第183話 一凛の花
「なんやエルマはん、その恰好! よう似合うてますやん!」
「えと……まあ、その……へへ、へ……」
『商業団』を司るブレイバースト家の嫡男、キリノがエルマの服装を見て開口一番に放った言葉がこれだ。
俺たちは今、エルヴァンディア城の式典を前に、個人の控室にて待機していた。
そこで俺の部屋には俺と執事のフォルテ、そしてメイドとして同行させたエルマがいる。
さらには、ブレイバースト家の嫡男であるキリノと、リンクショット家の嫡女アイリスが同席していた。
この二人は式典前に遊びに来たという体裁をとっているが、実際は『アイリスがキリノを俺の部屋に遊びに行こうと誘い出した』というのが正しい。
これもまた、これからの式典で起こりうる非常事態に備えた、俺たちの策の一つだった。
「なんでなんで!? なんでなん!? レヴォスくんとこに就職したん? それともレヴォスくんの趣味やったりして!?」
「落ち着けキリノ。エルマはちょっとした小遣い稼ぎでやっているだけだ。それより立ってないで、さっさと座れ」
エルマのメイド服姿に対し、キリノが過剰な反応を示して騒ぎ立てる。
待機時間に暇を持て余し、退屈を発散させるように大げさなリアクションを取っているのは見て取れた。
俺の言葉に、キリノがすすすっと大人しくソファへ腰を下ろす。
俺とアイリス、そしてキリノが着席した。
それに続くように、ストンとエルマも空いた席へと座り込んだ。
「え? エルマはん、座るん?」
「へ……? そりゃ、座りますけど……?」
「ふふ、まあいいじゃないか。いつも通りみたいでね」
目を丸くして驚くキリノと、同じく目をパチクリさせて不思議そうな顔をするエルマ。
その滑稽なやり取りを見ながら、アイリスが優雅に紅茶を傾けつつ宥める。
メイド業務で来ているのに主人と同じ席に座るのか、というキリノの至極真っ当な疑問。
だが、当のエルマは自分がメイドであることなどすっかり忘れ、普段通りに座っているだけだ。
コレットが叩き込んだはずのメイドのイロハを、この短時間で綺麗さっぱり忘れているらしい。
「それよりキリノ、今回の式典だが……どう思っている?」
俺が問いかけると、いつものヘラヘラとした態度のキリノが一瞬で真剣な眼差しへと切り替わった。
「どうもこうも、異常事態が多すぎて何が何やらわからんのですわ。ケウダくんが巨人になったと思ったら、すぐにシークランス家が養子を取る言うて。まあ、養子を取るまでなら分かりますやん? その公爵家の養子に対して王が自ら式典を開くなんて、意味わからんすぎますわ」
キリノが両手を開き、ヤレヤレというように肩をすくめて答える。
だが、俺が聞きたいのはそこから先の話だ。
「キリノ、お前は『王』を見た事があるか?」
「ないですね。あの『沈黙の王』とまで言われるオードリック様が会われるのは、公爵家……わいらの父親だけですやん? それがいきなり大衆の前に出るだなんて……嵐どころか、世界の終わりでも来るんちゃいます?」
オードリック・エルヴァンディア。
キリノの言う通り、オードリック王が普段、人前に姿を現す事は無い。
その姿を直接見られるのはごく少数の特権階級、つまり公爵だけ。
ようは、俺たちの父親にあたる者たちのみだ。
「はあ、しかしさすがに緊張しますわ。ちょっと、お茶を淹れさせてもらいますね」
耐えきれなくなったのか、キリノが立ち上がり部屋の隅にある紅茶のセットへと歩み寄った。
「あ、キリノさん! ついでに、私も一杯欲しいです!」
エルマのあっけらかんとした声が、重い空気の部屋に能天気に響き渡る。
キリノがポットを持ったまま、真顔で振り返った。
「……なあ、エルマはん。これってメイドさんの仕事ちゃいますのん? まあええけど」
「た……確かにです……」
ここでようやく、自分がメイドの格好をしてその職務に就いていることを自覚したエルマ。
だがキリノは気にした様子もなく、テーブルにカップを置き、ポットから紅茶を注ごうとした。
それを、エルマが慌てて止めに入る。
「せ、せめて私が紅茶淹れます! 淹れさせてください!」
「ちょ、エルマはん! 危ないて!」
紅茶を注いでいるキリノから、エルマがポットを強引に奪い取ろうと手を伸ばした。
「「 わあ! 」」
二人の間抜けな声が重なった瞬間、ポットから熱い紅茶が溢れ、テーブルの上へとぶちまけられた。
キリノが熱湯を避けるように、勢いよく後ろへ飛びのく。
「あっぶな! 一張羅なんやから、汚さんといて! これから式典やのに!」
「ご、ごごごめんなさい!」
アタフタと狼狽するエルマをよそに、控えていたフォルテがサササッと無言で進み出た。
瞬く間にテーブルを綺麗に拭き上げ、さらには代わりの紅茶を手早く淹れ直し、皆の前に完璧な所作で振る舞う。
さすがはフォルテだ。無駄な動きが一切ない。
「あーびっくりした。ほんま、エルマはんに殺されるかと思ったわ」
「うう、本当にすみません……あ、この紅茶、美味しいですね」
先ほどのトラブルなど無かったかのように、エルマが平然と紅茶を啜っている。
「ふ、ふふ……」
それを見ていたアイリスが、とうとう我慢できないとばかりに吹き出した。
「ふふ……あっはっは! ……ご、ごめん。いやあ、エルマくんは、その恰好でも本当にいつも通りだね。ボクも緊張が解けたよ」
「ほんまですね! わいも少し緊張解けましたわ。正直、親父に会う事さえ嫌やのに、王までとなると誰かの首でも飛ぶのかと思って緊張しまくりでしたわ」
アイリスとキリノの顔に、柔らかな笑顔が灯る。
張り詰めていた空気が、嘘のように和らいでいた。
それに感化されたのか、エルマも釣られてへらへらと笑顔を浮かべている。
結果的にではあるが、これで少しは式典に向けての過度な重圧が払拭されたのなら、良しとするか。
俺は紅茶のカップを手に取り、静かに喉を潤した。
すると、その時。
——コンコン。
扉がノックされ、フォルテがガチャリと音を立てて開ける。
城からの伝令が到着したようだ。
フォルテが二言三言ほど短く言葉を交わし、静かにドアを閉める。
向き直ったフォルテの表情は、先ほどまでの穏やかなものとは違う。冷たく引き締まったものだった。
「レヴォス様、アイリス様、キリノ様。これから式典が開始されますので、祭場までご移動を願います。それと武器やそれに準ずる物は、決して持ち込まないようにお願いいたします。……万が一、そうと思われるだけで即座に処刑されるという事ですので」
即座に処刑、か。
物騒な警告に俺は目を細め、静かに立ち上がった。
「面倒だが……行くとするか」
俺の言葉に、アイリスとキリノも頷いて立ち上がる。
「何事も……なければいいね」
「せめて食事でもあればあったらええのにねぇ」
少しの緊張を滲ませながら、スタスタと二人が出口へと向かっていく。
俺も後に続こうとしたが、立ち止まり、エルマの方へと向き直った。
……エルマの表情が、これ以上ないほどに真剣で、どこか泣きそうなほどに切迫している。
先ほどの能天気な態度は、仲間を和ませるための無意識なものだったのか。
本当は、エルマなりに深い不安を抱え込んでいたのだろう。
今まで時折ぼーっとしていたのも、兄エルレインの身を案じる影響だというのは、容易に見て取れた。
俺は無言のまま距離を詰め、すっとエルマの肩に力強く手を置いた。
不安に震えるその肩を、俺の絶対的な自信で押さえ込むように。
「エルマ、心配するな。俺がどうにかしてやる」
「……ありがとうございます、レヴォス様。兄を、お願いいたします。あと、こちらを……」
エルマが震える手で差し出したもの。
それは、一凛の可憐な花だった。
俺はそれを受け取ると、胸のポケットへと差し込んだ。
エルマなりの、俺への心からの感謝の証なのだろう。
「では、行ってくる。フォルテ、ここは頼んだぞ」
「承知いたしました」
俺の出立に、フォルテとエルマが深々と頭を下げる。
廊下を堂々と歩きながら、前を進むアイリスとキリノの背中を見た。
やはり、二人の背中からは隠しきれない緊張が見て取れる。
……さあ、いよいよ謎に満ちた式典の始まりだ。




