第29話 最初の冒険者、ゴリラに沈む
三森が手を振ると、第一層の小部屋へ続く扉が開いた。先頭は剣を持つ人間型。「ガンガン行け」のAIが、ゴリ子へ一直線に進もうとする。
その肩を、丸盾を持つ獣人型が後ろからつかんだ。
〈止めた?〉
〈命を大事にAIが仕事してる〉
獣人型は盾を前へ出し、剣の先で床を確かめた。扉のすぐ内側だけ、石板がわずかに沈んでいる。
次の瞬間、壁の穴から丸い石弾が飛び出した。盾が石弾を受けた。獣人型の身体が半歩下がる。
HPが三割ほど削れたところで、後ろのエルフ型が杖を向けた。「サポートの動き」だ。淡い光が、盾役の傷を塞いだ。
「ほう。粗末な装備ながら、役割は理解しておるではないか」
〈直接操作してないのに連携した〉
〈俺の盾役が減った、ハート連打してる〉
獣人型の所有者からコメントとハートが飛ぶ。盾の表面へ、耐久補助の光が重なった。剣士の所有者も短い言葉を送り続け、経験値を積み上げる。エルフ型には、回復スキルが一つ増えた。
〈配信の話が頭に入ってこない〉
〈自キャラから目を離すと死にそう〉
「我の配信を見に来たのではないのか」
〈見てる余裕を奪ったのはそっち〉
「参加するとは、そういうことであろう」
罠が次の石弾を装填する前に、三体は小部屋へ入った。ゴリ子は中央に立っている。
初期登録時より体格は大きい。鎧も武器も持っていない。太い両腕を下ろし、侵入者を見ているだけだった。
頭上に出ているのは、表示名と作戦だけ。レベルの欄は空白のままだ。
〈やっぱりガンガン行けだった〉
〈レベル表示は?〉
『表示領域の計算中だ』
「最古参ゆえ、ほかの者より多少は経験を積んでおる。それだけだ」
信じたのかどうかは分からない。剣士の所有者から、色のついたコメントが届いた。
〈先頭しか見えない ¥500 初攻略記念〉
布鎧が革と金属板の胴着へ変わる。短剣も、一回り長い鉄剣になった。
〈課金装備きた〉
〈五百円を信じろ〉
剣士が床を蹴った。ゴリ子も動いた。
鉄剣が届く前に、開いた右手が剣士の胴へ触れた。殴るというより、横へ払っただけである。
剣士は壁まで飛び、光の粒になって消えた。床へ落ちた鉄剣も、一緒に消える。
所有者のHP画面へ、赤い文字が出た。
――撃破。装備記録保持。次回性能七十パーセント。状態、消耗。
〈五百円!〉
〈使用時間三秒で三割減ったんだけど〉
〈壊れたなら直せよ〉
『修理機能はない。撃破のたびに次回性能が三割ずつ落ちる。二度目は四割、三度目は一割で「ボロボロ」と表示される』
「鍛冶を置く枠すらないのか」
『残るのは剣ではなく価値だ。五百円の鉄剣なら、一度撃破された時点で三百五十円分が残っている。そこへ追加の献上を足し、合計額の新品装備として発行し直す』
〈百五十円足せば元通りか〉
〈それ以上入れたら上位装備になる?〉
『なる』
〈初攻略の途中で減価償却の講義が始まった〉
残った獣人型が前へ出た。「命を大事に」のAIは、剣士の消えた場所へ近づかない。盾を両手で構え、距離を取りながら出口へ下がる。
所有者のコメントとハートが続き、盾の光が厚くなった。
〈盾だけ立派 ¥1,000 死ぬな〉
丸盾が縦長の大盾へ変わった。金属の縁と補強板が加わり、獣人型の全身が隠れる。
〈千円の壁〉
〈逃げろに変えさせて〉
『活動中の作戦変更は受け付けない』
〈そこだけ厳格〉
ゴリ子が大盾の前へ立った。拳が一度、盾の中央へ落ちる。金属板がひしゃげ、耐久補助の光が砕けた。
獣人型は盾ごと床を滑り、光へ変わる。
二撃目。
残されたエルフ型が、味方のいた場所へ回復魔法を放った。対象はいない。光は床の上で消えた。
〈サポートAI、仲間が消えても回復しようとしてる〉
〈逃げて〉
所有者のコメントでレベルが上がる。ハートが薄い障壁を生んだ。それでも、補助する相手はもういない。
エルフ型は自分へ障壁を重ね、出口へ下がっていく。
ゴリ子の左手が伸びた。障壁が割れ、エルフ型も光になる。
三撃目。攻略開始から、二分も経っていなかった。
三人の所有者が見ていた一人称画面は、同時に暗くなった。
〈俺の視点、死亡記録になった〉
〈千円の大盾は一発耐えた判定でいい?〉
『耐えていない。攻撃を受けた後、HPはゼロになった』
門の外では、次の入場を待つ冒険者が落ち着きを失っていた。入場前なら、作戦はまだ変更できる。「ガンガン行け」の数が減る。剣を持ったまま門へ背を向ける者も続いた。
「待て。なぜ次の者どもまで逃げる」
〈今日は生存記録を取りに来ました〉
〈初配信で自キャラ死亡は嫌だ〉
「攻略する気がないではないか!」
『生存を優先する作戦としては正常だ』
「正常であっても侵攻せよ!」
小部屋のゴリ子は、追う相手がいなくなると元の位置へ戻った。
〈ゴリ子:お疲れさまでした〉
短いコメントが一件流れた。それだけで、レベル表示がまた一つ増える。
〈倒した側もコメントで強くなるのかよ〉
〈運営アカウントだろ〉
〈課金させてから一撃で倒すボスとか悪質すぎる〉
〈公式HPの最初からいた一般ユーザーだぞ〉
〈一般ユーザーが初期部屋で三人一撃にするな〉
三森も同じ点で引っかかっていた。長く通う者が新参より強いのは、おかしくない。
だが、あの三体は罠を見抜き、反応で強化され、課金装備まで得ていた。それが、一度ずつ触れられただけで消えている。
「ラプラス。ゴリ子の成長履歴を出せ」
『個人情報は取得していない。表示できるのは迷宮内の活動記録だけだ』
「それでよい」
空中へグラフが開いた。縦軸の上限を越えても、ゴリ子の線だけが止まらない。表示範囲を十倍に広げても、線はまだ枠の外にあった。
「最初から全体が入る大きさにせよ」
『ほかの領民との差が大きすぎる。全体を入れれば、残り千人分が床の線と重なる』
「邪魔っていうか、これガチで数値おかしくないっすか」
ノーラが管理窓をつかみ、記録を並べ替えた。領民番号は〇〇〇一。登録は公式HPの試験公開日。参加はほぼ全回。
累積視聴もコメント数もハート数も、領民中の一位。防衛勝利の欄だけが、今日ついた三だった。
「三勝とは、先ほどの三人か」
『そうだ。領民アバターの稼働は今日が初回で、それ以前の実戦記録はない』
「戦っておらぬ者が、なぜ戦闘能力を得ている」
『事前訓練値だ』
ラプラスは当然のように答えた。登録したアバターを、実装の日まで置物にはしない。配信を見た時間、送ったコメント、押したハートを記録する。それが実体化した時の初期能力とAI熟練度になる。
ゴリ子は数か月分を抱えて、今日の迷宮へ現れた。
三森にも覚えのある名前だった。来る者が十人台だった頃から、短い「こんばんは」を置いていく。
スコップを振っていた夜。パイプ玉座が軋んだ夜。寝落ちして一言も話さなかった五時間も、視聴記録は途切れていない。
「我より先に寝ず、我が起きるまでおったのか」
「その回はマスターが寝すぎなんすよ」
「では聞く。何をどう積めば、この腕力になる」
『仮説一、課金装備による強化。棄却する、収益化から十日で説明力が足りない。仮説二、運営権限の誤付与。棄却する、権限表に該当なし。仮説三、累積記録。棄却できない。検証手順、登録日からの参加率を出す、滞在時間の中央値を出す、コメント間隔を出す、ハートの密度を出す、相関を取る、係数を復元する、ああ、足していない、掛けている、早期登録係数と継続係数と滞在係数と反応係数が同時に、同時に、同――』
目玉の光が細かく震え、語尾が潰れた。ノーラが管理窓を押さえる。
「ラプっち、いったん止まって」
『……失礼した。結論を述べる。ゴリ子は四つの係数をすべて満たしている』
「足し算じゃなくて掛け算ってことっすか」
『近似としては正しい』
「で、上限は」
『設定していない』
「だから突き抜けてんすよ!」
ノーラが次点の領民を並べた。視聴時間だけが長い者。コメント数だけが多い者。登録は早いが、本配信にはほとんど来なかった者。
どれも一項目では上位だ。それでも線は、枠の中へ収まっている。
『有効な入力を受け取ったのに、一定値から捨てる理由がなかった』
「普通はゲームが壊れるからじゃないです?」
『これはゲームではなく迷宮だ』
「見てる側にはゲームなんすよ」
コメント欄では、まだ課金を原因だとする声が流れていた。
〈結局いくら入れたらゴリ子になるの〉
〈古参課金ボスでしょ〉
〈収益化したの十日くらい前だぞ〉
『否定する。外部の登録者で、運営権限は付与されていない。イベント用の個体でもない』
〈毎日来てただけの人が最強って怖くない?〉
「うむ。献上窓口は開いたばかりだ。ゴリ子が門へ来ていた記録の方が長い」
小部屋へ視線を戻す。ゴリ子の肩が、先ほどより高くなっていた。最初の三勝が防衛功績へ加算され、基礎体格が更新されている。
門の外の冒険者は、多くが「逃げろ」のまま近づかない。ゴリ子の作戦は「ガンガン行け」だ。最も近い侵入者へ向かう。
一歩、二歩。小部屋の扉で、両肩が止まった。前へ出ようとするたび、石の枠から細かな砂が落ちる。
〈挟まった〉
〈ボスが部屋から出られない〉
〈ナーフじゃなくて建築ミスで封印されてる〉
「止まれ、ゴリ子! そのまま進めば壁が崩れる!」
所有者へ声は届いても、活動中の作戦は変えられない。
『上位方針を更新。小部屋内で待機』
ラプラスが防衛区画を扉の内側へ戻した。ゴリ子がようやく一歩下がる。肩の跡だけが石枠へ残った。
「見よ。上限を設けなかった結果、我が迷宮の方が負けかけたではないか」
『強力な防衛個体を収容できない建築側の問題でもある』
「責任を迷宮へ返すでない!」
「で、どうします? ゴリ子を小さくするなら、今のうちっすけど」
三森は活動記録を閉じなかった。数値は異常だ。だが、記録そのものは偽物ではない。人の少ない頃から門へ来て、声を残し続けた結果だった。
「記録は消さぬ。長く仕えた者を、扉へ入らぬという理由で縮める方がおかしい。先に小部屋を広げよ。扉も、あの肩が通る幅にせよ」
〈初日でボス部屋獲得〉
〈一般ユーザーとは〉
〈ゴリ子:すみません〉
謝罪のコメントが一件加わる。ゴリ子の一時レベルが、また上がった。身体がわずかに大きくなり、下がったはずの肩が石枠へ触れる。
「ラプラス。改装が終わるまで、ゴリ子のコメントを成長へ入れるな」
『有効な入力だ』
「今だけ止めよ!」
同じ頃、三撃で全滅した二分間はPoppiへ切り抜かれていた。
迷宮記録保管庫 @MimoriLog ・ 5月26日
【初攻略】コメント強化と課金装備で挑んだ三人、第一層のゴリラに三撃で沈む
#ミモリ迷宮 #ゴリ子 #課金装備
共有数が伸びていく。その夜、匿名掲示板に新しいスレッドが立った。
――【無理ゲー】ゴリ子攻略スレッド 第一層。
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