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盲目王子の専属侍女── 一歩先を導く侍女と追放王子の逆転劇  作者: チャーコ


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1/7

1 失意の王子と、一歩先を導く侍女

 離宮の中庭は、遠くで鳴る鐘の音だけが響いていた。


 第一王子ルチアーノ・ディ・ヴァレンティーノは、杖を頼りにゆっくりと歩いていた。視力を失った今、足元を探る動作は自然と慎重になる。


 石畳の感触、わずかな段差、曲がり角の位置。

 それらをひとつひとつ確かめながら進むその姿は、かつて王宮を颯爽と歩いていた頃とは、別人のように違っている。


 そんなルチアーノの正面から、大きな靴音が近づいてきた。

 わざとらしく、こちらに聞かせるような歩き方だった。


「やあ兄上。今日も一人でお散歩か?」


 聞き慣れた声に、ルチアーノは足を止める。


「……何の用だ、リカルド」

「冷たいな。弟が兄を見舞いに来ただけじゃないか」


 第二王子リカルド・ディ・ヴァレンティーノ。

 声の位置が、必要以上に近い。視力を使えない今、その距離感ははっきりとした圧になる。


 そこへ、扇が開く音が重なった。


「あら。本当にこちらにいらしたのですね、殿下」


 甘い香水の匂いとともに、柔らかい声が届く。


「王宮とは違って、とても静かですこと。……お一人だと、少し不安になりません?」


 元婚約者であるセリーヌの言葉には、心配よりも試す響きがあった。

 見えない相手が、どこまで把握できているのかを測る声だと、ルチアーノはすぐに察する。


「心配には及ばない」

「へえ。強がりは相変わらずだな」


 リカルドが一歩、前に出る。

 盲目の相手に対して、位置をずらすだけで優位に立てることを、彼はよく知っているようだった。


「でもさ、足元って案外危ないだろ。こういうところがな」


 次の瞬間、肩に衝撃が走った。


「――っ」


 体勢が崩れ、杖が手を離れる。杖の転がる乾いた音が、中庭に響いた。


 見えていれば、避けられた。

 だが今のルチアーノには、リカルドにぶつかられた方向も距離も、即座には判断できない。


「おっと、悪い悪い。見えなくてさ」


 含み笑いが、やけに近い。


「兄上も気をつけないと。その杖、ないと困るだろ?」


 嘲りを孕んだ声に、思わず憤りかける。

 視力を失ったことそのものを、利用されていると感じた。


 ルチアーノが言い返すより早く、別の声が割って入った。


「殿下、杖はこちらにございます」


 落ち着いた女性の声だった。

 すぐ近くで止まり、次いで、右手に馴染んだ感触が戻される。


「正面に段差はございません。右足を半歩前へ、ゆっくりお立ちください」


 引っ張られない。押されもしない。

 示された通りに身体を起こすと、重心が戻り、足元の不安が消えた。


「……あなたは?」

「王宮侍女見習い、ロゼッタ・マリーニと申します」


 名乗る声も、距離も、すべてが一定だった。


「余計な真似をするな」


 リカルドが舌打ちする。


「転ばれた方へ手を差し伸べるのは、当然のことでございます」

「兄上は繊細なんだ。刺激しない方がいい」


 守るふりをした侮りが、言葉に滲んでいる。


「そうでしょうか」


 ロゼッタの声は変わらない。


「殿下は、ご自身で立っておられます。私にはそう見えました」

「……侍女の分際で、生意気だな」


 セリーヌが扇を揺らす。


「王太子殿下()()()()に、随分馴れ馴れしいですこと」


 ロゼッタは一歩も引かなかった。


「殿下、ご無理はなさらず。歩幅に合わせて進みます」


 半歩前に立つ気配がする。

 近すぎず、遠すぎない距離。


 そのとき、ふと香りが届いた。清潔な石鹸の香りに、微かな柑橘が混じっている。

 見えなくても、近くにいる人間の気配はわかる。その香りは、警戒心を煽らなかった。


「……礼を言う」


 短く告げると、ロゼッタは小さく息をついた。


「お役に立てて何よりです、殿下」


 リカルドが再度舌打ちをした。


「まあいい。今日はこのくらいにしておいてやる」

「そうですわね。……離宮の空気は、どうも湿っぽくて」


 二人の靴音が遠ざかっていく。

 中庭に残ったのは、杖を手にした第一王子と、半歩前に立つ侍女だけだった。


「殿下、少し歩きましょうか」

「……ああ」


 歩き出すと、先ほどの香りが、一定の距離でついてくる。

 見えないことは変わらない。だが見えないからこそ、誤魔化されないこともある。


(……私を侮らない人間がいる)


 それだけで、胸の奥にわだかまっていたものが動いた。


 今は、踏みつけられる立場にいる。

 視力を失い、王宮から遠ざけられ、嘲りを向けられる側だ。


(だが――このままで終わるつもりはない)


 自分を利用して笑っている者たちの顔を、いつか逆の立場から見下ろす日が来る。

 そのために必要なものは、まだ手の中に残っている。


 判断力。立場。

 そして――世界を成立させる人間。


 失意の王子と、一歩先を導く侍女の物語は、この日から始まる。

 それはまだ恋とも呼べず、救いとも依存とも言い切れない始まりだった。

 だがこの一歩が、やがて立場を逆転させるほどの力を持つことを、ルチアーノ自身が一番よく理解していた。


 これは、盲目になり王位から遠ざけられた第一王子が、無自覚に人を甘やかす侍女とともに、恋と政治の両方を逆転させていく物語である。

本作は複数の視覚障害当事者や関係者の体験・意見を参考にしつつ「判断を奪わない支援」と、構造的ざまぁをテーマに執筆しています。

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