表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
盲目王子の専属侍女── 一歩先を導く侍女と追放王子の逆転劇  作者: チャーコ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

53/78

53 頭を下げる王子

 執務室に、ニコラスとジャミルが入ってきた。


 ルチアーノは椅子に腰を下ろし、杖を傍に立てかけている。蛇の意匠の柄を指先で確かめると、いつもの位置に落ち着くはずなのに、今日はそこへ熱が混じった。気温のせいではないことは自分でもわかる。


 ジャミルは前置きをせず、北方へ向かった際の報告を口にした。節度を守るが、飾らない口調は、耳に入る情報だけを残す。


「北方の流通経路を洗い直しました。表向きは普通の仕入れに見えますが、金の動きに妙な癖があります。ひとり、名前が浮かびました。たぶん本人じゃない。名義を貸してるだけです」


 簡潔に述べるだけで、背後に誰かがいることが伝わる。前へ出ず、手を汚さず、動かしている者がいる。


「その名義で、闇魔法の素材が王都へ入っています。量は多くない。でも止まってません。背後を洗います。……細い流れが残るのが、一番厄介です」


 最後の言い回しだけが、ジャミルの本音に近かった。剣士は大きな火種よりも、消えない小さな火を嫌う。


 ルチアーノは杖の柄を指でなぞりながら問い返した。声が乱れれば、耳が拾う情報の精度が落ちる。見えない世界では、そこが致命傷になると身に刻まれていた。


「痕跡は新しいのか」

「はい。最近の動きです。虹色魔石の件とは別になります」


 切り分けは明確だった。


「ロゼッタの帰省と結びつくものは」


 問いながら、ルチアーノは自分の意図を確かめる。闇魔法をロゼッタへ繋げたいわけではない。ただ、危うさの範囲を把握しておきたかった。

 ジャミルは迷いなく答えた。


「今のところ、繋がりは出ていません。少なくとも同じ筋ではないはずです」


 ルチアーノは頷いた。


(闇魔法は別の問題だ)


 ここで混ぜれば、判断が鈍る。焦りが余計なものを結びつけてしまう。守りたいものを守れなくなるのは、いつもこういう瞬間だとわかっている。


「引き続き追え。報告は私へ」

「承知しました」


 それで闇魔法の件は区切る。ジャミルは必要な情報を伝え終え、口を閉じた。


 次に動いたのはニコラスだった。机上の封筒へ手を伸ばし、封を切る音が響く。話題を切り替える所作に澱みがない。


「別件でございます。マリーニ子爵家より、ロゼッタ嬢から手紙が届いております」


 紙が開かれ、内容が読み上げられる。


 実家で少し時間が必要であること。心を整理してから戻るつもりであること。離宮の皆に迷惑をかけることへの詫び。文面は丁寧で、行間に過剰な感情を残していない。言い換えれば、丁寧な分だけ遠い。


「以上です」


 今度は、返事がすぐに出なかった。


 杖を握る手のひらに力が入る。柄の凹凸が指先へ食い込み、痛みがあるのに、それで自分を止められない。


(戻る、と書かなかった)


 戻る()()()。断言ではない。


 王子の命令であれば、ロゼッタは従う。彼女は誠実で、責務から逃げない。だから命じれば戻る。戻って、いつも通りの声で名乗り、いつも通り半歩先を歩き、いつも通り必要な確認をしてくれる。


 しかし、その形で戻ってきたとしても、それは彼女の選択ではない。


(それでは足りない)


 欲しいのは、行動ではない。彼女の判断だ。

 彼女自身が、ここへ戻ると決めることだ。


(選ばれたい)


 口にすれば幼い願いに思われるかもしれない。だが、この願いを隠したまま、王としても恋としても前へ進めない。


 ルチアーノは息を整え、ニコラスの位置を確かめた。ここで自分が崩れれば、場が揺れる。その揺れが彼女へ届くのは望まない。


「ニコラス」

「はい」

「ステラとマリアを、ここへ」


 誰に聞かれるかわからない場所で、私情を公に晒すのは避ける。言い訳ではなく、ロゼッタのためでもあった。ニコラスは短く応じ、すぐに手配をした。


 ◇ ◇ ◇


 やがて二人の足音が廊下に重なり、控えめなノックが響く。


「入れ」


 ステラはいつも通り前へ出ず、壁際へ位置を取る。マリアは緊張を隠しきれず、呼吸が少しだけ早い。けれど、今夜は逃げないと決めていることが伝わる。


 ルチアーノは立ち上がった。杖先で机と椅子の位置を確かめ、数歩分の距離を取る。立った姿勢の方が声が崩れにくい。


「命じるために呼んだのではない」


 空気が引き締まる。ステラとマリアが黙って受け止める。ニコラスは口を挟まず、ジャミルは入口側で気配を薄くし、背中で通路を塞いでいた。万が一、扉へ不用意に近づく者がいても、すぐに遮れる立ち位置だ。


「……頼みがある」


 言い回しを選ぶ時間を取る。王子としての命令に変えれば、その瞬間に、欲しいものから遠ざかる。


「私の恋を応援してほしい」


 宣言のあと、誰もすぐに息を継がなかった。


「ロゼッタは戻るつもりだと言った。だが、待つだけでは足りないと考えた」


 杖を脇へ寄せ、真摯に思いを連ねる。丁寧に、誤解の余地を残さないように。


「命じれば戻る。それはわかっている。だが、それでは彼女の心は手に入らない。私は従わせたいのではなく、心を通わせたい」


 一度、息を吸う。ここまでなら理屈として語れる。けれど理屈だけでは届かないと、もう自分でわかっている。


「私の隣を、彼女自身の意志で選んでほしい。そのために迎えに行きたい」


 声が喉で止まりかけるが、それでも続けた。言い切らなければ、また自分を守るための形に戻ってしまう。


「……失いたくない」


 小さく付け足す。


 それは王子としてではなく、十六歳の少年の本音だった。誘拐の日に抱きしめた温度を思い出したとき、彼女を失う可能性を知った。それを思うと平然とはしていられない。


「一人ではなく、皆で」


 言い終えて、ルチアーノは一度だけ呼吸を整えた。命じれば、すべては早い。だが、それでは意味がない。ゆっくりと頭を下げる。


 王子ではない。

 一人の人間のルチアーノとして。


 最初に声を発したのはニコラスだった。


「殿下……」


 落ち着いた声音で、揺れはない。ただ、今夜はその落ち着きの中に、別の温度が混じっている。


「お母上は、選ばれた方でした」


 一拍、間を置く。


「ですが、選ばれただけではございません」


 ルチアーノが顔を上げる。ニコラスは続けた。


「ソフィア様は、ご自身の意志で選び、判断し続けた方でございます。王妃である前に、一人の人間として、王の隣に立つことを選び続けた」


 ニコラスの語りが、過去の空気を連れてくる。


 母は、地位に守られて立っていた人ではない。

 隣に立つことを()()()人だった。


「殿下は、選ぶ側に立たれた」


 責める響きはなく、確認でもない。見届ける声だった。託された役目を、揺らがせず受け取る声だった。


「命令でなく、願いとして差し出されたのであれば、それは王としてではなく、ルチアーノ様としての選択でございましょう」


 その呼び方は、滅多に使わない。今夜は一度だけ、その一度に意味を込めている。


「応援いたします」


 短い一言だった。だが、その短さが、逃げ道のない支えになる。

 ルチアーノの喉が鳴った。


(母上は……)


 選ばれたのではない。選び、判断を続けた。ならば、自分も。


「ありがとう、ニコラス」


 沈黙ののち、ステラが口を開いた。前へ出ないまま、必要な現実だけを置く。


「最初から、そのつもりです。ロゼッタが戻ったとき、離宮が揺らいでいては困ります。殿下が揺れるのも、同じです」


 叱る言い方ではなく、支える言い方だった。

 マリアが続く。声が少しだけ上擦るが、口調はまっすぐだった。


「ロゼッタさん、戻ります。でも、戻る理由は増やせます。私、調べます。ロゼッタさんのこと、全部。噂じゃなくて、確かな形にします」


 その返答に、入口付近からジャミルの声が重なる。


「マリア、ひとりで動くな。俺も行く」


 マリアが目を見開く。


「ジャミル様」

「危ない橋は渡らせない。任務として」

「……ありがとうございます」

「ロゼッタ嬢のためだ」


 任務という建前で距離を保つ。だが、立ち位置がすでに答えになっていた。

 そのとき、ステラが慎重な声で言った。


「……殿下。ひとつ、思い出しました」


 ルチアーノが顔を向ける。


「ロゼッタが離宮を出る前に、小さな瓶を預かっております。髪に使う物とだけ聞きました。何かあったときのためにと」


 ステラは懐から布に包んだ小瓶を取り出し、机へそっと置いた。中身の正体は知らない。それでも預かった物の重さだけは理解している手つきだった。


 マリアの呼吸が変わった。


「……見せてください」


 声の調子が先ほどまでと違う。素直なまま、しかし集中している。


 ステラが小瓶を差し出すと、マリアは受け取ってからすぐには蓋を開けなかった。鼻を近づけ、指先で瓶の表面を確かめ、最後に慎重に蓋を緩める。中の粉の気配を逃さないように、ほんの少しだけ指に取る。


「これ……」


 一拍置いて、マリアは言った。


「染め粉に見えます」


 ルチアーノの指が、杖の柄をきつく握る。


「珍しいのか」

「とても珍しいです。王都でも滅多に見ませんし、匂いが……残らない」


 マリアは粉を戻し、蓋を閉める。扱いが丁寧なのは、品物の格を感じ取っているからだ。


「普通の染め粉なら、香りで誤魔化したり、薬剤の癖が残ったりします。これは、それがない。調合法が違います」


 ステラが静かに言う。


「ロゼッタは、詳しい説明はしませんでした。ただ、念のためと」


 マリアが頷いた。


「念のためにしては質が良すぎます」


 言ってから、慌てて口を閉じる。それでも言うと決めた声音だった。


「すみません。でも……調べたいです。どこで手に入る品なのか、誰が作るのか、王都で扱える商家があるのか。私なら、当たりをつけられます」


 ルチアーノは一度だけ息を吸い、吐いた。


「任せる。ロゼッタのことを、憶測で弄ぶのは嫌だ。確かな形にしてくれ」


 マリアが背筋を伸ばした。


「はい。必ず」


 ジャミルが低く言う。


「外へ出るなら俺が付く」


 マリアが反射的に返事をしそうになり、飲み込んで頷く。

 ルチアーノは杖を取り直す。冷たさが指先へ戻り、今夜の決意を支える。


「ロゼッタを迎えに行く」


 そこだけは、断定した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ