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歪─ふせい─   作者: 椿 冬華
本編
19/30

第九世界 【月の世界】 後

 ぺったん、ぺったんと餅つきの音が小気味よく響く。


「おもち! おもち! おもち!」


 白くふわふわとした毛皮と長くしなやかな耳、それにまん丸で可愛らしい尻尾──それから赤く綺麗な目を持った二足歩行のうさぎの集団が、金糸雀色の草原の上で餅つきをしていた。それを符正が涎を垂らしながら見守っている。


「……それで、どういうことなのだ? ──ニコラウス君」


 うさぎの集団に混ざっている符正を眺めながらサジェースタが隣のニコラウスに問う。サジェースタとニコラウス、ゴルドルの三人は金糸雀色の草原の上にあぐらを組んで座っていた。ふわふわとして手触りのいい草の絨毯はとても座り心地が良く、肌を撫ぜる風も心地よいもので気を抜くと眠ってしまいそうだ、とサジェースタは思う。

 夜であるためか空は暗く──あれほど煌めいていた星もなく、金糸雀色の草原だけが灯りの源となっている。ニコラウスによれば朝になれば大地が見えるようになるらしい。


「フフ。ゴルドルが言っていただろ? ここの“歪み”は“孤独”──ひとりぼっちで寂しくしてた俺がてめェらと合流してひとりぼっちじゃなくなったから浄化されたのさ」


 狐面を後頭部に回し、金糸雀色の目を曝け出しているニコラウスは悪戯っぽく笑いながらそう言った。が、サジェースタは眉を顰めて茶化すなと返す。


「まァそう怒るなよ。俺ァ感謝してるんだぜ──サジェースタ」

「……何にだ」

「符正があんなに幸せそうにしているのはてめェのお陰だからさ」

「…………そうか? 符正は最初からああだったが」


 何を考えているのかよく分からぬ濡羽色の目で、基本的には無表情。けれど意外と感情豊かで激情家。猪突猛進の単純馬鹿。驚いた顔やきょとんとした顔、笑う顔はとても可愛らしく──これはサジェースタの主観だが。

 ともあれ日向符正という女はサジェースタと出会った当初からそんな感じで、今も変わっていない。

 そう言ったサジェースタにニコラウスは目を細めて微笑む。ニコラウスにしては優しすぎるその表情にゴルドルがぎょっと目を見張ったが、それはさておき。


「俺じゃあ駄目だったのさ。俺じゃあ、ただ壊すことしかできねェ」

「……?」

「……そもそもニコラウス、お前この世界がどういう世界なのか知っているのか? “声”の主──“歪み”──選ばれた私たち──その、全て」

「さァな」


 ニコラウスはそう言うと狐面を被り、ごろりと寝転がった。ゴルドルが不満そうにニコラウスの名を呼ぶが、それに答えが返ってくる気配はない。


「…………」


 ニコラウスは間違いなく何かを知っている。

 サジェースタたちは知らぬ、何かを知っている。

 けれどそれを語る気はないらしい。──少なくとも今は。


「……はぁ」


 サジェースタはため息を吐いて視線をニコラウスから符正に移し、うさぎに混じって餅つきしている符正の楽しそうな姿に微笑む。


「可愛いだろ?」

「──……まあな」

「俺の妹だ、当然だな」

「……随分なシスコンぶりだな。符正が三歳の時に出会ったのだったか? そうするとニコラウス君は十八、九歳か……符正はどんな子だったのだ? ニコラウス君がそんなに気に入るくらいなのだ──他の子どもとは何か違ったのだろう?」

「……サジェースタ、ゴルドル」


 サジェースタの問いかけには答えず、代わりにふたりの名を呼んで逆に問いを投げかけた。


「“昨日”って何だ?」


 そのニコラウスの問いかけにふたりはは、という素っ頓狂な声しか出なかった。一体何を問いかけているのか──その意図を掴めずにふたりは頭上にハテナマークを浮かべる。


「フフ……“さっき”と“昨日”の違いって何なんだろうなァ。“おととい”と“昔”に差ってのァどれくらいあるんかねェ」

「……どういうことだ?」

「さァな」


 ニコラウスは意地悪く笑うだけで答えを口にしようとはせず、サジェースタとゴルドルは消化不良気味に眉を顰める羽目となってしまった。


「サジェ様~! ゴル~! おもちできました~!!」


 ほかほかと湯気を立てている丸い餅を並べた木製のトレイを手に符正が満面の笑顔でうさぎたちと共に駆け寄ってきて、サジェースタとゴルドルは消化不良気味な気分を飛散させて笑顔を浮かべる。


「砂糖醤油に~、きなこに~、ポン酢にだいこんおろしに~、たんと召し上がれです!」

「ほう、これが餅か。以前にテレビで見た時は……もっと大きくて硬そうで、上にオレンジが載っていたな」

「あ、それは鏡餅ですね。お正月……年始に穀物の神様へのお供え物として飾るものなんです」

「なるほど」

「食べる時は気を付けてくださいね~。毎年日本ではコレで死者が出ていまして」


 符正の何気ない一言に餅に手を伸ばそうとしていたサジェースタとゴルドルが固まる。その横からニコラウスがひょいと手を伸ばして餅をひとつ手に取り、慣れたように海苔でくるりと巻いて砂糖醤油に付けて口に運んだ。


「やっぱうめーな。一気に呑み込むようなヘマしなきゃ死なねェよ。ジジイとかガキが喉に詰まらせやすいモンだからな」

「あ、ああ。そういうことか」


 ニコラウスの言葉にサジェースタとゴルドルはほっとしたように餅を手に取り、けれど少し怯えを遺してそっと口に運ぶ。そうして餅と調味料との相性の良さに美味しさを見出したふたりは二個目、三個目と続けて食べていくのであった。


 もきゅもきゅと餅を食べているうさぎたちに囲まれながらの食事は殊の外楽しく、気付けばうさぎたちがついた餅はすっかりなくなってしまっていた。


「美味しかった~! ……あれ、寝るんだ? うさぎさんたち」

「私たちも休むか……」


 うさぎたちが符正たちの傍でくるりと丸くなり休む準備に入ったことでサジェースタたちも今日は休むことにし、金糸雀色の草原の上に転がった。ニコラウスが手を広げて符正を誘うが符正はそれを無視してサジェースタの懐に潜り込む。


「つれねェな。一年ぶりだぞ? お兄ちゃん泣くぜ」

「ゴルと寝れば」

「!?」

「勘弁しろよ」


 ぎょっと目を見開くゴルドルと嫌そうに顔を歪ませるニコラウスを傍目に符正はサジェースタの腕を枕にして肩口に顔を埋めた。この一年間ですっかり定位置となった安眠の場である。

 すっかり自分に心を許している符正に微笑みつつ、サジェースタも符正の背に腕を回して抱き込む。しかしニコラウスが恨みがましそうに睨み付けてきていることに気付いて、少し気まずい気分になった。


「……符正、いいのか? 一応一年ぶりなんだろう?」

「一年ぶりもなにもニコラと一緒に寝たのなんて十歳の時が最後ですよ。ほっといていいんです」

「……そうか、そりゃそうか」


 よく考えればニコラウスと符正ははとこ同士であって実の兄妹というわけではない。いくらニコラウスが符正を実の妹のように扱っているとはいえ、一応は男女なのだ。それなりの距離は取って当然である。

 が、しかし符正も一年ぶりのニコラウスに冷たすぎると思ったのか、少し顔を反らしてニコラウスに視線を向けて軽く言葉を投げかけた。


「お兄ちゃん、おやすみ。また明日」

「──……ああ。おやすみ」


 気恥ずかしさからかすぐサジェースタの肩口に顔を埋めてしまった符正には見えなかったが、その時のニコラウスは──“兄”そのものの、顔をしていた。


 ◆◇◆


 金糸雀色に輝く草原のせいで眠りにつきにくいやも知れぬと思ったサジェースタであったが、思いのほかぐっすりと眠れて翌朝はすっきりとした目覚めを迎えることができた。


「おお……これは壮絶だな」


 金糸雀色の絨毯の上に広がるは、澄み渡った大地。

 地表にいた時は月と青空に隠れて朧げにしか見えなかった空に広がる大地が、今はこんなにも近い。月に行くことで距離がぐっと縮まったせいだろう。

 大地が迫ってきているようにも見えて少々不気味で恐怖感も覚えるが、なかなかに壮観な景色である。


「わあー、湖の世界見てください! 綺麗!」


 浄化された湖の世界の、巨大な湖面が月を映し出しているのを指差して符正がはしゃぐ。そしてほうっと息を吐き、わたしたちはこれらの世界を歩いてきたのだと感慨深げに零した。

 その言葉にサジェースタもゴルドルも改めて天を仰ぎ、この一年間で浄化してきた世界が視界一杯に広がっていることに達成感にも似た高揚感で胸を満たす。


「……ちょうど半分、といったところか」

「そうですね。私たちはあそこの……真っ暗な世界の手前で月に来ましたが」


 そう言ってゴルドルが指差した先には真っ黒で真っ暗な、例の世界があった。月から改めて見てみるとやはりそこは他の場所と比べて異質だった。浄化された世界とも、浄化されていない世界とも違う──異色で、異質で、異常な世界。そう広くはないようだったがあまりにも黒く、暗く、昏すぎてその内実がまるで見えない。


「……あそこか。あそこは俺も気になっていた」


 ニコラウスも真っ黒な世界に視線を向けて目を細め、眉を寄せて厳しい表情を浮かべた。サジェースタたちも知らぬこの世界の内情について知っている節のあるニコラウスではあったが、あの黒い世界については何も知らないらしい。


「……“歪み”は確かに拭い取られているはずだが……何か見落としてるのか?」

「……ニコラウス君?」

「いや……何でもねェ。ともかくここから地表に降りなきゃなんねェだろ? どうすんだ、符正」

「えっ、ニコラ知らないの?」


 あんたの世界でしょ、と首を傾げる符正にニコラウスは肩を竦めた。


「降りられなかったから今の今まで月にいたんだぞ」

「…………」


 どうやら一応地表に降りてみようと試みてはいたらしい。

 歪みを正す旅に送り込まれた時、ニコラウスは符正が草原の世界にいることに気付いてどうにか降りようと色々探してみたものの──どうにもならず諦めて符正たちの動向を見て暇を潰しながら待っていたようだ。


「うーん……土管もないし……」


 符正はきょろきょろとあたりを見回して今日も餅をついているうさぎの群れに目をつけ、とことことうさぎたちの元に向かっていった。


「サジェースタ」

「ん?」


 符正が離れたのを見計らうようにニコラウスがサジェースタを見下ろし、その金糸雀色の目でまっすぐに射抜いてきた。咄嗟にゴルドルが動く気配がしたがサジェースタはあえてそれを制する。


()()()()()()()()()

「!」


 そしてニコラウスから発された、端的ながらもいくつもの意図が絡み合った一言にサジェースタとゴルドルは目を見開く。


「……どういうことだ」

「そのままだ」


 それともうひとつ、とニコラウスはさらに言葉を重ねた。


「てめェは“権力の世界”の代表者なんかじゃねェ──てめェこそが“普通の世界”の代表者だ」

「!?」

「“財力の世界”の代表者はゴルドルだが……“権力の世界”の代表者はこの俺だ」


 そして、と。

 ニコラウスは一瞬言葉を切ってうさぎたちと戯れている符正に視線を向け。


「日向符正。あいつこそが“暴力の世界”の代表者さ」


 そう、言った。


()()()()()()()()()


 ──少なくとも生前の符正は終わっていた。

 ニコラウスの言葉は得体の知れぬ重みを有していて、サジェースタとゴルドルは問いたくても問えずにただただ沈黙する。


「──サジェースタ」

「……なんだ」

「符正を助けてやってくれ」


 ──その言葉を最後に、ニコラウスは口をつぐんで沈黙を守った。意味も意図も意志も読み取れぬサジェースタとゴルドルがいくら問いを重ねようと──ニコラウスは、答えない。


 ニコラウス自身、何かを恐れているかのように。何かに怯えているかのように。何かが理解できないかのように──目を細めて、ただただ真っ黒で真っ暗な世界を睨み据えて思案していた。


「サジェ様~~!! ゴル、ニコラ! うさぎさんたちが地表に連れてってくれるって!!」


 男三人の間に流れていた重苦しい空気を一蹴したのは符正の明るく朗らかな声だった。それにサジェースタとゴルドルはほっとしたように息を吐く。


「うさぎさんに乗れば地表まで運んでくれ、る、ってぇえあぁひゃ、ああぁ、ぁ──」


 説明しながらうさぎの背に跨った符正は、だがしかし次の瞬間には悲鳴を上げながら一直線に地表まで飛んでいってしまった。月のうさぎのジャンプ力侮りがたし。


「符正ィィイィ!!」


 サジェースタが悲鳴を上げながら追い掛けるようにうさぎの背に乗って飛んでいくのを見届けてゴルドルはちらりとニコラウスに視線を向ける。


「お前は行かないのか?」

「行くに決まってんだろ。フフ……本当にいい男を捕まえたもんだな、符正は」

「……この世界は一体何なんだ? 中心に符正がいるということは分かるが、それ以上のことは分からないままだ。答えろ」


 日向符正。

 “歪み”を()()し、壊そうとする──“暴力の世界”の代表者。符正のこれまでの様子を振り返ればニコラウスが符正のことをそう形容したのも納得がいく。符正は常に否定したがり、壊したがっていた。ニコラウスと同じように。

 ニコラウスと違うのは──感情に因るものか、理屈に因るものかという点だろうか。ニコラウスは自分本位に好き勝手やっているように見えて論理ずくめでものを考えている男だ。ファミリーの損益や裏社会のパワーバランスを考えて巧妙に、傀儡のように人間という人間を全て操り動かしている。ニコラウスが唯一、感情的になるのはたったひとりの“家族”──符正に関することだけである。

 それに対して符正は全てが素直に動く。感情に素直で、素直に感情を露呈させている。そして──これまでに巡り巡ってきたいくつもの世界はそんな符正の感情に──揺り動かされていた。浄化される時は必ずと言っていいほど、符正の“否定”という感情が凪いだ時であったのだ。サジェースタは相当早い段階でそれに気付き、そしてゴルドルも同行するようになって数ヶ月後にはそれに気付いた。例外といえばゴルドルのいた賭博の世界とここ、ニコラウスのいる月の世界だろうか。


 四人の人間を死に誘い送り込んだ“歪みを正す旅”──そこは符正を中心に動く世界。それに一体何の意味があるのか。


「……旅してりゃ分かる時が来る。それよりも──符正をサジェースタから離すな。あいつにはサジェースタが必要だ」

「……」

「フフ。てめェも随分変わったな……あの王と符正がそんなに大切か」


 はっきりとした答えをやはり出そうとしないニコラウスを睨み付けているゴルドルにニコラウスは愉快そうに笑う。

 ゴルドルは、笑わなかった。


「──俺もこの世界について全てを知ってるわけじゃねェんだよ。不確定要素が多すぎる上に──色んなものが例外的すぎる。論理から外れすぎている。どんな推論も立証もここじゃまるで意味がねェ」

「……どういうことだ」

「分からねェから俺も困ってるとこさ。……何なんだろうな、この世界は」


 ちぐはぐすぎる。


 そう言ってニコラウスは神妙に目を細める。ゴルドルはしばらく沈黙したのちにため息を吐き、肩を竦めながらうさぎたちの元へ向かい始めた。


「オーケイ、貴様は信用ならんがとりあえずサジェースタ王と符正を離すなという忠告は聞いておこう」

「フフ。泣ける忠誠心だねェ」


 ニコラウスもゴルドルを追って歩き始め、そうしてふたりも月の世界を後にするのであった。──うさぎの背に乗って。


 ◆◇◆


 澄み渡るような青空の下に広がる青々とした大草原。それを分かつように流れている澄み切った透明な川。

 一行は、草原の世界に来ていた。


「わあ、最初の世界だ~。サジェ様と出合った場所ですね」


 月から地表まで送ってくれたうさぎの頭を撫でながら符正がそう言ってサジェースタを見上げる。その言葉にサジェースタも頷き、自分と符正が出会った場所である川の方を見やった。


「まさかふりだしに戻るとはなぁ」

「今度は逆の方に行って、残り半分制覇ですね!」

「うむ」


 汚濁された川で出合い行動を共にするようなってからもう一年。早いものだ、とサジェースタは懐かしさに頬を緩める。初めて出会った時の符正はその光を宿さぬ濡羽色の目のせいで不気味な印象が強かった。それなのに一年経った今ではその目が可愛らしくて仕方ないし、離れがたいとも思ってしまっている。

 自分の思考に少しばかり照れ臭くなりながらサジェースタは背後を振り返ってゴルドルとニコラウスを見た。


「行くか」

「ええ。お供しますよサジェースタ王──符正」

「やっと地面に足着いたって感じだなァ。月はもう飽きた」


 一年前はふたりだけだったのが、今度はゴルドルもニコラウスもいる。

 “歪み”を正すために選られた四人の代表者全てが、揃った。


 “普通の世界”の代表者──サジェースタ・サン・ジャスティト。

 “財力の世界”の代表者──ゴルドル・ユートピア。

 “権力の世界”の代表者──ニコラウス・デスピア。

 “暴力の世界”の代表者──日向符正。


 ひとりぼっちはふたりになり。

 ひとり仲間ができ三人に増え。

 そうして今は全員揃い四人に。

 謎は深まりゆくばかりなれど。

 ひとりぼっちの絶望感はなく。

 ふたりきりで迷うことはなく。

 三人しかいない不安感はなく。

 四人は、恐れることなく進む。

 また、歪みを正す旅が始まる。



【孤独】



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