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第二話   『兎は飴を咥えて跳ねている』

 緑色の円柱型の郵便ポストの影に置かれた、通り雨に晒された段ボール箱。

 貼られた白い置手紙にはたった一言、『連れてってください』。


 薄い鱗雲から虹色の飴玉が落ちてきたかのように印象深い。

 この夏の終わりの出会いを――。


「ほえ?」


 俺は一生、忘れない。





§§§





 赤の国に着いて早々だが、ヤマトらとは一旦別れた。

 勇者会議は明後日の夕方、この国を取り仕切る自治会の庁舎で行われる予定らしい。それまでは町を散策するなり、祭りを楽しむなり好きにするといいとの事だ。


「さて、宿はどこにしましょうか?」


「早く決めないと沙智が“泊めてくれませんか亡霊”になっちゃうもんね」


「また懐かしい話を掘り返したな、おい」


 ステラに名前を教える際に緊張して、心の中で繰り返していた事を語尾につけてしまったのはもはや遠い記憶である。何のことかと首を傾げているトオルには今度ゆっくり話してあげよう。


「地図を見るに宿はこの辺りですかね?」


「ロブ島への船代を考えると値が張る宿はちょっと……沙智邪魔っ!」


 どうやら一つの地図に三人は多すぎたらしい。

 とは言え、問答無用で俺を選んで追い出すのは酷いと思いません?

 ソフィーのような癒しが欲しい今日この頃である。


「それにしても標高が高い割に暑いなぁ」


 赤の国は台地上に作られた国であり、さほど広くはない。

 国は瓢箪のような形をしており、上半分はほぼ渓谷が占めている。人の賑わいがあるのは瓢箪で表すと下半分、半径五キロの住宅街の部分である。


 パッと見ではあるが、この国はジェムニ神国よりも道が複雑そうに思える。何も調べずに探検するだけでも思いの外楽しめるかもしれない。


「赤の国はどうして~」


 俺はしばらく鼻歌交じりに歩いてレンガ造りの西洋の雰囲気がある街並みを楽しんだ。ジェムニ神国の元の世界を思わせる街並みも良いが、お伽噺の一ページに飾られるような古風あるこの景色も嫌いではない。


「赤くないのに赤の国ぃ~!」


 フィスから貰った飴を舐めようかとポケットから取り出した時の事である。


 緑色の円柱型の郵便ポストの影に置かれた、通り雨に晒された段ボール箱。

 貼られた白い置手紙にはたった一言、『連れてってください』。


「ん?」


「ほえ?」


 目が合い、硬直する二人。

 そして、ガクガクと震え出す二人。


 この日、俺が感じた衝撃は生半可な言葉では語ることができないだろう。その少女との出会いは山頂で日向ぼっこしているところに海が落ちてきたかのように混沌に満ちていたのだから。


 段ボール箱の中に蹲っていたのは子犬でも子猫でもない――。


「う、兎だぁぁぁぁぁぁぁあ!!」


「レッドドレッドキャンディィィィー!」


 ウサ耳を生やした真っ白な少女だった。





§§§





「あー! 綿あめーっ!」


「ちょっと、そっちに行ったら迷子になるよっ!」


 少女の肌は白いだけで人間とそう大差ないのだが、頭の髪の毛に一体化してぴょこんと生えた二本の長い耳は着脱可能とは思えない。白い髪にはところどころに茶髪も混じっているが、耳だけは純粋な白だった。左耳には子供っぽいキャンディーの飾りがあり、なぜか少女によく似合う。


「獣人族?」


「ええ、お兄さん、見るのは初めてですか?」


「そりゃ勿論」


 一先ずは西に向かいながら、随分と陽気な兎の獣人を観察する。

 好奇心旺盛なのか何度も細い路地の方へ興味を示し、その度に人一倍気の遣えるステラが彼女の腕を引っ張って誘導に苦心していた。どうやら飴が好物のようで、フィスから貰った飴をやると、それはそれは嬉しそうに頬を緩めるのだ。


「まずは名前と段ボール箱に詰まっていた経緯を詳しく教えてくれ」


「私のー?」


「他に誰がいる、誰が」


 どうもこの少女は理解力に難がありそうだ。

 懐いてついて来たこの少女をどうするかも問題だが、段ボール箱の中から潤んだ瞳で通行人を凝視していた理由を彼女に問うことが先決である。


 少女は自分を指差してきょとんと耳を片方傾けていたが、俺たち三人の視線が集まっていると知った瞬間にったりと歯を見せて笑った。そして一歩前に飛び跳ねてくるリと手を伸ばして回転すると、妙なリズムで名乗り始めるのだ。


「連れと千里も離れてようとも、地図がどっちか読めなかろうとも、めげないさっ! 冴える頭脳と愛嬌だけで道をズバズバ切り開くっ! そう、『捨てられた子猫大作戦』で道に詳しい頼れる人を探し出した私こそが――」


 俺たち三人を順に指差し、その勢いでもう一回転。

 通行人の注目も一切気にせず、両腕を高々と空に伸ばして満面の笑み。


「アルフなのだー!」


「要するにただの迷子じゃねーかっ!!」


 これが叫ばずにいられようか。

 要するに何か? この兎は迷子になって道が分からず、捨て猫の振りをして同情を誘い、道に詳しい頼れる人に寄生しようと考えた訳か?


「なあトオル、ひょっとすると俺はものすごいお荷物を拾ってしまったのかもしれない」


「捨てようと思ってももう手遅れですよ。すっかり懐いちゃってますから」


 目の前で踊り狂う兎に呆れる俺とトオル。

 彼女の頭の悪い作戦を俺のアンテナが受信してしまったのは誠に遺憾である。


「どうすんだ? これ」


「彼女、手荷物がポーチだけです。中身も先ほど覗くと飴と小銭だけでした」


「ん?」


 彼女が肩に下げている半月状の小さなポーチがどうしたのだろう。

 確かに飴と小銭しか入っていなかったというのは異常なことだが、この兎がアルフである以上、そこにもはや疑問は抱かない。すでにこの兎への俺の評価は著しく低い。


 だが、トオルが着眼したのはまた別の点だった。


「一人で旅してるとは思えません。さっき『連れ』と言ってましたよね?」


「そうか、保護者がいるのか」


 なるほど納得である。

 小銭と飴以外の大事な持ち物を、兎と一緒に迷子にならないように保護者が預かっているからこその身軽さという訳だ。数歩前でまた無意識に脇道に逸れようとしているアルフの肩を掴み、俺はトオルの推測を確かめる。


「なあ、アルフ」


「なーに、さっちー?」


「さっちーっ!? あ、いや別にいいけど……お前の保護者の名前は?」


「えっとねー……何だっけー?」


 理解力だけじゃなくて記憶力も壊滅的だったか。


 両側のこめかみに人差し指を当てて必死に考える兎を見て、俺は一周回って安心した。明らかに一人では生きていけないこの少女が迷子になったとあらば、保護者が黙っているはずがない。一刻も早く見つけ出そうと今も血相を変えて捜しているに違いないのだ。


 結論。

 放置しても問題あるまい。

 この能天気な兎の世話は俺には不可能だ。


「そうかそうか。会えたらいいな、じゃ、そういうことで」


「待ってー! 見捨てないでよーっ!」


「ちょ――」


 流れるように片手をあげて立ち去ろうとすると、アルフがいきなり俺にしがみ付いて懇願し始めるではないか。その表情は焦りと絶望に満ちており、それを表現するかのように耳はあたふたと非対称に揺れる。


 捨てようと思っても手遅れ。

 トオルの言葉が今、脳裏に鮮烈にエコーした。


「もうどっちが北でどっちが上か分からないんだよー。何が池なのか沼なのか湖なのか水溜りなのか分からないんだよーっ! 定義を教えてー!」


「知るかーっ!!」


 上下左右と東西南北を混同している時点で何を言っても無駄だよなっ!

 後半は本当に知らん!


 いつか言った覚えがあるが、もう一度繰り返そう。

 俺は例えば、困っている人がいても大変そうだなと素通りする程度の人間である。当初は獣人という種族に興味を持ったものの、俺の太ももにしがみ付いて決して離れようとしない兎にもはや魅力の欠片もなかった。相手をするのが面倒――これに尽きる。


 ただ世の中には変わり者もいるのも事実である。

 初対面の人でも困っているなら放っておけないお人好しが。


「まあまあ、困ってるみたいだしさ」


「じゃあステラが面倒見ろよ」


 たった今ゴングは鳴った。

 出会いから僅か十数分、アルフという少女が実に手のかかる厄介な相手であるかをステラは充分に理解している。放っておくのは気が引けるが、自分が率先して手助けするのは避けたい。そんな心境だったからこそ、俺の投げやりな言葉で穏やかな表情のまま彼女は硬直したのだ。


「ひ、拾った人が最後まで責任持って面倒見ないと、ね?」


「いやぁ、俺よりかはコミュ障じゃないと自慢してたステラに任せるよ」


「ほえ?」


 アルフの耳が左に流れる。

 お互いにぎこちない笑顔で威嚇。


「そうやって逃げるからいつまで経ってもコミュ障のままなんだよ。良い機会じゃん、滑らないダジャレの一つでも教えてもらいなよ」


「ステラこそ馬の鳴き声しか声帯模写できなかったら恥をかくかもよ? 兎の鳴き真似でも教わってレパートリー増やしておいた方が忘年会で喜ばれるぞ?」


「ほえ?」


 アルフの耳が右に流れる。

 一歩も譲らぬ恥の晒し合い。


「はい兎は鳴きませんー」


「鳴きますー、『ほえ』って鳴きますー」


「ほえ?」


 最終的には小学生みたいな喧嘩に至る。

 もはやこの醜い言い争いにアルフを心配しての言葉は一つもなく、給食に出た嫌いな食べ物の押し付け合いとその様相は何ら変わらない。


「思い出したーっ! 連れの名前はシアンだーっ!!」


『今はどうでもいい!』


「二人とも酷いー!」


 声を揃えてアルフを押し退け、指を差し合ってああだこうだと喚く俺とステラ。

 遠目に眺めてトオルはどう思ったのだろう。


「……はぁ、アルフが懐いた方が飼育係です」


『え?』


 不貞腐れるアルフの右腕を持ち上げてぶっきら棒に一言。

 気づけば、酷く呆れて疲れ切った様子のトオルが俺たちに冷たい視線を向けていた。それはもう、道のど真ん中で言い合いをするこの二人の方が、アルフの対応の数倍面倒だと言いたげな表情で。


 言うまでもない。

 彼女の声には無益な抗争を終わらせるだけの明確さを伴っている。


「にーっ!」


 アルフよ、なぜこちらに視線を向ける?

 アルフよ、なぜ瞳を輝かせる?

 ア、アルフよ、なぜ耳と尻尾を交互に揺らすっ!?





 敗因。

 餌付けしてしまったこと(キャンディー)。





§§§





「夕飯、夕飯、夕飯が待ってる~」


 監督責任が誰にあるか決まって一時間後、起伏のある狭い道でやれ右にやれ左に迷子になろうとするアルフを死に物狂いで誘導しながら、赤の国の西側に良い感じの宿を見つけた。『アシルの宿』という個人経営の宿なのだが、しっかりと清掃されていて悪くない雰囲気だったので満場一致で即決したのだ。


 夕食でも取りながら面倒ではあるが、アルフに色々尋ねよう。

 そう思っていた矢先の悲報である。


 ――実は農作物が疫病で壊滅的な被害を受けておりまして。


 要するに宿で食事が出せないという事だ。

 宿の亭主の申し訳なさそうな表情が今でも思い出される。


「夕飯、夕飯、夕飯が待ってるぅ~!」


 ではなぜ現在、鼻歌を奏でながらスキップしてるかと言うと、近場のカフェなら通常営業だと亭主に聞いたからである。尤も俺が上機嫌である最大の理由は、準備が済んでいないから先に行っててと言うステラにアルフの監督責任を押し付けてきたからであるが。


 薄暗い閑静な住宅街。

 謎の生き物の石像が街灯に照らされ目を瞑る。


「早くあの兎を何とかしなきゃストレスで胃潰瘍に……ん?」


 カフェに続く広い階段に差し掛かろうとした時のことだった。

 すでに辺りは暗くなり人気も減ったので、向かいから早足で階段を駆け降りてくる人影にはすぐに気がついた。女性は俺の脇にある街灯が作ったスポットライトに踏み込む。


「――っ!」


 俺は咄嗟に飛び出そうになる声を押し殺した。

 鈍色の短髪の女性の頭にはぴょこん、ぴょこんと耳が二つ。

 笹をあしらったロングスカートから飛び出る灰と黒の縞々の尻尾。


 間違いない。

 そこにいたのは、猫。


 その女性は俺の隣を通りすぎて数秒も経たないうちにハンカチを落とした。

 普段なら初対面の人に話しかけるのが億劫で見て見ぬふりをする俺も、本物の猫耳にすっかり興奮していたからか、思わず声を掛けてしまった。


「あの、落としましたよ」


「え? あ、本当だ。わざわざありがとうございます」


「い、いえ」


 女性は薄桃色で白い刺繍の入ったハンカチを受け取ると、丁寧にお辞儀して、はにかんだ。この時、僅かに触れ合った指先から、腹の奥底へ、妙な何かが染み込んだように感じる。

 その感覚を、本物の猫耳女性との出会った興奮で体が熱を帯びただけだと勝手に納得し、走り去る彼女に背を向けて、俺はカフェへ向かった。


 その足取りが、いつもより弾んでいたのは言うまでもない。

 さて、問題のカフェだが――。


「おお」


 玄関先のモミノキのイルミ―ネーションが来客を明るく歓迎し、広々とした窓で開放的な印象を受ける、そんなお洒落なカフェだった。ガラスのドアについたベルが告げる涼しい音色とともにカウンターの女性店員が表情を緩める。


「いらっしゃいませ」


 俺は軽くお辞儀だけして店の片隅の席に向かった。

 店員と会話するのが苦手だというのもあるが、一旦盛り上がってしまった心を落ち着けたいという思いもあったのだ。猫耳女性と出会った感動を早くみんなと分かち合いたい。それも、アルフのような残念少女ではなく、女性にしては精悍な顔立ちをした格好いい猫耳女性である。


 そのためには手っ取り早くアルフの話を終わらせよう。

 どうせ大した問題ではないのだ。


「手がかりはシアンって名前だけか」


 心の声がついうっかり、口に出ていたのだろう。

 お冷を持ってきた店員さんがお節介かもと微笑みながらこう言うのだ。


「シアンさんならついさっき出て行った猫の獣人さんですよ?」


「……え?」


 血の気が引いていくのを感じる。

 追いやったはずのアルフがまた頭の中で阿呆に踊っては、猫耳女性への感動をどんどん薄めていく。


 カランとドアベルが再び鳴った。

 ステラたちが遅れてやって来た合図ではない。


「あ、お客様?」


 俺が慌てて猫耳女性を追いかけに行く合図である。





◇◇





 カフェから少し離れた小さな公園。

 ベンチで足を何度も組み替えながら無言で待っていた熊の獣人は、公園入口の銀杏の木の陰に猫耳女性を見つけて慌てて走り出す。


「シアン様。アルフが、アルフがまた~っ!」


 血相を変えて唇を震わせる熊の獣人に猫耳女性は頭を抱えた。

 私がいない間にまたアルフが迷子になったのか、と。


「コーディ。アルフのことは後回しです」


「……ええ!?」


 熊の獣人は大いに驚いた。

 アルフと知り合って半年、何度迷子になっても一度も見限らずに心底心配して捜しに向かった猫耳女性の面影がそこには感じられなかったからだ。そして、彼は猫耳女性の僅かな怯えに遅れて気づく。


「ミシェルの時と同じ構成で構いません、索敵を開始して」


 薄桃色のハンカチの刺繍は赤く染まる。

 彼女の名はシアン――反撃を告げる五人の勇者の一人である。


【獣人族】

 獣の特徴を併せ持つ種族の総称だね。ジェムニ神国を東に進んだ海域に別の大陸があって、昔は猫族や犬族、熊族らが種族抗争を繰り広げていたらしいけれど、人間の迫害に対抗するためにある種族が中心になって統一国家を作ったんだ。因みに沙智、アルフにその耳取れるのとか聞いたらセクハラだからね。



※加筆・修正しました

2020年4月16日  シアンとの別れに描写を追加

        

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