1.死体は嘘をつかない
「すべての命はヴェトに生まれ、グレンを超え、トートへ還る」
__この国では、そう教えられる。
ヴェトは、生きる者たちの世界。グレンは、生と死のあいだにある境界。そしてトートは、死者が還る場所。
葬務官は、ヴェトとトートの境界に立つ死者の門番。死者の身体に触れ、身を清め、最後に火へ還す。それが葬務官の仕事だ。
__死体は嘘をつかない。
傷を負えば、傷が残る。毒を盛られれば、身体に痕跡が残る。身体のどこかに必ず真実へと繋がる手がかりが残されている。
__生きている人間は、嘘をつく。
口を閉ざすことができる。目を背けることもできる。大切なものを守るためなら、真実さえ葬ることができる。
けれど、死んだ人間にはそれができない。だから私は死体のほうが好きだった。
*
「リゼット!!皿が足りないよ!!」
「……はぁ」
灰猫亭の朝は目が回るほど忙しい。
ヴァルデン王国、王都ヴァルディア。その貧民街、通称「灰街」の一画にある古びた小さな食堂だ。
切り盛りしているのは、マルタ婆さんとリゼット、それから厨房を任されているハンさんの三人。
普段は客もまばらな古汚い店だが、早朝だけは違う。灰街で働く肉体労働の人々が、その日の活力を養うために次々と押し寄せてくる。
「リゼット!!!」
「はいはい」
「『はい、分かりました!』だよ!バカ!」
「…うるさいなぁ」
「聞こえてるよ!まったく!ババアだからって耳が遠いと思ってたら大間違いだからね!あ、ちょっとあんた待ちな!お代もらってないよ!!!」
まったく注文が多い人だ。返事ひとつでどうしてここまで怒れるのだろう。
騒がしいマルタに呆れて、窓の外に目を向ける。工場へ向かう人や荷車を引く人、夜勤を終えて帰って行く人が忙しなく行き交っている。
すると、馬車が走ってくる音が近づいてきた。きっと、いつもの大きな四頭立ての馬車だろう。厚い木の車体は黒灰色に塗られ、側面には国教であるエルベン教の紋章が刻まれている。
三つの環を一本の炎が貫く紋章。上からから順に、ヴェト、グレン、トート。生者の世界、境界、そして死者の世界。その三つを炎が繋ぐ。葬務院の紋章はそれを銀色で象っている。
後部には人ひとりが通れるほどの大きな扉があり、中には棺を載せるための棚がいくつも並んでいるらしい。死体を乗せ、火葬場へ運んでいく。灰街の住人にとっては見慣れた光景だった。
一台。
二台。
三台。
朝の短い時間に、葬務院の馬車が何台も灰街を通り過ぎていった。最近はやけに数が多い。
そうして何台目かの馬車を見送っていると、店の扉が開いた。黒い制服に身を包んだ男がひとり入ってくる。無精ひげの浮いた顔には愛想の欠片もない。胸元では、火葬場の職員であることを示す徽章が鈍く光っていた。
「あぁ、ドニかい。いらっしゃい!」
威勢の良い声が響く。リゼットは窓から目を離し、店の中へ意識を戻した。
ドニは灰猫亭の常連だ。年は四十歳くらい。無愛想な男だが、面倒な注文をしてこない良客だ。
カウンター席に座ったドニの前に、いつもの朝食を並べる。黒パンと豆のスープ、それからエール。これがこの街の朝ごはんだ。
「ドニさん、おはよう。今日も仕事?忙しい?」
「まあな」
ドニは短い返事をしてスープに口をつける。
一見するといつも通りだが、この日は少しだけ様子がおかしい。スプーンを握る手がかすかに震えている。スープの表面に細かな波紋が広がっていった。
「手、どうしたの」
「寒いんだろ」
「今日はあったかいでしょ」
「リゼット!人の心配してる間があったら、さっさと手を動かしな!」
マルタが横槍を入れてくるが気にしない。
「前のと袖の色が違うけど、服変わったんだ」
「新しいのをもらった。こっちのほうが丈夫なんだとよ」
ふと、袖口から漂う微かな匂いに気づいた。鼻の奥をくすぐるようなツンとした匂い。そして、手首には赤い斑点が薄らと浮かんでいる。
「それ火傷したの?」
「かぶれたんだろ」
「そっか。あ、今日は食べ過ぎない方がいいよ。胃腸が弱ってるから」
「……医者か。お前は」
「違うけど」
「じゃあ黙ってろ」
ドニが鬱陶しそうに、しっしっと手を振った。
「………」
「ダッハッハ!やけに素直じゃないか!」
マルタが吹き出したが、ドニは素知らぬ顔でエールのジョッキをぐいとあおる。
リゼットはカウンターに預けていた身を起こし、ふいと顔を背けた。まあ、ドニは健康に口出しされるのが嫌いみたいだし、リゼットには関係ない。そう思って次の皿を取りに厨房へ入った。




