第102話 不届き者
「か、返せ! それは貴様が触っていいものではない!」
俺の手から遺産相続の放棄書類をひったくり、宰相が顔を真っ赤にして叫ぶ。
必死な形相で紙を胸に抱え込むその姿は、およそ一国の重鎮とは思えぬほどに浅ましい。
それもそのはず。
奴らにとって、その紙切れはザオツリ国の私物化に欠かせない『命綱』だ。
これに署名させない限り、国庫の金を引き出せないというわけか。
分かった以上、もはや茶番に付き合う必要はない。
「……くだらんな。おいフェリス、もう真似事は終わりだ。予定通り、この不届き者どもを捕らえろ」
「え? あ、はい! 皆の者! この逆賊たちを直ちに捕らえなさい!」
フェリスが覚悟を決めたように、号令を下す。
「はっ!」
周囲に控えていた兵士たちが、一斉に槍を突き出し、逃げ場を塞ぐように宰相とカイトバを取り囲んだ。
「な、なに?! 貴様ら、狂ったか! 俺を誰だと思っている!」
「うわ!? なんだ、離せ! 俺は次期国王だぞ?!」
醜い悲鳴を上げる二人を、兵士たちは容赦なく組み伏せた。
事前にフェリスから宰相がこの国を食い物にしようとしている元凶であることを、兵士たちの末端まで周知させておいたのが功を奏した。
おまけに今、宰相の私兵である傭兵どもは、俺が情報提供し『フェリスのいない港』に出動したことで城内から遠ざけてある。
抵抗する術を失い、床に這いつくばらされる宰相とカイトバ。
自由を奪われ、縄で固く縛り上げられた宰相たちの前に、フェリスがゆっくりと歩み寄る。
「宰相ズウボよ。長年、父上仕えてきたお前が……なぜ、これほどの裏切りを働いたのだ?」
フェリスの声は、怒りよりも深い悲しみに震えていた。
信じていた者に牙を剥かれた痛みが、その小さな肩に重くのしかかっているのが見て取れる。
「くっ……! 笑わせるな! 先王が亡くなられた今、この国を継ぐべきは習わしに従い、そこのカイトバ様であるのが道理! 俺はただ、正当な後継者を守ろうとしただけだ!」
……習わし、だと?
宰相の支離滅裂な言い訳に、俺は眉をひそめた。
「おい、老いぼれ。……なぜ、フェリスではなく、その無能そうなカイトバが継ぐのが『習わし』なのだ」
俺は宰相に向かって問いかけた。
「ふん! 王妃もとうの昔に亡くなり、そして先王も亡くなった今、このザオツリの法では『男子』が王位を継ぐのが絶対なのだ! ならば、この家系で唯一の男子であるカイトバ様しかおらぬではないか!」
宰相は勝ち誇ったように叫び、続けてフェリスを見ながら嘲笑を浴びせる。
「フェリス王女! 長かった髪を切り、短髪で男の振りをしていれば、王になれるとでもお思いでしたか?! 婚約しておけば婿が王になったものの、婿も取れぬ貴女に、王を名乗る資格など万に一つもありはしない!」
フェリス……王女?
……なるほどな。こいつ、女だったのか。
道理で声変わりもしていなければ、身体つきも細いわけだ。
髪を切り、男装してまで王位を守ろうとしていたその執念には、少しばかり感心してやる。
だが、事態は俺の予想を遥かに超える方向へと加速した。
「……私は、確かに自分一人の力では、王になる資格はないかもしれません」
フェリスが顔を上げ、凛とした声で宣言する。
その瞳には、先ほどまでの迷いは一切なく、熱を帯びた強い決意が宿っていた。
「ですが、見つけたのです! 私を欲しいと宣言し、共にこの国を導いてくださる、最高の婿殿を! それこそが……こちらにおられる、レヴォス様です!」
フェリスがビシィ!っと勢いよく俺を指差す。
皆の視線が、一気に俺に集まった。
王の間の空気が凍りついているのが分かる。
……ちょっと待て。
どういう展開だ?
いつ俺がフェリスの婿になったんだ?
周りを見渡せば、兵士も、ルナリアも、執事のロイドさえもが、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まっている。
念のため、俺はクルリと背後を振り返った。
もしかしたら、俺の後ろに『レヴォス』という名前の別の男が立っている可能性があるかもしれない。
だが、そこには壁があるだけだった。
さらに念のため、二歩、三歩と横に移動してみる。
すると動く俺を追従するように、フェリスの指も俺に付いてくる。
やはりフェリスの言っている婿のレヴォスというのは俺を刺しているようだ。
周りを見渡しても、誰もが目が点になっている。
ルナリアや執事のロイドさえも。
誰もがフェリスが急に何を言い出したのかを理解できていない。
……間違いなく、フェリスは俺を指している。
「……フェリス、一体どういうことだ?」
「レヴォス様は……言ってくださいました。城を追われたこんな私でも……貰い受けると! そして、私の人生に力添えをしてくれると……! 私は、あの言葉を一生、忘れません!」
フェリスは顔を真っ赤に染め、潤んだ瞳で見つめてきた。
……待て、それは完全なる曲解じゃないか?
俺が言ったのは、この国を実効支配するための『コマ』としてフェリスを所有するという意味だ。
断じて、添い遂げるという意味ではない。
「おいフェリス、大きな勘違いをしているぞ。俺が言ったのは――」
「ええ……分かっております、レヴォス様! まずはザオツリの平和を取り戻し、正式な手続きを済ませてから、ということですね……!」
うっとりと夢を見るような目で胸に手を当てるフェリスに、俺は目眩がした。
その時、左右から不穏な殺気が立ち上る。
袖をちょいちょいと引っ張る感触があり、視線をやると、そこには無表情のルナリアがいた。
「……あの、レヴォス様? これはどういうことでしょうか。私というものがありながら……!」
さらに反対側からは、アリアが冷ややかな笑みで顔を覗き込んできた。
「弱みにつけ込んで、まだ幼い王女様を籠絡するなんて……どうかと思いますね?」
二人とも、事情を知っていて煽っているのか、それとも本気で言っているのか。
俺は額を押さえ、このカオスな状況を打破するための『最善策』を即座に構築しはじめた。
――その時、一案が閃く。
俺はあえて、左右にいるルナリアとアリアの肩を、抱き寄せるようにして引き寄せた。
「フェリス、お前は根本的に勘違いをしているぞ。俺には、すでに婚約者がいるのだ。……いいな、この者たちだ」
「レ、レヴォス様!?」
「あら、まぁ!」
俺はルナリアとアリアに、『あわせろ』という目配せを送る。
「そ、そのおふた方は婚約者様だったのですね……?」
フェリスの顔から血の気が引いていく。
よし、これで諦めるだろう。
俺が安堵の息を吐こうとした、その瞬間だった。
「ああ、そうだ。だからな、フェリス――」
「……なるほど! ということは、私は『三人目』ということですね! レヴォス様、器が大きすぎます! ふつつか者ですが、よろしくお願いいたします!」
「……いや、なんでそうなる?」
俺は思わず、その場に崩れ落ちそうになったが何とか耐えた。
このガキ、ポジティブの次元が違いすぎる。
俺の横にいるルナリアを見て、こっそりと耳打ちする。
「ルナリア、お前からも何か言ってやれ」
「……レヴォス様。ふとどき者ですが、よろしくお願いいたします!」
「ふとどきじゃなくて、ふつつかだろうが。……いや、そうではなくてだな。そもそもお前まで乗っかってどうする……?」
ツッコミどころが多すぎる。
捕らえられた宰相どもの呻き声さえかき消すような、騒がしい声が王の間に響き渡っていた。




