20 リーン様救出
人の言葉で喋った私に、パネラ様は意外にも派手に驚かなかった。いや、リアクションが薄かったのは、びっくりしすぎて咄嗟に声が出なかっただけかもしれない。
少し間を置いて、パネラ様はきょとんとした顔のまま、数歩後ずさった。
「シアンちゃん、あなた……」
「私が喋れる事は後でちゃんと話します。お願い、今は急いで!」
一刻も早くリーン様を助けてもらいたいので、今は正体について説明している暇は無い。
パネラ様は本当に頭の回転も切り替えも速い娘さんだ。私の様子から緊急だと察してか、冷静に、人に対するみたいに聞いてくれる。
「どういう状況ですの?」
「ハエルは鳥に襲われて馬車から落ちて大怪我をしてます。リーン様はその後、高い所から落ちて沢まで……なんとか水からは引き上げたけど、意識が無くて」
「それは大変ですわ! 急がないと。医者を待機させておきましょう。人手もいるわね」
パネラ様は一旦中に入って、お屋敷の人達にてきぱきと指示を出すと、すぐに馬車で出掛けられる支度をしてくれた。この間、ほんの数分。
この度の事は本当に予期せぬ災難だ。でも、せめてもの救いはパネラ様のお屋敷に近かった事だろう。そしてパネラ様が無事だったこと。
……こんな時だけど、パネラ様をお妃候補に挙げた人ってホント見る目があると思う。この頭脳や判断力と行動力があれば、王子が幼かろうが王様も安心して跡を任せられるもの。
ついでの事を言うと、パネラ様はドレスから動きやすそうなズボンの乗馬服姿に着替えて出て来られた。ひょっとしなくてもご自分も行くつもりのようだ。
「お嬢様はお待ちください! 危のうございます!」
執事っぽいおじさんが半泣きで止めているのも無視して、パネラ様は私に告げる。
「行きましょう。シアンちゃん、案内して頂戴」
「わん!」
パネラ様は私が喋れるのを既に知っていても、一緒に救援に来てくれる他の人の手前、一応犬らしく返事しておく。そして私は全速力で駆け出した。
リーン様のいるところを目指して。
リーン様、まだ大丈夫だよね? がんばって、今助けてくれるから。
パネラ様を乗せた馬車と、使用人の数頭の馬が私の後ろをついて来るのを、何度か振り返りながら確認しながら走る。
雨はもうほとんど止んで、雲の切れ間から微かに陽が差してきた。嵐は去ったみたい。
少し行ったところで、ゆっくりと知ってるニオイが近づいて来るのがわかってハッとした。ぬかるんで水溜まりだらけの道を、何かを引きずるような音も。
そのニオイと音の正体はハエルだった。
木の棒を支えに、足を引きずりながらここまで歩いて来たのだ。
「ハエル!」
彼なりに、頑張ってお屋敷に救援を呼びに行くつもりだったようだ。いつも私に意地悪で憎たらしい男でも、そんな姿を確かめた瞬間、なんか鼻の奥つーんってした。
私はそんなハエルに思わず言ってしまった。
「バカ! じっとしてろって言ったじゃない」
「馬鹿とは何だ、駄犬」
「だって、怪我が酷くなるじゃないのよ」
脚、絶対折れてる。痛いだろう、動くのもやっとだろう。鳥につつかれていた傷も開いたのか、顔だって血だらけだし。絶対の忠誠を誓うリーン様のためとはいえ、自分もボロボロなのに……ホント、馬鹿正直すぎる。
私が鼻を摺り寄せると、ハエルは珍しく嫌な顔もせずに私の頭を撫でて、後ろから付いてきている馬車や馬を確かめてホッとしたように笑った。
「助けを呼びに行ってくれたのだな。偉いぞ、駄犬」
初めて褒めてくれたね、ハエル。相変わらず駄犬って言っちゃってるけど、腹も立たない。ちょっと見直したよ。
「パネラ様が来てくれたから、リーン様は絶対大丈夫。だから後は任せて先に怪我を看てもらって」
「……すまん」
馬で来ていた使用人の一人にハエルが保護されるのを見届けて、私は再びリーン様の元へ急いだ。
道から外れた轍のある所。この下にリーン様がいるという場所まで来て、私は気が付いた。
ほとんど崖といっていい急斜面だ。四つ足の私は何とか降りて登って来られたけれど、ここを普通の人間が上り下りするのはかなり大変な気がする。木乃伊取りが木乃伊になるのはいただけない。それに降りられたとして、リーン様を連れて上がって来るのも大変だ。
立ち止まってどうしようか私が考えていると、パネラ様達が追い付いて来た。
「この下?」
「わん」
私と同じく危険だと懸念した使用人が、降りられそうな場所を探して回って行った方がいいと言った。しかし、パネラ様は抜かりの無い人だった。
「遠回りは時間が惜しいわ」
そう言って、パネラ様はさっさと馬車の荷台から長いロープを重そうに出して来て従者に渡すと、木に縛って固定するように命じた。
おお、パネラ様は本当に頭いいなぁ。
「シアンちゃん、この縄の先を咥えてリーンの所に降りられる?」
「わんっ」
うん、出来る出来る。任せて!
「賢すぎる犬ですな。普通の犬なのですか?」
ロープの先を口に咥えて走り出した私の耳に、使用人がパネラ様に言うのが聞こえたが、パネラ様が何と答えたのかは聞こえなかった。
半分以上滑り落ちる勢いで斜面を下ると、水の音が段々大きくなって来て、木々の間から沢の流れる岩場が見えてくる。それに微かなリーン様のニオイ。
リーン様、もうすぐ行きますからね。
でもロープはここまでみたい。垂らしておけばパネラ様達が降りて来てくれることを信じて先に進む。
岩の向こうに足が見えた。リーン様は私が引き上げたままのところから動いていないみたいで、安否がとても気になる。
近づくと、この人の何倍もいい耳に、しっかりした息づかいと鼓動が聞こえてホッとした。
顔色も、最初に見た時よりほんの少し血色が戻っている気がする。水に浸かったままにしなかったから体温の低下くらいは防げたのかな。
だけど、頬を舐めてみてもリーン様は目を開けない。頭を打ってないといいのだけど。
「リーン様、今助けが来ますからね」
私がそう耳元で囁いた直後、斜面の方から足音と知ったニオイが近づいて来た。
パネラ様達だ。ロープを伝って降りて来られたんだね。
「わん! わんわん!」
ここよと知らせるために犬らしく吠えてみると、私の声を聞きつけて、パネラ様が走って来た。
「リーン!」
リーン様の姿を確かめたパネラ様が結構な勢いで飛びつきそうだったので、後から来る使用人に聞こえない様にこっそり声を掛ける。
「頭や首を痛めているといけないので、あまり衝撃は与えない様にしたほうが……」
「そうね」
パネラ様は私の進言に素直に従って、派手に揺すらずにリーン様の手を握って耳元で静かに声を掛ける。
「リーン、しっかりして」
すぐには反応が無かったけれど、数十秒が経ったころ、リーン様が微かに眉を寄せた。
「気がついたみたい」
ドキドキしてパネラ様と一緒に顔を覗き込んでいると、リーン様がうっすらと目を開ける。
ああ! 二度と目覚めなかったらどうしようって思ったけど……ホッとした。
そしてリーン様は、覗き込む顔をぼうっと見てから声を絞り出すように小さく呟く。
「パネ……ラ?」
「そうよ。わかる?」
聞かれてリーン様は微かに頷いた。ちゃんとわかるんだから頭も大丈夫みたい。
安心したところで使用人達がやってきた。手にはロープや担架がある。この準備をしてくれていたみたいだ。ホントに手際も準備もよくて素晴らしい。
「そっとよ」
「はい」
パネラ様に言われて、大柄の男の人が二人でリーン様を抱え上げて担架に乗せる。この人達がこれを支えながら、更に上にいる人がロープで引き上げるみたい。
良かった。これでもう大丈夫だ。
でも何だろう。ほんの少しモヤモヤした気分になったのは。
気が付いたリーン様が、最初に目にしたのがパネラ様だったから? 最初に呼んだのが私の名前じゃ無かったから?
そんなこと思っちゃいけないのに。
私はリーン様の飼い犬であって、婚約者のパネラ様に嫉妬するような立場じゃないのに。




