第2話 この世界は何が楽しい
投稿して間もなく、画面の端に赤い数字がついた。開いたままになっていたのは、ゲームについて話す板だったらしい。自分で遊ぶか、遊んでいる者の配信を見るか。返ってきたのは、その二択だった。
危険度と、始めるのに要る資金を尋ね返す。ゲームに危険度を聞く人間は初めて見た、と笑われた。対人戦なら精神が死ぬ。課金額は自制心次第。剣で斬られる心配はないが、無傷でもないらしい。
もっとも、ゲーム好きが集まる場所でゲームを薦められるのは当然だ。情報源が偏っている。
板の一覧へ戻る。旅行、園芸、料理、釣り。話題ごとに部屋が分かれていた。同じ質問を貼り付けて回れば、比べられるだけの意見が集まる。
効率的な調査のはずだった。
【旅行板】【急募】この世界で一番楽しいこと
1: 名無しさん@おーぷん 2026/01/01(木) 09:20:14.62 ID:Xrh2Qc6Kc
この世界では、何をして過ごすのが楽しいのだ。
2: 名無しさん@おーぷん 2026/01/01(木) 09:20:54.08 ID:Fvr6Pp4Zc
知らない土地へ行くこと。景色を見て、うまいものを食べて、温泉に入って帰る。それだけで一年生きられる。
3: 名無しさん@おーぷん 2026/01/01(木) 09:22:18.77 ID:Zpf7Cg5Kn
ご当地ラーメンの食べ歩き。目的地は駅から徒歩五分でいい。
4: 名無しさん@おーぷん 2026/01/01(木) 09:28:20.15 ID:Xrh2Qc6Kc
領外へ出る必要があるのか。道中の危険度と、護衛の相場も知りたい。
5: 名無しさん@おーぷん 2026/01/01(木) 09:29:00.71 ID:Fvr6Pp4Zc
>4
旅行だから外には出るよ。あと領外って何。
6: 名無しさん@おーぷん 2026/01/01(木) 09:29:52.05 ID:Kwv8Nm2Nx
元日の朝から護衛の見積もりを取る板じゃないんだよここは。
7: 名無しさん@おーぷん 2026/01/01(木) 09:31:19.86 ID:Fjk1Xf5Np
初めて来た人かな。行き先と予算を書けば具体的に返ってくるよ。この板、質問用のスレが下に別で立ってる。
8: 名無しさん@おーぷん 2026/01/01(木) 09:32:30.30 ID:Zpf7Cg5Kn
予算より先に護衛費を出してくる客は初めて見た。もう家でカップ麺食べてろ。
旅行とは、楽しむために安全な拠点を離れる行為らしい。遠征には目的が要る。未知の土地へ行くこと自体を目的にするのは、侵入者の発想だ。
三森は優先度を下げた。質問用のスレとやらは後回しにする。温泉とラーメン。その二語だけを覚えておいた。
【園芸板】【急募】この世界で一番楽しいこと
1: 名無しさん@おーぷん 2026/01/01(木) 09:32:37.12 ID:Kkw3Sz7Gm
この世界では、何をして過ごすのが楽しいのだ。
2: 名無しさん@おーぷん 2026/01/01(木) 09:33:04.64 ID:Gvt2Gz8Zv
土いじり。芽が出ただけで一日機嫌がいい。
3: 名無しさん@おーぷん 2026/01/01(木) 09:33:16.38 ID:Crj6Hq8Xf
庭があるなら野菜にしとけ。食えるし、余ったら漬物にできる。苗も土も通販で届く時代だぞ。
4: 名無しさん@おーぷん 2026/01/01(木) 09:33:30.91 ID:Kkw3Sz7Gm
必要資金は少なそうだ。防衛設備はどの程度要る。
5: 名無しさん@おーぷん 2026/01/01(木) 09:33:43.53 ID:Gvt2Gz8Zv
>4
何から畑を守る気だよ。鹿と猪なら柵、鳥ならネット。
6: 名無しさん@おーぷん 2026/01/01(木) 09:37:57.27 ID:Kkw3Sz7Gm
対人戦では精神が死ぬと聞いた。蘇生の手段はあるのか。
7: 名無しさん@おーぷん 2026/01/01(木) 09:39:39.44 ID:Crj6Hq8Xf
>6
畑の話をしろ。
8: 名無しさん@おーぷん 2026/01/01(木) 09:40:53.02 ID:Gbf1Nx3Ws
さっき旅行板で護衛の相場を聞いてたやつと喋り方が同じなんだが。世界に来たばかりの設定で遊んでる?
9: 名無しさん@おーぷん 2026/01/01(木) 09:41:05.19 ID:Kkw3Sz7Gm
遊んでいるのではない。遊び方を聞いている。
10: 名無しさん@おーぷん 2026/01/01(木) 09:42:13.55 ID:Gvt2Gz8Zv
面倒な新人が来たな。
11: 名無しさん@おーぷん 2026/01/01(木) 09:42:27.63 ID:Crj6Hq8Xf
まあ元日で暇だし付き合ってやる。プランター一個から始めろ。土と種で千円かからん。
園芸は拠点から出ずに済む。しかも成果が食料になる。三森の評価は高かった。
ただし収穫までの日数も、庭の広さも、今が何の季節なのかも分からない。調べる項目がまた増えた。
通販という語に、うすい記憶が反応した。画面で注文した物が、後日、玄関まで運ばれてくる。そういう仕組みだったはずだ。
補給隊が護衛もなしに家まで来る。
本当なら相当に便利だ。ただし手元にいくらあるのかを知らないまま試すのは早い。
通知の数字は増え続けていた。ゲーム。配信。温泉とラーメン。園芸と漬物。どれも並んだが、自分に手が届くのかを測る物差しがない。
千円が安いのか高いのかさえ、今の三森には言えなかった。
見出しをすべて閉じ、机の引き出しを開ける。中身は通帳と、家に関する書類の束。それに端末が一つ。画面には「力也」と表示された相手からの連絡が残っていた。
三森は書類を種類ごとに机へ並べていく。文字は読めるし、言葉の意味も分かる。それなのに、自分の記録が他人の報告書のように見えた。
最初に確かめたのは、顔写真のついた身分証だった。笹塚三森、十八歳。鏡を見た時に浮かんだ情報と一致している。写真の少女も、寝癖を直せば今の顔になるだろう。
「どうやら、名を偽っているわけではないらしい」
誰へ弁明しているのかは、自分でも分からなかった。
次に家族関係の書類を開く。父と母の名には、どちらにも死亡の記載があった。指がその行の上で止まる。
泣いた記憶も、葬儀の日の景色も霧の向こうだ。悲しくないのではない。悲しんだはずの自分へ、今の自分から手が届かなかった。
残っている近親者は兄の笹塚力也。端末に出ていた名と同じである。その力也からの連絡と、財産分配の一覧を見比べた。
都市部の不動産。運用しやすい金融商品。駅に近い物件。どれも兄の側にある。三森へ回ってきたのは、今いる地方の一軒家と、生活のための資産だけだった。
残高はすぐ飢えるような額ではない。派手に使わなければ当面は暮らせるが、新しい遊びを片端から試せるほど無限でもなかった。
力也の連絡は短い。
『東京の物件はこちらで管理する。お前は人の多い場所が苦手だろ。そちらの家なら生活には困らない』
「我の適性を考慮した配置、と言いたいのか」
紙の端が、指の力で少し波打った。価値の高い領地は兄が取る。扱いづらい妹は辺境へ置く。言い換えれば、そういう配置だ。
ただし分配が不正だったのかは、この書類だけでは分からない。当時の三森がどこまで頷いていたのかも同じだった。署名は自分の手らしいが、書いた時の顔は思い出せなかった。
もう一通、分配が終わった後の日付で届いた連絡がある。差出人は笹塚梨沙。力也の妻で、弁護士だという。今後は笹塚家側の資産管理を担当する。ただし三森名義になった家と資産は、管理の対象へ入れない。
文面は事務的だった。最後の一行にだけ、困ったことがあれば連絡するように、と足してある。今ある物まで兄に動かされる心配は、薄いらしい。
三森は書類を閉じ、改めて部屋を見回した。机を置いても余裕がある。使われていない部屋もある。隣家とは離れていて、窓を開けても人の声は聞こえない。
玄関と窓の位置は覚えやすい。守る範囲として広すぎなかった。
「辺境ではある。だが、悪い領地ではないな」
誰も訪ねてこない。その一点が、欠点ではなく利点の側へ数えられる。
三森は通帳を机の中央へ置いた。庭の広さは歩けば測れる。残高は一行で分かる。
分からないのは、その二つで何ができるのかだった。




