第51話 安い金貨、重い拘束
七月九日の朝、三森は兄から届いた四つの資料を食堂の壁へ並べた。企画概要。仮条件。必要素材。告知文初稿。
どれも右上に小さく「未確定」とある。それなのに、告知文には迷宮ミモリの名がすでに入り、公開候補日まで二つ記されていた。
「仕事を用意した、と書いてあるな」
「頼んだんすか?」
「頼む理由がない。我には領地も金貨もある」
ノーラは返事の代わりに、添付された仮条件を拡大した。夏に更新されるダンジョン攻略ゲームを、迷宮ミモリが配信で遊ぶ。ゲーム内の洞窟を本職のダンジョンマスターとして評価し、可能なら普段の迷宮画面とゲーム映像を組み合わせる。
「題材は悪くないではないか」
「下まで読んで」
報酬は税込み五万円。
その下には、事前説明三回、動作確認一回、全体リハーサル、九十分の本番、終了後の報告会が並んでいる。期間は資料到着から配信翌週まで。指定時間外でも、制作上の質問には原則当日中に答える。
「拘束予定、最低二十二時間でございます」
デミタスが予定表へ仮の日程を置いた。一つずつは短く見えた打ち合わせが、移動できない時間として一週間以上に散らばる。
「五万の金貨を得るために、二十二時間か」
「円ね。金貨だったら秒で受ける」
「円は金貨より軽いのか」
「その比べ方すると話進まないんで、とりま安いと思っといて」
ラプラスの補助眼が、条件書の次項へ移った。
『修正回数の上限が存在しない』
「直せと言われれば、直せばよかろう」
『配信台本、告知画像、事前収録音声、迷宮演出について、先方が必要と判断した修正へ都度対応するとある。完了条件も期限も定義されていない』
「ずっと直してって言える書き方っすね」
「完成した後にもか」
「向こうが完成って言うまで」
三森は条件書の端をつまみ、下へ送った。使用素材の項目は、さらに長かった。
迷宮ミモリの立ち絵、ロゴ、配信映像、音声、切り抜き、スクリーンショット。ゲーム会社と広告代理店、その委託先が、公式サイト、動画広告、SNS、店頭画面、営業資料へ利用できる。期間は配信日の前後一年。媒体へ合わせた編集、抜粋、字幕追加を認める。
「我の姿を、店の看板にも勝手に置くということか」
「この案を飲んだら、使っていいことになるっす。どの場面を切るかも、毎回聞くとは書いてない」
「我が一度噛んだところだけを一年流すことも可能か」
「できる」
三森は、すぐに条件書から手を離した。
◇
最後に残ったのは、技術協力という二文字だった。企画概要では一行しかない。必要素材の一覧を開くと、迷宮画面へゲーム映像を表示するための接続機能、低遅延同期、当日の監視、先方環境での動作確認が求められていた。
「これ、誰が作る想定?」
ノーラが聞く。
『我以外に実装可能な者はいない』
「ラプっちの仕事代、どこ?」
『報酬欄は一つだ。配信出演、素材利用、技術協力を含むと記載されている』
「全部で五万?」
『そう読める』
ラプラスの演算環が速く回り始めた。必要な入力、変換、試験環境を列挙しかけ、デミタスが手で制する。
「実装へ着手する段階ではございません」
『着手ではない。要求の不完全性を証明している。ゲーム側の出力形式、認証、更新頻度、障害時の責任分界がない。接続対象すら観測できていない状態で対応可能と回答した者がいる』
壁に開いた企画書には、力也の回答が残っていた。
迷宮演出との連動:対応可能。詳細は技術担当と調整予定。
三森の表情から、報酬額を眺めていた時の困惑が消えた。
「兄上は、我が迷宮へ何を入れるつもりだ」
「ゲーム画面っしょ」
「違う。どの道を使い、どの部屋へ置き、何を外へ渡すつもりで、可能と答えた」
四つの資料には、その答えがない。チャンネルダンジョンへ入ったこともない力也が、迷宮の使い道だけを取引先へ示している。
「金貨が安いことより、そちらですか」
デミタスの問いに、三森は企画書を指した。
「金貨が少なければ断るか、増やせと申せばよい。だが我の知らぬところで、我が領地へ門を作れると約した者がおる。額を増やせば許される話ではない」
◇
デミタスが、力也へ確認事項を送った。一、三森がいつ企画相談を依頼したか。二、迷宮ミモリ側の誰が、素材利用と技術協力を了承したか。三、力也が取引先へどの立場を名乗ったか。
返事より先に、力也から通話が入った。
「資料は見たか」
食堂の端末から、穏やかな声が流れる。
「見た。まず聞こう。おぬしはいつから我がマネージャーになった」
「誰からそれを聞いた」
「質問へ答えよ」
「正式な肩書きではない。家族として条件を整理しただけだ。契約はお前の確認まで止めている」
「ならば、なぜ告知文がある」
「初稿だ。名前が入っていなければ、先方も使える文章か判断できない」
「なぜ日付がある」
「候補日がなければ制作も法務も動けない」
返答はすべて迷いなく返ってきた。分からずに進めた者の言葉ではない。
「営業、制作、法務、先方の広報が、もう確認へ入っている。今なら夏の施策に間に合う。最初の企業実績としては十分だ」
「我は実績を頼んでおらぬ」
「三万人で選べる仕事は多くない。今のうちに企業との実績を一つ作れば、次の条件が変わる」
「我が望むかは聞かぬのか」
「だから今、最終確認をしている」
力也の声は変わらない。複数の担当者がすでに資料を作り、時間を使っていることを一つずつ挙げていく。
「お前一人が嫌だと言えば、全員へ説明し直さなければならない」
「それは脅しですか」
デミタスが口を挟む。
「事実を説明している。社会の仕事は、一人の気分だけでは動かない」
三森は、壁へ並ぶ四つの資料を閉じた。告知文、素材一覧、企画概要。最後に仮条件が消える。
「我が断れば困る者を、先に増やしたのはおぬしであろう」
通話の向こうが、初めて短く止まった。
「明日の正午までに返事をくれ。先方には、家族内の最終確認中と伝えてある」
「伝え直せ。我は一度も同意しておらぬ」
「感情的になるな。仕事を用意してやったんだ」
「我が怒っておるのは金貨の額ではない」
三森は、何も映っていない食堂の壁を指した。
「我へ使者も出さず、我が迷宮の中で何ができるかを、外の者同士で決めたことだ」
力也が何か言う前に、デミタスが通話を切った。
◇
「これ、どう返す?」
ノーラは公式Poppiの入力欄を開いていた。
「まず兄上へであろう」
「そっちはデミさんが返す。外には、今日の配信前に変な告知出ても、決まってないって言っといた方がよくない?」
「長々と説明すれば、領民が混乱する」
「じゃ、一番困ってるとこだけ」
三森は閉じた資料を思い返した。二十二時間を越える拘束。上限のない修正。一年に及ぶ素材利用。そして一つにまとめられた五万円。
「拘束が長く、金貨が少ない」
ノーラの指が止まる。
「そこだけ聞くと、めっちゃ案件の愚痴っすね」
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迷宮運営記録
- 配信回:非配信回(直近:第70回)
- 次回配信:2026年7月9日(木)20:00
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