第93話 初体験
俺には、どうしても看過できない重大な懸案事項があった。
先日の料理大会でヒロンが披露した、あの寿司――そのネタに使われていた生魚だ。
このエルヴァンディア帝国は内陸国であり、海には面していない。
近隣の川で獲れる淡水魚を生で食すなど論外だ。
俺が口にしたのは、間違いなく瑞々しい海の幸だった。
まさか、ヒロンの故郷であるオレスフォードから運んだのか?
いや、あそこからは馬車を飛ばしても数日はかかる。
鮮度が命の生魚を運べる距離ではない。
「……ふむ。出所を突き止めねば、夜も眠れんな」
俺は湧き上がる知的好奇心と食欲に従い、軽い気持ちでヒロンを呼び出した。
それが、後にあのような事態を招く引き金になるとも知らずに。
――――――
俺の執務室の扉が、控えめにノックされる。
「レヴォス様、お呼びでしょうか?」
「ああ、ヒロン。よく来た。先日の料理大会、貴様の働きは見事だった。企画から実務まで、大儀であったぞ」
「もったいなきお言葉! 身に余る光栄です!」
ヒロンは感激に震え、大仰に頭を下げた。
だが、今はその忠誠心よりも情報が欲しい。
「……単刀直入に聞く。あの寿司ネタ、どこで手に入れた?」
俺の問いに、ヒロンは待っていましたと言わんばかりにニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「レヴォス様なら、必ずそこに食いついてくださると信じておりました……! あの魚は隣国の『ザオツリ』から、独自の流通経路を駆使して取り寄せたものになります!」
「ザオツリだと? あそこは帝国と敵対関係にあるはずだが。よく貿易が許されたな」
ザオツリ。かつて帝国が不可侵条約を無視して干渉して以来、国交は断絶しているはずの敵国だ。
よって、貿易などはしていないという事だったはずだ。
「ええ。帝国としての交流は止まっていると思いますが、商人や旅人の足までは止められていません。幸い、ザオツリは我が母国オレスフォードとは友好関係にあります。今回は王子としての特権で、少々融通を利かせてもらいました」
なるほど。オレスフォードの王子であるヒロンなら、顔パスという事か。
それに何より、国を通さなければザオツリと取引が出来る、というならば俺の取るべき行動は一つしかない。
帝国の公爵家嫡男という身分を隠し、隠密にザオツリへ乗り込む。
そして現地で新鮮な魚を買い付け、グリンベルへの恒久的な流通ルートを確立させるのだ。
そうすれば、この領地でいつでも至高の寿司を堪能できる。
ついでに、現地で獲れたての海鮮を食い荒らすのも一興だろう。
……ふっ。完璧な計画ではないか。
無意識に口角が吊り上がるのを止められなかった。
俺は控えている執事フォルテに目をやった。
「……フォルテ」
「はっ。公爵家の紋章の付いたものではなく、目立たない馬車を手配しておきます」
……流石はフォルテだ。
俺が言葉を発する前に、その意図を完璧に汲み取ってみせた。
「うむ。それとヒロン。あの鮮度の魚を、どのように維持して運んだのだ?」
「はい。魔力で内部を冷やす、特殊な低温保存箱を使用しました。グリンベルには二つありますが、現地ザオツリでも調達可能です」
「ふむ。それがあれば問題無いということだな」
準備は整った。
俺の計画はこうだ。
今回は俺一人でザオツリへと向かう。ヒロンは、顔が割れているため同行は無理だ。
ザオツリと帝国は敵対しているので、公爵家の人間だとバレれば国際問題になりかねない。
よって、冒険者を装うのが最善だ。
買いに行かせるだけなら、誰かに行かせれば買えるだろう。
だが、そもそも誰も刺身などの生魚の美味さを知らないので、ここは任せられない。
責任を持って、俺が行くしかないのだ。
これは義務だ。
それに、単独での行動というのも最近あまり取っていない。
羽を伸ばすにも、ちょうどいいだろう。
それからというもの、フォルテに準備をさせていた時間にグリンベルを視察して回った。
急速な発展ではあるものの、それぞれが楽しそうに過ごしている。
多種多様な種族が笑い合い、活気に満ちたこの地は、もはや一つの独立国家のような風格を備えている。
すると、料理大会のために作られた屋外の調理場を通りかかると、そこには見覚えのある二人の姿があった。
俺の母アリアと、妹のルナリアだ。
どうやら、アリアがルナリアに料理を教えているらしい。
呪具の反動で若返ったアリアとルナリアが並ぶ姿は、どう見ても仲睦まじい姉妹にしか見えなかった。
「あっ! レヴォスさま!」
俺の姿を見つけるなり、ルナリアが子犬のように駆け寄ってくる。
「料理の修行か。精が出るな、ルナリア」
「はい! お母様に美味しい料理の作り方を教わっていたんです。あの、よろしければ後で食べていただけますか?」
期待に満ちたルナリアの瞳が、キラキラと輝いている。
「……いや、生憎だがこれから急用で出かける。またの機会にしよう」
「えっ!? 出かけちゃうんですか……!?」
先ほどまでの笑顔が嘘のように消え、ルナリアは眉を八の字に下げて、今にも泣き出しそうな顔になった。
俺も残念ではあるが、これも寿司のためだ。
「そう落ち込むな。帰ってきたら、一番に貴様の料理を味わってやろう」
「……はぁい」
そこへ、準備を終えたフォルテが姿を現した。
「レヴォス様。馬車の用意が整いました。……しかし、本当にお一人で向かわれるのですか?」
「案ずるな。なに、数日の話だ。俺は用意をしてくるのでな、出迎えはいらん。留守の間、領地のことは貴様に一任する」
「はっ、承知いたしました」
フォルテそう言って、恭しく頭を下げた。
この時、背後に漂っていた微かな違和感に気づけなかったのが不覚であった。
――――――
自室にて、俺は今回の『旅』への準備を整えた。
聖剣クラウトソラスに加え、オコタが作成した刀。この二振りを携える。
恰好は、どこにでもいそうな冒険者の服にマントを羽織った旅装束だ。
そして金貨や取引用の宝石を幾つか忍ばせる。
今回は公爵家の嫡男ではなく、いっぱしの冒険者として動けるのだ。
それはつまり、誰にも邪魔されず、何でもし放題ということだ。
胸の奥から湧き上がる高揚感。
抑えきれないほど心が躍るのを感じながら、俺は部屋を後にした。
外に出ると、フォルテが用意した馬車へ乗る。
御者台で手綱を握り、馬車がゆっくりと動き出す。
荷台には、ヒロンの言っていた低温で保存できる箱が二つ。
想像していたよりも、かなりの大きさだ。
それと、外泊用の道具などが一通り揃えられている。
このあたりの抜かりない気遣いは流石フォルテといったところだ。
だが、異変に気がついたのは、グリンベルを離れて随分と進んでからのことだった。
「くしゅんっ!」
静寂を裂く明らかな、くしゃみの声。
だが、俺のくしゃみでは無い。
馬車の中から聞こえたのだ。
俺は眉をひそめて荷台へ振り返ったが、そこには誰もいない。
だが、確実に荷台から響いた。
「……くしゅんっ!」
やはり聞こえる。
俺は馬車を停止させ、御者台から荷台へと移る。
俺の目の前には、ヒロンが用意した大きな低温の保存箱。
俺は無言で、その箱の蓋を開け放った。
「……何をしている、ルナリア」
「あ……」
箱の中には、寒さで鼻水を垂らしたルナリアが小さくなって座っていた。
俺は呆れて言葉を失い、無言でルナリアを抱えると、ひょいっと箱からつまみ出した。
ルナリアに触れた部分が驚くほど冷たい。
当たり前だ、冷凍用の箱に今まで入っていたのだから。
「えとあの……ごめんなさい!」
申し訳なさそうに身を縮めて謝るルナリア。
「それよりもルナリア、身体が芯まで冷え切っているぞ」
だが、その時。
「くしゅんっ!」
また、くしゃみが聞こえた。
だが、ルナリアではないし、俺でも無い。
俺はもう一つの箱に、視線を向けた。
ルナリアを見ると、ルナリアの目が激しく左右に泳いでいる。
まったく……
俺はもう一つの箱の蓋を掴み、勢いよく開けた。
「……何をしている、アリア」
「あら、レヴォス様。見つかってしまいましたね」
箱の中に座っていたアリアが、鼻水を垂らしながらもにっこりと優雅に笑っている。
こちらはルナリアと違って、悪いことをしたという自覚が微塵もないようだ。
「ひとまず、その箱から出ろ」
俺はアリアをひょいっと持ち上げた。
軽い。ルナリアよりもさらに軽い。
こうして見ると、ルナリアの妹と言われた方がしっくりくるくらいだ。
結局、俺は一枚の厚手の毛布を広げ、震える二人を無理やりくるみ込んだ。
二人の体温が元に戻るまで、俺が挟まれる形で暖を取らせる。
「温かいです……!」
「温かいですね」
呑気なことを言って頬を緩める二人。
この二人を即座に帰すべきか……
いや、もうすぐ国境だ。
今さら戻るのも面倒ではあるし、このまま進めば今日中には目的地へ到着する。
……このまま連れていくか?
よく考えればアリアとルナリアは、王都を自由に動ける立場ではない。
だが、顔も身分も知らぬ隣国であれば、俺と同様に存分に羽を伸ばせるはずだ。
「はぁ……」
重いため息が漏れた。
「……御者台に移動するぞ。今日中にザオツリへ着かねばならんからな」
「はーい! やったー!」
「うふふ、楽しみですね」
俺は御者台の中央に座り、左右に張り付く二人に挟まれながらザオツリへと向かった。
思わぬ形で幕を開けた、初めての『家族旅行』となった。




