば、最初の相談だけでもおつなぎします。
不要なら返信は要りません。決めるのは三森ちゃんです。
送信してから、梨沙は四つの画面を閉じた。食卓の端では、力也が最初の訂正文を書いている。長女は配信開始までの残り時間を確認し、次女は三森へ送る応援の絵を直していた。
夕食は、まだ温かかった。
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迷宮運営記録
- 配信回:非配信回(直近:第70回)
- 次回配信:2026年7月11日(土)20:00
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