47 王妃の計算
報告は、整然としていた。
「第二王子殿下は地下時計塔にて拘束。私印および金袋は押収済み。第一王子殿下に対し刃を向けた件につき、王族間の重大事案として拘留、陛下の裁可を待つ運びとなっております」
王族間の重大事案。その言葉が、静かな室内に落ちる。
イリナ・ディ・ヴァレンティーノは、封蝋の割れ目を指先でなぞりながら、ゆっくりと視線を上げた。
「……そう」
驚きも、嘆きもない。
「第一王子殿下は」
「御身に傷はございません。ただし、王族に刃を向けた事実は重く、私闘として処理することはできません。王族間の刃は、陛下の裁可を経て裁かれるべきものです」
説明は十分だった。
王族が王族に刃を向けた。本来であれば反逆に等しい。だが当事者が王族である以上、私情での即断は許されない。裁きは、制度の枠内でのみ下される。
(殺さなかったのね)
第一王子は、そこで刃を引いた。
激情に任せず、王族同士の刃を私闘にしなかった。
正しい。
あまりにも、正しい。
(殺していれば、まだ扱いやすかった)
死者は盤から消える。処理は簡潔だ。だが生きている失敗は、証拠と裁定と視線を伴い、王宮を揺らす。
「王妃陛下、第二王子殿下の弁明については――」
「制度に従わせなさい」
イリナの声は平坦だった。
「王妃が情を見せれば、余計な憶測を生みます。王族同士の刃は、私情では裁けません」
「承知いたしました」
側近はなお控えている。
(壊れた)
それが最初の評価だった。
リカルドは前に立たせる駒としては有用だった。王族の名があり、若さがあり、象徴にもなり得た。判断の核は自分が握り、息子には見える役割だけを与える。それで盤は進むはずだった。
だが、結果を出せなかった。
使えない駒は、下げる。
それは公爵家で教えられた理だ。国が正常に機能することが第一であり、情や迷いは不確定要素にすぎない。
(空いた)
第二王子の位置が、事実上空いた。
第一王子は視力を失っている。王は見る存在であるべきだ。象徴が揺らげば、王宮は揺らぐ。それは疑う余地のない前提だった。
しかし、視力を失ったはずの第一王子が、なお王宮の均衡を崩さず、むしろ制度の内側で正しく振る舞ったという事実は、彼女の計算と静かに噛み合わない。
(……母より強いかもしれない)
その思考を、即座に打ち切る。
ソフィアは小国の出身であったが、王女として教育を受け、外交の場に立つ備えができていた。好奇心旺盛で、旅先で出会った者と対等に言葉を交わし、知性で人を惹きつける資質を持っていた。
後ろ盾の数では勝っていた。だが、それ以外で劣っていると感じた瞬間を、イリナは忘れていない。
ソフィアは選ばれた。感情だけでなく、資質で。
その息子が、視力を失ってなお立っている。
(削る必要がある)
問題は出来事ではない。立っている人だ。
第一王子を支え、折れさせない存在。
――侍女。
名を出さずとも、輪郭ははっきりしている。市場へ出向き、離宮を整え、北方の数字を静かに揃える女。
(あの女が傍にいる限り、折れない)
ならば、折れる側を変えればいい。
イリナは視線を側近へ戻した。
「……あの侍女の背後を洗いなさい」
側近の呼吸がわずかに止まる。
「単独で盤を動かせるはずがない。繋がっている線をすべて調べなさい。離宮内の誰が、どこまで関わっているのか」
「承知いたしました」
それは整えるための調査ではない。削るための準備だった。
(代替はある)
実家の公爵家には、若い男子が一人いる。素直で、扱いやすい。王家の分家筋として血は繋がる。養子として迎え、王子として再教育することは、理論上は可能だ。
問題は情ではない。時間だ。
かつて国王は彼女を「正しい」と評した。感情に流されず、実務に長け、国を回すことができると。その言葉は賞賛であり、同時に距離でもあった。
王は彼女に政務を任せる。しかし心を預けはしない。
それでも構わない。心は不要であり、必要なのは機能だ。
◇ ◇ ◇
鉄の匂いが鼻を刺す。
石壁に背を預けたまま、リカルドは天井を睨んだ。
「……裁判?」
乾いた独白が牢に響く。
王族に刃を向けた。それがどれほどの意味を持つかは知っている。だが、自分に向けられるとは思っていない。
(俺は王族だ)
母は理解する。母は計算できる。母は国を回せる。ならば、息子一人を救うことなど、難しくはない。
少し待てば、扉は開く。
(母上は、必ず)
足音は来ない。時間だけが過ぎる。
冷えが、背中から染み込んでくる。
「……遅い」
それでも疑わない。母は来るはずだ。
王宮は静かに回っている。彼を、置いたままで。




