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盲目王子の専属侍女── 一歩先を導く侍女と追放王子の逆転劇  作者: チャーコ


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77 帝国から来た友

 帝国使節が離宮へ入ると知らせが届いたのは、昼を少し回った頃だった。


 執務室の窓からは、穏やかな光が差し込んでいる。視力は戻りつつあり、光の強さも、人の輪郭も、かなり拾えるようになった。とはいえ、長く目を使えば疲れが出るし、遠くの表情まではまだ読み切れない。見えるようになった分だけ、見えぬ部分の多さも、以前よりはっきりわかるようになっていた。


 ニコラスが文書を閉じ、冷静な声で告げる。


「帝都より正式使節が参りました。皇女位授与後の文書確認と、後見に関する補足が主な用件でございます」

「わかった」


 ルチアーノはそう答え、机の上の書類を隅に置いた。少し離れたところで知らせを聞いていたらしいロゼッタが、こちらへ向く気配がする。


「お迎えの位置まで、ご案内いたしましょうか」

「ああ。頼む」


 差し出された腕へ手を添え、玄関広間へ出る。白く広がる外光の向こうに、人影がいくつか見えた。先頭に立つ年長の文官が、帝国の名のもとに丁重な挨拶を述べる。


 その間、使節一行の中に若い男が一人控えていたのが目に入った。背が高く、姿勢がよい。髪は榛色に近い茶褐色、瞳は深い赤に見える。華やかに目立つというより、立っているだけで視線を引く種類の男だった。


 そのとき、傍でロゼッタの声がした。


「……ミケーレ様」


 ほんの少し、親しみを帯びた呼びかけだった。

 若い男がこちらを向く。目元が和むのが、今の視界でもわかった。


「ロゼッタ」


 自然な呼び方だった。礼を崩しているわけではない。けれど、距離の近さは隠していない。


 鼓動がひとつ、大きく鳴る。


(誰だ)


 ロゼッタが帝都で過ごした一月を、自分は詳細には知らない。その知らない時間の中に、この男は確かにいたのだと、その呼び方だけでわかってしまった。


 年長の文官が一礼してから半歩退き、若い男が前へ出る。


「ベルニ侯爵家嫡男、ミケーレ・ベルニと申します。このたびは、使節の一員として参りました」

「遠路ご苦労だった。帝都からの使節として歓迎する」


 ルチアーノがそう告げると、ミケーレは礼を崩さず応じた。


「光栄です。どうぞ、よろしくお願いいたします」

「こちらこそ」


 それだけのやり取りなのに、妙に隙がない。若さを前へ出しすぎず、かといって陰へ引っ込めもしない。帝都で育った貴族らしい振る舞いだと、一目でわかった。


 ◇ ◇ ◇


 文書確認そのものは長くはかからなかった。


 皇帝アウグストゥスの後見に関する補足、皇女位授与の正式写し、王国側での今後の扱いに関する確認。やり取りの中心はニコラスと帝国側の年長の文官が担い、ミケーレは必要なときだけ口を開く。その抑え方にも、ルチアーノは感心せざるを得なかった。


 すべての確認を終えたあと、帝国側の文官が提案した。


「皇女殿下ご帰還の祝いとして、ささやかな茶席を用意しております。もし第一王子殿下のご都合が許せば」


 断る筋ではない。ルチアーノは承知し、隣の迎賓室へ移った。


 そこは離宮の一角でありながら、帝国側が持ち込んだ茶器と菓子で、簡素ながら帝都式の茶席に調えられていた。設え自体は控えめだが、手を抜いた気配はない。離宮を借りたうえで、もてなしは帝国側が主として取り仕切っているのだと、すぐに察せられた。


 卓の上には王国では珍しい菓子が並び、窓際には数人の楽士が静かに控えている。夜会ほどの格式はないが、正式使節と王国の第一王子を迎えるには不足のない場だった。


 ロゼッタは、こうした場にいながら気負った様子を見せなかった。声にも構えた響きがなく、ミケーレへの返事にも無理がなかった。


「図書室の奥へ案内していただいたときは、少し緊張しました」

「それでも、あの記録を読む方を選んだだろう」

「はい。見ないままでは、答えられないと思ったのです」

「君らしい」


 その会話を耳にしながら、ルチアーノは茶器へ触れたまま口を閉じていた。


 知らない話ではない。ロゼッタ自身から、記録を読み、皇帝と問答を交わしたことは聞いている。だが、こうして帝都での細かな時間を共有している相手が目の前にいると、それだけで心は落ち着かなくなる。


 ただ名を呼んだだけなのに、その呼び方に積み重ねた時間があるとわかってしまう。そこが、一番気に障った。


 やがて、窓際の楽士が柔らかな前奏を鳴らす。それを聞いた帝国側の文官が、場を温めるように言った。


「せっかくの祝いの席です。もし差し支えなければ、一曲いかがでしょう」


 空気が少し変わる。


 ミケーレは迷わず立ち上がった。けれど、その動きに軽薄さはない。ロゼッタの前へ進み、恭しく一礼する。


「ロゼッタ。祝いの席として、一曲お相手願えるかな」


 その呼び方に、ルチアーノの胸が苦しくなる。


 皇女殿下でも、ロゼッタ様でもない。帝都で積み上げた距離のまま、自然に名で呼ぶ。そのことが、思った以上に心をざわつかせた。


 ロゼッタは一瞬だけ目を瞬かせたあと、穏やかに礼を返す。


「喜んで」

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