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盲目王子の専属侍女── 一歩先を導く侍女と追放王子の逆転劇  作者: チャーコ


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75 初めて見る君

 ――君か。


 囁くようなルチアーノの声が耳に届いたとき、ロゼッタは握っていた指先へさらに力をこめた。真正面から向けられる視線が、自分を捉えているとわかったからだ。


 研究室へ差し込む朝の光の中で、ルチアーノの青い瞳がこちらを追っている。まだ完全に安定しているわけではないのだろう。焦点はときおり微かに揺れる。それでも、今の彼が声ではなく目で自分を見ていることは、もう疑いようがなかった。


(本当に……見えているのね)


 ニコラスが少し距離を取ったところから口を開く。


「殿下、ご気分はいかがですか」

「眩しさはない。……ただ、まだ全部が鮮明というわけではない」

「それで十分でございます。急がず、目を慣らしてください」


 やり取りの間も、ルチアーノの目はロゼッタから外れない。今さらになって、ステラとマリアが整えてくれた髪も、ごく薄い青のドレスも、青を基調に金糸の刺繍を施したリボンも、少し華やかにしすぎただろうかと落ち着かなくなった。


「ニコラス」


 ルチアーノが言った。


「少しだけ、二人にしてくれないか」


 ニコラスは考えるような間を取り、それから一礼した。


「承知いたしました。無理はなさらぬよう。私は外におります」


 扉が閉まり、室内にはロゼッタとルチアーノだけが残った。魔法陣の光は薄れ、朝の白い日差しが床へ広がっている。


 ルチアーノが、ゆっくりと手を伸ばした。


「……近くへ来てくれ」


 ロゼッタは小さく頷き、数歩進んだ。足を止めても、彼の目は変わらずこちらを見ている。


「髪を、上で結っているのだな」

「はい。半分だけです」

「そうか」


 その目が、結び目のあたりで止まる。


「青い……リボンか」

「はい。以前、殿下がくださったものです」


 そう告げると、ルチアーノの目がわずかに見開かれた。さらに、その視線が留め具の赤へ移る。


「その赤いものは」

「薔薇です」

「薔薇?」


 ロゼッタはぎこちなく微笑んだ。


「想花祭のときに、殿下がくださった薔薇を押し花にして、透明な樹脂に閉じ込めた留め具です。今日、つけたくて」


 ルチアーノはすぐには何も言わなかった。その間も、眼差しだけはまっすぐロゼッタへ注がれている。


「……重すぎたでしょうか」


 そう尋ねると、彼はすぐに首を横へ振った。


「いや。そんなことはない」


 声の調子は落ち着いていたが、ロゼッタへ向ける柔らかな響きは変わらなかった。


 ルチアーノは、躊躇うように手を動かす。ロゼッタは逃げなかった。

 指先が髪へ触れ、まとめた部分から下ろした髪へ、そっと滑る。


「これが……君の、本当の髪の色か」

「はい」


 その手が今度は頬の傍で止まった。最後に確かめるような動きになり、ロゼッタは自然と身を寄せる。


「触れても?」

「……はい」


 頬へ添えられた手は、思っていたより温かい。見えていなかったときのように位置を探るためではなく、見たうえで触れているのだとわかる。その違いだけで鼓動が大きく鳴った。


 ルチアーノは至近距離から、ロゼッタの顔を見ていた。


「瞳も……本当に、蜂蜜みたいな色なんだな」

「殿下……」


 その言い方に、胸を打たれる。新しく知ったふうではなく、前に聞いた言葉をなぞるように見てくれているのだと伝わったからだった。


 ルチアーノは、そのまま言葉を紡ぐ。


「思っていた以上に、綺麗だ」


 視界が滲みそうになる。帝国で皇女位を授けられたときでさえ、ここまで心を揺さぶられなかったかもしれない。視界が開いたばかりの目で、真正面からそう言われることが、これほど嬉しいとは思わなかった。


「だが、綺麗だと言いたいだけではない」


 頬へ添えた手に、少し力がこもる。


「君は、思っていた以上にまっすぐな人だ」

「……」

「強い。だが、それだけではない」


 その青い瞳がさらに深い色を帯びる。


「私を見ていてくれた人だ」


 その一言に、ロゼッタは何も言えなかった。自分が見てきたこと、自分がしてきたことまで、きちんと受け取られているのだとわかったからだ。


「ロゼッタ」


 呼びかける声が、いつもより近い。


「私は君が好きだ」


 言葉ははっきりしていた。王子としての命令ではない。助けられたことへの礼でもない。ただ一人の少年が、一人の少女へ差し出す言葉だった。


「見えなかったときから、好きだった。君がいると世界が安定した。声を聞くと、考えが整った。手を貸されることにも、怯えずに済むようになった。最初はそれだけだったのだと思う」


 穏やかな口調でありながら、誤魔化しはない。


「だが、いつからか違った。君が誰かと親しくしていると気になった。離れていると落ち着かなかった。無事でいてほしいと願った。帰ってくる場所を残したいと思った」


 ロゼッタの頭に、帝国で何度も読み返した小さな手紙がよぎる。


 ――急がなくていい。帰る場所は整えてある。


 止めない人だった。命じず、待てる人だった。その待ち方の中に、ずっと想いが込められていたのだと、今ならわかる。


「今日、見えるようになっても、答えは変わらなかった」


 ルチアーノは、海のような青い瞳で確かにロゼッタを見ていた。


「むしろ、変わらないことがよくわかった」


 そう言ってから、ひとつずつ言葉を選ぶように告げる。


「侍女としてではない。役に立つからでもない。私は、ロゼッタ、君が好きだ」


 そしてさらに、はっきりと続けた。


「命令ではなく、今の私として、あなたに選ばれたい」


 ロゼッタの喉が詰まる。

 ずっと自分を支えてきた「選び返す」という言葉が、そこでようやく本当の形を持った。


 返したくないのではない。むしろ、今すぐにでも応えたかった。ただ、その瞬間があまりにも大きく、言葉が追いつかなかった。


 ロゼッタはただ彼を見つめ返した。

 ルチアーノの瞳も、そこから動かなかった。

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