初めての遠征
「うーん、ブラッディモールか……面倒だねえ」
「ああ、それで迷っているんだ。西方のハウンドウルフも放っておけないし、今は人員が足りていないからな」
「確かに……困ったねえ」
セシリアがお茶を淹れていると、珍しくエメリックとユルヴァンが眉間を揉みながら地図を広げて、悩んでいる。
「──あの、何か問題が起きたのですか?」
「いや、問題というほどではないのだが──ブラッディモールという魔物の討伐依頼が入ってな。セシーは知っているか?」
「いえ、うちの領には出なかったと思います」
「ああ、あれは北方に多い。兎くらいの大きさの魔獣で、穴を掘って地面の下に潜る。地上に出てくれば左程強くないが、身を隠されるとなかなか捕まらなくてな。地下から突然出てきては家畜や人を襲うんだ。穴だらけになった地面は地盤が悪くなるし、作物もダメになる。巣ごと壊さねばまた繁殖してしまうし、とにかく探索に人員がいるんだよ。面倒な案件だ」
「あの──べノーと私を連れて行って貰えれば、人数がいなくても巣を見つけられる……かも、しれません」
「えっ、ほんと?! よし、じゃあそれで行こう! べノーとセシーちゃんと、リックと、俺……も行きたいけど流石に無理か。俺はハウンドウルフの方に行くから、あとはルーとイボンを付けよう。良かったー解決解決!」
「──おいユルヴァン。そんな簡単に──っ!」
「うん、信頼してるから! まあ、それにリックがついてれば問題ないよ。セシーちゃんのこと怪我させたりしないでしょ?」
「当たり前だ。セシーは俺が守る」
「ん、じゃあ問題ないな! セシーちゃんも頼むね! 俺はハウンドウルフ隊集めてくるわぁ」
ユルヴァンさんの勢いに驚くと同時に、私が根拠なく言った言葉をそのまま信じて貰えたことに胸が熱くなる。私が私だからこそ、役に立てることがあるのかもしれない。そして──エメリックが私を守る、と言ってくれたことも。
「あ──セシー。本当に大丈夫か? 道中は野営になるし、何日かかるか……」
「私、鼻と耳がいいから、グレートボアも向こうに気付かれる前に見付けられるので、領地ではよく狩りについて行っていました。あ、あの──令嬢としては、全然ダメ、だとは思うんですが……第三騎士団の一員としてお力になれるように全力を尽くします!!」
拳を握ってそう言うと、エメリックは薄水色の瞳を柔らかく細めて、ははは、と笑った。
「ありがとう。本当に助かるよ。優秀な団員だな」
ぽん、と頭に手を置かれて、頬が熱い。
「あの、べノーにも話しておきますねっ」
「ああ、準備が整い次第出る」
そして出発の日。
一緒に行くのはエメリックとべノー、ルーとイボン、そしてセシリアだ。
ルーは肩ほどまで伸ばした鮮やかな青色の髪に榛色の瞳。小柄で細身に見えるけれど、それでも第三騎士団の団員だ。きっと制服を脱げばしなやかな筋肉をまとっているのだろう──想像はしないけれど。
対してイボンは見上げるほどの大きな体躯。黒髪の短髪に金色の瞳だ。背中に両手剣を背負っている。それだけでセシリアの身長くらいの大きさがありそうだ。
全員騎乗で向かうこともあるそうだが、今回は野営の準備もあるため、1台馬車が付く。セシリアはそこに乗せてもらうことになっている。
騎士団に入って初めての遠征だが、べノーも一緒だしエメリックもいる。ひとりだけ馬車に座って楽をしているようで申し訳ないが、不思議と怖いとは思わない。
もちろん被害を受けている領地では深刻な問題が起きているのだから、仕事として全力を尽くすつもりでいる。アリベール領が困窮したのも干ばつという天災がきっかけであったし、魔獣被害も天災に近いものだ。人的被害はもちろん、作物の被害だっていずれは領民の命を奪うものだ。
そしてなにより、今まで自分が先祖返りの獣人であることは、セシリアにとって隠すべき秘密だった。時折必要に応じて獣化することがあったのは確かだけれど──そもそもセシリアにとっては、どちらの姿も自分なのだ。この国において、獣人というのは迫害される存在。見つかれば捕らえられ、利用されてきた歴史がある。けれど、先祖返りであることも含めて誇りに思い、愛してくれる家族がいるから。セシリアもそんな自分を恥ずかしいとは思わない。思いたく、ない。
だから、自分にできることがあるのならば、やりたいと思った。鼻がいいから、耳がいいから、足が速いから、力が強いから。その力を使えば助けられる人々がいるのなら、セシリアはそれを使いたい。純人だろうが、獣人だろうが、そこになんの関係があるというのだろうか──?
「──こっちにいます! べノー、追い込んで!」
「了解!」
「ルーさんは右から、イボンさんは左からです!」
「あいよー」
「わかった」
「エメリック様はそこで待機して、合図を出したら一気に焼いて下さい!」
「承知した」
「──行きますよっ! さん、に、いち……今です!」
走り込んできた3人とセシリアが脇に退避し、同時にエメリックが腕を振る。追い立てられてパニックを起こし飛び出てきたブラッディモールの群れを火の魔法が包み込み、セシリアは頭を押さえてその場に蹲った。ブラッディモールは人の耳には聞き取れないほど高い鳴き声を出すので、断末魔の叫びがセシリアには激しい耳鳴りのようにキーンと響いたのだ。
「──っ、あ……う……」
群れを追い込むために聴力に注意を注いでいたのが良くなかった。耳の痛みから、眩暈までしてきて意識がすっと遠くなる。
「──っ、セシー! 危ない!!」
どうやらエメリックの火の魔法を逃れた1匹がいたらしい。その姿がセシリアの目前の地中から飛び出し、咄嗟に後ろに避けようとしたが──身体に力が入らずたたらを踏んでしまった。
ひゅっ、と喉が鳴る。
ぎゅっと目を閉じて数秒、しかし、予想した衝撃はいつになっても訪れない。
その代わり、感じるのは暖かく包まれる感覚と、すっかり嗅ぎ慣れたエメリックの花のように甘い香りだった。
◇
エメリックは思う。本当にセシーが騎士団に入ってくれて良かった、と。普段の書類仕事も十分に良くやってくれるし、それ以外のこともよく気付いてくれる。執務室は俄然清潔に保たれるようになったし、少し疲れたなと思ったタイミングでお茶を用意してくれる。適度に休めばその後の仕事の効率はかえって上がるものなのだと初めて知った。面倒な狸親父達の相手をした後も、彼女の笑顔を見れば心がほっと落ち着くのだ。
そして、今回の魔獣討伐。彼女を危険な目に合わせるのは心が痛むが、それでもなお彼女の能力には舌を巻くものがある。
優れた聴覚と嗅覚、そして勘の良さ。身体能力も優れている。ブラッディモールは面倒な類の案件だが、セシーがいなければこの十倍の人手を出しても難航しただろう。
もちろん彼女の弟のべノーも新人ながら的確な動きに強靭な肉体、セシーの指示に瞬時に対応できるのは血縁ならではだろうか。少しの妬ましさを感じる。ルーは軽やかな動きに定評があり、飄々として掴みにくいところはあるが弓の腕は騎士団でもトップクラスだ。イボンは堅物な所はあるが、彼も真面目で実直なところに好感が持てる。
少数精鋭といったところだが、今回のメンバーでの連携は今後もなかなか使える可能性を秘めている。
「エメリック様はそこで待機して、合図を出したら一気に焼いて下さい!」
「承知した」
「──行きますよっ! さん、に、いち……今です!」
セシーの合図で火の魔法を放つ。粗方魔獣は焼けたようだが、打ち漏れがいたようだ。振り返ると──駆け抜けて離れているはずだったセシーがかなり近い場所に蹲っていた。
怪我をしていたのかもしれない、痛みを堪える顔、駄目だ、彼女に何かあったら──
「──っ、セシー! 危ない!!」
飛び出てきたブラッディモールから守るように、彼女に多い被さって抱き込んだ。後ろ手に火の魔法を放つとあっけなく灰になって燃え落ちる。
ふるふると腕の中で震えるセシーを抱きしめて、自分の手も小さく震えていることに気が付いた。
「セシー……もう、大丈夫だ。ああ──君に何かあったらと思ったら……怖かった」
セシーの首元に自らの額を寄せる。騎士服は首元が詰まっているから、肌と肌が触れるようなことはない。けれど、走り回って少ししっとりと汗ばんだ彼女からはなんとも言えない甘い香りがした。
もぞりと腕の中のセシーが動き、こちらをそっと見上げている。上目遣いのくるんと丸い青の瞳が綺麗だ。薄く涙の膜が張り、ゆらゆらと揺れている。
「──エメリック様……ご、ごめんなさい……」
自分がミスをして迷惑をかけた、などと思っているのだろうか。セシーに与えられる迷惑なら、金を払ってでも受け取りたいというのに。
その潤んだ瞳を見ながら、彼女の後頭部に手をやってそっと引き寄せた。その形のいい額にそっと唇を付ける。ちゅ、と小さくリップ音を鳴らして離れると、青い瞳がこぼれ落ちそうなほど見開かれていた。
「──無事で良かった」
そう言って微笑みかければ、
「あ──う──……」と胸を押さえたセシーがぶるりと震えて……
子犬に、なった。
◇
「あれ? 団長、セシーちゃんは?」
「残滅は……終わっているようですね」
ルーとイボン、べノーが待機場所から戻ってきた。
きょろきょろと周囲を見渡すルーと、地面を確認しているイボン、そして──べノーはエメリックの腕の中の子犬を見て固まっている。
「ああ、討伐はこれで完了だ、ご苦労だったな。えー、セシーは少し体力を消耗したということだから、先に馬車に戻した。俺たちも撤収するぞ」
「あ、そうなんスね。確かにセシーちゃんすごい活躍だっだもんなァー。早く終わって良かった良かった、俺も帰って早く酒飲みたいわー」
「馬を出してくる。おい、ルーも来い」
「へいへい。じゃ、行ってきまーす」
ルーとイボンが去ったのを確認し、べノーがそっと近付いて来るが、その顔は引き攣っている。
「──あ、あの、団長……その、犬……」
「ああ……少しトラブルがあって、動揺したのかもしれない。だが怪我はさせてないぞ!」
「はぁ……団長は姉が先祖返りだってご存じ……なんですね。団長なら悪いようにはしないって信じてますけど。──で、姉さん、なんで戻らないんだ?」
「くぅん……」
ふるふると震えて、エメリックとべノーを交互に見上げる子犬。
どうやら彼女がいまだにこの姿でいることは彼女にとってもイレギュラーなようだ。ただ──可愛い。とにかく、可愛い。
もしかしたら俺のせいか? と心当たりがないでもないが、それはひとまず考えないことにして。エメリックはいつかのように、自らの懐にそっと子犬をしまい込んだ。
そのエメリックの満足そうな微笑みを見て、べノーは察する。難しいことはアルノーに任せているので苦手だが、こう見えて案外野生の勘は鋭いのだ。
自分達の一族はなかなか厄介な血が流れているけれど── 団長なら、きっと。




