表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
盲目王子の専属侍女── 一歩先を導く侍女と追放王子の逆転劇  作者: チャーコ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/73

30 二人だけの秘密に揺れる心【挿絵あり】

お話の途中に、貴様二太郎さんに描いていただいた挿絵があります。

 執務机の上に並べられた道具を前にして、ロゼッタは一度だけ、ほんの小さく呼吸を整えた。


「殿下。今日は、()()()()()()()()()()の練習をしませんか?」


 それは単なる提案だった。

 飾り気も、含みもない、いつも通りの声音。だが――。


(……二人だけ)


 その言葉が、思考より先に胸に落ちる。

 ルチアーノは一瞬返事を忘れ、次の瞬間には反射的に頷いていた。


「……ああ」


(……なぜ、私は即答した)


 内心でそう思ったときには、もう遅い。ロゼッタは何事もなかったように、話を進めている。


「触れて読む文字は、読むだけでなく、書くこともできます。ただ……少し、ややこしいです」


 机の上に置かれたのは、薄い板と紙、それから先端が細く尖った筆記具だった。筆のようだが、書くというより、押すための道具だろう。


「こちらは、紙を裏から押して点を作る、先端が尖った筆記具です」


 そう説明してから、わずかに言葉を選ぶ。


「読むときに触れるのは、()()()()()ですよね。でも書くときは、()()()()()()()になります」


 ルチアーノは静かに頷く。


「つまり……」


 ロゼッタは、できるだけ噛み砕いて続けた。


「読むときに触っている膨らんだ点と、書くときに押す点は、鏡に映したみたいに左右が反対になります」

「……鏡像、ということか」

「はい。なので、読むときと書くときでは、同じ文字でも、点の位置が逆になります」


 説明は丁寧だ。理屈も理解できる。

 だが、理解できることと、実際にやることは別だった。


(……これは、厄介だな)


「それと……」


 ロゼッタは、視線を筆記具に落とした。


「先端が尖っていますので、殿下のお手元が危ないかもしれません。少しだけ、失礼しますね」


 一拍置いて、ロゼッタの手が、ルチアーノの右手を包んだ。


 強くはないが、完全に覆われている。

 掌から伝わる温度が、はっきりと感じられた。


(……温かい)


 自分より高い体温が、指先から手首へ、じわりと広がる。


 同時に、香りが届いた。

 清潔な石鹸の香りに、ほんのりと爽やかな柑橘。近づかなければわからない、ロゼッタの香り。


 そして、優しい声。


「こうやって持ちます。力は入れなくて大丈夫です」


 耳のすぐ後ろで囁く、柔らかく輪郭のはっきりした声。


(……近い)


 思考が、一拍遅れる。


「殿下、書く文字は……最初に殿下が()()()()()()()()()()()()とおっしゃったので」


 無自覚に追い打ちをかけられて、ルチアーノの頬が熱を帯びる。


「今日は、rosetta(ロゼッタ)を書いてみましょう」


(それを言うな)


 だが、口には出せない。


「……ああ」


 返事は平静を装っていたが、内側は完全に落ち着いていなかった。

 ロゼッタは背後に立ったまま、ルチアーノの手を包み、板の端を示す。


「ここが端です。紙を板に固定して、まずこの位置に点を押します」


 指が動くたび、袖越しに体温が伝わる。

 彼女の香りが、紙と木の匂いに混じる。


(……集中しろ)


 尖った筆を押す。

 紙が裏からへこむ、確かな感触。


「そのまま……次です」


 次。

 その言葉を、無意識に()()()()()()として受け取ってしまう。


(……読むときの向きだ)


 考え直す余裕がない。ロゼッタが近すぎる。

 彼女の香りと温度と声が、ルチアーノの思考を奪う。


 押す。

 押す。


 ロゼッタは止めない。ルチアーノが()()()書いているからだ。


「……ここまでです」


 そう言われて、ロゼッタが手を離す。

 離れた途端、空気が少しだけ冷える。


(……助かった)


 そう思ってしまったことに、内心で動揺しながら、ルチアーノは紙を外した。


「では表に返して、触って読んでみてください」


 いつも通り、左から右へ。


 一文字目。


「……?」


 二文字目。


(……違う)


 三文字目で、確信。


「……attesor(アティソール)?」


 沈黙が落ちる。

 少し間を置いて、ロゼッタがこらえきれずに小さく笑ってしまった。


「……すみません」

「笑うな」

「いえ……とても、わかりやすい失敗です」


 彼女は責めないし、否定もしない。


「殿下、鏡の関係を頭では理解されていました。でも……」


 少し、言葉を選ぶ。


「読むときの癖が、身体に残ったまま書いてしまったんだと思います」


 ルチアーノは額に手を当てた。


(……そうだ。理解しているのに、距離が近くて、考え直す余裕がなかった)


挿絵(By みてみん)


「……もう一度だ」

「はい。もう一度やりましょう」


 今度は、ロゼッタが一歩だけ距離を取る。


「殿下。……こうやって書く。わかりましたか?」

「……わかった」


(あんまり、わかっていないが)


 だが、今度こそ間違えたくない。


 再び書く。

 読む癖を、意識して捨てる。

 書き終え、紙を返して指を滑らせる。


「……rosetta(ロゼッタ)

「はい。できています」


 ロゼッタの声が、明るく和らいだ。


「殿下、ご自身で書けました」


 その言葉に、胸の奥でじんわりと温かさが広がる。


 二人だけの秘密の文字。

 二人だけが知っている、間違いと成功。


 ルチアーノは筆を置き、深く息をついた。


(……これは)


 文字の練習では、済まない。


 ロゼッタの香りも、温度も、声も、距離も。

 視覚以外の情報すべてで、自分を揺さぶっている。


 そして何より厄介なのは――彼女が、それを()()()()()()()()()()()ことだった。


(……捨てられるわけがないだろう)


 こっそり最初に失敗した紙を懐にしまいながら、ルチアーノはもう一度、ゆっくりと息をついた。

今回のお話を書いて、点字の構造が少し複雑なので、二太郎さんに挿絵をお願いしました。

わかりやすく点字イラストを描いていただき、誠にありがとうございました!


よかったら★評価やご感想をいただけますと嬉しいです。引き続きどうぞよろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ