第38話 ふんすふんすっ!
『樹木の精霊』。
原作ゲーム『エル戦』の知識によれば、彼女たちは森の守り手であると同時に、特定の条件下では極めて厄介な――あるいは危険な存在へと豹変する。
野営地の地面を伝う微かな振動。
それは、何かが周囲を執拗に徘徊している証左だった。
「少し外に出る」
「あれ、レヴォス様。どちらへ?」
エルマが首を傾げる。
「なあに、外で用を足すだけだ。お前らは寝ていろ」
俺は吐き捨てるように言い捨てると、テントを後にした。
背後でアイリスたちの気配が遠のくのを確認し、すぐさま樹木の精霊の追跡を開始する。
夜の森は。想像以上に深い闇に包まれていた。
だが、俺は意識を集中させ研ぎ澄ます。
いた……後方だ。
俺たちの野営地をぐるりと回り込んでいるな。
音もなく木々の間を抜け、気配の元へと歩を進める。
やがて、巨木の陰に潜むその姿を捉えた。
月光を浴びて艶やかに輝く、緑色の髪。
原作通りの、吸い込まれるような美貌を持つ女性。
――『樹木の精霊』だ。
だが、その様子は神秘的とは程遠いものだった。
『樹木の精霊』は木の影から、獲物を狙う獣のような目付きで俺たちのテントを凝視している。
……何をしているんだ?
だが、確認するためにいきなり襲うわけにはいかん。
ここは、声を掛けて確かめるか。
「おい、樹木の精霊」
背後から声を掛ける。
だが……反応がない。
「ふんすふんすっ! この匂い……たまんない! あっちからかな!?」
ふんすふんすっ!と、樹木の精霊は荒い鼻息を撒き散らしながら、必死に空気を嗅いでいた。
どうやら、俺の声は聞こえていないようだ。
(そうだ、忘れてた……樹木の精霊は興奮状態になると、周囲の音が一切耳に入らなくなる性格だったわ!)
樹木の精霊が熱い視線を送っているのは、アイリスとエルマが眠るテントだ。
樹木の精霊は飢えた獣のごとき瞬発力で、一気にテントへと駆け出した。
「おい、待て!」
俺もすぐさま後を追う。
樹木の精霊は躊躇なくテントの幕を跳ね上げると、中を食い入るようにジーっと覗き込んだ。
「うわああああっ!?」
「だ、誰だい!? キミは!?」
静寂を切り裂く、エルマとアイリスの悲鳴。
「やっぱり思った通りぃ! イケメンだぁ! あー……お二人は私を気にしないで! 続けて続けて! ふんすふんすっ!」
恍惚とした表情で身悶えるドライアド。
こいつは無類の美男子好きだ。
おそらく、中性的な魅力を持つアイリスを男だと勘違いしているのだろう。
少し落ち着かせねば、何をされるか分かったもんじゃないな……
「おい貴様、何をしている」
俺は樹木の精霊の後頭部をわしづかみにし、制止させた。
「ひゃああ!? なんですか!? あなた、誰ですかぁ!?」
ようやく俺の存在に気づき、樹木の精霊が情けない声を上げる。
俺は樹木の精霊をテントから引き剥がしつつ、中の様子を伺った。
「ドライアドよ。その二人に手を出すな。……それに、アイリスとエルマよ。お前らは、何で裸なんだ?」
テントの中を見たら、なぜかアイリスとエルマが寝袋の中で裸になっている。
これはもしや、樹木の精霊の能力か?
いや、そんな能力は『エル戦』では無かったはずだが……
「いや、その……服を脱ぐなら今の内かと思って……」
視線を泳がせるエルマ。
「……今の内? 風邪を引くぞ。すぐに服を着ろ」
「そんなぁ、服を着るなんてもったいない! ……ってあれ? 二人とも、女の子……?」
樹木の精霊の動きが、ぴたりと止まった。樹木の精霊は絶望に染まった顔で、アイリスを見る。
「そ、そんなぁ……! 女の子だなんて! こんなに、こんなに凛々しくてイケメンなのに!」
アイリスを指さして言う。
「ふふ、ボクかい? 光栄だけどね、子猫ちゃん。本当の『美男子』というのは、君のその頭を掴んでいる男性のことを言うんだよ」
アイリスがいたずらっぽく笑いながら、俺を指し示した。
樹木の精霊が首をギギギ、と機械のような音を立てて回し、俺を見上げる。
「ひゃあああああ!? 超絶イケメンッ!」
これがこいつの厄介なところだ。
原作『エル戦』では主人公の男のエルマに懐く、というイベントがあった。
だが、この世界の主人公のエルマは女だ。
そして、周りに女がいない今、ドライアドの標的は唯一の男の俺か。
「へへへ……イケメンの匂いは、あなただったかぁ……ふんすふんすっ!」
「俺の匂いを嗅ぐな。それよりも貴様、樹木の精霊だな?」
「ふんすふんすっ! ……へ? え、あ、そうだけど……あれ、ここってどこ……?」
ようやく我に返った樹木の精霊は、俺たち三人に包囲されている現状を把握し、真っ青になった。
俺はエルマとアイリスに、こいつは樹木の精霊だという事を説明する。
そして、俺の目は樹木の精霊の身体に刻まれた無数の傷を見逃さなかった。
「樹木の精霊、やっと落ち着いたか。……貴様、怪我をしているな?」
樹木の精霊の身体のあちこちには擦り傷に、切り傷がある。
「え……うん。水妖に追いかけられちゃってね。殺されるかと思ったんだよー!」
「そうか。もう水妖はもう倒したから安心しろ。おい、ちょっとこっちに来い」
そう言って、樹木の精霊を引き寄せ、抱きしめる。
「ひぇ!? 何を!? ……ああっ、でも良い匂い! ふんすふんすっ!」
樹木の精霊の身体に魔力を込める。
俺の植物魔法によって、樹木の精霊の身体の成長を促進させているのだ。
樹木の精霊の身体がシューシューと音と立てている。
「あ、あれ? 身体が治っていく……?!」
ドライアドは、植物を操る事ができるが、成長させることは出来ない。
しかし、俺の植物魔法は、操る能力は樹木の精霊ほどでないが、植物の成長を促すことができる。
生身のドライアドは人間と変わらない身体をしているが、根幹は植物として組織されているので植物魔法が効くと思ったが、思った通りだった。
そして、ドライアドの傷口が目に見えて塞がっていく。
「傷が全部、治っちゃった!? すごい!」
自分の傷が癒えたのを確認している樹木の精霊。
そして、樹木の精霊は俺の手を握って力強く言った。
「あ、ありがとう! 人間にもこんなに素敵な人がいるんだね! 何かお礼をさせて!」
「ほう、礼か? ならば……俺のを舐めろ」
そう言って、樹木の精霊の顔の前に俺のを出す。
「「「 ひゃぁっ!? 」」」
アイリス、エルマ、樹木の精霊の声が響く。
だが、俺のを見たドライアドは理解したようだ。
「お、お礼だから……しますね」
パクっと口内に咥える樹木の精霊。
「レヴォス様のを……舐め……!?」
「……ああ、なんて羨ましいことを……!」
樹木の精霊の唾液が、ぬるぬるとした感触を感じる。
くくく、思った通りだ。
樹木の精霊に差し出した、俺の指。
俺の指は、先程の水妖戦での雷魔法の反動で焼け焦げていたのだ。
樹木の精霊から分泌する雫には、高い癒しの効果があるという。
だが、樹木の精霊に涙を流させるわけにはいかない。
俺の指が樹木の精霊の雫……唾液によって、傷が癒えたのだ。
「ふむ。互いに癒し効果を得られたわけだ。これで貸し借りは無しだぞ、樹木の精霊よ」
「いえ、こちらこそ感謝いたします」
先程までの狂乱が嘘のように、樹木の精霊は清楚な笑みを浮かべた。
「樹木の精霊よ、なぜ一人でこんな場所にいた?」
「ケルピに追われていて……奴らは私たち精霊さえも捕食するので、逃げ続け、安住の地を探しておりました」
「ほう? では、ちょうどよい。貴様に相応しい場所を教えてやろう」
「私に、ですか?」
俺は樹木の精霊の耳元で囁く。
「我が領地グリンベルだ。あそこなら安全だ。……大精霊も住んでいるぞ」
「大精霊様が!? ……でも、人間の都に私のような者が行っても良いのですか?」
「俺が許可する。来たくなったらいつでも来い。歓迎してやる」
「……重ね重ね、ありがとうございます。お名前を伺っても?」
「俺はレヴォス。レヴォス・ムーングレイだ」
「レヴォス様ですね……私はズリュールと申します。所用を済ませましたら、急いで貴方のもとへ伺います」
ズリュールは深々と一礼すると、闇夜の森へと溶けるように消えていった。
……上手くいったな。
これでズリュールも、我が領地へと誘えた。
「行っちゃいましたね……精霊さん」
「ああ、精霊は気紛れだからな……くしゅん! さすがに冷えてきたな」
ずっと夜の森を駆けていた。
そのため、汗が冷えたので急激に体温が奪われるのを感じる。
「レヴォス様! 寝袋に入りましょう!」
「そうだよ! こんな所で風邪を引いたら大変な事になるよ!」
エルマとアイリスの言うとおりだ。
俺は寝袋へともぐりこんだ。
「……おい、お前ら。何をしている」
俺の右手をエルマが、左手をアイリスが、ガッチリとホールドしている。
しかも、二人は舌をペロリと出していた。
「わ、私も、癒しの効果、あると思うんです! レヴォス様を癒してさしあげます!」
「ボクだって負けないよ! レヴォスくんを癒せるのは、ボクだ! さあ、委ねてほしい!」
……何だと?
エルマとアイリスにも、樹木の精霊同様の癒し効果があるのか?
そんなの原作『エル戦』でも無かったはずだが?
――いや、待てよ。
もし、そんな能力があったら脅威だ。
俺が『8つの魔法』という能力を持っているように、主人公のエルマと、ラスボス候補のアイリスも、未知の特殊能力を持っていてもおかしくない。
しかも……癒しの効果だと?
自己再生能力を持っているとしたら、かなり厄介だ。
いや、厄介どころではない。場合によっては無敵の壁として俺の前に立ちはだかるだろう。
この二人が本当に癒しの能力をもっているのか、確かめる必要がある。
「エルマ、アイリス。……やってみろ」
――長い夜が始まった。




