第三十話 『聖剣を作りたい』
§§§ 一時間半前 リトルエッグ
『魔王』を倒せ。
頭に浮かんだ無謀な一つの選択肢。
数々のスキルと状況。
過去から飛んで来る無責任な応援。
それでも俺が、自分の中に芽生えた衝動に気づきながらも、簡単に頷けなかったのは自分の拙さを知っているからだ。サクは言い訳せずに走り出せと言うものの、敗北が、死の可能性が分かってて挑むと宣言できるほど俺は鉄の心を持っていない。
ああ、言い訳はしないよ。
その代わり、叫ぶくらい許してくれ。
「こんだけ高いハードル越えさせてーならっ、もっと役に立つ『祝福』でも寄越せやこらぁぁあああ!!」
本当に貰えると思っていた訳ではない。
言い訳したくなったのを制した女神への鬱憤を吐き出しただけだった。
そんな俺の思いとは裏腹に、女の声は響く。
青い一片の蝶が舞うとともに。
<称号『勇者』及び、ユニークスキル――>
§§§
「――『聖剣作製』!」
剣は、詠唱とともに自らの意思で青い光を生み出し始めた。
安物の剣は明らかにその強度を増し、淡い青空の澄み渡った空気を閉じ込めたかのようなエネルギーに溢れている。どこにでも売っているような安物の剣は、俺の右手に支えられ、伝説級のアイテムと比べても遜色のない至高の剣――聖剣へ生まれ変わったのだ。
ユニークスキル『聖剣作製』。
秘策、その二である。
「聖剣に……作り変えただとぉ!?」
神が作ったとされる聖剣を人が作った事実。
この時の俺はその重大性を何ら理解していなかったが、ギニーの目の色は明らかに変わる。ただの剣が聖剣になったとあれば、俺が彼のフランベルクの殺傷性に抱く恐怖と同じものを彼は抱くのだ。だからこそ、彼の声は動揺に満ちていた。
「て……てめえは一体……何者なんだ?」
「俺は一般人でいたいんだけど……お前はどう思う?」
ギニーの問いを適当な回答で済ませ、今度は俺が瓦を蹴り飛ばす。
今度は俺が攻勢に転じる時だ。
「『ファイアボール』」
左手に火球を生み出し、右手に聖剣を構えてギニーへ一直線。
格上の相手に仕掛けるにはあまりにも単調で、『遅延視』や『第三の目』で相手の迎撃を躱す用意がある点を考慮しても愚策。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているとは言うが、相手の懐で競り合いになった時に負けるのは俺の方である。ならば、不用意に近づくべきでない?
ただ、そうできない理由が二つあった。
一つは、攻撃手段として期待していた火魔法が想像を遥かに超えてダメージソースにならなかった事。これは事実上、遠距離からの攻撃方法を失ったに等しい。もう一つはユニークスキル『聖剣作製』によって作り出されたこの聖剣の、デメリットとも言えるべき部分である。
作られた聖剣は二分しか持たない。
二分経てば、剣は聖域で見たような青白い魔力の塵となって消えていく。
これが事前に試した際に露呈したデメリットである。
何度も『聖剣作製』を使えるほど俺の魔力容量は多くない。
まだ新しい聖剣を片手に持つこの限られたチャンスに距離を詰めて、確実に相手にダメージを与えなければならないのだ。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉお!!!」
猪突猛進に突っ込もうとする敵を前にギニーはやはり冷静に剣を構える。
彼の目を見れば、人の手で聖剣を生み出せたことへの驚愕がまだ根強く残っていることは明白だが、そんなことで気を抜くほど生易しい敵ではないことも充分俺は知っている。
ギニーはにたりと笑う。
それは、左手に作った火球の意味を勝手に予想したから。
「『ファイアボール』は陽動かぁ?」
外から見ればさぞ単調な動きだろう。
裏をかくには、突拍子もない一撃が必要だ。
「いや――」
俺はギニーの剣の殺傷範囲に至る直前で火球を維持していた左手を背中側に振り下ろし、背後に構えていた聖剣を前へ引っ張り出す。そして、火球は思い切り屋根へ叩きつけ、得られた反作用の力を推進力として――。
加速し、宙へ足を放り出した。
「な――っ!」
当たれ。
当たれ。
当たれ。
「『聖撃』っ!」
「――ぐぅっ!」
腹を抉って飛び散る赤い血飛沫に瞳は気持ち悪さを感じて瞼にこもる。
閉じるな瞼、勇者ならきっと目を背けたりしない――。
俺に肉を断ち切るだけの腕力はない。
剣が進まないと分かった瞬間、彼を屋根の縁に沿って蹴飛ばし俺は慌てて背後に飛び退いた。瓦の砕けた屋根は細かい岩が転がる山肌のようで、飛び退いた拍子に肩や腕などを破片で何か所も擦ったが、不思議とこの時に痛みは感じなかった。煙突付近まで転がり、確かな手応えを確認するため――。
「……これでっ」
蹴り飛ばした彼を見て――。
「――ぇ?」
ただただ絶望した。
「上手く攻撃したじゃねーかぁ。素直に拍手するぜ」
男は、立っていた。
適当に間の遅い拍手をしながら、血を流しているのにふらつきもせずに。
「じゃ、次は順番的に俺の攻撃でいいんだよなぁ?」
ライフゲージは減っていた。
想定通り、渾身の一撃でダメージを与えることに成功した。
想定と違って、ライフゲージのたった一割しか減らせなかった。
「六回……? あと……六回も?」
自分の中に辛うじて成り立っていた秩序が崩れていくのを感じた。
彼を倒すには、ステラとの戦いと今の一撃でまだ半分以上も残っている彼のライフゲージを削り切らなくてはならない。そのビジョンがどうしても見えないのだ。
「……ぁ」
どれだけ勇者を真似ても駄目だったのだ。
物語に登場する勇者は所詮は脚色ばかりで、本物の魔王には敵わない。
そして、緊張の糸は呆気なく千切れた。
これが幕引きである。
「『妖撃砲』」
「――ぁ」
掌に作り出された、黒い魔力の圧縮された塊。
東の空に灯った朝焼けを呑み込み、分不相応に抱いた期待と願いを呑み込み、この国の未来と出会った人々の明日を呑み込み、どこまでも、どこまでも漆黒に、まるでブラックホールのように全てを呑み込んで。
「じゃあな」
ついに、左肩に着弾した。
力の証明、ギニーを倒すことに拘ったのは間違いだろ?
歪んだ左肩の傷口が叫び、理性は痛みに口を閉ざす。
何がどうなったかを詳しく覚えていない。
ただ左肩を押さえて、呻き声をあげながらのたうち回った。
白いポロシャツに染み付いた赤い血が、記憶に刻まれた死の光景を引き出して、でも恐怖に怯える暇もないほど叫び、苦しみ、もがいて、張り裂けそうな痛みから逃れようとした。
『遅延視で……リ被弾をずらし……楽に死なせてやろうと……』
消えていく、感覚が。
消えていく、色が。
誰にもこいつは倒せないんだ。
無理だよ、絶対。
『てめえみたいな後先考えない愚か者とさえ出会わなきゃ、ステラも一時の幻想の幸せに憑りつかれずに済んだってのに』
必死に抗い続けた脚が、腕が、瞳が死んでいく。
暗闇が世界を覆い込む最中、微かにまだ生きていた耳に届いたのは――。
『――俺だけがあいつを救えたんだ』
一生で聞いた中で一番に醜悪で、大嫌いな響きだった。
§§§
暗闇に仮面が一つ、笑っている。
鉄の無表情が笑っている。
『無理だヨ、絶対、か。それっテ放棄っテ事だよネ?』
仮面は問うのだ。
傍にいて欲しいとステラが望んだ相手であること。
それが、自分であることを放棄するのか、と。
「――嫌だ」
俺だって、誰かに傍にいて欲しい。
その誰かが、ステラであって欲しい。
『その夢の続きを、心の底からあなたたちを信じてくれる人と』
俺じゃなきゃ嫌だ。
ここで諦めたら、返信一つできないじゃないか。
手紙から、悲しい記憶しか思い出せないじゃないか。
§§§
立ち上がれ――。
軋む骨が、肩の痛みが、震える腕が、諦めるなと喚き散らすんだ。
「おいおいおいおい、もう左腕は動かなかったはずで――な、何だぁ? その気持ちわりぃ仮面の妙な魔力は……?」
幻想なんかじゃない、そうだろ?
ステラと過ごした時間は、幻想でも、ましてや夢物語でもない。
「ちっ、てめえはもう虫の息だろーがぁっ。もう勝負はカッキリついたぁ。それともてめえには……てめえにはまだ何か秘策でもあるってのかよぉっ!?」
また『妖撃砲』が飛んでくる。
傷口がまだ痛み、すぐに動けない上に、聖剣はすでにその期限を過ぎて塵になっている。俺は咄嗟に手元に転がっていた仮面を前に突き出した。
「……『聖剣作製』っ」
小さな仮面は、魔王の一撃を防ぐと同時に三つに割れて屋根瓦に転がった。
今の一撃を無傷でやり過ごした俺を見つけてギニーは青筋を立てる。
「往生際が悪いっ!」
不思議と左腕も動かせる。
脚は震えたままだけど、臆病で泣いてる訳じゃない。
そっと小さな仮面の欠片に触れる。
確かに意識が失った暗闇で、この仮面が勇気をくれたのだ。
「ああ……大丈夫だよ」
もう、震えはない。
もう、怯えはない。
もう、迷いはない。
もう、後悔はない。
もう、自分の勇気だけで戦える。
「もう、仮面はいらない――!」
この窮地の最後にも仮面は一つの可能性を残してくれた。
俺は今、咄嗟に仮面を聖剣に変えられる剣として認識した。
だとしたら、できるかもしれない。
俺はそっと右手を瓦の上に重ねて、詠唱する。
「『聖剣作製』」
「ちっ、今更何を――」
苛立つギニーの声は青白く灯った光の玉を前に消え失せた。
これが俺の最後っ屁なんかじゃないことをすぐさま理解したからだ。
屋根は薄っすらと発光しているかのように青く、そこから青白い光が空へと無数に舞い上がる。それはとても幻想的で、空の朝焼けに青いタンポポの綿毛が飛ぶかのようで。ほのかに温かく、そっと息を吐けば洗い流されるような清さとともに彼が生み出した漆黒を浄化していくのだ。
「あ……あり得ねえ……聖剣の次は聖域だとぉ!?」
仮面を剣と認識したのなら屋根もとは思ったが、まさか本当にできるとは。
ギニーは顔色を失い、挙動不審に周囲に舞う光たちを見回す。
何が起きたのか、彼の中でまだ整理がついていない。戦闘において殊の外冷静な彼の隙をつく一瞬のチャンスを、もう見逃さない。俺はすぐさま二本目の剣をリュックから取り出し、聖剣化して魔力を込めた。
「『聖撃砲』!」
「――っ!」
ヤマトの『聖撃砲』を思い出せ。
一度も使ったことのないスキルだが、混乱状態にある彼に、そして遠距離攻撃の手段が俺にはもうないと思い込んでいる彼に泡を吹かせられる最大のチャンスを掴み取れ。
刀身を離れて打ち出された小さな魔力の砲弾に彼は追い付くことができない。咄嗟に背中を庇って彼が体を回転させたタイミングで青い光は盛り上がった右肩を食い破った。
「くそがっ! どうなって……がふっ」
「……これは?」
瓦を砕いて倒れ込んだギニーを見て俺は息を呑んだ。
なぜなら、『聖撃』で一割しか削れなかったギニーのライフゲージが二割も減っていたからだ。『聖撃砲』も込めた魔力量は変わらず、ダメージが大幅に増加する要素なんてどこにも……。
「――っ! 聖域を展開したことでギニーの耐久が落ちてる!?」
それに加えてさっきのギニーの動き、必要以上に背中を庇っているように感じたがまさか背中が弱点なのか? 思い返してみれば、最初にギニーが剣を振り回して突進してきた時も、俺に背中を見せないよう注意していたように感じる。
だとしたら可能性は、聖域が継続するこの二分間にしかない!
「『聖撃』っ!」
「ちっ、『妖撃』っ!」
水平に振られた剣を彼は上からギザギザの剣で叩きつけて勢いを殺し、再び、青と黒の目まぐるしい攻防戦が始まる。しかし、利き手の肩を負傷したギニーの剣は俺が競り合えるほど弱体化しており、聖域が展開しているせいか、ギニーの動きはずっと鈍かった。何度も打ち合い、火花を散らし、一秒後には位置を変え、お互いに痛みに耐えながら剣を振りかざす。
魔力が尽きれば、その時点で敗北だ。
しかし右手の聖剣が崩れる前に、これ自体をエネルギー源として一度だけ大技を発動できるかもしれない。そう考えた瞬間、ギニーが俺の突きの一撃を躱して瓦屋根の縁に蹴り飛ばす。
通りに面した屋根の縁。
最後のとっておきを披露する条件が整った。
いよいよ、決着である――。
◇◇
タンポポの綿毛は自由だ。
暗い夜だろうが、明るい朝だろうがどこまでも飛んでいく。
そこに、風さえあれば。
「はぁ……はぁ……て、てめえは……何者だっ!?」
屋根の峰から見下ろしてギニーはやはり、そう聞かずにはいられなかった。
目の前の敵は今にも息絶えようとしている。やはり、彼が魔王に勝つことはあり得ないだろう。まだライフゲージが三割と少し残っているギニーの、それが正直な感想だった。
ただ、彼が抱いていたのは勝利が近づくことへの歓喜でもない。いつも人を殺すときに感じるような優越感ですらない。激しい打ち合いの末、勝利を視界に収めた男が心に抱いているのはただの疲れだ。
「怯えて震えてるだけのてめえはどこへ行ったぁ!? 逃げることしかできなかったてめえはどこへ消えたぁ!? てめえは……何で俺の前に立ち塞がったぁ!?」
ギニーにとって彼は、初めから眼中になかった相手だった。
それがあろうことか、『魔王』を後一歩のところまで追いつめたのだ。
どうしても今まで目にしてきた少年の姿と一致しない。どこにでもいるような、ちっぽけなゴミみたいな存在が、どうして、何のために立ち上がったのか――彼はどうしてもその答えを知りたくなった。
瓦の縁で手をつき、少年はやはり立ち上がる。
もう、何度目かの敗北を乗り越えて、ふらふらでも立ち上がる。
潰しても潰しても、起き上がり小法師のように何度でも。
歯ぎしりして苛立ちを隠せないギニーに、沙智はゆっくりと口を開いた。
「ステラを魔王として救おうとしたお前を、俺は絶対に認めない」
それは、少年がギニーに向けた初めての怒りだった。
力の証明ならギニーに拘る必要はない。こと切れかけた少年の耳に飛び込んできた一人の魔王の、少女の願いを無視した独りよがりに、少年は明確に戦う理由を見つけたのである。
「誰だって、心のどこに本当の自分がいるのか、分からなくなる時があるんだよ。不安、疑心、心配、すれ違い……いつの間にか、夢や、他人に対する本当の想いまで曇らせてしまう。その曇りは一人じゃ簡単には晴らせないんだ」
それはきっと、少年がステラに対して抱えていたものだろう。
それはきっと、ステラが少年に対して抱えていたものだろう。
それはきっと、ギニーが何かに対して抱えていたものだろう。
「魔王であることを気にして、本当の願いが何だったのか分からなくなってしまったステラが、幻想なんかじゃない、本物の幸せを掴み取れるように……叫び続ける」
叫び続ける、その言葉だけが何よりも強く響き渡る。
もう二度と揺れない願いと意志を乗せて、彼は最後に力強く。
「俺は、あいつをただのステラとして助けたいんだよっ!」
目一杯な思いをありったけ乗せて全身で願いを表現する少年に、ギニーはもう言葉を返せなかった。彼が今まで人間との間に感じていた隔たり、それをこの少年とステラが必死に越えようとしていたからである。
――揺らいでしまったならそれが最後だ。
淡いタンポポ色の一滴だ。
少年が決死の表情で吐いた助けたいという言葉が、ギニーの心を覆っていた分厚い暗闇へ波紋を落とす。それは人間に対して一方的な感情しかぶつけてこなかった彼にとっては耐えられないもので、抑え方を知らない。冷静な思考で波紋を掻き消そうとするも、少年はその間を与えなかった。
「じゃあな、ギニー。俺の勝ちだ」
「ま、待て――!」
少し早い勝利宣言。
少年が背を向けて屋根から飛び降りた通りの方へ、ギニーは無意識に駆け出す。
「逃がすかっ!」
もし彼が揺らがなかったなら、少年の行動の意図を探れたかもしれない。
でも、仕方がないのだ。
波紋は、否応なしに広がっていくものである。
「七瀬沙智ーっ!」
飛び降りた彼の瞳に、少年の背中が映らない。
確かに通りへ少年は飛び降りたはずである。
ますます困惑する中、背後から聞こえたのは何かが軋む音。
「な――っ」
「うぉぉぉぉぉぉぉぉお!」
上に曲がった雨樋に、戦いが始まる前から引っ掛けられていたロープ。
飛び降りた沙智は、このロープに掴まって、静かに、その時を待っていた。
「『聖撃』――っ!!」
少年は聖剣の内なるエネルギーを余すことなくギニーにぶつける。聖域の魔力を体一杯に浴びて弱体化している彼の、ステラとの戦闘で作られた背中の弱点に、願いを乗せた一撃は容赦なく命を奪い取る。
これが、決着である。
空はいつの間にか赤を通り越して太陽が照らす青空を薄っすらと浮かべ、長かった夜を優しく終わらせた。
「はぁ……はぁ……やっぱ二階から飛び降りる奴の気が知れないな……」
ロープに掴まりながら、高所恐怖症の沙智はそう呟いた。
メニューにしっかりと『魔王撃破』の称号が追加されているのを確認して、溜息交じりに呟いた。
【『聖剣作製』】
沙智が新しく獲得したユニークスキルだね。普通の剣を聖剣に作り変えることができるみたいだけど、二分しか効果は持たないらしいよ。剣でなくても、沙智が武器だと認識したら聖属性の魔力で物体を組み替えられるみたいで、すっごく曖昧なスキルだよね。勇者みたいに聖属性の魔力をまとわせるのと違って、作りから変えちゃうから威力が底上げされるんだよ。
※加筆・修正しました。
2019年9月20日 加筆・修正
表記の変更
ストーリーの補強




