第十世界 【未来の世界】 前
第十世界 【未来の世界】
サジェースタと符正が手を繋いで歩く。
サジェースタの背後に控えるようにゴルドルが歩く。
ゴルドルに少し遅れてニコラウスが腕を頭の後ろで組みながら歩く。
そうして四人は旅をする。
「うわあ……ものすごく未来的ですね。猫型ロボットいそう」
青い壁の向こうに広がる、現代社会には有り得ぬ世界。
高層ビルはまだしも──空を飛び交う車に宙に浮く建造物、縦横無尽に張り巡らされた透明な管の中を歩きゆく人々、看板も液晶もなく宙に浮かぶ文字──現代技術では到底実現できぬ領域にその世界は及んでいた。
「……技術が発展すればいずれこのような世界が実現すると思うかね?」
「……安全面をどうクリアするかでしょうね。空を飛ぶ車も、空中歩道も、ホログラムも不可能な技術ではありませんが……いかんせん安定性に欠けております。高い安定性を保つ技術は、まだありません」
「フン。数十年もすりゃあこういう都市も出てくるんじゃねェか? ──多大なる犠牲を払うことになるのは必至だがな」
発展には犠牲がつきものだ──そう言って嗤うニコラウスにサジェースタとゴルドルはそっと肩を竦める。
「まあ、進むとしようか。──次の“歪み”は何なのだろうな」
そう言いながら符正の手を取り、青い壁に向けて足を踏み出したサジェースタに並んでゴルドルとニコラウスも青い壁に身を投じる。
気候の変化はそれほどなく暑くも寒くもないその世界に足を踏み入れた四人は、けれどそれ以上前に進むことができなかった。
──カネモチメ
──カネガアルヤツハイイヨナ
──イケメンハトクダヨナ
──カオデセイコウシタンダロ
──ジミナオンナノクセニ
──ナンデアンタミタイナブスガ
「ぐァッ!!」
「ヴぅっ!!」
「がふッ!!」
──ゴルドルが。ニコラウスが。そして符正が──大量の矢に、貫かれた。
「な!?」
唯一矢に貫かれなかったサジェースタは全身から矢を生やして血塗れになっていく三人の姿に目を見開き、驚愕する。
──カネアルンダカラヨコセ
──ドウセロクナコトシナイデカセイダンダロ
「が、ァッ!!」
ゴルドルの喉元に五十センチほどもある金属製と思しき矢が突き刺さってゴルドルの口から大量の血が吐き出される。
──ナニモシナクテモオンナガヨッテキテイイヨナ
──ドウセマイニチヤリホウダイナンダロ
「っぐ、ごふッ」
ニコラウスの胸部に矢が一気に三、四本ほど飛んできて体をいとも容易く貫通した。ニコラウスは悲鳴さえままならぬ様子で血を吐きながら胸部の矢を抜こうと手を掛け、けれどその手にも矢が突き刺さる。
──ヘイミンノクセニ
──ドウセカラダデタラシコンダンダロ
「あ、っが」
サジェースタと手で繋がっている符正の体はもはやサボテンのようで、矢に貫かれておらぬ部位を探す方が大変であるという有様となっていた。サジェースタの手を離さないのは、符正の意地だろうか。
「符正! どういうことだ──」
「そういうことかよ──戻れてめェら!! 壁の向こうに戻れ!!」
ニコラウスが全身の矢を抜きながらそう叫び、降り注ぐ矢の雨と傷付きゆく三人に動揺していたサジェースタはエリアを分かつ壁は自分たち以外を通さぬことを思い出し、慌てて符正の手を引いて青い壁の向こうへと戻りゆく。
けれど全身に突き刺さった矢が邪魔して符正の体が壁を通らず、サジェースタは憔悴しきった顔で符正の体から必死に矢を抜いていく。その間にも矢は次から次へと降ってきていて、符正の体だけでなくサジェースタの体にも次第に突き刺さり始めた。
「げほっ……きりが、ない」
全身を穴だらけにし、血で染め上げられた符正は息も絶え絶えにそう言い、サジェースタの体に突き刺さった数本の矢を強引に抜いてそのまま青い壁の向こうに突き飛ばした。
「符正っ……」
青い壁に矢の雨を遮断され安全となったサジェースタは悲壮な顔で符正の名を叫ぶ。青い壁の向こうにはまだ三人がおり、降り注ぐ矢を対処しきれず青い壁を抜けられずにいた。
けれどそんな中、符正が強引に青い壁にその矢だらけの体を押し付けて力任せに通り抜けようとする。
「──、ァ、アアァァァ!!」
ぶちぶち、と青い壁を通り抜けられぬ矢が圧されて符正の体を引き千切っていく。それを見て符正が何をしようとしているか理解したサジェースタは顔を蒼褪めさせて符正にやめろと叫んだ。
だが符正はなおも雄叫びを上げながら引き千切れ行く肉体に構わず青い壁を強引に通り抜けようとする。それを見て何を思ったか──ゴルドルとニコラウスも同様に降り注ぐ矢の雨を対処しようとするのを止めて青い壁に突進した。
「──グ、ゥウ!!」
「──サジェー、スタ!! 符正を引っ張、れ!!」
「……!」
ニコラウスの言葉にサジェースタはもはや強引にこちら側に引き抜く方が痛みが少なく済むと判断し、青い壁を通過できている符正の右腕に手を伸ばして思いっきり引っ張った。
「が、ァ、アアァ!!」
みちみちと肉が張り裂け、べきべきと骨が折れ砕け、ぐじゅぐじゅと体が崩れ壊れていく。目を覆い耳を塞ぎ手を離したい気持ちを堪えてサジェースタは必死に符正の体をこちら側に引き込んだ。
ぼとぼとと符正の血が体に掛かるのも構わずサジェースタは渾身の力で符正の体を引き抜き──矢と青い壁によって体を引き裂かれてしまったその小さな体躯を、懐の中に抱き込んだ。
「げふっ……さ、じぇさま……ありが、と」
「ぅウ……くそっ、符正……!」
この一年間で幾度となく符正の血と傷と死とを見てきたサジェースタではあったが、それでもやはり符正が傷付く姿は耐えられないと血塗れの符正をきつく抱き締めながら唇を噛み締めて震える。
死なないし、再生すると分かっていても──やはり嫌なのだ。符正の方が強いからこそ符正が傷付く道をあえて選んだことも一度や二度ではない。だがそれでも──符正が傷付くのは、どうしようもなく嫌であった。
だからふと、願ってしまう。ふと、考えてしまう。ふと、脳裏をよぎってしまう。
願わくば。
歪みを正す旅を忘れ。
浄化された世界で平穏に。傷付くことのない世界で平和に。
符正と共に、永遠に。
「サジェースタ!」
「!」
ニコラウスに呼ばれ、サジェースタははっとしたように視線を上げて未だ青い壁を通り抜けようと死闘を繰り広げているふたりの男を見やる。
「──馬鹿か、私は」
何を考えているのだ、と自分を心の中で叱咤してから符正をそっと寝かせ、ゴルドルやニコラウスの元へ向かう。
一年。一年間旅をしてきて、半分。
半分浄化して、あと残りもう半分。
では全て浄化したらどうなるのか。
死んでいる四人は何処へ行くのか。
符正とは、どうなってしまうのか。
──そんな漠然とした不安が脳裏をよぎるようになったのはいつからだったろうか。
ニコラウスの“符正には気を付けろ”という言葉が不安を増幅させるきっかけではあっただろうと思う。だが不安の根源そのものはそれよりもずっと前から抱いていた。あの黒く、喰らい世界の存在に気付いた頃からだろうか──旅を続けるにつれて符正がどんどん遠くなっていくような、そんな錯覚を覚えていたように思う。
このまま旅を続けていていいのか、とサジェースタは迷っていた。
「──っぐぁ、アアァ!」
絶叫と共にニコラウスの体が青い壁から抜け、血塗れで地面に倒れ伏している符正やゴルドルと同じようにどさりと血を散らしながら地面に倒れた。
「──ここで少し休んでいたまえ。水や食料を持ってこよう」
符正に続きゴルドルやニコラウスも引き抜くという力作業を成し遂げたサジェースタは汗と血に塗れた顔を拭いながらそう言う。その言葉に三人からの返事はなかったが、サジェースタは構わず物資の調達へ向かう。
そうして三人の傷が癒え、三人が起き上がれるようになる頃には既に日が暮れてしまっていた。
「“嫉妬”さ」
四人でたき火を囲み、サジェースタの用意したバーベキュー串を火に通しながら未来の世界について話している時にニコラウスが唐突にそう言った。
「金持ちへの嫉妬。美形への嫉妬。権力者の女への嫉妬──ありゃそれを具現化した矢だろうな」
「サジェ様があまり被害を受けなかったのは……」
「お前が手を繋いでいたからだろうさ。権力への嫉妬よりも──その権力に近付けた女への嫉妬の方がデカくなるもんだ」
ニコラウスはそう言って喉の奥で笑い、凡人どもの嫉妬心ってのは怖ェなと茶化す。
「嫉妬かぁ……それと未来の世界ってどう関係あるの?」
「“情報化社会”の象徴……ではないか? 匿名で声を発信できる現代においては一般人による攻撃が容易く行えてしまう」
ゴルドルの指摘に符正はああ、と納得したように頷く。
インターネットやSNSの発展によって老若男女問わずありとあらゆる人間が匿名で情報を共有できるようになった。だがその弊害として、気に入らない相手の誹謗中傷を行うことの忌避感もぐっと下がってしまった。悪事を働いた赤の他人を集団でつるし上げ、信用や社会的地位を失墜させようとすることから始まり──裕福層や美男美女、あまつさえにはただ幸せなだけの一般人にまでその言動の粗探しをし、不幸であれと呪う。
自分よりも恵まれている他人の不幸を願う。
ひとりだけであればやらぬ行為も、集団で──なおかつ匿名であればいとも容易くやってのけてしまう。そんな問題が現代社会にはあるのだ。
それがあの未来の世界では具現化されている。“嫉妬”という名の、矢として。
「耳が痛いね。私がユートピアカジノリゾートであの──裕福層や権力者を堕落させる“ゲーム”を行っていたのも、突き詰めれば嫉妬が所以のものだからね」
幸福であることへの嫉妬。
信頼。信用。友情。愛情。それらを否定して人間を見下していたのは、ひとえにそれらを胸に抱き輝いている人間への嫉妬心があったからだろうとゴルドルは語ってため息を吐く。
「俺ァ嫉妬はしねェからなァ……サジェースタはまあ置いといて、符正は?」
「…………」
符正に関わることで嫉妬したことがないとは言い切れぬサジェースタは気まずそうに視線をニコラウスから逸らした。
「わたし? ん~……あれだ」
サジェ様がゴルに抱えられてたりするとむっとする。
そんな突拍子もないことを言われてサジェースタはぎょっとしたように符正に視線を向ける。ゴルドルも目を丸くしており、ニコラウスはゲラゲラと爆笑していた。
この一年間の旅の中で、最も体力がなく非力なサジェースタは何かと符正やゴルドルの助けを得てきた。符正に抱え上げられたことは数えきれないほどにあるし、ゴルドルに姫だ──横抱きにされるという見た目的にも精神的にもよろしくない状況に陥ったこともある。
「完全に男女逆転してんなてめェら!」
余程ツボだったのか、腹を抱えて大爆笑しているニコラウスだったが符正は気を悪くするでもなくしれっとしている。
「あ、別にゴルのことを邪魔だとかは思ってないよ」
「分かっている。だが意外だったな。サジェースタ王は分かりやすいのですけどもね」
「やかましいわ」
サジェースタは気恥ずかしさを隠すように隣の符正の頭をぐじゃぐじゃに撫でくり始めた。髪をぐちゃぐちゃにされながらも符正は無表情かつ無抵抗で──いや、若干嬉しそうにしているかもしれないとゴルドルは微笑む。サジェースタに構ってもらうと嬉しそうにする節があることを旅の中でゴルドルは見抜いていた。
「お兄ちゃん、他の女にばかりデレデレしてないで構ってよ~とかねェのか?」
「刺されて死ねばいいのに」
「辛辣だな。だがそこがいい」
「普通に今すぐ死ねばいいのに」
兄妹喧嘩ならぬ兄妹コントを横目で見つつ──サジェースタはゴルドルにあの矢の雨をどうするかと議論を持ちかける。
「“嫉妬”は七大罪にも含まれている人間の原罪のひとつです。そう簡単に消えるものではないでしょう──できるとすれば、嫉妬の感情を和らげることくらいかと」
「和らげる──例えば符正と私だな。符正と手を繋いでいたが故に嫉妬が符正に集まり、王である私への嫉妬はほとんどなかった」
「ええ。それと……符正ひとりだけであったならば受ける“嫉妬”は桁違いに減るでしょう。若さや容姿の良さへの嫉妬はあるでしょうが」
ゴルドルの言葉にサジェースタはふむ、と頷きながら顎を撫ぜた。
「我々三人は嫉妬を向けられやすい立場にある──あの世界を浄化するならば符正ひとりの方が──」
「駄目です」
「駄目だ」
「ぬ?」
ゴルドルだけでなく符正とコントを繰り広げていたはずのニコラウスからも拒否の言葉が上がり、サジェースタは思わず目を丸くする。
「いや、私も符正をひとりにしたくはないが……私たちと一緒だと符正が受ける嫉妬は大きくなるぞ」
「それでも駄目だ。サジェースタ、てめェは符正から離れるな。死んでも離すな」
「そうですよサジェ様! サジェ様放っておいたら死んじゃうくらい弱いのにわたしから離れちゃだめです!」
そう言いながらサジェースタの体に抱き着き、離してやるもんかとばかりにぎゅうぎゅうと力を入れてきた符正にサジェースタは思わず口元を押さえてしまった。
「悶えてんじゃねェよ」
「やかましい」
「ハハ。……ともかくサジェースタ王、符正からは離れないでください。“嫉妬”には……」
「符正、お前耐えろ。俺とゴルドルでなるべくカバーするが……サジェースタと手を離すな。どんなに矢を浴びても離すな。どんなに痛くても離すな。耐えろ」
「うん」
「待てニコラウス君! 繰り返すつもりか!?」
ニコラウスの指示に頷いた符正に慌ててサジェースタが止めに入る。あの血塗れの符正など──もう見たくはない。
「繰り返すつもりはねェさ。さっきのは突然だったから対応しきれなかっただけだ──分かってりゃ対処のしようがある。それよりも、だ」
サジェースタ、とニコラウスの金糸雀色の目がサジェースタを射抜く。夜であるからかいつもより輝きを放っているその目はとても美しく、そしてひどく不気味だった。
「“嫉妬”の中枢を探せ。矢の雨は俺たちがどうにかするから──あの矢の雨の出所を掴め。あれらは全て同じ方向から飛んできていた──出所があるはずだ」
「……!」
降り注ぐ矢に貫かれながらもニコラウスは冷静に、そして冷徹に矢がどこから飛んでくるか分析していたようだ。さすがは裏社会のボスといったところだろうか。
「符正をひとりで行かせるのが一番被害は少ねェだろうが……サジェースタ、お前本当に符正をひとりで行かせたいのか?」
「…………」
日向符正。
“暴力の世界”の代表者。
“歪み”を否定し、壊したがる人間。
サジェースタは目を伏せ、ため息を吐きながらニコラウスの言葉に否と答えた。
「……分かった」
符正と離れたくないという個人的な感情を抜きにしても、符正をひとりで行かせることにはデメリットしか感じないと考えたサジェースタはニコラウスの提案を呑んだ。符正を犠牲にし、ゴルドルとニコラウスを盾にし、サジェースタが“嫉妬”の中枢を探すというその提案を。
「サジェ様、大丈夫ですよ~。わたしがお守りします!」
「…………符正」
未だサジェースタの体にぎゅうぎゅうと抱き着いている符正に顔を向け、そのたき火の炎さえも反射せぬ濡羽色の目と視線を合わせる。
何も映さぬその濡羽色の目に、自分の姿を映し出したいと微かに思ってしまう自分に苦笑しながらサジェースタはゆっくりと口を開いた。
「私のため以外で、傷付くな」
どうせ傷付くならば。
私のために傷付けばいい。
私じゃない何かのために傷付かないでほしい。
──そんな、“嫉妬”の感情も仄かに含んでいる呪詛めいた言葉を零したサジェースタに符正は一瞬だけ目を見開き、けれどすぐ満面の笑顔でそれを了承した。
「いい子だ」
素直に受け入れてくれた符正をそっと抱き寄せて褒めてやり、サジェースタはちらりとゴルドルやニコラウスに視線を向ける。ゴルドルは紳士然とした態度で優雅にカップを傾けており、ニコラウスはにやにやと野次馬根性丸出しの笑みを浮かべながらサジェースタたちを眺めている。サジェースタの発言についてふたりとも特に異論はないようだ。
「さて、俺はもう寝るぜ。符正、一緒に寝るか?」
「ゴル、ニコラが寂しがってるから添い寝してあげて」
「申し訳ないが断固拒否させて頂く」
「毎晩毎晩飽きないな……」
一行の中では既にお決まりとなってしまった寝る前のコントを交わしてから四人は翌日に備えて就寝に入ったのであった。




