14 休む判断
書類を一枚閉じたところで、ニコラス・サルヴィは小さく息をついた。
「ロゼッタ・マリーニを呼んでください」
執務室に控えていた文官が一礼し、扉の外へ出ていく。ニコラスは椅子の背にもたれ、指先でこめかみを押さえた。
(……早かったですね)
数刻前にステラとマリアから、ほぼ同時に報告が入った。
「張り切りすぎています」
「休息が必要です」
どちらも、感情ではなく事実として述べてきた。
声の調子、立ちっぱなしの時間、説明の密度。どれも、ロゼッタ本人が自覚しにくい種類の変化だった。
そこへ、殿下からの短い言葉が重なった。
「ロゼッタに、休みが必要だ」
理由の説明はなかった。だが、その一言で十分だった。
扉がノックされる。
「失礼いたします」
ロゼッタ・マリーニが入室する。
姿勢は整っている。だが、目の下にわずかな影があった。
「お呼びでしょうか、ニコラス様」
声は明るいが――少しだけ、張りつめすぎている。
「座ってください」
一瞬、ロゼッタは戸惑ったように視線を泳がせたが、すぐに椅子に腰を下ろした。
それだけで、肩がわずかに落ちる。
ニコラスは書類に視線を落としたまま告げた。
「結論からお伝えします。あなたは、休みなさい」
ロゼッタが目を見開く。
「……え?」
ニコラスは顔を上げ、溜息まじりに続けた。
「ステラとマリアから、報告がありました。声を使いすぎている。立ちっぱなし。説明過多。食事量の調整も、あなた自身が後回しにしている」
ロゼッタは、何も言えない。
「そして――」
一拍、間を置く。
「殿下からも、同じ判断が出ました」
ロゼッタの指が、膝の上で小さく動いた。
「殿下が……?」
「ええ。端的に『ロゼッタに休みが必要だ』と」
それ以上の言葉はなかった。だがニコラスには、その裏の判断が見えている。
殿下は叱っていない。ただ、行き過ぎを正確に見ている。
「あなたは優秀です」
ニコラスは淡々と事実を述べる。
「だからこそ、止まらなかった。専属になった責任を、一人で背負おうとした」
ロゼッタは唇を噛んだ。
「……殿下の判断を、邪魔してしまいましたか」
「いいえ。まだ、致命的ではありません。ですが――」
ニコラスは静かに言葉を選ぶ。
「あなたが無理をしていると、殿下の判断が鈍ります」
ロゼッタは、ゆっくりと息を吐いた。
「……自覚、していました。でも、止められませんでした」
「それでいいのです」
ニコラスは言う。
「だから周囲が止めます。それが制度です」
少しだけ、表情を和らげる。
「明日は休みなさい。殿下の世話は、マリアとステラが引き継ぎます」
「……はい」
短い返事だった。
だが、声の張りが、少しだけ抜けている。
「不安ですか」
「少し。でも……」
ロゼッタは、はっきりと言った。
「殿下がそう判断されたなら、従います」
その言葉に、ニコラスは内心で頷いた。
(やはり、あなたは適任ですね)
立場を守る人間は多い。だが、判断を信じて引ける人間は少ない。
「今日は、もう戻りなさい」
「承知しました。失礼いたします」
「はい、明日は休みです」
念を押すように言ってから、ニコラスは少しだけ声を和らげた。
「ですが、気が向いたら外へ出ても構いませんよ。街を歩く程度なら問題ありません」
「外、ですか」
「ええ。ずっと離宮にいると、視野が狭くなりますから。その場合、事前に伝えなさい。付き添いは手配します」
それは、殿下に向けてきた言葉と、よく似ていた。
ロゼッタが立ち上がり、一礼して出ていく。
扉が閉まったあと、ニコラスは深く息をついた。
「……ふう」
思ったより早かった。だが、遅れるよりはいい。
判断を奪わないために、判断する。止めるべきときに、止める。
それが、今の離宮に必要な秩序だった。そして――。
(殿下は、もう守られる側ではありませんね)
ロゼッタを気遣い、環境を見て、結論だけを出す。
王としてではなく、一人の人間として下した判断だった。
ニコラスは机に戻り、新しい書類を開く。静かな離宮の午後だった。




