第一話 『向上心はコタツで眠っている』
『ゼロのその先を知っている』
第三章開幕、もう駄目だと思った限界を越えて――。
◇◇
薄っすらと赤みを帯びた山頂から、堰き止められたままのダムに代わって山颪が放水された。紅葉や銀杏、欅の赤や黄色に染まった葉たちは風に揺られながら、等間隔に墓石が並ぶ石畳で向かい合う二人をざわめきながらも見守った。
「戦ってみようと思う」
二人が抱える問題は全く別のもので、簡単に解決策を導き出すことも共有することもできない。髪や瞳にすら色となって届くような、少女の表情の奥底に張りついた氷のような絶望を自分なんかの言葉で溶かすことができるのか、少年は不安でならなかった。それでも息を切らして落ち葉を踏みしめ、額を汗に濡らしながら初秋の肌寒さに震えてここへやって来たのは、少年の精一杯だった。
その思いが通じたのだろうか、小さな少女は初めて口元を緩ませる。
夏の終わりを告げる花火すらまだ咲いていないのに、全てが凍てつく冬が来るのはまだ早すぎるのだ。
「あなたって意外とロマンチストなんだね……私も抗ってみたい」
少女は腕を掲げた。
その瞳には先刻までの絶望の居場所はなく、今はただ明日への活力にみなぎっている。心なしか周りの木々が、沈みかけている夕日が、墓前の白や青の献花が、彼女が疑問を呈した世界が、彼女を全力で応援しているかのように感じた。
自分の言葉が届いたという嬉しさよりも、こうして立ち直り、ギラギラと瞳を輝かせる少女の胆力に少年はただただ尊敬の念を抱く。立ち向かうべき障壁は別々で、少年と少女は背中合わせ。それでも二人は確かに共に戦う同士だった。一回り小さな少女の拳に、少年はそっと誓いを重ねる。
「俺は俺の未来のために」
「私は私の未来のために」
立ち塞がる常識を覆しに行こう。
『挑んでやる――!』
重ねた拳が握り締める一束の白いアキレア。
少年が赤の国に着いて三日後のこの時から、二人の戦いは始まっていた。
◇◇ 沙智
夏ももうじき終わる。
馬車の荷台から少し彩が減った景色を眺めていると何だか物悲しい。
「元の世界にいたなら丁度、夏休みの課題に追われてる頃だな」
受験生にもなって云々は言わないでくれ、分かってる。
ジェムニ神国を出立して半日、途中で野宿したのも初めての経験だったが、御者のおじさんも気前の良い人で赤の国への旅路は行程通りに進んでいた。当初はジェムニは魔獣騒動で大変だったでしょう等と世間話で盛り上がったものだが、如何せんここは密閉空間、会話の種というのは意外とすぐに尽きるものである。
平地から山道の林へ段々と変わりつつある外の景色を眺めながら物思いに耽っていたのは、会話が思い浮かばない気まずさが理由なのである。
「俺の妹も……今は家で勉強してたりするのかな?」
ソフィーのユニークスキル『リコール』で露見した“妹の存在”。
確かにこの異世界に来てから、元の世界の友人の名前を思い出せなかったりと、忘れっぽい一面を露呈してしまっている俺だが、身近な家族を忘れていたというのは正直ショックである。
「あいつの名前……何だっけ?」
幾ら考えても妹を忘れていた理由なんて見当もつかない。
ただ一点、妹の容姿がサクに酷似していたことが気になるが……。
「赤の国って今、お祭りの真っ最中なんだって」
「ほーう。それは興味がありますね」
いつまでも語らっている女子組の楽しそうな声を聞いていると、神妙な面持ちで一人外を眺めているのが無性に寂しくなった。少しだけ会話を頑張ってみよう。
「なあ、二人って何か得意なことある?」
「キツツキが得意げに幹に穴を開けてるのを見つけて羨ましくなった? 大丈夫、あんたのドライバーならキツツキにも勝てるよ、ファイト!」
「ファイト、じゃねーよ!」
ステラのアホ毛弄りにも困ったものだ。
尤も魔獣騒動直後のしょんぼりしていた頃から元気になったと考えれば複雑な気分である。
「そうじゃなくてさ。ある小説にこういう言葉が登場するんだ――『精神的に向上心がない者は馬鹿だ』ってな。俺も胸を張って言えそうな特技を探してみようかと」
「そういうことですか」
どうも二人には俺の不得手な事ばかりが伝わっているように感じる。
高所恐怖症であることや、怪談が苦手だということ……彼女らに何々が得意だと自慢した覚えがない。これが俺への辛辣な評価に繋がっているように思えてならないのだ。
最初に反応したのは膝の上に数枚のカラフルな布や糸を広げながら、手元でちまちまと裁縫をしているトオルだ。すでに言わずして特技を主張されている気がするのは俺だけだろうか。
「私は勘定が得意ですよ。何をどの値段で売ったらどのくらい利益が出るのか簡単になら計算できます。後はそうですね……腕力も意外とあるんですよ。積み荷を運んだりして鍛えていたので。」
「…………」
悠々と特技があると抜かした暁には意地悪してやろうと企んでいたのだが、トオルの特技に俺は何とも言えなかった。だってそれ、奴隷として商人に仕えていたからこそ身についた特技じゃないか……。
「ステラはどうですか?」
反応に困っていると、トオルがステラに質問を流す。
仕方がない。さっきの意趣返しではないが、口元に指を当てて「うーん」と唸るステラが妙な事を口走ったら、その瞬間に揶揄ってやろう。
「私の特技はね……」
『ヒヒィーーン!!』
「なるほど、馬の鳴き真似が得意なのか」
「見事な声帯模写でした」
「待って! まだ何も言ってないっ!!」
馬車の馬が甲高く鳴いたのは本当に突然の出来事だったが、俺とトオルであれば示し合わさずとも連携を取れる。無言で親指を立て合う俺たちに、ステラは釈然としないのか腕をぶんぶん振って猛抗議だ。『魔王』などではない、至って普通の女の子の光景である。
「冗談は程々にしましょう……御者さん、何かあったんですか?」
「すみませんね、馬が『木の上小僧』を口にしたみたいで」
トオルが俺の隣から前方に顔を出して尋ねると、御者も同じように顔を出して申し訳なさそうに答えた。それから少し街道の脇に逸れて馬車を止めると、未だ苦しそうに鳴き続ける馬の下へ彼は駆けつける。何となく悪い物を食べたとは推測できるのだが……。
「ステラ、『木の上小僧』って何?」
「毒草だよ、一杯食べたらお腹が大惨事になるかもね」
「変な名前の植物があったもんだな」
木の上小僧……機会があればその語源を知りたいものである。
それにしてもこの緑溢れる街道でピンポイントで毒草を選ぶとは。
「美味そうだったんだろうな……馬だけに」
『…………』
受けろよぉぉぉぉぉぉぉぉ!
嘘でもいいから笑ってくれよぉぉぉぉぉぉぉ!
『…………』
鳴けよぉぉぉぉぉ!
ヒヒィーンって鳴けよぉぉぉぉぉぉぉ!
「沙智、あんた本当にコミュ障だったんだね」
「見事な滑りようでした」
「お客さん、馬が凍え死ぬんでやめてもらっていいですか?」
『ヒヒィン』
これでもかと言うほどの総攻撃。
人間どころか馬にすら見下され、人間としての尊厳を限りなく失った男が取る行動は単純である。皆が冷めた目で見守る中、荷台の後方からすっと飛び降り、クラウチングスタートの体勢に。せめて、その憐みの視線が俺に届かないところまで。
「助けてダジャレの神様ぁぁぁ――ぐぼっ!?」
走り出そうとした瞬間、隣の茂みから飛び出た何かと衝突した。
スタートダッシュと同時に体が跳ね返されて盛大に尻餅。ぶつかったのは樹木や看板ではなく、もっと有機的な、生温かくて弾みのある物体だった。
「あっ!」
「あなたは――」
顔をあげると、腰には二本の剣。
俺と同じく細い体の割には頑丈そうな腕。
そして、肩に光る懐かしい群青。
「ヤ……ヤマト?」
「ダジャレの神様じゃなくて悪かったな、沙智」
はずれの町で別れを告げて僅か一か月弱。
これが彼との再会だった。
§§§
再び馬車が動き出す。
先ほどの御者が扱っていた馬よりも荒々しいが、それなりのスピード感のある馬だった。俺たちが乗っている荷台の後ろにはさらに二頭、積み荷を重そうに運ぶ馬が続いていた。
「ごめんね、乗せて貰っちゃって」
「気にするな、俺たちも丁度赤の国に用事があるんだ」
俺たちの席の向かいにはヤマトの他にメイリィさんやフィス、アリアといった懐かしい面々が顔を揃えていた。なお、デイジー様は前方で馬の手綱を握っている。あの戦闘にしか興味を示さない戦姫が正しく馬を扱えるのか不安しかない。
「その途中で沙智のアホな叫びを拾ったって訳だね」
「いやいや、あれは本当に偶々さ」
偶々、ヤマトはそう言って笑うが、それは果たして真実だろうか。
彼らもまた電子モニターでジェムニ神国で起きた騒動を知っていただろう。ジェムニの教会図書館で調べ物をするという俺の予定をもしも覚えていたとしたら、彼らは俺たちを放っておける性分だろうか。
「素敵な人たちですね」
「来るなら事件解決前に来て欲しかったけどな」
ボソッと呟くとトオルが隣でクスクス笑う。
これが照れ隠しだとバレてしまったようだ。
ただ懸念事項もある。
秘密の首飾りで隠してはいるが、ステラが実は『魔王』であること。
俺がギニーや雷鬼王を倒した六人目の『勇者』であること。
この二つはなるべく口外したくない。
「…………」
特にステラの事情は『勇者』相手には通じない恐れもあるので、久しぶりの再会だというのに彼女は驚くほど言葉数が少なかった。まあ墓穴を掘らなければバレないとは思うが、高を括っていると痛い目に合うのは知っている。だから心の中でギッと兜の緒を締めて――。
「沙智く~ん、面白い形の飴食べる~?」
「あ、どもども」
「そう言えばぁ~、魔王を倒すのは大変だったでしょ~?」
「いや、割と真面目に死ぬかと……はっ、ナ、ナンノコトヤラ?」
兜の緒を締めても駄目でした。
見事にフィスのマイペースワンダーランドに迷い込んだ俺に、両隣でステラとトオルが呆れて額を押さえ、ヤマトが腹を抱えて豪快に笑う。
「ははは、他言はしないさ」
「助かるよ。見ての通り、こいつ小心者だから」
ステラさん。
俺も偶には怒ってもいいんですよ?
それから俺はジェムニであった詳しい話を根掘り葉掘り聞かれるのかと若干身構えた。バレてしまった以上話すのは構わないのだが、ステラの件を秘密にするなら話し方を考えなければならない。もっと言うなら、俺がこれ以上墓穴を掘らないように、事件に一番客観的だったトオルと入念に打ち合わせをしたい。
しかし、ヤマトの反応は想像と違った。
「なあ、沙智」
「ん?」
先ほどまでの豪快な笑いとは一変、今度は真剣な面持ちで俺をまっすぐに見つめてきたので、自然と背筋が伸びた。少しだけ真面目な話でもしようというのだろうか。
「俺たち五人の勇者は赤の国で五年ぶりに一堂に会し、秘密裏に会談を開くことになってる。近況報告と今後の方針を話し合って、まあ後はどんちゃん騒ぎだ」
五人の勇者が一つ所に集まるのか。それはさぞ壮観だろう。
メイリィさんが隣で溜息を溢したところを見ると、ヤマトの情報管理の甘さは変わっていないらしい。この話もどうやら口止めしたかったようだ。
「お前ら、俺の仲間を装って会議に参加してみないか?」
「だが断る」
「お~、見事なまでの即答だぁ~」
唯一マイペースな少女が歓声を上げた以外は、まあ予想通りだったのか向かいの席で苦笑いが並ぶ。
勇者会議?
絶対に行かない。
どんな勇者がいるのか興味はあるが、明らかに煙が燻りそうな危険地帯ではないか。俺たちが赤の国へ行くのは大図書館ナレージがあるロブ島への経由地点だからというただ一点に尽きる。下手なことに関わらないに越したことはないのだ。
ただ、こうして俺が腕を組んでふんぞり返るのは予め想定していたことなのだろう。ヤマトは簡単には諦めず、俺に勇者会議に出席するあるメリットを説き始めた。
「いいか? 勇者の中にセリーヌという数百年もの時を生きたエルフがいる。かの青目族を差し置いて『賢者』と呼ばれるほど物知りだ。ひょっとしたら……」
「ひょっとしたら?」
「――お前の世界のことを何か知ってるかもしれない」
「ぬぬっ!?」
これは思わず舌を巻くほど有効な誘い文句である。
確かに、俺の至上命令は元の世界への帰還。「最短で」などと欲張ったことは言わないが、「安全に」は必須条件である。一歩ずつ、堅実に元の世界への情報を探る。ジェムニ神国の教会図書が空振りに終わった今、俺が一番危惧しているのはロブ島の大図書館でも収穫を得られないことだろう。
新たな情報源の可能性――俺を揺らすには充分すぎた。
「むー」
頭を抱えて悶え苦しむ俺にヤマトが苦笑し、ステラが溜息を溢す。その表情が視界に入る度に物申したい気分になるが、今はじっくり考えなければならない。
「いや、しかし……」
大図書館が空振った後でそのセリーヌさんに会ってもいいのでは?
そんないかにも消極的な解答に俺が満足しかけた時だった。
「お兄さん」
「ん?」
落ち着いたクリアな声に顔を向けると、トオルが首を傾けてこちらに目線だけを合わせていた。その表情にはステラやヤマトのような柔らかさは微塵にもない。
ひょっとして呆れていらっしゃいます?
「『精神的に向上心のない者は馬鹿だ』、ですよ」
「……ごもっともです」
俺が面白半分に教えた異世界の知識を最大限に活用していらっしゃいますねトオル様。こうして俺たちと波乱の勇者たちの出会いはここに決定づけられた。
◇◇
そして――。
「ここが……赤の国?」
七瀬沙智たちは足を踏み入れる。
かつて、一人の少女が息を引き取ったその土地に。
「全然赤くないじゃん!」
彼らの目の前に広がるは赤の国。
大陸西方では唯一王が存在せず、民衆が選挙によって構成員を選ぶ「自治会」なるものが国を取り仕切っている。周囲よりも標高のある台地で、ジェムニ神国より先にほんのりと秋の香りが漂う、とても快適な土地だ。北には川の侵食で生まれた渓谷があり、夏の花火とともに赤の国の観光看板だという。
そして何より、千年前、最悪の魔王と謳われた赤の大魔王と、最大の勇者と謳われたボルケが、称号『赤』を奪い合い、歴史と灰を刻む国である。
『む? 何じゃあの男……少し気になるのう』
物語は千年の時を越えて交錯する――。
【赤の国】
西方大陸で最も標高の高い場所に位置する国、旧名『イズランド』。かつて名も知れない勇者が残した不思議な文化が色濃く残る自然あふれる国で、同時に歴史の激戦を刻む場所でもあるんだよ。夏の終わりの五日間に毎年お祭りが開かれるらしいけれど、その間には赤の国出身の人はみんな自ずと帰省するみたい。帰って来いっていう電波でも受信するのかな?
本日から第三章スタートです。
多分長くなると思いますがさらっとでも読んでいただけたら幸いです。どうかよろしくお願いします。ちょっとだけネタバレするとようやく奴らが登場します。あらすじやら本編やらで「五人の物語」とか言っておいてずっと出てきませんでしたからね。(2018年9月28日筆)
※加筆・修正しました。
2019年12月13日 時系列の変更




